第7話 幻覚芳香

「はぁ……ひどいめにあった……」


 いや、至福であることに違いはないのだが、如何せんシンラは女であるも、中身が割とおっさんじみているから逆にミコトの方が色々とされてて、気疲れがひどい。

 だが、瞼の裏には彼女の玉体が焼き付いている。


 剣豪などと言いながら、その身に傷一つない美しくも瑞々しい玉の白肌に、しっとりと水をすった柔らかな濡羽色髪は天女と見まがうほどであった。

 その背を流す栄誉を賜り、流したその感触は今もこの手に残っている。最高であったとも。


 何より巨乳だった。着物の上からはさほどわからなかったが、その質量、莫大。しかして、下品ではない美しきもの。

 まったくもって心臓と男の子に悪い。その当のシンラと言えば、未だに温泉の中である。まだまだ長風呂女風呂。

 ミコトは一人抜けてさっさと部屋で頭を冷やさんと夜風でも浴びるかと窓開けてゆったり待とうとしたところ。


「……え?」


 何やら誰かが部屋にいる。

 ギョクと見知らぬ黒づくめ。


「おっと、これは良いところに」

「なに、してるんですか? その人は……?」

「にゃーにゃー。東里に入ったとたんに色々とありましてぇ? この人は、忍者ですよぅ」

「しのび、もの……忍者?」

「はい、そうですよぅ」

「えっと、それがどうしてこんなところに?」

「まあ、捕まえたのでご本人から色々とお話を聞こうかと」


 それはわかるが、なぜミコトとシンラの部屋にいるのだろうか。


「まあ、シンラ殿関係っぽいので、お連れした次第ですよぅ」

「シンラの?」

「そうですよぅ」


 果たして旅の無頼にどのような関係があるというのか。忍者と言えば誰かに仕えているものだろう。

 最近やった難易度が高いゲームもそういうものであったし、時代ものであれば、主君に仕える影の存在だ。

 もっとも異世界であるために、その実態が自分の認識と合うかはわからないが。


「さてさて頭巾を脱がせましょうねぇ」

「楽しそうですね」

「楽しいですよぅ。忍者の素顔なんて、早々見れるもんじゃぁ、ありませんからねぇと」


 頭巾を外し、服装各部につながった紐を断つと不思議なことが起きた。

 みるみるうちに忍の体が縮んでいったのだ。


「忍法が、骨法と肉法の応用ですよぅて」


 驚くミコトにギョクはそういった。

 忍法・可変改変

 それは自らの肉体を作り変える技術だ。関節や骨、筋肉を自在に動かし、己の好きなように肉体を作り変えるのである。

 任務の度、各所へ潜入する忍者が、他者へ成る時に使われる。


 これを解けば、出てくるのは彼らの本性。


「にゃーにゃー。こりゃあ別嬪さんですよぅ」


 出てきたのは少女の面容。体の方も4尺ほどに縮んでいる。

 美しき夜に輝く星色の髪をした少女だ。頭巾を脱がされたことで、どうやら気が付いたらしい。

 ぱちりと、黒の眼が開く。


「――――!!」

「そい!」


 即座に逃れようと動くも、それよりもギョクが早い。

 その鳩尾に掌底を叩き込む。


「が――」

「肺の中の気、全部吐き出させましたよぅ。ついでに、毒消しの仙薬も飲ませましたよぅて」

「――く……」

「おとなしくしとってねぇ。もうすぐシンラ殿が来るよぅ」


 と丁度良く。


「いやぁ、良い湯良い湯。ついつい長風呂いたしまして、さあ、寝ようと――おや?」


 シンラの視線が忍の少女に向く。

 刹那、緩んでいた表情が険しく、剣豪のそれへと変わり――踏み込み一閃。


「はい、お待ちなし」


 刃がギョクにより見切られ踏みつけられる。


「ちょ、いきなりなにを!?」

「ああ、ごめんねーミコト君。ちょっと、見えちゃいけないものがそこにいるもんで」

「…………」

「いや、いきなり女の子を殺すって……」

「女だろうと、男だろうと。それが敵ならば容赦しては死ぬ。それがこの国、この世の理。ミコト君は、甘い」

「にゃーにゃー。そいつには同意しますけども。ここでの暴れるんはなしですよぅ。やるんなら外でおやり」

「では、外に」

「ただし、事情を説明せんとあてらは納得いきません。いつまでもミコト君に隠すのは難しいでしょぅて。なら、ここらで一つ話しておくと気が楽じゃありません?」

「袖振り合う縁でも?」

「袖振り合えばそれはもう立派な縁。まして一つ宿下屋根の下、それもお狐旅籠なればなおさらですよぅて」


 観念したのはシンラは刃を収める。

 ミコトも一息吐き出す。


「承知承知。委細承知。私の猫」

「は……」


 猫と呼ばれた少女が起き上がり礼の形をとる。


「従うつもりは?」

「主の命ずるままに」

「ならば、話せ。何をしに来た」

「東里に主の気あれば、それを連れ戻す。それが拙の受けた主命なれば、です……」

「はぁぁ、あの父殿かぁ」

「そろそろお帰りになられればと、おっしゃられていましたです……」

「や・だ」

「主……」


 何やら深いご事情がある様子。


「ええと、どういうことなんだ?」

「観念いたしましょうて」

「はぁ……わかりました。観念しますよ。良いでしょう良いでしょう。名乗りましょう。こほんと一つ失礼を」


 姿勢を正し、浴衣の乱れを直し、刀を背に、左手を胸に。


「江渡が国主、武君天帝が娘――バンショウ・シンラでございます。皆々様におかれまして、どうぞよろしくお願い申し上げます――はあ、肩凝るわ、これ」

「えっと、つまり……?」

「大倭の中心たる江渡の国主の娘ということはこの大倭のお姫様ということですよぅ。まあ、戦は時の運。どうなるかは、わかりませんですよぅて」

「えええええ!? って、うわぁ!?」

「おい、コラ。野良鼠、その驚きはなんです」

「はいはい、やめやめ。猫も動くな」

「……主がそういうのであれば、です……」

「えーっとねぇ、ミコト君、まあ、簡単に言うとだね」


 東里、つまり江渡の圏内に入ったから、居所が探られて家に連れ戻すための刺客が放たれたのだという。


「つまり、シンラは家出娘か」

「にゃーにゃー、率直にいうとそうですよぅ」


 笑いながらギョクが肯定する。

 それにいい気分にならないのが猫と呼ばれた忍だ。彼女は、シンラの忍。ある日、剣を極めてくるわ、と家を出て行って幾星霜。

 ようやく、赤子の時分につけた匂いが江渡の圏内に戻ってきたとこれ幸いと連れ戻すべく、秘蔵の赤目鬼まで連れてやってきたわけだ。


 それがまさか旅の旅籠に泊まっているわ。変な野良鼠まで連れているわで、いい気分になどなりようがなかった。

 要らないのが多すぎるのだ。しかも、この本性まで晒されてしまった。主以外には見せぬ姿を見られた以上、此処で主以外を皆殺しにする以外にない。


 ないのだが――その動きを見せれば即座に主の斬撃が飛ぶ。

 首が飛ぶのは己だ。死ぬのは怖くない。むしろ忍が死を怖がっては仕事にならない。

 里を出る際もそういわれているが、主の手にかかって死ぬ忍ほど無様なものはない。

 なにより主に仕えたいがために生きているのだから、主の意向に背くことなどできやしない。


「…………」

「さて、それじゃあ、おまえの用は終わったな? 帰れ」

「帰らず、です」

「帰れ」

「否、です……大殿より、連れ帰れと」

「私は私の道行きで帰る。おまえの指図は受けぬ」

「…………であれば」

「はいはい。此処で流血沙汰なんぞご法度御法度。あてらのお宿に血の雨似合わぬ。それに、シンラ殿の行き先はどのみち江渡の都。このミコト君をほっぽり出していくなんて、仏様が許しはせぬまい」

「……」

「なんと、それはまことか、お狐殿」

「そうですよぅて」


 あちゃー、と顔を覆うシンラ。

 どうにも帰ったことを悟らせたくない様子だが。


「帰りたく、ないのか? それなら……」

「いや、いや。ミコト君が気にすることじゃあなし。きちんと江渡まで送ります。ただ……」

「ただ?」

「父殿めんどうなんだよね」

「主、大殿が泣きますです……」



 紆余曲折、色々あって一晩を共にすることになった、三人。

 流石に女二人に男一人なんぞ、道理が許さぬミコトが疲れる。

 というわけで、部屋をわけてもらった次第。


「はぁ、ようやく一人」


 それでも向いの部屋、襖一枚、廊下、襖一枚とさほどさえぎるものもなし。


「それでも一人の時間だ……」


 障子をあけて外を眺める。明るすぎる月明かりが暗い部屋を照らす。

 美しすぎる緑の景色が開け、そこに見えるのは山々の起伏と春の色合い。天を貫かんほどに巨大な樹は影も形もありはしなかった。

 旅する旅籠がどういうものかを理解する。


「……江渡に行けば、会えるのか……?」


 わからない。

 なにもかもわからないことだらけだ。だが、行くしかないし、手掛かりなどありはしない。

 拠り所もない。何をすることもできない。


「できないこと、だらけだな……あっちとなにもかわらない。メグミなら、もっとうまくやってるんだろうな」


 今頃どこで何をしているのだろう。

 兄妹だからか、この世界にいることは何となくわかる。気功の一端に触れたおかげもあってそれは確実だ。

 大きな街、大きな国に行けば出会えるかもしれない。だが――


「再会して、どうするんだ?」


 帰り方もわからない。ここで暮らすのか? ならばどうやって生きていく? 何が出来るというのか。


「……はぁ、どうしようもないな……」

「料理をすればいいと思う……」

「……君は」


 月明かりの中、浮かぶように少女が現れた。シンラとサタが釖装を出したときに守ってくれた少女だ。

 揺らめく白金の髪が、月光を浴びて光を放っているかのよう。

 紅玉の瞳は見つめたものを深く深く沈めて離さない。


「君はいったい?」

「…………」


 答えるつもりはないらしい。


「まあいいか。あの時は助けてくれてありがとう。おかげで、怪我もないよ」

「…………合格」

「合格?」


 少女が距離を詰めてくる。

 ぴったりと引っ付くようなほどに近づいて。ミコトが下がろうとしても、彼女の手が浴衣の裾をつかんでいる。

 その力が強いのなんの。この世界の女、こんなのばかりかと思ったり思わなかったりもしたものであるが、美少女に詰め寄られて悪い気分というわけではなく。


 その瞳に、形のよい桜の唇に、目が釘付けになるほどで……。

 少女の芳香は、どこか、不思議な気がした。

 熱く、されど硬く、まるで鋼のような……。そんな印象が一瞬で脳裏に浮かんで、消えて。

 後には花の香りがする。どこか懐かしさがある、藤の香り。


「……閨を共にしましょう」

「は……?」

「……聞こえませんでしたか? あなたは滅茶苦茶、ワタシの好みです。なので、閨を共にすると言っています。情交です情交」

「いや、意味はわかる」


 わかりたくないがわかる。それは間違いない。つまるところ、それは、体を交わらせるということで。


「では、早速脱ぎましょう」

「い、いやいやいや!?」

「……なにか不満ですか。この薄い体ですか」


 少女の肉付きは良い方ではない。胸はお世辞にも大きいとは言えない。シンラと比べるとその差は歴然だ。

 シンラは剣豪などと言っておきながらあの肉体は見事に女性的だ。胸は大きく、持ち上げたときの重量感は凄まじい戦闘力である。


 なぜ、ミコトがそんなことを知っているのかというと、風呂でのおふざけでいろいろとあったからである。

 それについては、此処で語ることでもないので割愛するが、目の前の少女をそれと比べるのは酷であろう。


 身長もそうだ。シンラは4尺と6寸はある長身だ。ミコトと同じくらいの身長がある。手足はすらっとしているが、剣豪であるため鍛え抜かれ引き締まっている。

 目の前の少女は、3尺と7寸くらいあればいい方だ。小柄も小柄である。忍の少女も小柄であるが、それよりも小さい。

 それだけに肉付きは推して知るべしだ。


 そんなことを考えていることが表情に出ていたのか。


「……確かに、ワタシは、アレと比べれば貧相ですが……楽しませるだけの技巧は学んでいます」


 む、っとしながらそう続ける。


「いや、そういうわけではなく……初めて出会ったばかりだろう」

「……時間は関係ありません。もうワタシは我慢できない。それがすべて。炉にくべられた鉄のように、ワタシの体は、燃え上がっています」

「だ、から……離れて!」


 全力を込めて引きはがす。


「……こんなにもお慕いしているというのに……はしたない女は、お嫌い、ですか?」

「嫌いとか、そういうんじゃなくて……」

「……ふむ……こういう強引なのは好みではありませんか。わかりました、次は、あなた好みになってきますので、今宵はこのくらいにしておきましょう」

「だから、話聞いて?」

「では、ミコトさん。次の夜を楽しみにしていてくださいね」


 そういうと、少女は窓から去って行った。

 ここは階上だからあわてて窓から身を乗り出すが、少女の姿はどこにもなかった。


「なんだったんだ……いちおう、ギョクさんに報告しておくか」


 ただ、断らなくてもよかったのでは? と男の子の部分で後悔しながら、ちりんと鈴を鳴らす。


「にゃーにゃー、お呼びですよぅ?」

「あの、さっき――」


 少女のことについて説明し、心当たりがないかを聞く。


「ふむ、あいにくとあてらはそんな少女を知りませんよぅて」

「そうですか……」

「ただ……初心で可愛いなぁと思いますよぅ」

「な――!?」

「ふふ、なんならあてらが男にしたりましょうか?」

「け、結構です!」

「ふふ。なんとも可愛いですよぅて。食べてしまいたいくらい。まあ、それはシンラ殿に悪うございましょうし、お客人を食べるなんてそんな危ない物の怪のようなことはいたしませんよぅて。安心なさいまし」


 とりあえず、少女についてはギョクも注意を払うということで、就寝することになった。

 夜も深まる異世界道中。


「…………」


 何を成せるのか、何が出来るのか。

 それを考えているうちに、ミコトの意識は、沈んでいった。

 ただずっと、耳にあの剣戟の音が残っていた。

 自分もまた、そんな風に、などと思ってしまうくらいに、鮮烈で爽快な音が。

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