第6話 拝礼拳打

「…………」


 目覚めたミコトの視界を迎えたのは、知らない天井だった。

 木目が美しいお宿の天井がじっと彼を見つめている。


「ええと……ああ、そうかギョクさんの旅籠に泊まったんだった」


 あの後、シンラが調子に乗って酒飲み三昧になったのだ。

 それに付き合わされた結果、昼頃に寝落ちした。


「もう夜か……?」


 窓から見える景色は暗くなっている。

 もう夜のようだ。


「シンラは……?」


 隣で眠りこけている。抱き着かれていないのは、徳利がいっぱい転がっているからだろう。それだけ飲んでいたということか。

 お昼の後も飲んでいたようで、起きそうにない。風邪をひくといけないから、上着をかけておく。

 結構飲まされたおかげで、少しだけふらりとした。


「水が欲しいな」


 ミコトは、ギョクに言われた通り鈴を鳴らす。

 鈴はちりんと、鳴った。小さな音だが静かな旅籠に確かに響き渡る。


「にゃーにゃー、お呼びですか、ミコト君、じゃなくて、いまは女将ゆえやり直しやり直し。いかがなさいましたか、お客人?」

「あ、水をいただければ。あと普通にして良いですよ。これから、少しは一緒に過ごすんですし」

「おお、それはそれは寛容で良いですよぅて。では、あてもこの調子でやらせていただきますよぅ。それで、お水と。水差しは……なるほど飲んだようでまあ。ならちょうどよし。井戸と厨房、それからお風呂とかの場所も教えましょうねぇ。こっちですよぅ」

「ありがとうございます」


 ギョク女将について宿の中を歩く。

 きいきい鶯張りの軋む音は、何度聞いても良い風情。和風の調度品は、高級旅館を思わせる。

 某国民的湯屋映画のそれと同じ感慨を抱く。


 宿泊客がいないのは、出会った場所が田舎も田舎だからか。だとしたらなぜギョクはこんなところにいたのか。


「いい宿ですね」

「にゃー、ありがとうねぇ。あてらの自慢のお宿ですから、褒められるのはうれしいですよぅて。しかし、ミコト君は、今時、とても珍しい人のご様子。お貴族様というわけでもなし。普通の旅人にしては足りないようて。ふうむ、神隠しにでも遭われましたと見ますが如何に?」

「まあ、はい、そんな感じだと思います」

「それは大変ですねぇ。でもミコト君は良い縁を持っているようで。シンラ殿と出会えたことは、きっと君に良き縁をもたらしますよぅ」

「そうですかね……」


 そういわれて思わず表情が暗くなってしまう。

 シンラとの出会いで助かったこともある。だが、それ以上に、あの戦を見てしまった。

 自分はまた何一つ何もできないのではないか。そういう思いが去来する。


「ふむ。お悩みですかねぇ。なら、少し体を動かしてみるのはどうでしょうねぇ。あてもちょうど套路でもと思っていたところでしたので」

「とうろ?」

「武術の鍛錬のようなものですよぅ。興味があるのならお教えいたしますよぅ。気功の一つでもできれば、旅にも必要になりましょうて」

「気功……それなら、お願いします」

「では、こちらへ」


 連れられてやってきたのは、中庭だった。枝垂れの桜の咲いた綺麗な庭であった。

 美しき紫桜花が、風になびき、ふわりと色づく香りを漂わせている。

 風光明媚とはこのような場所のことを言うのかもしれない。ここで、ゆっくりと花見ができればそれはとても素晴らしいものになるのではないかと思った。


「綺麗な桜ですね」

「あてらも好きなお花ですよぅ。此処でお花見するんはあてらのお宿の一番の贅沢です。さて、井戸はこちら。厨房は、あちらの扉ですよぅ。はじめはわからないと思いますんで、鈴で遠慮なく呼んでくださいなっと。さあて、では、まずはお水をっと。はいどうぞ」

「ありがとうございます」


 水を一杯飲みほせば、少しは気分もよくなる。


「にゃーにゃー、ではやるとしましょぅて。まあ、まずは見てくださいっと」


 息を吐き、ギョクが構えた。

 風が凪ぐ音が止まる。

 心臓の音が嫌に大きい。

 それほどの静けさの中でゆったりとギョクの動きが連続する。


 礼。

 突き。

 礼。

 蹴り。


 拝礼からの拳、蹴りへの接続。

 流麗に流れる気功の動きは、礼のあとに爆発的に高まり、打撃となって放たれる。


「……すごい」

「いやいや、あてらはまだまだ未熟の徒。死門までいたぬ剣豪ならざるもの。あてらは、未熟の輩ですよぅて。まあ、それでも人にものを教えるくらいはできますよぅ。さあさ、こちらに。拝礼拳の基礎をお教えいたしましょう」


 経派内家拳が拝礼拳。

 それが、いまギョク女将がやってみせた套路を有する拳法の名である。

 太源をとある仏院の僧が悟りに至るために開眼した武術である。礼に始まり、礼に終わる。

 単純明快な武の基礎たる祈の部分に重きを置いた流派であり、一礼一打を基本としている。

 礼とは片手での略式合掌である。仏へ祈るとともに、打つのだ。

 仏僧の祈り持つ拳の打ちは、人ならざる化生を打つ。斬線通らぬ魔の類を討つには、何よりも優れた拳なのだ。


 さて、まずその基礎といっても武術の太源はみな同じ。体の動かし方を学ぶには拳から。

 といっても、ギョク女将もそこまで教えるつもりもない。いざというとき動けるように、それくらいで良い。


「それじゃあ、まあ、体を慣らすところからはじめましょうかね。あてに合わせて動いてみてくださいな」

「わかりました」


 基本動作を行う。礼と打。拳と掌。肘と膝。全身を決まった順序で断続的に動かしてゆく。

 ゆったりとしていながら、それは全身余すところなく稼働させる。簡単なように見えて、あまり負荷がなにように見えて。


「く、はぁぁ……」


 一連の動作を終える頃には、庭にぶっ倒れるくらいに、ミコトは疲労していた。


「にゃー、お疲れ様ですよぅ。筋は悪くないですよぅ。きちんと長年修行すれば一角の武客にはなれるやもしれませんねぇ」

「は、はあ、はあ、そ、うか?」

「にゃーにゃー。あてらは嘘はいいませんからねぇ。ざーっと、4、50年ほど修行してみます?」

「そんなに修行する時間は、ないかな……」

「まあ、そんなもんですよぅ。向き不向きはありますよぅ、もしかしたら、ミコト君の得意なのはもっと別にあるやもしれませんからねぇ。お料理とか、極めるには良いと思いますよぅ」

「料理、か……妹にもそれだけは評判良かったんだよなぁ」

「おやおやぁ、妹さんがいらっしゃる。あてと一緒ですねぇ。今、ここにいないことも」


 そういったギョクは、どこか遠くを見つめるように目を細めていた。

 彼女を見上げるミコトは、なにか言わんと思って……言葉は出なかった。


「……にゃー湿っぽくなってしまいましたなぁ。失敬失敬。ささ、悩みは吹っ飛びましたかな?」

「……まあ……」

「――あー! ギョクさん、ミコト君に教えてる、ずるい! 私も教える!」


 っと、どうやら目を覚ましたシンラがやってきたようだ。


「あらあら、大変ですねぇ、ミコト君」

「はぁ……なんというか悩みを持ってる暇すらくれなさそうな感じ、ですね」

「それが一番ですよぅ。さあ、付き合って差し上げましょうて」

「付き合うの俺ですよね?」

「ふふ」


 夜の騒ぎはまだまだこれから。


「はいはい。お客人? 温泉でもいかが? お狐旅籠は良いお宿。温泉お宿でございますよぅ」

「おお、温泉! これはこれはなんともすごい! なら入らにゃ損損! いくよー、ミコト君!」

「え、あちょ」

「流しはご入用で?」

「二人だから大丈夫大丈夫」

「では、ごゆるりと」


 引きずられるように、というか、半ば宙に浮かされるようにそのまま、首根っこ掴まれて風呂場へと連れていかれる。


「ちょ、一緒に入るのか!?」

「そうだけど、何か問題が? これから一緒に江渡に向かうのなら、気にしてもしかたないでしょ。さあ、よいではないかよいではないかー」

「それこっちにもあるのかよぉぉ!?」


 そのままミコトはシンラに剥かれ、温泉へと連行された。


 ●


「ふふ、楽しそうでなによりですよぅて」


 けど、どうにもそのままではいかんご様子。

 ギョク女将は、旅籠の外へ出る。

 今日一日は、一か所にとどまる決まり。

 それを知ってか知らずか。


「にゃーにゃー……東里の隠密ですかねぇ」


 月影からぬぅと人影現る。


 黒に身を包んだ男か、女か。はてさて、体格だけではいかんとも。顔も隠せば、体も隠す。

 隠しに隠したその姿は、まぎれもなく忍者しのぶもの


 さらにはその後方、赤目あり。


「しかも使役獣連れとは、ずいぶんと手荒いことですよぅ。いったいあてらのお宿に何の御用か」

「…………」

「語る言葉を持たぬか。忍方らしいくて笑ってしまいますよぅて」


 獣駆ける。

 狙うはギョクの首。


「甘い!」


 一瞬の構え。

 左手、略式片手合掌。

 右手、拳、腰溜め。


 弾く。

 牙がへし折れる。

 獣が悲鳴を上げた。


「……!!」


 驚愕。

 影が驚く。


「にゃーにゃー。何を驚く? あてらは、こういうもの。それが内力なんぞ使ってみたらどうなるかなんて、分かっておったであろうて」


 もとより拝礼拳の使い手は尋常ならざる内功の使い手揃い。その中でも、ギョクなんぞは木っ端も木っ端。

 ただ――狐変容の妖狐であるが故に、莫大な内力を有しているだけに過ぎない。


 そして、それはそれだけである一定以上の強さを持つということなのだ。

 内力とは生命より生じる。骨と筋、血、経を合わせた全身合一にて練られる生の力こそがこの世界における内力。

 生命力が強ければそれだけで、内力は尋常ならざるものとなる。


「…………!」


 しかし、相手は忍。その任に命すらも賭ける。これで退くならば三流もいいところ。退かぬ。

 旅の旅籠の女将は強者だ。その認識に合わせ――、鬼を繰る。


「にゃー、こんなのまで用意しているとは――」


 略式合掌。

 右手に拳を握る拝礼拳の基本にして唯一の構えたる礼構えをとる。

 ギョクとて退くことはできない。女将の名にかけて、お客人を守らねばならぬのだから。


 故に、此処に戦は始まるのだ。


「――!」


 疾走、鬼が駆ける。

 轟音疾駆。

 音を置き去りにする、人外の歩。刹那のうちを切り分け、その先でギョクの背後へと行く。

 振るわれる大腕薙ぎ。丸太の如き鬼の腕が赤く揺らめく眼の軌跡を描き、振り下ろされる。


「ふっ――」


 それを迎えるギョクは、呼吸一つ。

 構えを崩さず、その左で受ける。

 鋼鉄の響き、鳴る。

 その左合掌は、もはや鋼と同質。


 振るわれ、荒くれた剛腕を弾く。

 しかし、続く鬼の第二撃。同じく振るわれる剛腕をさらなる左が弾く。鳴り響く骨鋼の跫音。


 地を舞うがごとく、ゆらめく流水のように受け、弾き、相手の幹を崩す。


「拝礼拳が仏の第一――」


 魔性を砕く拝礼の拳。

 一礼とともに放たれる打撃はただの一発。

 拳銘を結び、それは世界へ発せられる業となる。


 神仏への祈りとともに放たれた拳が鬼を打つ。


「流水」


 仏の第一『流水』。

 生まれ落ち、流れ落ち。それは水面を形作る落ち水。

 放たれた柔拳軟打。

 しかして、それは拝礼拳においての基本形。すべての始まりたる水源へ通ず拳打の重みが鬼を穿つ。


「――――!!?」


 鬼の驚愕。

 ありえない。

 己は赤目。

 鬼。

 魔性の類。その中でも最上級の存在なのだ。それをなぜ、このような妖狐如きの拳打を受けているのか。


「この程度で驚いておったらいけませんよぅて。まだ、1つですよぅ」


 そうまだ、ひとつなのだ。

 これでひとつ。ならば続くはその二つ。


「仏の第二」


 繰り出されてはたまらぬと忍が動く。

 放たれる鋼鉄の苦無。


 放たれるそれを左合掌が弾く。

 拝礼拳の構えは、攻防一体の構え。右の拳は魔を穿ち、左の合掌が厄を退ける。

 剣と盾を持っているようなもの。


「日輪」


 掌銘を結び、それは日の輪の業と成す。

 そっと触れた右の掌が鬼の腹の上を回す。


「――――」


 ただそれだけで、赤目の意識が飛ぶ。腹の中が灼熱に煮えたぎる。

 灼豪熱日。

 烈火の如き痛みが腹を中心に前進へと広がりゆく。勁の伝導、日輪の如くすべてを照らす気を送りだすなど仏僧にとっては朝飯前だ。

 彼らは、治療の為に己の気功を使う。だからこそ、気を相手に流すことは得意中の得意。


 鬼は塵も残さず浄化された。


「……そうか、拝礼拳打……貴様がそうか」


 ようやく忍が口を開いた。

 相手の耳から微妙に声を外す独特の喋り方のせいで、男なのか女なのかも判別が出来ない。


「にゃーにゃー、その名は我が一門が持つ名であって、あての名ではないのですよぅ」

「ならば名を聞こう」

「はいはい。なら名乗りましょうねぇ――鬼灯一門がひとつレン・ギョク。武林に通す名は、狐迷魔穿」

「……名高き千年狐殿とは……名乗る名を持たぬ拙を赦してほしい」

「もとより忍者、名などありますまい」

「違いなく。して、こちらは、あなたに迷惑をかける気はない。ただ、人を渡してほしい」

「それは道理がありませんよぅて。あてらの客人、渡しゃしません」

「……そうか。ならば、拙がお相手いたす」


 忍が構えをとる。

 いや、取っていないのか。

 だらりと下げた両の腕。


「――――!」


 一呼吸。

 回転乱舞。

 放たれるは、手裏剣苦無数百数千。

 忍骨法が一つ。

 懐など生易しい、肉骨の中に仕込んだ忍具が乱れ飛ぶ。


 その乱打を躱すすべなどありはしない。


「にゃーにゃー。ないならば、すべて受けてみせましょぅて!」


 もとより護りの戦こそ拝礼拳の妙。

 合掌こそ祈りの神髄。

 そして、拝礼拳の合掌こそ防御の型。

 交わり、変わることなき祈りの合掌が手裏剣苦無を丁寧に弾いていく。

 

 しかし、忍法はここからが神髄。

 骨法など収納術の一つにすぎぬ。この武法の神髄とは如何にして殺すか。その一点のみ。

 それのみを以て忍、相手を殺し、奪い、戻る。それだけを鍛え上げてきた。


 仏律拳法と同じくする古流派。

 だらりと下げた両の腕。その遠心が、威力絶大となって襲い来る。蹴りから派生する回転乱打。

 さらに忍具のあまりも追加で骨より出でるとすれば、それはもう厄介極まりない。


 人間、出来ることには限りがあるのだ。それらすべてを防ぐことなど不可能。

 故にその技の銘は――必死絶死。


「……ならば死ね、戻らずに、惑わずに」

「お断りですよぅ」


 鋼が鳴る。

 金剛一音、激のまま。

 静寂がすべてを包み込んだ。


「なんと……そなた、だ」

「さてさて、何人でしょうねぇ」


 放たれたすべてをギョクは防いで見せた。


「ほな、事情も聴きたし、ひとつお眠りいたせ」

「――――」


 拝礼拳打。

 穿たれた忍の意識は闇に沈む。


「さてさて、どんな事情なのやら……厄介事の臭いですよぅ」


 しかして、お狐旅籠のギョクは楽し気に笑う。

 これはこれはとても良い縁であると――。

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