第2話 少年漂流

 料理をしながら、少年――芦凪命ことミコトはどうしてこうなったのだ、と考えていた。


 後ろでこちらを見ている謎の女剣豪と夜盗どもの殺し合いなんぞに巻き込まれ、助けてもらった女剣豪に料理を作っている。


 突然の意味不明な事態。情報を把握することこそが肝要であるとした彼は、料理をしながらこれまでのことを反芻することにした。


 ●


 春麗らかな季節。

 春眠暁を覚えずというほどに穏やかで安らかな明け方。

 であるが、現在のミコトにとっては全然安らぐことなど出来そうにない、まるきり真逆の状態であった。


「ミコトにぃーあーけーてーよー」


 ガチャガチャと、扉の向こうから女の甘ったるい声がする。まともに聞いてしまえば誰もがこの女の子のことを好きになってしまうのではないかというほどに魔性が宿った声だった。

 命ずれば嬉々として誰もが従うであろうが、ミコトは絶対に開けない構え。ミコトが抗えているのはひとえにこの扉の向こうにいるのが、ミコトの妹だからだ。兄だから効かない。


 妹の名はメグミ。芦凪恵。

 紛れもなくミコトと血の繋がった実の妹である。ただし、どこかでなにかが間違ったのか、実兄のことを病的なまでに愛してしまっている。


「嫌だ、開けない」

「ミコトにぃ起きてる! おはよー! ここ開けてー! 春だけど可愛い妹が裸なんだよ、凍えちゃうよーあたためて?」

「断固拒否だ馬鹿妹!」


 果たしてどこでこんなにもとちくるってしまったのやらだ。ミコトには一切、心当たりがない。普通の兄妹のように育ったはずだが本当にどうしてこうなった。


「やった褒められた!」


 断じて褒めてない。

 ミコトよりも遥かに出来が良いと他称されるメグミの頭は、彼が関わるといつもこれだ。

 バグってる。


「はぁ」


 溜め息ひとつ。重苦しいそれを吐き出して扉をあける。

 ぱぁぁぁ! と輝く顔が飛びかかってくる。健康的で清楚極まる色香放つ美少女の顔は、だらしなくゆるみきっている。

 しかも宣言通り全裸。傷もシミもありゃしない瑞々しい玉体を惜し気もなく晒している。体のラインはまさに黄金律を体現している。残念なのは胸だけか。すとーん。

 光すら放ってそうなほどの美しく長い長い髪を振り回し、しゃらんと音が鳴る。


 紛れもなく美少女。黙ってさえいれば、立てば芍薬座れば牡丹。清楚を形にしたような美少女である。でも妹。こんなのに付き合えば人生終了。

 そういうわけで回避。慣れたものだ。ぽすんとベッドに落下したのを確認してリビングに向かう。


 後ろで


「はぁ、ミコトにぃの匂い、はぁ、はぁ、んくぅ――」


 なにやら変態の声が聞こえたのを聞かなかったことにして、シーツを洗濯することを心のメモ帳に記入。溜め息吐きつつ昨晩仕込んでおいた朝食の仕上げにはいる。


 魚を焼きにかかり、漬け込んでいたこんぶを取り出し出汁を火にかける。

 豆腐や葱などの具材をいれ、煮たたせたら火を止めて味噌を加えて再び煮たたせる。

 その頃には魚も焼き上がり始めるし、味噌の良い香りも漂ってくる。復活し着替えも終えたメグミも匂いに誘われてやってくる。


「おはよーミコトにぃ! うーん、いい匂い!」

「もうすぐ出来るから座ってろ」

「はーい」


 いつもこんなに素直ならば楽なのだが。

 漬物とおひたしなども添えて朝食完成。


「さあ、食べよう。いただきます」

「いただきまーす!」


 ずずとすする味噌汁が鼻孔に香る。

 熱さを舌の上で転がし、出汁とみその風味に舌鼓。

 豆腐にねぎ、おあげ。

 三種の定番が口の中で味噌とハーモニーを奏でる。


「はぁ、ミコトにぃのごはんおいしぃ、やっぱり嫁にしたいから、既成事実作っちゃおうよ」

「馬鹿なこと言うな。さっさと食べないと遅刻するぞ」

「はーい♪」


 片付けも含めれば時間はない。二人で食器を片付け、荷物を持って玄関を出る。

 燦々と照る太陽光。アスファルトを熱し立ち上る陽炎の揺らめきとセミの合唱が本格的な夏の到来を告げている。


 清々しく広がる澄みきった青空には、忌々しさを感じずにはいられない。

 初夏の熱気が登校するミコトとメグミに降り注いでいる。


「暑くなってきたねぇミコトにぃ! 汗舐めさせて!」

「なぜそうなるのかわからないから駄目だ」

「水分補給!」

「はい、お茶」

「ミコトにぃの汗飲みたい! 汗がだめならお……」

「待て、往来で何を言うつもりだこの馬鹿」


 妹のバグりっぷりに辟易しながら、ミコトはさっさと駅に向かおうとして――気がついた。


「人がいない?」


 朝早めの時間なれども通勤時間。

 駅前のスクランブル交差点はいつも人でごった返している。

 それが今日はひとりもいない。


「ミコトにぃ、なんか嫌な感じが――」


 メグミの言葉は最後まで続かなかった。

 ただ、目の前のものを見て驚愕に固まる。


「空が、割れた?」


 ぱりん、と硝子を割るかのように何かが空から這い出していた。

 裸の女のような形のなにかだ。

 真っ白な肌をしたそれはまっすぐにミコトたちに手を伸ばしていた。


「ミコトにぃ逃げよう!」

「ああ!」


 遅い。

 既にそれは手を伸ばした。ならば逃げられるはずもなし。

 そして、二人は落ちる。


「ミコトにぃ!」

「メグミ!」


 伸ばした手は空を切る。

 何が起きたのか理解不能。まるで激流のようなものに飲み込まれたかのよう。


 息苦しさにもがいていると、どこかにいた。

 見たこともない場所だ。

 大雨の激流に流されていたらしい。


「どこだ、ここ……メグミは!?」


 いない。

 スマホ。

 ――圏外。

 近くにはいない。


「くそ、なんなんだ」


 先程まで駅前にいたはずが、気がついたらどこぞの山中とは摩訶不思議。

 妹ともはぐれた。このままでは不味い。


 そう確信めいた使命感に突き動かされながら駆け回り、なんとか街道に出たのがつい先程のこと。

 人のいるところを探してさ迷い、ようやく見つけた人間は夜盗という間の悪さ。

 あとはもうご存じの通り逃げるはめになり、シンラに救われ今に至る。


 どうやらどこぞの片田舎でないことは、つい先程の血生臭い殺陣により明らかだ。

 映画の撮影に必要なものがなにもない。そもそも映画の撮影に一般人が紛れ込んだらその時点でつまみ出される。

 それがない。


 更に言えば現代日本で蛮族じみた夜盗に襲われるはずもなし。

 つまりここは日本ではないということだ。


「いかんいかん、とりあえず今は料理だ」


 ともあれ命を救われたことがわからないほどミコトは蒙昧ではない。体を要求されたが、そこは初めてあったんだしという理性のもとお返しは料理で。

 といっても何をどうしたものやらだ。


 食材として渡されたものは、どうにも日本のものではない。


「アレか? 異世界に飛ばされたとかいう小説でよくあるやつか? いやいや」


 しかしそう考えると色々と納得がいくのも事実なのである。

 とかく、どこまでやれるかはわからないが、一つ一つそれがどんな食材かを確かめ、調理していく。


 暗中模索とはこのことだ。しかも失敗すればどうなるか。いや、およそ悪いことにはならないし、むしろ臨むべきものかもしれないが。

 そこは少しだけ男として譲れないものがある。


「で、出来たぞ」

「待ちくたびれたよぉー。もうお腹がくうくうなってました」

「ま、まあ、それなりにはできたはずだ」


 味見をしたが、異世界で初めての料理としては及第点だろう。

 ミコト自身の評価としては最悪極まるが、味の良し悪しとしては、是だ。


「うーん、おいしそう!」


 シンラとしては予想外。良い意味で。

 まさかこれほどのものが出てくるとは。

 旅の途上。料理と言えばただ栄養が取れれば良いだけのものである。


 だからただ焼く、煮るなど腹の虫に悪さする災いを除くためだけのものだった。

 それがどうしたことか。目の前にあるのは、宿でだすかのような汁物である。

 香しい匂いは、この大倭とは違う大陸の風情。一度、渡ったことのあるシンラは懐かしさをどこか感じさせる。


 しかし、まるきり大陸風と言えば嘘になる。大陸の汁物を全て知っているわけではないが、大倭の風も感じる。


「それでは、いただきましょう!」


 手を合わせ礼とともに汁をすする。あまり行儀の良い食い方ではないが、国境を往く旅の最中だ。

 貴族じゃあるまいし気にするものはいない。なにより、そんなことを気にする思考は、既にシンラから滑り落ちていた。


「美味しい! なにこれ!」

「それは、良かった」


 鼻腔を抜ける芳香もそうだが、味も良い。澄んだ大倭特有の汁から殴り付けてくる大陸風の濃い味。

 肉と骨を煮込んだがっつりと来るスープは殺し合いのあとには心地よい。ごろりと入った肉は臭みがない。


 獣の臭みが嘘のよう。真相は一緒に入っている香草か?

 どうでも良いか、そんなこと。

 旨いのだから問題なし。


「いやぁ、堪能しました。ごちそうさま~」

「お粗末様でした」


 内心ひやひやものであったが、どうにかこうにか乗り切ることが出来てミコトはほっとする。

 与えられた食材を勘だけで調理するなど二度としないと誓う。

 今回はなんかの肉とか骨とかもうわかりやすいものだったからなんとかなったのである。特殊な調理が必要な食材があったら詰んでいたところだ。

 しかし、不思議な食材であった。お湯に浸せばすぐ出汁が出るなど、色々有り得ないものもあった。やはり異世界なのか、と状況の最悪さに溜め息が止まらない。


「料理人じゃないなんて謙遜してーお人が悪い!」

「いや、ほんとに料理人じゃないんだけどね」

「大陸の宮廷料理人と見たが如何か?」

「いや、違うから」

「おお、やはり」


 どうやらこのシンラという女、あまり人の話を聞かないようだ。


「で? どんな理由で坂白津に向かっているの?」

「さかしらず?」

「この街道の先にはそこしかないわよ? とっくの昔に滅んだから、こんなとこに来る人なんていないから驚きました」

「いや、俺、そもそもここがどこかもわからないんだよ。気がついたらここにいて」

「おや、これは不思議も不思議。化生の類いに誘われたか。何にせよ君は運が良い。もっと大変なところに流されていたかもしれないから」


 既にかなり大変なのは言わぬが花か。

 しかしこれにはミコトも困った。帰り道は当然わからず、街がどこかも知らない。見事に詰んでいる。


「ふむ、お困りならこのお手を貸しましょう。ただしお代はいただきますが」

「払えるものは……」

「ないのはわかるから、毎食のご飯でどうかな? 君の料理とっても美味しいからね」

「そういうことなら……ただ、あまりこの辺の食材には詳しくないから……」

「よし決まりっ! 私はシンラ。本当はもっと仰々しいんだけど、渡世ではただのシンラで通しています。大丈夫大丈夫、私も詳しくないから!」

「えっと」


 一瞬、フルネームで名を告げるかミコトは迷い、


「俺はミコトだ、よろしくシンラ。て、それは大丈夫なのか?!」

「……うん、よろしくミコト。――さーて、ご飯も済んだし寝よう寝ようーえいっと」

「!?」


 天然の寝台にミコトは押し倒された。


「なにを!?」

「なにをって、熱を借りるの。もちろん私のも貸す。雨夜は冷えるからね」


 まさに抱き枕な扱い。柔らかな女の感触に、あめやかな女の匂い。旅の途上であるゆえ、色々仕方のないにおいもあるが、それでも感じる華のそれ。

 心臓が跳ねるとはこのこと。妹以外の女子とのここまでの接触などはじめてのこと。緊張が走る。体温があがる。


「うーん、君は温かいね。一人寝は寒いし寂しいもの。この御縁に感謝感謝。旅の仏殿も粋なことをなさる。私の予感も捨てたものじゃなし! っね」


 シンラは気にせず重畳と寝入ってしまった。彼女の踏み込みが如く神速の寝付きだ。


「どうしてこうなった……」


 そうミコトはぼやくが、振り払う気はない。そもそもシンラの力が強く彼では振りほどけないというのもある。

 ただそれ以上に、寒空雨天の下、心細い見知らぬ土地で感じる人の熱というのは、ありがたいものであったのだ。


 一抹以上の不安を少しの間、忘れさせてくれる程度には――。


 ●


 ――激流渦巻く落下の中。

 メグミは、何かに掬いあげられるのを感じた。釈迦の掌とはまさしくこのことか。

 刹那ではあるが、メグミにはそれが人の掌のように見えたのだ。

 まるで孫悟空にでもなった気分。しかして、メグミの内心は最悪に荒れ狂っていた。


(ミコトにぃ……ミコトにぃミコトにぃミコトにぃミコトにぃ! いないいないいない!! どこ、どこどこ!!)


 いない。

 傍にいたはずの兄の気配がどこにもない。死んだわけではない。それは感覚的にわかる。

 ならばどこ!!


(駄目だよ、ミコトにぃ、私、ミコトにぃがいないと……)


 荒れ狂う意識は、周囲への気づきを遅らせた。


「――――」

「え??」


 何かの言葉で気が付く。

 見知らぬ場所。

 時代劇で見るようなお殿様がいるような場所だ。豪華な御簾の裏に感じる気配は貴種のそれ。

 そこにいる者たちもほぼ時代劇の中のよう。ただし、気配の鋭さだけが異なっている。


 周りを固める武士の気配はまさしく本物のそれ。戦乱の時代を生き抜いてきた殺人鬼たちの気配。

 日本ではないと一発でメグミはわかった。


 そこに幾人かのメグミと同じ境遇の者たちがいるようだった。

 わけがわからないという顔をしているが、同時に状況を把握したという表情。


(ミコトにぃがいないのに、厄介事なんて)

「よくぞ参った異界の戦士たちよ」


 どうやら最悪に巻き込まれたようだ。

 今時の女子としてウェブ小説などのたしなみはある。そこでこのような出来事に巻き込まれた者の物語も知っている。


「お前たちには、天帝様より御言葉がある。戦え。我が国の為に」


 昨今、化生の類があふれ出している。

 殺界から魔王が来たのだともいう。

 しかして、戦乱の時代、國としてはそんなものにかかずらっている暇などなし。

 故に、異界の戦士に任せる。


「最悪……」


 メグミは、最悪の中にあった。

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