第12話 時間の座標

 

 クウドウは船の舵をきって、航路をさらに深く潜らせた。

 泡の膜は水圧を受けて、プヨンプヨンと形を変える。しかし、決して割れる事はなく、柔軟に海水の壁を受け流した。カヤは、驚きと好奇心を持ってその光景を眺めた。目を覚ましたフエンも、あまりに驚いて、再び気絶しかけたほどだ。


「しっかりしろよ、坊主。着替えたら“ぶりっぢ”に上がってこい!」


 クウドウに発破をかけられ、フエンは悔しそうに顔を歪ませた。


「“ぶりっぢ”とはなんだ?」


「たぶん、未来の言葉だよ」


 カヤはサラッと答えると、フエンの新しい着物を広げた。すると、フエンが視線を下ろしてカヤを見た。


「カヤも着替えたのか?」


「うん、クウドウさんに新しい着物を見繕ってもらったの。どう?」


 カヤは体をしなっとさせて、着物の柄を見せるように両手を広げた。紫の生地になぎの葉が幾重にも重なった、目にも美しい刺繍が施されていた。


「す、すごく綺麗だ」


 フエンは顔色を一転させて赤くなった後、慌ただしく着替えだした。平然を取り繕ってはいるが、本当は言った台詞に恥ずかしくなり、居た堪れないのだ。そんなフエンに、カヤは笑い声をあげた。


「あたしからも、フエンに渡すものがあるよ」


 カヤは、フエンの小刀を差し出した。先程までは、フエンは利き腕を失ったせいで、刀を受け取ろうとはしなかった。でも今は、フエンはさらしを巻いた腕で、刀を受け取った。


「……初めてこの刀を渡されたとき、わたしは切腹を命じられたんだ。結局これで腹は切れなかったが、まさかこんな長い付き合いになるとはな」


 フエンが皮肉を込めて笑ったので、カヤは顔をしかめた。


「なら、拾わない方が良かった?」


「す、すまん。そういうわけじゃないんだ」


「海に流されないように、あたしが必死に持ってたんだから。この刀、もう失くさないでね」


 カヤはいたずらっぽく笑って、フエンに釘を刺した。その口調が、まるで悪い記憶に蓋をするようだったので、フエンはクシャッと笑った。


「それでは、死んでも放すわけにはいかないな」


 フエンが笑顔になると、カヤはホッと息をついてから、微笑み返した。


「長い付き合いになって良かったね、その刀」


「そうだな」


 フエンは柔らかく頷いてから、小刀を脇にさした。



 その様子を、クウドウがため息をついて眺めていた。


「見てるこっちが恥ずかしいや。今頃あの世で、ヨロギのやつ悔しくて悶絶してるだろうなぁ」


 クウドウは、舵から手を離し、仰ぐように天を見上げた。もちろん、頭の上に広がるのは、真っ暗闇の海である。

 カヤとフエンが、操舵席に登ってくると、クウドウはいたずらっぽく笑いかけた。しかし、二人は目を剥いて立ち尽くしてしまった。

 てっきりクウドウが船の操縦をしていると思っていたのに、実際に舵取りをしていたのは、クウドウの体に巣食う、二匹のウツボだったのだ。


「ワシの船には慣れたかい?」


「慣れるわけないだろう、受け入れるしかないだけだ」


「そいつはけっこう。だが、これからもっと驚くことになるぞ」


「何?」


 フエンが顔をしかめたのと同時に、クウドウは指を口に咥えて、鳥の鳴き声のような音を響かせた。その途端、泡全体がドシンと揺れて、カヤとフエンは泡の床に尻餅をついた。

 クウドウだけが、子どものように叫んだ。


「さあ、“たいむとらべる”に向けて、れっつごー!」


 泡の船が、猛烈な勢いで動きだしたのだ。カヤとフエンは、船の後ろに目を向けて驚いた。二人の視線の先には、あの大鯨が、背びれを大きく動かし、泡を押して泳いでいたのだ。


「時間海流まで行けるのは、この世でワシと鯨のハナコだけよ、凄いじゃろう!」


「時間海流とは、一体なんだ?」


 フエンが、船の揺れに耐えながら尋ねた。


「過去、現在、未来を跨いでいる、地球の中のでっかい力さ」


「さっぱりわからんぞ」


 フエンは眉を釣り上げると、同意を求めるようにカヤを見た。カヤも、困ったように頷いた。そんな子どもたちを前にして、クウドウは頭をひねった。


「つまり……百年前の世界でも、百年後の世界でも、時間を跨いで航海できる、超凄い海の道ってことだ」


「まるで邪教の教えだな。海に道など、ましてそんな夢物語のものなんて、あるわけない」


「それが、あるんじゃって。これを見てみいっ!」


 クウドウは、疑心に満ちたフエンの目の前に、青と金色で彩られた、球体の置物を突きつけた。


「こいつは地球儀って代物でな。この世界をまるまる記した地図を、球の形にしたものだ。ちょっとだけ、モノノ怪仕様に細工されてるがの」


 クウドウはそう告げると、パチンと指を鳴らした。すると、地球儀の表面がブルリと震え、湖面のように揺らぎ始めたではないか。

 フエンは、あんぐりと口を開けて青ざめたが、カヤは、その美しさに目を輝かせた。

 クウドウは、2人の反応に満足したように、生き生きと説明した。


「この世界は海で覆われておる。海は絶えずこの世界を循環し、気温を安定させ、雲を作って雨雪を降らせているんじゃよ」


 すると、クウドウの言葉に答えるように、地球儀の青い面がザブンと波打った。大きな魚影が水面に現れたのだ。カヤの指ぐらいの大きさの、白い鯨だった。


「循環しているのは海水だけじゃない。多くの生き物が、あちこちぐるぐる回っとる。マグロ、サンマ、サケ、海亀もそうじゃな」


「今の、白い小さな鯨は?」


「今のはシロナガスクジラじゃ。こいつも世界中を回遊しとる。本物は超でかいぞ」


 クウドウは嬉しそうにカヤに答えた。


「カヤちゃんはよく知ってるだろうが、海では1日2回、満ち潮と引き潮が起こる。実はこいつは、空に浮かんどる月によって起こされてるんじゃが……その仕組みは、また今度話してやろう」


 地球儀は、ゆっくりと回転していた。海面も球の中を循環し、大きな渦を描いている。その中で、魚や鯨まで動き回っていた。全てが、ぐるぐると動いているのだ。


「これだけ多くの力が循環すると、その中心に、時間を突き破るほどの、巨大な力が集約される。それが時間海流の源だ」


 クウドウは地球儀から目を離すと、船首の先を見て、カヤとフエンに言った。


「ほら、噂をしてるうちに見えてきた。あれが、時間海流だ」


 カヤとフエンは、船底に手をついて、海の底を覗き込んだ。

 クウドウの船の下を、光を帯びた巨大なうねりが流れている。ここが海底でなければ、谷を割いて流れる大河だと思ったに違いない。

 カヤとフエンは、クウドウの船からそれを見下ろして、あまりに大きすぎる存在に圧倒されてしまったのだ。


「あれが、時間海流……すごく綺麗」


 カヤとフエンが、時間海流の存在感に魅入られていると、後ろからクウドウの声が飛んできた。


「さーてお二人さん、いったいどの時代に行きたいかな?」


 もう、クウドウの話に異を唱える子どもはいない。カヤもフエンも、すっかり時間海流に夢中になっていた。


「ワシのオススメは、七百年後の港町でのぉ、夜景が超綺麗なんじゃ! まあ、四万年前の“おーろら”を見に行ってもいいが……」


「あたし、二ヶ月前に行きたい!」


 突拍子もなくカヤが答えた。しかも、あまりに限定的な申し出に、クウドウは肩透かしを食らってしまったようだ。


「なんでまた、そんな、面白くなさそうな時間を」


「二ヶ月前なら、漁に出る前の父やに、漁から早く引き上げるように頼める。そうすれば、父やは海賊に掴まらないで済むでしょ」


 カヤが必死に話すと、クウドウは顔を曇らせた。


「すまん、カヤちゃん。ワシの説明が足らんかった。時間海流で時を超えるには、座標となるものが必要なんじゃ。例えば、四百年後に行きたければ、四百年後で作られた、こんなものがな」


 クウドウはそう言うと、瓶に入った船の置物を見せた。先程、カヤに見せたものだ。あれは、クウドウが所有する“座標”の一つだったのだ。


 つまり、父を海賊から助けるためにも、座標となるものが必要というわけか。

 そんな物を、都合よく持っているわけがない。カヤが歯を食いしばりながら俯くと、追い討ちをかけるように、クウドウの優しい声が続いた。


「それにな、カヤちゃんのおとっちゃんを助けられない理由が、もう一つある」


「……何ですか?」


「死んだ人間は、蘇られん。時間海流にも、そこまでの力はない」


 カヤは手をギュッと握った。手のひらに爪が食い込んで、いまにも血が滲みそうだ。

 クウドウは、カヤの唇が白くなったのを見て、労わるように言葉を続けた。


「けどな、いろんな時代を旅して、美味いものを食べたり、雄大な景色を見たりするのは、すげえ楽しいんじゃよ、カヤちゃん」


 しかし、カヤは俯いたまま言葉を返さなかった。儚げに揺れた髪の毛だけが、カヤの喪失感を際立たせている。

 その時、カヤの沈んだ背中を包むように、フエンがクウドウの目の前に進み出た。


「わたしのこの刀なら、時間を移動するための、座標とやらになるのではないか?」


 フエンは、腰にさした短刀をクウドウに突き出した。クウドウは、岩礁のような顎をさすって答えた。


「たしかに、なかなかの年代物だな。五百年くらい前のものか?」


「わたしが生まれた時代のものだ。わたしも、意図せず時間を超えてしまったようなものだからな……」


「五百年前って、たしかでっけえいくさがあっただろ。おめえ、そんな時代に戻りたいのか?」


 首を傾げたクウドウに、フエンは表情をムッと尖らせた。


「当たり前だろう、自分の生まれた家や家族に、もう一度会えるんだぞ」


「怒らんでくれよ、ワシには、そういう人間っぽい感性がわからんのだ。モノノ怪と人間じゃ、基本的に頭の構造が違うからの」


 クウドウは頭をかきながら、フエンの差し出した刀を受け取った。クウドウは、泡の外にいる鯨に向かって、刀を振りかざした。


「おーいハナコォ! こいつが次の座標だあ!」


 クウドウは、大股で船べりに寄ると、そのまま船を飛び降りた。ドプンと海面を叩くような音がしたかと思うと、クウドウは暗闇の海を泳いで、鯨に向かって行った。


 フエンは、クウドウの背中を目で追った。その背に、冷たい声がかけられた。


「よかったね、フエンの希望は叶って」


 カヤが、不服そうにフエンを見ていた。自分の希望は叶わなかったことに、怒っているみたいだった。

 だが、フエンは顔を輝かせてカヤに言った。


「カヤも、わたしの生きていた時代に一緒に行けばいい」


 思わぬ申し出に、カヤは思わず目を丸くした。だが、フエンと目を合わせた瞬間、カヤは再び視線を下げた。


「……うん、もう村に戻っても誰もいないし……」


「そうじゃない、わたしの時代に行って、歴史を変えるんだ!」


「え?」


 カヤは顔を上げて、フエンを見た。フエンはカヤの前に歩み寄ると、カヤの両肩を握りしめて言った。


「わたしの家は、ノギという武家と長く争っていた。しかし、我が家は戦に敗れ、多くの武家がノギ家に下ってしまった。カヤの村だって、“ノギノエ”という名前だろう。ノギ家の力が及んだ証拠だ」


「村の名前なんて、気にしたことなかったけど」


「あの海賊たちだって、ソゴの縁者たちだ。あいつらが海賊に堕ちたのは、ノギ家の勢力が大きくなったからに違いない」


「戦って大変なんでしょう、どうやってフエンの家を勝たせるの?」


「今の私になら、できる」


 フエンは、腕に巻いたサラシをそっと撫でた。


「今度こそわたしは、カヤの父君を救ってみせる。我がタギ家を、勝利に導いて、歴史を変えてやる」


 その時、カヤはフエンの瞳が爛々と輝いたのに気がついた。いつもと同じような、真っ直ぐなフエンの眼差しなのに。カヤの両手は、真新しい着物の裾をギュッと握りしめていた。

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