第11話 正直な嘘つき

 カヤは時間の感覚が麻痺していた。

 なにしろ、クウドウの船の外は、どこまで見渡しても、一面の闇。墨の中を泳いでいるみたいだ。クウドウが言うには、ここは太陽の光が届かないほどの、深い海の底なんだとか。きっと、そのせいだ。


 カヤがそんなことを考えていると、巨大な烏賊イカが、すぅーっと滑って行った。カヤは好奇心を刺激されて、思わず泡の船から身を乗り出した。


 漁師の娘の自分にとっては、ここの景色は飽きることがない。だが、海に馴染みのない者には、死後の景色に見えるかもしれない。それも、気分が滅入っているときは、なおさら余計に。

 カヤはフエンの背中に視線を向けた。

 フエンは、クウドウの話を聞いてから、しばらく一人にして欲しいと告げ、カヤのことも遠ざけていた。


「フエン、クウドウさんにサラシをもらったよ、これで傷の手当てをしよ?」


 また追い払われるかもしれないが、カヤは、わざと明るく言いながら、フエンのそばに寄った。するとフエンは、病人のような顔を上げた。


「手当など、わたしには必要ないだろう」


 フエンは苦しそうに告げると、再び目線を下に向けてしまった。

 フエンは、ずっとこんな調子だ。カヤが何を言っても突っぱねる。そのときに見えるフエンの目元は、何度も擦ったせいで、真っ赤になっていた。


 そのとき、二人の足下を、骸骨みたいな魚が泳いで行った。フエンは、思わずビクッと身を竦めた。一方のカヤは、平然とその魚を目で追いかけた。フエンは、そんな違いにも落ち込むように、余計に背中を丸めてしまった。


「カヤは、恐ろしくないのか?」


「あの魚のこと? 全然怖くないよ、ただの魚だもん」


「違う、わたしの体のことだ。 傷がついてもすぐ治るし、心臓を貫かれても死なないんだぞ。まるで闇に巣食う悪霊だ。わたしは怖い。あの魚なんかよりも、わたしのほうが化け物みたいだ……」


 フエンは吐き出すように怒鳴ったが、最後の言葉は、消え去りそうなほど、弱々しかった。その目は酷く虚ろで、今にも泣き出しそうだ。


「わたしは、一体どうなってしまったんだろう」


「フエン、顔上げて」


 するとカヤは、いつもと変わらない声で告げた。フエンが気だるそうに目線をあげると、カヤはフエンの顔を、両手で包んでグイッと持ち上げた。フエンが驚いて目を剥くと、カヤはその目をじいっと覗き込んだ。


「赤く腫れちゃってるよ、冷やしたほうがいいね」


「なっ、なんだ、いきなり!」


 フエンが怒鳴っても、カヤはうんともすんとも言わない。その代わり、カヤは小さな指を伸ばして、フエンの目元に優しく添えた。

 カヤの手は柔らかく、とてもひんやりしていた。その気持ち良さに包まれると、フエンは、うっと言葉を飲んだ。高ぶった気が、すうっとなりを潜めたような気がしたのだ。


「あたしの手って、冷たいでしょ。従兄弟たちには嫌がられるんだけど、熱を出した時だけは、手を貸してくれって言われるの」


 カヤが得意げに語ると、フエンは、頭を撫でられた犬のように、そっと目を伏せた。


「そうだろうな、カヤの手は、とても心地が良い」


「これで、腫れが少しでも引けば良いんだけど」


「……カヤは、わたしのことが怖くないのか?」


 フエンは、目を閉じたまま、もう一度同じ問いを投げかけた。その囁くような口ぶりは、先ほどと打って変わって、か細く震えている。

 カヤは、少し間を空けてから、答えた。


「ちっとも」


「そうか」


 答えたカヤの表情は、フエンにはわからない。耳に入ってきたカヤの声は、いつもと同じだ。だがフエンは、顔に触れていたカヤの手が、わずかに強張るのに気がついていた。

 フエンが目を開けると、カヤはにこやかに見つめていた。


「……ありがとう、カヤ」


 カヤはにっこり頷くと、フエンの顔から両手を外した。


「それじゃ、フエンの手当をしよう」


 その言葉に、フエンはピクリと眉を動かした。失った利き手が虚しく感じた。

 ところが、カヤは、フエンの動揺など目にも止めず、懐から、真っ赤に濡れた布包みを取り出した。

 カヤがそれを解き始めた途端、フエンは叫びながら飛び上がった。カヤが開いた包みの中には、千切れた腕が入っていたのだ。


「フエンの腕だよ」


「ひっ、拾ったのかっ?」


 フエンの声は裏返っていた。たとえその腕が自分のものだったとしても、千切れた四肢には、死体のような気色悪さがあったのだ。フエンはたまらず、顔面を青くした。


「大丈夫、フエン?」


「カヤの方こそ、そんなものを持って大丈夫なのかっ? 気持ち悪いだろう、着物だって血で汚れるじゃないか」


 フエンは動転しているせいで、カヤにまくし立てた。だが、カヤは飄々ひょうひょうとしていた。


「父やの血でベタベタだし、もう今更だよ。それにフエンの手を失くしたら、もう治らないと思って、必死だったから」


「治るも何も……」


 四肢は、切り離されたら最後である。フエンはそう言いかけて、思わず言葉を濁した。利き手をなくした武士なんて、死んだも同然。フエンが、大きな不甲斐なさに苛まれていると、カヤはサラリと告げた。


「クウドウさんが、フエンの腕も治るって言ってたよ。こうやって、動かないようにサラシで巻いとけって」


 カヤは言いながら履いていた草鞋わらじを脱ぎ、腕の添え木代わりにして、サラシを巻いた。

 カヤの手は、細く震えていた。フエンはそれに気がつくと、チラリとカヤを見た。カヤは表情を変えず、黙って手を動かしていた。

 フエンはそのまま、カヤの顔をジッと見ていた。すると、カヤがフエンの視線に気がついて、小首を傾げた。


「痛い?」


「いや、むしろ何も感じない」


「なら、もう少しギュッと縛るね」


 カヤは力を込めてサラシを結ぶと、だらんとしたフエンの腕をそっと握った。


「この手だって、きっとくっつくよ」


 カヤの祈りのような言葉に、フエンは顔をあげた。影がさしたフエンの目元に対して、カヤの笑顔は、淡い光の中で輝いて見えた。


「カヤ?」


「今、ヒラ婆のことを考えてたんだ。ヒラ婆は、フエンに生きていて欲しかったんだろうなって。そのために、人魚と取引して、いろんなことを犠牲にしたけど、ヒラ婆の願いは、叶ったよね」


「……そうだな」


 フエンは、ふわっと微笑んだ。

 するとその時だ、フエンは異変を察して、サラシを巻いたばかりの腕を見た。


「なんだか、腕が暖かいような気がしてきた」


 クウドウの助言は当たりだったようだ。千切れたはずの肉や血管が、再び一本の線に繋がろうとしている。フエンは体に走った未体験の刺激に、顔を輝かせた。


「カヤ、本当に腕が元に戻りそうだ!」


「よかった!」


 カヤも声を弾ませて、嬉しくなって手を叩いた


「あ、でも……ずっとあたしの懐に入れていたから、もしジメジメしてたらごめんね」


 カヤは眉を下げて、軽い口調で謝った。その瞬間、フエンの笑顔が凍りついた。フエンはカヤの顔を振り返ると、カヤの言葉を飲み込むように、ゆっくりと繰り返した。


「入れていた? 懐に?」


「フエンの腕を無くしちゃいけないと思って」


 カヤは言い訳するように答えた。しかし、フエンはその話を聞き流し、視線をカヤの胸元に下ろしていた。

 今まで気にしていなかったが、カヤの着物は酷い有様だった。海賊船に乗り込む前に、フエンの着物と交換したせいで、カヤの小柄な体に合っていない。おまけに血で濡れて、肌にぺったりくっついている。大きめの着物は、前が少しはだけて、カヤの綺麗な肌がチラリと覗いていた。

 自分の腕が、千切れていたとは言え、あんな所に入っていたというのか。

 想像した途端、フエンの首から上が真っ赤になった。怒涛の勢いで血潮が駆け巡り、整った鼻から、音を立てて真っ赤な血が噴き出した。

 カヤは、フエンの急変した容体に、飛び上がってしまった。


「フエンどうしたの、大丈夫っ?」


 ところが、フエンは白目を剥くと、熱に当てられたように、バタンと倒れてしまった。鼻から噴き出した血だけが、ドクドクと流れている。


「どうしよう、フエンしっかり!」


「そのままにしといてやんな。いわゆる“思春期” ってやつさ」


 すると、いつの間に二人の様子を見ていたのか、クウドウがひょっこりと声をかけてきた。クウドウの手には、濡らした手ぬぐいが握られていて、それをフエンの額に、ペシっと放り投げた。


「ありがとうございます」


 カヤは、フエンの額に手ぬぐいを当て直した。ところが、指先が細かく震えてしまっていて、不器用になっている。

 クウドウは目ざとくそれに気がつくと、カヤの目線に腰を折って言った。


「カヤちゃんのその癖は、おかっちゃん譲りだなあ。声は威勢がいいのに、震えが手足に走っちまうから、怖がってんのがバレバレじゃい」


 図星をつかれた途端、カヤは目を丸くして、パッと手を離した。すると、クウドウは大きな声で笑いだした。


「ワシはこんな体だし、怖がるなっていう方が無理よのお? だが、安心していいぞ。海の神さんに誓って、ワシは人の良いモノノ怪じゃ」


「ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」


 クウドウは、軽く笑って受け流すと、カヤのそばで伸びているフエンに目を向けた。


「カヤちゃんは優しいな。この坊主の前でも、気丈に振る舞って。……本当に、大丈夫かい?」


 すると、カヤは目線を下に向けてしまった。


「……大丈夫じゃないかもしれません。あたし、これからどうすればいいんでしょう。父やが死んで、一人ぼっちになっちゃった」


「村には、ヨロギの兄弟がいるじゃろ?」


「……あの人たちと一緒にいると、なんだか息が苦しくなって、上手くしゃべれなくて……。今、安心してそばに居られるのは、フエンだけなんです」


 カヤは、やっと微かな笑みを浮かべたが、その目は儚く潤んでいた。


「もしフエンがいなくなっちゃったら、あたしは本当に一人ぼっちになっちゃう」


 話を聞いたクウドウは、思わず黙り込んでしまった。

 心情を吐露したカヤの手は、固く握られ、微かに震えて、それがカヤのか細い体を余計に際立たせているのだ。


「お節介かも知れんが、それでも、カヤちゃんは親戚の家に身を寄せるのがいいんじゃないかい? この坊主は、ワシが預かろう」


「嫌です!」


 カヤは強い口調で、クウドウの申し出を突っぱねた。クウドウは驚いたように目を剥いたが、カヤはハッと息をのんで、目を伏せた。


「ごめんなさい。やっぱり、あたしはフエンのそばが心地いいんです」


 カヤが打ち明けると、クウドウはふっと微笑んで、カヤの小さな頭を撫でた。


「そのうち、考えが変わるさ」



 その時、クウドウはカヤのボロボロの身なりを見て、ありゃっと声をあげた。


「ひどい格好してるなぁ、こっちに来て着替えんかね?」


 クウドウに聞かれて、カヤは自分の格好を見た。血や埃でドロドロに汚れているし、ひどく臭かった。


「お願いします」


 カヤは素直に頷いて、クウドウに案内されるまま、クウドウの船の中を進んだ。クウドウの泡の船は、カヤが踏み出すと、時々ふわりと弾み返してきた。


「この泡は、あの化鯨ばけくじらのハナコが作ったものなんじゃよ。さあ、着いたぞ、ワシの“くろおぜっと” じゃ!」


 クウドウはカヤに喋りながら、服が沢山詰め込まれた木箱を指差した。その中には、カヤが見たことがない着物が、たくさん入っていた。


「いろんな色があって綺麗」


「さて、どれが良いかな? この“わんぴいす”はどうかな、それとも、こっちの“おーばーおーる”も良いのお」


 クウドウは、次々と布切れをカヤに手渡したが、カヤには着方がわからないものばかりだった。カヤの抱えた布の山が、どんどん大きくなる。その時、カヤは木箱の上に乗っている、一つのガラス瓶を見つけた。


「クウドウさん、あのガラス瓶、中に何が入っているんですか?」


「おお、あれはな……“ぼとるしっぷ”というんじゃ」


 クウドウは布切れを漁る手を止めて、木箱の上のガラス瓶を、カヤに手渡した。カヤの両手からはみ出すぐらいの瓶の中に、とても精巧な、小さな船が入っている。風に白い帆をなびかせ、いまにも走り出しそうだ。


「すごい! こんな凄い工芸品、初めて見ました。高山のお寺にだってありません!」


 カヤが興奮してクウドウに言うと、クウドウは得意げに笑った。


「そりゃぁ、こいつはカヤちゃんのいた時代から、ざっと400年ほど後の時代の代物だからなあ」


「……400年、後?」


「そう、カヤちゃんから見たら、こいつは未来の工芸品ってわけだ。この洋服も、この小さな船も、みーんな未来の物だ」


 カヤは眉を釣り上げ、クウドウの指差す品々を見渡した。どれもこれも、カヤが見たことないものばかり。カヤは確かめるように、もう一度クウドウを見た。


「未来って、なんですか?」


「うん、そうか、……例えば、浜辺で孵った海亀は、何年か後に、同じ場所で卵を産むため、自分の孵った浜辺に戻ってくるだろ。それをずっと繰り返して、海亀のひ孫のひ孫が、また同じ浜辺に戻ってくるところを想像してごらん。それが、未来だ」


「……何年も先じゃないですか。あたしは、海亀のひ孫のひ孫が戻ってくる頃には、死んじゃってます」


「……しかしのお、海の中には、未来を飛び越える、とびっきりの力があるのさ」


 クウドウは面白そうに膝を打つと、満面の笑みで告げた。


「なあ、カヤちゃん。“時間海流”って知ってるかい?」

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