第8話 赤く染まる海

 海賊の太刀を交わしきれない。瞬時に判断したフエンは、咄嗟に小刀の鞘を腰から引き抜いた。その瞬間、海賊が刀を振り下ろした。フエンは鞘を左手に持ち、海賊のがら空きの胴体めがけて突き入れた。

 海賊の刀が、フエンの肩にグサリと食い込んだ。たちまち血が吹き出し、フエンはグッと息を呑む。

 だが、フエンが突き出した鞘が、海賊の無防備な急所に打撃を与えていた。肋骨のわずかな隙間を突いた。中の内臓にまで届くような一突きだ。海賊は唾を吐きながら悲鳴をあげた。

 フエンは幸にも、腕を切り落とされる前に、海賊の動きを止めることに成功したのだ。



 だが、フエンも焼けるような痛みに襲われて、思わずよろめいた。フエンの背中に、硬い衝突物が当たった。船縁に追い詰められたのだ。今度こそ、海賊の目に余裕の光が灯った。

 フエンは深傷ふかでを負っている。今のような、苦し紛れの策も講じる余裕がない。海賊はそれを知って、唇を舐めたのだ。

 だが、フエンは海賊の足元に再起のための手引きを見つけ、大声で叫んだ。


「蛇だっ!」


 すると、海賊は弾かれたように飛び上がった。本当に、足元に細長い体が見えたのだ。

 その一瞬でフエンが動いた。大きく一歩を踏み出すと、海賊の太ももの横に、体を捻りながら膝を叩き込んだのだ。

 海賊の体が傾いた。フエンは小刀を逆手に持ち替えると、柄の尻で海賊の耳の後ろを強打した。

 すると、海賊の頭から鈍い音がした。海賊は小さく呻いたあと、その場に倒れこんで動かなくなった。

 フエンは血が滲んだ肩をかばいながら、海賊の足元に目をやった。そこには、散らばった縄が落ちていた。海賊は、これを蛇と見間違えたのだ。


「カヤの苦手なものを、聞いておいてよかった……」


 漁師は蛇が苦手というなら、同じ海の人である海賊も、おそらく……。フエンの読みは的中したのだ。

 フエンは縄を拾い上げると、海賊たちを縛り上げた。


「ちくしょう、せこい真似しやがって!」


 海賊たちは身動きが取れず、口だけをよく動かした。


「負け犬がタギ武士に喋るな!」


 フエンは海賊の口を塞ぐように、強い口調で言い返した。


 やっと一息ついたと思った直後、フエンの耳に新たな物音が届いた。甲板の板戸を開けて、一人の海賊がひょっこり現れたのだ。

 だがその海賊は、甲板の上にふん縛られた仲間とフエンを見つけると、ギョッとした顔をした。


「誰だてめえっ?」


 海賊が全てを言い終わる前に、フエンは小刀を抜いて飛び出した。




 派手な音を立て、板戸が木っ端微塵になって落ちた。フエンが板戸ごと海賊を踏みつけ、そのまま慣性に従って甲板の底に飛び込んだのだ。

 海賊は奇妙な呻き声をあげて気絶したが、フエンは体についた木屑を払いながら、のっそりと立ち上がった。肩を庇ってよろけたが、フエンの足取りはしっかりしていた。

 甲板の底は、腐った木と錆びた鉄の匂いが充満し、酷い湿気でこもっている。フエンは鼻を曲げながらも、漁師がぎゅうぎゅうに閉じ込められた格子を見つけて駆け寄った。


「カヤっ、無事か?」


 フエンが声をかけるも、返事はない。こうなると、錠前を外すのさえ焦れったい。フエンは格子の隙間に、海賊から奪った刀を差し込み、グッと押し込んだ。たちまち、腐った木枠が歪んで、バキッと折れた。

 フエンは同じように、数カ所の木枠を折り鍵を外すと、押し込められていた漁師たちを外に逃がした。

 ところが、フエンは見通しが良くなった格子を見て、サッと青ざめた。


 一人の大柄な漁師が、崩れたように座っていた。だが、顔の半分は血で染まった布で覆われ、着物にも、おびただしい血が染み出している。その男の前に、カヤが膝をついていたのだ。


ととや、しっかりして……」


 カヤは、大切な父親を、必死にこの世に繋ぎとめようとしていた。だが、その願いが叶わないことは、フエンの目にも明らかだった。

 カヤの声に、父親は濁った瞳をかすかに動かした。いや、痙攣しただけだ。目の中に薄い膜が張り、もはや何も見えないことは明白だった。

 カヤの父親は、喘ぐように早い呼吸を繰り返すと、フッと消えるように、動くのをやめてしまった。黒目がグルンとひっくり、口がだらしなく開いた。まるでそこから、魂が抜けたみたいに、死んだのだ。


「父や、父やっ、ダメだよ死んじゃっ、死んじゃダメだよ!」


 カヤが亡骸に抱きついた。父から滲み出た血が、カヤの黒髪を染めても、カヤは離れなかった。その側で、カヤの叔父のモロギも、涙を流していた。


「カヤ……」


 フエンが声をかけると、モロギが顔を向けた。何日も泣き腫らして、顔が酷く浮腫んでいた。


「アンタは……カヤの知り合いか?」


 叔父の言葉に促されるように、カヤも顔を上げた。顔の半分に父の血液がべったり付き、涙の白い筋が出来ていた。カヤは、丸い瞳を限界まで見開いて、フエンに助けを請うように言った。


「……助けられなかった」


 フエンは、海賊から奪った刀を放り捨てると、牢屋の中に駆け込んで、カヤをきつく抱きしめた。フエンの頬にも、赤い血がついた。




 その時、船底の床がぐらりと揺れた。フエンは、片足が浮く感覚を覚え、咄嗟に格子の枠を掴んだ。その瞬間、フエンは息を潰すほどの激痛に襲われた。肩に負った刀傷から、血が滲み出して、ポタポタと滴り落ちていたのだ。


「フエン、ケガしてる」


「大事ない。それよりカヤ、すぐにこの船を離れよう」


 フエンは、痛みを誤魔化すように鋭い声を出した。カヤを立たせようとすると、傷が余計にズキズキ騒ぎだす。ところが、カヤは身をよじってフエンの手を撥ね退けた。


「父やを置いていけない、一緒に逃げなきゃ」


「カヤ、そんな猶予はない、父君をお連れするのは無理だ」


 フエンがカヤを止めようとすると、二人の間にモロギが割って入ってきた。モロギもひどい怪我を負っているが、気迫を孕んだ顔には凄味があった。


「兄貴をこんな場所に置いてけって言うのかっ? そんなこと出来るはずがねえだろ!」


 モロギはフエンを押しのけると、子途切れたヨロギを肩に背負い、立ち上がろうとした。カヤが、叔父の背を支えようと手を添える。

 だが、その時再び、船がぐらりと揺れた。

 モロギはよろけ、どしんと倒れてしまった。ヨロギの遺体が、だらんと床に投げ出される。すかさずカヤが駆け寄ろうとするのを、フエンが無理やり引き止めた。


「フエン離してっ」


「父君のご遺体を運べば逃げ遅れてしまう!」


「他人のあんたは黙っててくれ! 」


 モロギが、歯を剥いて怒鳴った。何が何でも、ヨロギの遺体を連れて行くつもりなのだ。

 だが、再び船が大きく揺れた。カヤはフエンに抱きとめられて転ばずに済んだが、モロギは再び倒れて、呻き声をあげた。モロギの脚が、どす黒い色に腫れていた。

 相当強い揺れである。ようやく、カヤは何かがおかしいことに気づいた。


「船が……動いてるっ?」


 カヤの言葉に、フエンは息を飲んだ。モロギも、我に返ったように船底を見渡した。

 船全体が、波を受けて振動しているではないか。

 フエンは大急ぎで、カヤとモロギに声を投げた。


「急げっ、船から降りれなくなるぞ!」


 それでもカヤは立ち上がらなかった。父親の冷たくなった腕に顔を押し付けて、ふるふると震えている。父を置いていくなんて、孤独なカヤには辛すぎる選択だった。

 すると、フエンがさらに怒鳴った。


「カヤ、逃げるんだ!」


「嫌だよ!」


 ところが、カヤは突然父親から引き離された。モロギが、問答無用でカヤを抱き上げたのだ。


「叔父や何するのっ、離して!」


「すまんカヤ、後でうんと怒っていいから!」


 モロギは、歯を食いしばりながら格子を出た。痛みを我慢しているだけじゃない。モロギの体は小刻みに震え、濁った瞳は真っ赤に充血していた。モロギは、兄を置いて行かざるを得ない今の状況に、憤っているのだ。

 カヤは、叔父の悔しさを肌で感じて、抵抗するのをやめた。


 だが、モロギはすぐ足を止めてしまった。フエンが、甲板への出口を塞ぐように立っているのだ。カヤは眉を寄せた。フエンの背中は、岩のようにピクリともせず、全身の毛をよだてているのがわかったのだ。

 カヤはフエンの視線の先に目を向け、途端にその理由わけを知った。

 甲板の上に、見知った男たちが血を流して倒れていた。みんな、父と同じ船に乗っていた漁師だ。

 その背中の上で、刀を握った男たちが、せせ笑っている。先に逃げた漁師たちを、海賊たちが斬ったのだ。


「まさか、このまま生きて帰れるとは思ってねえよな?」


 海賊の一人が、カヤたちに告げた。カヤとフエンには、その男の顔に見覚えがあった。タゴノ岬で対峙した、鎖鎌を操る人攫いだった。

 人攫いも、フエンとカヤの顔に気づいたようだ。眉を釣り上げると、ニンマリと笑った。


「俺らぁ、獲物を探して陸に上がってたんだけどよぉ。船に戻ってみりゃ、まさかてめえらがうちの船に乗り込んでるとはなあ」


 そして、鎖鎌の切っ先をフエンに向けた。


「事情は知らねえが、好都合だぜ。てめえには、もう一度会いてえと思ってたんだ。この前は、ろくに刃に血を吸わせてやれなかったからよ!」


「その減らず口、叩っ斬ってやる!」


 フエンは小刀を構え、声を張り上げた。

 それが号砲となり、海賊たちが一斉に襲いかかってきた。

 フエンは、咄嗟に背中でカヤとモロギを後ろへ押し返すと、自分は小刀を突き出して海賊たちの間合いに飛び込んだ。

 フエンは怒号をあげて、一人目の海賊を小刀で押し返し、続けざまに背後から忍び寄った二人目の海賊を斬りつけた。

 フエンは船縁に背を向けて、海賊たちとの間合いを広げる。だが、息をつく間もなく、三人目の海賊が、刀を振り上げて走りこんできた。

 フエンは小刀を縦横無尽に動かし、全ての太刀を受け止めた。ギインと鉄のしなる音が、夜の波の中に吸い込まれていく。フエンは、小刀で海賊の刀を受け止め、下に落とし込むと、ガラ空きになった海賊の鼻に肘鉄を叩き込んだ。

 海賊が海老反りになって倒れる間際、フエンは肩に負った刀傷の熱に、再び息を潰された。激しく動かしたせいで、余計に肉が裂けたようだ。

 その時、フエンの左の背中に鋭い痛みが走った。背後から、もう一人の海賊が斬りかかり、フエンの首を狙っていたのだ。

 フエンは体を捻りながら、甲板にごろりと転がり、ダルマのように起き上がった。

 だが、すぐに海賊たちが斬りかかってくる。フエンは、小刀を振り回して海賊の足元を切りつけた。海賊の悲鳴が上がると同時に、フエンも低く唸った。海賊の太刀が首元をかすめ、白い肌に赤い血が滲んだ。



 甲板の上で、武人たちが壮絶な戦いを繰り広げる中、モロギとカヤは、わずかな隙間を縫うように這い出して、船縁にまで駆け寄っていた。

 モロギは、まだ息がある漁師仲間を引っ張り上げた。その際、甲板に散らばっていた縄の一本を拾い、その片端を、カヤに突き出した。


「カヤっ、こいつを腰に巻けっ」


 海に飛び込んで、もしカヤが波に流されても、モロギが引っ張って泳ぐためだ。だが、そんな猶予を海賊がくれるわけがない。

 海賊たちが、逃げ出そうとするカヤとモロギを見つけ、刀を構えて襲いかかってきたのだ。

 カヤの悲鳴が、フエンの耳に届いた。


「カヤっ!」


 フエンは身を翻すと、カヤに斬りかかろうとする海賊の脇腹を、ザックリと斬りつけた。海賊は悲鳴をあげてよろめき、船べりに躓いて海へ転げ落ちた。


 フエンは肩で息をしながらも、しっかりとカヤの無事を確かめた。カヤもフエンを見上げた。


 ところが次の瞬間、フエンの体に激しい痛みが襲いかかり、フエンは悲鳴をあげた。

 鎖鎌の海賊が鎌を飛ばして、フエンの腕を斬り裂いたのだ。

 たちまち、小刀を握りしめたままの白い腕が、甲板に吹き飛んで鮮血をまき散らした。


「フエンっ!」


 カヤが金切り声をあげた。対してフエンは、歯を食いしばり声を噛み殺した。

 そのわずかな隙をついて、一人の海賊がフエンの背中に突っ込み、フエンの体が跳ね飛ばされた。同時に、真っ赤に濡れた刀身が、フエンの皮膚を突き破って現れた。

 海賊の刀が、フエンの心臓を串刺しにしたのだ。


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