第9話 失敗の代償

 たちまち、フエンの開かれた口から、滝のように赤い血が溢れ出した。フエンは、胸から飛び出した鋼を呆然と見つめると、吐息のような悲鳴を漏らした。

 モロギは、フエンの無残な最期に思わず息を飲んだ。

 カヤだけは、喉が張りさけるほど叫び声をあげた。


「フエンっ!」


 フエンは、焦点の合わなくなった目を、かろうじてカヤに向けた。だが、瞬きをすることはなく、声も返さなかった。フエンはカヤの目の前で、ガックリと膝をつき、釣り糸が切れた人形のように倒れたのだ。背中には、刀が突き刺さったままだった。


「フエンっ」


 カヤは呼びかけ、甲板を這うように腕を伸ばした。ところが、触れたフエンの体はピクリともせず、フエンの目はぼんやりと見開かれたまま。それなのに、カヤの膝小僧まで濡れるほど、フエンの体から真っ赤な血が流れ出ていた。


「フエン……フエン、しっかりして……フエンっ」


「無駄だぜ、娘っこ、仏さんに何を言っても答えるわけねえだろ」


 鎖鎌の海賊が、意地の悪い笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。フエンの頭を鞠のように踏みつけて、ぺっと唾を吐いた。


「子供にしちゃいい腕前だったが、こうなると魚の死骸と同じだな。汚くて堪んねえや」


 海賊がせせ笑ったが、カヤはその声を呆然と聞いていた。

 その時、カヤは、視界の端に、フエンの切り落とされた腕を見つけた。フエンの腕は、刀を握りしめたまま、小鳥の死骸のように転がっている。カヤが拾い上げると、血が滴り、だらんと垂れ下がった。

 その直後、カヤの鼻先に鎌がストンと落ちてきた。鎌はカヤの前髪を数本切り落とし、甲板に突き刺さった。カヤが息を飲んで縮こまると、鎖鎌の海賊が告げた。


「無駄に動くな、娘っ子。次は耳を落とすぞ」


 カヤが震えて答えられないでいると、海賊は面白そうに笑い出した。


「最後に上物が残っててよかったぜ、あんたが1番高く売れそうだ。おい、他の臭え男どもは、みんな牢屋にぶち込んどけ! あと、このクソガキを海に捨てなっ」


「待って……、待ってくださいっ!」


 カヤはフエンを庇うように、海賊の足元に這いつくばった。


「この船に乗り込もうって言ったのは、あたしなんです。フエンは関係ないんです……! お願いです、フエンを助けてください」


 必死に頼み込むカヤの姿に、海賊は面食らっていたが、すぐに身をよじって大笑いしだした。


「馬鹿かお前っ、このガキはもう死んでるんだよ!」


 海賊の声が、夜の海原に轟いた。波が大きく船底を叩き、カヤの麻痺した脳みそまでも、がたんと揺らしたようだった。カヤは呆然とするだけで、海賊に刃向かうことも、現実を突っぱねることもできなかった。

 海賊だけが、楽しそうに動き回っていた。


「バカだけど、可愛いもんだなぁ。娘っ子よ、お前のせいで、お前の彼氏は死んじまったのか? さぞ痛かったろうになあ。娘っ子よ、今の気分はどんなだい? えっ?」


「てめえっ、ふざけてんじゃねえぞ!」


 モロギが歯を剥いて怒鳴ったが、海賊たちに刃を突きつけられて、すぐに口を閉ざしてしまった。

 カヤは、引きつったように目を見開いて、ガタガタ震えていた。


 海賊の言う通りだ。

 カヤが、無謀にも海賊から父親を助けようとしなければ、こんな事にはならなかった。村人たちのように諦めていれば。明日もきっと、フエンとは笑い合えていた。

 なのに、それを自ら捨ててしまったのだ。父親は死に、村の漁師たちも多くが死んでしまった。カヤは、海賊船に、わざわざ死を招くために乗り込んだようなものだった。



 カヤの目から、涙がポロポロとこぼれ出し、船底を濡らした。海賊たちは、カヤが無言で泣くことに、あからさまに白け出した。彼らは、もっと泣き叫ぶ女子供をいたぶりたかったのだ。


 海賊はフエンの頭から足をあげると、カヤの体をガンッと蹴りつけた。カヤの小さな体は、風に吹かれる木の葉のように吹っ飛び、船べりに思いっきり打ち付けられた。


「カヤっ」


 モロギが悲痛な声で叫んだ。しかし、カヤは痛みのあまり動けない。蹴られた弾みに着物がはだけて、カヤの紫色に変色してしまった胸元が露わになった。

 カヤは、息も出来ずに這い蹲った。

 

「ごめん……、フエンごめん……っ」


 カヤは、ぼやけた視界にフエンを留めようとしたが、すぐに目の前が暗くなってしまった。カヤはがっくりと項垂れると、そのまま気を失ってしまったのだ。

 海賊たちがまた大笑いした。


「おいっ、この娘っ子は縄で縛って甲板に繋いどけっ、面白え見世物だ!」


 鎖鎌の海賊が、他の仲間に命令した。するとさらに笑い声が大きくなった。

 その直後、鎖鎌の海賊が、顔を引きつらせた。笑い声が霞のように途絶えると、彼は目を丸くして視線を下げた。

 誰かが、自分の足首を握りしめていたのだ。それも、濡れた布を絞るように力強く。

 その手は、真っ白な肌が血で汚れて赤くなり、まるで鬼のようだった。

 海賊が息を飲んだ瞬間、海賊の足首から、木を破るような凄まじい音が鳴り響いた。


「ぎっ、ぎゃああああっ!」


 鎖鎌の海賊が仰け反ってのたうち回った。彼の足首は捻り潰され、絞った雑巾のようになっていたのだ。

 海賊たちは虚を摘まれた。死んだはずの少年の体が、ゆらりとうごめいたのだ。死体だった少年は、失った腕の切り口を、床にグシャッと押し付けて、体を起こした。

 その瞬間、海賊らのざわめきが大きくなり、彼らは棒立ちになった。

 血まみれのフエンが、ゆっくりと膝をつき、頭を持ち上げたのだ。



 フエンの背中に突き刺さっていた刀が、カランと虚しい音を立てて落ちた。


「……カヤ」


 フエンが、口から血を吐きながら声を出した。ところが、フエンはカヤには一瞥もくれずに、自分を取り囲む海賊たちを睨みつけた。その目は、焦点もあっていない程に血走っていた。

 フエンは、残った腕で刀を拾い上げると、むっくりと立ち上がった。海賊たちを見据えた顔は、不動明王の如く、血の滴る歯を剥き出しにしていた。


 海賊たちはどよめき、フエンから逃げるように後ろに下がった。何しろ、一度死んだ人間が蘇るなどあり得ない。

 妖怪の類以外では。


「バッ、バケモンだあ!」


 海賊たちが悲鳴をあげて逃げ出した直後、フエンは刀を引っさげ走り出した。背中を向けた海賊たちに斬りかかり、海賊たちを海に突き落としたのだ。

 フエンの着物に返り血が飛んだ。


「助けてくれ、命だけはっ!」


 しかし、海賊の命乞いは、すぐに断末魔に変わった。海賊たちは一刀両断され、血を流し、海に逃げるように飛び込んだ。

 フエンは怒号をあげると、腰を抜かして座り込んでいる海賊を蹴り上げた。海賊は悲鳴をあげるかわりに、首の骨から破裂音を響かせて、そのまま海に投げ落とされてしまった。


 大きな大陸船は、血の海に姿を変えつつある。悲鳴やしぶきの音が、さざ波のように響き続けている。

 カヤは、聞きなれない音に揺すられるように、目をそっと開いた。すると、甲板のど真ん中で、見慣れた姿のフエンが、刀を振り回して海賊たちと戦っていた。

 フエンの太ももが、海賊にザックリと斬りつけられた。


「フエンっ!」


 カヤは思わず悲鳴をあげた。ところが、フエンは傷などもろともせず、身を翻して、海賊に切り返した。

 その時、月が雲の中に隠れた。

 カヤの目には、暗い海の上で、海賊の黒い影が、真っ二つに裂けたのだけが見えた。


 カヤは、悲鳴さえも飲み込んでしまった。震える手足を踏ん張って、立ち上がろうとする。ところが、急に横からグイッと押さえつけられて、再び座り込んでしまった。

 側にはモロギが駆けつけていて、傷ついたカヤの体を介抱していたのだ。


「今のうちに逃げるぞ、カヤ!」


「えっ、でもフエンが……」


 カヤは、体の痛みに呻きながらも、モロギに縋るように訴えた。ところが、モロギは怖い顔を横に振った。


「あれは海の鬼だ! 人魚の慰み者だ! とんでもない化け物だぞ!」


「人魚の……なぐさもの?」


 カヤは、叔父の言葉に促されるように、もう一度フエンを振り返ろうとした。

 その時、カヤの足元に何かが転がってきた。切り飛ばされた、誰かの指だった。カヤは思わず、縋るように叔父の着物をつかんだ。

 だが、モロギはカヤを労わる時間もなく、カヤを引っ張り上げて、船べりに足をかけた。

 カヤは、船の足元に小さな小舟が浮かんでいるのを見つけた。カヤとフエンが乗ってきた船は、まだ切り離されていなかったようだ。

 他の生き残った漁師たちも、すでに海に飛び込んでいた。モロギが、後に続くようにぴょんっと海へ飛び込んだ。

 夜の冷たい波飛沫が、カヤの顔にもかかった。



 一方、残されたフエンは、口から泡を吹きながらも、海賊たちとの斬り合いを続けていた。フエンの鬼神のような立ち振る舞いに、海賊たちは成すすべもない。

 だが、海賊の一人が、果敢にもフエンに立ち向かった。刀を振り上げ、フエンの体をバッサリと袈裟斬りにしたのだ。

 だが、フエンは死ぬどころか倒れもせず、それに目を剥いた海賊を、逆に斬り返した。


「そいつはっ、海の鬼だあ! 海に落とすしか、ねえっ!」


 足を潰された鎖鎌の海賊が、這い蹲って起き上がった。その手に鎌を握りしめ、鎖をビュンビュンと回していた。

 フエンがそれに気づいた瞬間、海賊が鎖を投げつけた。鎖はフエンの片足に巻き付き、一瞬でフエンを跪かせた。


「今だっ、もっと鎖を巻き付けろっ」



 その光景は、小舟に上がったカヤからもよく見えていた。大陸船の船べりから、鎖でがんじがらめになったフエンが、突き落とされたのだ。


「フエンっ」


「カヤ、ダメだ! あの子は化け物だっ」


 船に乗った漁師たちが、カヤを引き止めた。モロギは、カヤの腰につないだ縄の端を、自分の腕にきつく結びつけた。


「あんな化け物、どこで会ったんだ! カヤまで殺されるところだったぞ」


 モロギが怒るように言うと、カヤは泣きそうになりながら言い返した。


「化け物なんかじゃないよ! フエンは友達なの、たった一人の友達なの!」


「心配するなカヤ、兄貴の分まで、俺がお前の面倒を見てやるから」


 しかし、カヤにはもう、村のことなんて思い出せなかった。脳裏によぎったのは、父親の大きな笑顔と、フエンのクシャッとした笑顔だけ。もう見ることが出来ない光景ばかりだった。


「だめ……そんなの絶対にだめ……!」


 カヤは語気を強めて呟くと、小舟の縁に手をかけた。その手を、モロギが上から押さえつけた。


「カヤ、行ったらカヤも死ぬかもしれんぞっ!」


 叔父の言葉に、カヤの急いた気持ちが、ほんの一瞬静まった。海賊たちに斬り殺された漁師たちの姿が、まぶたの裏に蘇ったのだ。海賊が、「死んだら魚と同じ」と貶していたが。在ろう事か、カヤも全く同じ想いを感じていたのだ。

 カヤはモロギを見た。きっと叔父は、仲間の斬り殺された体を見ても、そうは思わないだろう。村の誰だって、そのはずだ。



 カヤは、船べりから真っ黒な海に目線を向けた。いつの間にか、空の雲がはけて、月に照らされた水面みなもが、痛いほど輝いていた。

 フエンは、この景色を見て泣いていた。カヤには、その時のフエンの顔が忘れられなかった。フエンは石像になって、ずっと海を見つめていたんじゃなかった。ずっと、海を探していたのだ。海を一目見るために、ずっと目を凝らしていたのだ。あの時、カヤは初めて気がついた。

 フエンは、ずっと孤独だったに違いない。


 カヤは、懐から布を巻きつけた刀を、グイッと引っ張り出した。フエンの腕と一緒に拾い上げた、フエンの小刀だった。


「カヤ、何するつもりだ」


 モロギが、腕に結んだ縄をぎゅっと引っ張った。しかし、カヤは小刀でその縄を切りつけた。縄はすっぱり切れて、その反動で、カヤは海の中に落っこちた。


「カヤっ、だめだっ、 お前は化け物になっちゃいかんっ!」


 モロギが腕を伸ばしてカヤを掴もうとしたが、小さな少女は、人魚のように泳ぎだしていた。

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