第7話 ハヤミの海賊船

 その夜、ヨロギ家では早々に灯りを消して、母子は布団の中に入っていた。

 母親のエナは、泣き疲れてすでに眠ってしまったらしい。一方、モロギ家の子どもたちは、なかなか寝付くことができなかった。カヤの家で出会った不思議な少年を思い出し、目が冴えてしまうのだ。

 三男坊のクルギが、暗闇の中で、二人の姉の方へ顔を向けた。


「ねえ、ロナ姉、モナ姉。あのにいちゃん、タゴノ岬の石像と同じ顔してなかった?」


「そんなわけねえよ」


「でも、すっげえ似てたよ?」


 子どもたちは、母譲りの口調で喋り続けた。しかし、年長のロナが、二人の幼い妹弟に釘を刺した。


「モナ、クルギ、カヤ姉んとこに、あのにいちゃんがいたのは、ぜってえ秘密だからな!」


「どして?」


「男女ってえのは、そういうもんなんだ」


 幼いロナ自身も、言葉の意味なんて知るよしもない。でも、母親の真似をして言い切った。



 その頃、ホトト湾にも、内陸の言葉を喋る子どもがいた。

 その子は、手ぬぐいを頭巾のように被り、船の櫂をこいでいた。船は、崖に面した入江に近づく。ゴツゴツした岩山が、海面に突き出ている、海の袋小路だ。

 その岩山の陰に、一艘の大きな船が浮かんでいた。漁船と比べ物にならないぐらいの、立派な大陸船だ。

 その船に向かって、子どもが声を張り上げた。


「おーい、誰かいねえかー!」


 呼びかけは、崖の上を滑るように響いた。すると、大陸船の船べりに、一人の男がフラリと顔を出した。男は、波間に浮かぶ小舟と、そこに乗っている一人の子どもを見て、訝しげに尋ねた。


「なんだてめえ」


「オラはツボヤマ村のエナキってぇんだ! 百姓なんかやりたくねえから、海に出てきたんだけど、迷子になっちまった!」


 助けてくれねえか? エナキと名乗った子どもが祈るように頼んだ。船乗りの男は、しばらく吟味するように少年を睨んだ。


 船にいるのは、小柄な子どもである。年恰好は、10歳ぐらい。ブカブカの着物が、有り合わせの暮らしを物語っていた。内陸の喋り方も本物だ。船底には、家出するぐらいの荷物が、ドサっと置いてある。

 きっと、百姓より漁師の方が、うまい飯にありつけるとでも思ったのだろう。こういう馬鹿な子どもは、どの村にでもいるのだ。


 船の上の男は、船の中に消えたと思ったら、縄ばしごを持って再び顔を出した。

 エナキは、パッと顔を輝かせた。垂らされた縄ばしごを自分の船に結びつけ、大陸船によじ登り出した。


「ありがとな、おっちゃん」


 ところが、大陸船に乗り込んだエナキは、船の中を見て体を硬くした。目の前にいた男は、刀をチラつかせて、ニヤニヤとほくそ笑んでいたのだ。


「運がねえなぁ小僧。こいつぁ海賊船だぜ」


 男の声に呼応して、雑然とした甲板に船乗りたちが集まった。エナキは抵抗する間も与えられず、あっという間に海賊に組み敷かれてしまったのだ。エナキは顔を歪ませ、大声をあげた。


「騙しやがったな!」


「てめえが勝手に乗ってきたんだろ。おい、このガキも牢屋にぶち込んどけ」


「牢屋なんて嫌だあっ!」


 エナキは声を張り上げたが、抵抗らしい抵抗もできないまま、海賊達に引きずられていった。

 船乗り達は、甲板に座り直した。頑丈で分厚い木の盆に、酒瓶がいくつも乗っている。機嫌は上々だ。何しろ、漁を終えたばかりの網に、ぴょんと魚が飛び込んできたようなものだった。


「あの小僧、いくらで売れると思う?」


 船乗り達は、ニヤニヤしながら賭博に興じ始めた。



 エナキは海賊に担がれ、ジメジメした甲板の底に連れてこられた。そこには、鶏小屋ぐらいの牢があった。太い木で組まれたその中に、漁師がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。エナキは、その中に無理やり入れられた。


「潰されねえようにしろよ」


 海賊はニヤッと笑うと、牢屋の鍵を閉めて甲板に戻っていった。


 牢屋の中に隙間はほとんどなく、漁師達は突っ立っているしか出来ない。それでも、新入りが子どもだと見ると、大人たちは体を寄せ合い、懸命に隙間を作ろうとした。

 すると、その隙間の奥から、上ずった声がした。


「……カヤ?」


 エナキはその声を聞きつけるなり、頭を覆っていた手ぬぐいを剥ぎ取った。すると、隠れていた艶やかな黒髪が揺れて、長い睫毛が現れた。


「モロギおじや、助けに来たよ!」


 カヤが、満面の笑みを浮かべた。




 この少し前、カヤはフエンと一緒に小船に乗っていた。空の月には雲がかかり、黄色い明かりが、黒い和紙を通したみたいに霞んでいた。海はどこまで行っても紺色で、時々、白い波が思い出したようにちゃぷんと船を叩いた。

 フエンは、カヤが家から持ち出した海図を見ていた。

 海は、山のように削れない。どんなに時間が経っても、地形の変化は薄い。

 フエンは、“初めて”この地に来た時のことを思い出していた。


「わたしは、ハヤミの入江には行くなと釘を刺されたことがある。なんでも、ハヤミの入江は深く入り組んでいて、海賊のアジトになっているとか」


「今でもこの辺の漁師は、ハヤミの海を毛嫌いしてる。海が底なしに深くて、魚は獲れないし、岩場にはフカ《さめ》とかウツボが沢山いるって」


 カヤは櫂を操る手を止めて、フエンに答えた。フエンはジッと海図を睨んで黙り込み、難しい顔をしている。カヤは、今までそんな表情を見せる男を、見たことがなかった。

 すると、フエンがカヤを見上げた。真っ直ぐな瞳を向けられ、カヤは思わず背筋を伸ばした。


「カヤ、海賊はハヤミの海にいるはずだ。覚えているか、わたしたちが人攫いに襲われたとき、ハヤミまで遠いと、奴らが文句を言っていただろう」


「フエン凄い、よく覚えてるね」


「そこまでこの船で行けるか?」


「少し遠いけど、行けるよ」


 カヤは船の帆を広げた。このあたりの海なら、風と月の位置で大体の方角はわかる。帆に風を受ければ、舵取りは簡単だった。

 だが、フエンはまだ難しい顔をしていた。


「海賊を見つけたところで、どうやって船に乗り込めばいいだろうか……」


 フエンは、幼少から教えられてきた兵法を、必死に反復していた。何しろ、この船には、手練れの家臣や私兵などいない。自分だけで戦わなければならないのだ。

 フエンは黙ってしまった。整った眉の間に、険しい皺まで浮かんでいる。それを見かねたカヤが、おずおずと声をかけた。


「ねえ、フエン、あたしに、ちょっとした案があるんだけど……」


「案?」


 フエンが目を向けると、カヤは神妙な顔で頷いた。


「百姓の家の子が、海に家出することがあるの。特に雨が降らない年はね、多いんだ」


「それがなんだ?」


 フエンが眉を釣り上げると、カヤは口調に力を込めた。


「あたし、家出した百姓になりきって、海賊に捕まる。あたしが海賊の気を引いた隙に、フエンも船に乗り込んで」


「そんな危険なこと、カヤにさせられない!」


 フエンが怒鳴り返すが、カヤも頑として引かなかった。


「海賊の目的は、奴隷を売ることだから、捕まっても殺されはしないと思う。それに、フエンよりあたしの方が子どもだから、家出するには丁度いいでしょ」


「それが危険すぎるんだ。それに、わたし一人では、カヤを守りながら、海賊が討てるかどうかも……」


 フエンは悔しそうに唇を噛んだ。実のところ、フエンは自分を奮い立たせなければ、震えが止まらなかったのだ。村では、海賊を討つと宣言したが、自分がどれだけ戦えるか、どれほど難しいか、自分がよくわかっているつもりだったのだ。

 万が一の場合には、海賊と刺し違えることも、覚悟していた。


「わたし一人で、海賊に立ち向かう。カヤは待っていてくれ」


「ううん、あたしが海賊船に乗る。それに、どうせ命までは取られないんだから、逃げる隙は他にもあるよ。フエンは、他に考えがあるの?」


 最後にカヤが挑むように尋ね返すと、フエンはグッと言葉に詰まってしまった。図星を突かれたわけだ。


「……カヤって、恐ろしいくらい肝が据わってるな」


 フエンが根負けすると、カヤは不敵にニヤリと笑った。フエンは憎らしそうにカヤを睨んで、ため息をついた。


「わたしが絶対に助けてみせる。それまで、くれぐれも用心しろよ。特に、カヤが女だとバレないようにな」


「どうして?」


「カヤが女だと分かると、海賊に何をされるかわからないだろう。ただでさえカヤは……」


 そこで、急にフエンが口を閉ざした。みるみる赤くなり、ぶっきらぼうに顔を逸らした。カヤが続きを促しても、フエンは語ろうとしない。黙ったままの彼の耳まで、やけに赤いような気がするだけだ。


「……とにかく、必ずわたしが助ける。それまで、辛抱してくれ」


 フエンは力強く振り向いたのだが、直後に間抜けな声を出してしまった。カヤが、着物の帯を緩めていたのだ。


「言われた通り男のふりするから、フエンの着物と取り替えてよ」


 フエンはまたも海を覗き込み、ガックリと膝をついてしまった。



 それから数刻も経たないうちに、カヤはまんまと海賊船に登っていった。カヤの迫真の演技に、フエンも荷物の中に隠れながら驚いたほどだ。

 だが、うかうかしてられない。カヤの2回目の叫び声が合図だった。フエンは身を隠した布ごと飛び起き、海賊船へ伸びた梯子を駆けるように登った。

 フエンが船べりに足をかけると、ギョッとした顔の海賊達と目が合った。


「何だおめえっ」


 海賊が叫んだ瞬間、フエンは身に纏っていた布を、鳥が翼を伸ばすように投げつけた。

 布は旗のようにひらめき、フエンと海賊達の間に仕切りを作る。そのわずかな目隠しを、フエンは最大に活かした。身をかがめ、海賊のみぞおちに膝を叩き込む。海賊は後ろに倒れ、応援に駆けつけたもう一人の海賊を巻き添えにしながら、すっ転んでしまった。


 残りの一人が、刀を振り上げ突進してくる。

 フエンは甲板に転がっていた酒瓶を拾い上げて、海賊の眉間めがけて投げつけた。

 だが、海賊は刀で瓶を跳ね除けた。顔の前で陶器の硬い音が反響し、海賊はニヤリと笑う。

 ところが、その余裕の表情は、一瞬で苦悶に満ちた。海賊の股間に、頑丈な木の盆がめり込んでいたのだ。フエンが投げ飛ばしたそれは、狙いどうりに海賊の急所を叩いていた。

 海賊が前のめりになって倒れこむと同時に、フエンの背後で酒瓶が転がる音がした。

 フエンは、身を翻して小刀を抜いた。鼻先で、刀と刀がぶつかり、小さな火花が飛んだ。

 先程、仲間の巻き添えを食らって転んだ海賊が、再びフエンに襲いかかって来たのだ。

 刀同士の凌ぎ合いになり、フエンは歯を食いしばって、海賊を睨んだ。

 海賊も、目を血走らせてフエンを睨んでいた。


「貴様っ、なにやつだっ」


「わたしは、タギ家の六代目……っ!」


 フエンは、小刀で海賊の刀を押し返した。海賊は、一瞬だけ姿勢を崩したが、間髪入れずにフエンの首元を狙って斬りかかってくる。フエンは後ずさりながら、小刀を精一杯動かし、何度も切りかかってくる海賊の刀を交わした。


 ところが、海賊は急に刀を握り変えた。フエンは、敵の刃の動線が変わった瞬間、全身の筋肉を緊張させた。咄嗟に顎を上げ、天を仰ぎながら斜めに倒れこんだのだ。すると、フエンの耳たぶのすぐ下を、海賊の鋭い突きが、紙一重で掠めていった。

 フエンは甲板にドサリと倒れ込んだ。同時に、首筋に細い切り傷が開き、ピリリとした痛みが走る。フエンはグッと奥歯を噛み締めて、悔しさを吐き出すように叫んだ。


「タギ武士が、貴様らのような賊に負けてなるものか!」


 フエンは直ぐに立ち上がろうとして頭を持ち上げた。ところがその時、刀を振り上げ、勝ち誇った顔の海賊と視線がかち合った。


 

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