第6話 遮二無二 走る


 ノギノエ村の漁港は、不穏な喧騒で溢れていた。

 一艘の漁船が、海に浮かんでいる。だが、その船が風を受けて走ることは、もうないだろう。船の帆柱が、真っ二つに折れているのだ。漁船の左側が黒焦げになり、大きく傾いている。

 カヤは、タゴノ岬から船を見つけ、愕然と立ち止まった。大破した船に乗っていた漁師は、いったいどうなったのか。想像するのも恐ろしかった。

 その時、モロギ家の子どもたちが声を上げた。


「カヤ姉、早く!」


 カヤは、子どもたちに手を引かれるまま、タゴノ岬を駆け下りた。



 漁港では、村人たちが小船を出して、漁船に向かっていた。漁船は、波に揺れただけで倒れそうで、もはや港に入ることもできなかったのだ。

 カヤたちが、漁港に駆け込んだとき、ちょうど一艘の小舟が、船着き場に横付けした。

 そこから、年寄りの男たちが、網を使って引き上げられた。年寄りは、あの漁船に乗っていた漁師たちだ。彼らは怪我をして、動く気力もなさそうに見えた。

 カヤと子どもたちは、小船の中から、自分たちの父親も現れるのではないかと期待して、身を乗り出して覗き込んでいた。

 その背中に、エナが駆け寄ってきた。


「うちの父ちゃんは、いたかいっ?」


「ううん、いない」


 子どもたちの返事を受け、エナの顔色がサっと青くなった。エナはすぐさま、小船から引き上げられた年寄りに詰め寄った。


「じいさん、うちの人は無事なんか?」


 エナは、相手が疲れきった年寄りなのも構わずに、その胸元に掴みかかって問いかけた。


「生きてるんか? 死んでるんか?」


「すまん……。若い衆は、みんな海賊に捕まっちまった」


 年寄りがうな垂れて伝えると、村人たちの間にどよめきが走った。エナも、思わず年寄りの着物を手放して、その場にがっくりと膝をついた。


「そんなっ、ふざけんじゃねえよ! なんでうちの人が……」


「あの……、あたしの父やは……」


 エナの後ろから、カヤが駆け出して尋ねた。カヤの両手はブルブル震え、指が青くなるほど握りしめられていた。

 年寄りは、カヤの前に膝をつくと、頭を地べたに擦り付けた。


「お前のお父ちゃんは、俺たち年寄りをかばって、酷え怪我を……」


 その瞬間、重たい波が桟橋を叩くように押し寄せた。黙り込んだカヤの頬にも、冷たい水しぶきが飛んできた。


「すまねえ、すまねえ……」


 年寄りたちはそのまま嗚咽を漏らし、村人の真ん前で大声で泣き出した。

 村人たちは顔を見合わせ、海賊にとられた漁師たちの行方を案じた。


「だけど、どうして急に海賊なんか……」


 その時、カヤが声を出した。


「この前の夕方、あたし、人攫いに襲われかけたの……もしかしたら、海賊の仲間だったのかも……」


 カヤは、勇気を振り絞って告白した。どうでもいいことだと思っていたが、父たちを助ける役に立つかもしれない、と考えたのだ。

 ところが、村人たちは、驚いた様子でカヤを見た。唯一、カヤに返事をしたのは、エナだけだった。


「なんで……そんなことを今言うんだい」


「だって、海賊の居場所がわかるかも、助けに行けるよ……」


「アンタがもっと早く言ってれば! みんな海賊に襲われる前に、帰ってこれたかもしれないじゃないか!」


 エナは喉が裂けそうなほど声を張り上げ、カヤの頬を思いっきり引っ叩いた。


「エナ止せ!」


 怒りを爆発させるエナに、村人たちが駆け寄った。カヤは反論も身動ぎもせず、エナが離れるのをじいっと待った。


「疫病神っ! あんたが鈍臭いからだよ!」


 怒りを爆発させるエナだが、すぐに泣き崩れてしまった。村人たちは、哀れんだ目をカヤに向けた。


「カヤ、ヨロギのことは気の毒だが……」


「助けに行かないの?」


「諦めるしかない」


 村人たちも、心から納得はしていなかった。だが、刀も槍もない漁村の民が、どうやって海賊から仲間を助け出すというのだ。今は、災難が去ってくれることを祈るしかなかった。

 カヤは、村人たちの思いもよくわかっていた。だから、カヤは人をかき分けてその場を離れると、逃げ出すように走り出していた。


「カヤっ、余計なことすんじゃないよ!」


 その背に、エナが怒声を投げた。



 オクリ浜の家では、フエンが握り飯をこさえて、カヤの帰りを待っていた。作り方はカヤに教えてもらった。オクリ浜の海苔と小魚を練りこんだ、大きな握り飯だ。

 フエンは、腹を空かせたままカヤを待っていたが、日が西に傾く前に、握り飯を笹の葉で綺麗に包んだ。


 フエンは、皿に油を注いで火をつけた。薄暗くなってきた部屋が、ほんのり明るくなる。この油は魚を絞って作られたらしいが、フエンは初めて見たものだった。

 明るくなった居間で、フエンは海図や巻物などに目を通していた。今日は一日中、読書に没頭していた。

 すると、砂を踏む微かな足音が家の外から聞こえてきた。フエンは、巻き物を放り出すなり、家の外に出た。


「にいちゃん、誰だっ?」


 しかし、フエンの前にいたのはカヤではなく、カヤによく似た、4人の子どもだった。フエンは、思わず拍子抜けて、しばらく子どもらと見つめあった。


「カヤ姉は?」


 赤ん坊を背負った年長の女児が言った。そこで、やっとフエンは口を開くことを思い出した。


「わたしはカヤの友人だ。カヤは、今港に行って、父君の帰りを待っているはずだ」


 すると、子どもたちは落ち着かなそうに顔を見合いだした。その様子に、フエンは眉をピクリと動かすと、子どもらの目線に膝を折って話した。


「カヤに何かあったのか?」


「カヤ姉が、村のどこにもいないんだ……」


 子どもたちは、カヤの従兄弟にあたるモロギ家の子どもらだった。子どもたちは、ためらいながらも、漁港であった出来事をフエンに話し出した。

 だが、自分たちの父親が海賊に捕らえられた衝撃は、幼い子どもたちには大きすぎた。子どもたちは、話しているうちに泣き出してしまったのだ。

 フエンは、幼い頭を撫でてやり、優しい声でねぎらった。


「もう泣かなくてよいぞ、わたしが船を出して、お前達の父君を助けに行こう」


「だ、だめだよ、にいちゃんも海賊につっ殺されるよ」


 モロギ家の子どもたちは、フエンの言葉を突拍子もない無茶だと感じ取った。だが、フエンが腰にさした短刀を、これ見よがしに触ると、子どもたちの目つきが変わった。


「にいちゃん、お侍様なのか?」


「わたしは武士だ。タギ家の若者衆の中で、誰にも負けたことがないのだぞ」


「それってすごいの?」


 キョトンとしたモロギ家の子どもたちに、フエンは苦笑した。名を馳せた武家も、五百年も経てば廃れてしまうのだ。フエンは物寂しさを埋めるように、子どもらに言った。


「だが、まずはカヤを探さなければ。カヤも父君を囚われ、悲しんでいるはずだ」


 フエンは家を飛び出して、すぐにでもカヤを探しに行こうとした。だが、目の前のオクリ浜がザブンと音を立てた瞬間、フエンは、ハッと息を吐いて足を止めた。慌てて家に戻り、火をつけた油に砂を被せて、明かりを消したのだ。

 その横で、笹の葉で包んだ握り飯は、すっかり冷めていた。


「にいちゃん、それ持ってくの?」


 子どもらが、不思議そうにフエンを見上げた。


「きっと、カヤも腹を空かせているはずだ」


 フエンはニコリと笑うと、握り飯を懐に入れた。ところが、子どもたちは微妙な顔で目線を交わしている。フエンは、小首を傾げた。


「何か気になるか?」


「普通、握り飯は弁当箱に入れるよ。なんで葉っぱに包むんだよ」


 子どもらに言われて、思わずフエンは苦笑いを浮かべてしまった。どうやら、フエンのやり方は時代遅れだったらしい。



 ノギノエ村は、葬式のようだった。誰もが俯き、見慣れぬ若武者が村を歩いていても、気にも留めない。

 フエンは初めて訪れる漁村の様子に、面食らっていた。見たことのない形の家や漁の道具が目に入るたびに、目を凝らして見入ってしまう。

 子どもらは、そんなフエンを地理に疎いと思い込み、案内しながらカヤを探した。


だが、どこを探してもカヤの姿は見つけられなかった。


 赤い夕日が、海に沈む頃。モロギ家の子どもたちは、すっかり疲れきってしまった。


「いっぺん、家に帰ってみようよ」


 子どもたちが、縋るようにフエンに言った。フエンは、子どもたちの様子を見て、渋々頷いた。カヤも、家路についているのかもしれない。

 フエンは、オクリ浜に向かいながら、子どもたちに言った。


「最後にタゴノ岬に行ってもいいか?」


「うん、いいよ……」


 子どもらは頷いてから、何かに気づいたようにフエンを見上げた。だが、すぐにフエンが歩き出してしまったので、子どもらはフエンになにも言えず、フエンをタゴノ岬に案内した。


 黄昏の海に、白波が幾重にも重なって打ち寄せていた。タゴノ岬にたどり着いたモロギ家の子どもたちは、海を見つめて大声をあげた。


「にいちゃん、見て!」


 子どもたちは、岬の頂きからホトト浜を指差した。フエンは弾かれるように浜を振り返った。

 ホトト浜の小さな桟橋に、一艘の小舟が横付けされている。かいが積み込まれ、今にも漕ぎ出そうとしているみたいだ。

 フエンは、その船の傍にカヤを見つけ、目を見開いた。


「カヤ!」


 フエンは、叫びながら駆け出していた。



 カヤは、船と桟橋を繋ぐ縄を外すと、船の中にぴょんっと飛び込んだ。

 その反動で小舟が左右に揺れたが、カヤは慣れた手つきで櫂に手をかける。カヤを乗せた船は、打ち寄せる波を乗り越えて進みだした。

 ところがその時、


「カヤ!」


 フエンの声が追いかけて来て、カヤは弾かれるように振り返った。フエンが、ホトト浜の砂を蹴り上げながら走っているではないか。

 カヤは驚いて、思わず櫂を漕ぐ手を休めた。

 フエンは、カヤの船が止まったのを見ると、桟橋に飛び乗り、古い木板を叩きつけるように駆け抜けた。

 そして、思いっきり桟橋を蹴りつけて、カヤの船めがけて飛び跳ねた。


 フエンの体が、小さな舟の中に転がり込んだ。小舟は大きく左右に揺れ、波しぶきまで飛びこむ始末。カヤは悲鳴をあげて、船縁に手をかけた。


「フエン、危ないじゃない! どういうつもりっ?」


「それはこっちの台詞だっ!」


 フエンがカヤに怒鳴り返した。フエンが怒鳴るなんて初めてだ。カヤは、思わず身を竦めたが、次に聞こえたフエンの声が、暖かさに満ちていたので、ゆっくりと顔を上げた。すると、フエンの切なげな顔が目の前にあった。


「カヤの従兄弟たちに事情を聞いた。大変なことになったな。……カヤ、一人で海賊の元に行く気だったんだろう?」


 図星を突かれた。カヤは、フエンの視線から逃れるように顔を逸らした。だが、それでフエンが引き下がるわけもない。


「カヤ、一人で行くなんて無謀すぎる。相手は、女子にも容赦のない海賊だぞ」


「じゃあ、村の人みたいに、父やを見捨てろって言うのっ? そんなの絶対に嫌、父やを死なせるくらいなら、あたしも海賊に捕まったっていいの!」


 カヤが叫びながら詰め寄ると、二人の足元で何かがゴロリと転がった。大きな薬の瓶が、藁に包まれて置かれている。フエンはそれを見て、深々とため息をついた。


「父君のために、寺に薬を貰いに行っていたんだな? だが、どうやってそれを父君に渡す? 海賊に差し出したところで、売り払われるのがオチだぞ」


「でも、このまま何もしないなんて、あたしにはできない。だって、父やが死んだら、あたし……この世にひとりぼっちになる……」


 カヤは答えながら、ボロボロと涙をこぼし初めた。嗚咽が堪え切れなくなり、身体中が震えだした。そんなカヤの弱々しい肩を、フエンがギュッと押さえた。


「案ずるな、カヤの父君はわたしが救い出す」


「フエンが?」


「侮るなよ、わたしは、タギ家の六代目だ。海賊ごとき、なんて事ない!」


 フエンはキラキラした笑顔で告げた。

 その直後、間の抜けた音が、カヤの腹から鳴り響いた。カヤは泣き腫らした顔を真っ赤にさせ、思わず俯いた。

 対するフエンは、しばらく呆気にとられていたが、大きな声で笑い出した。


「その前に腹ごしらえだ!」


 フエンは懐から握り飯を取り出すと、カヤに差し出した。カヤは、おずおずと握り飯を手に取った。


「ありがとう、フエン。でも、どうして葉っぱに包んでるの?」


「いっ、いいから、早く食べてくれ」


 フエンが顔を赤くすると、カヤは可笑しそうに笑って、握り飯を二つに割った。その一つを、フエンに差し出した。


「一緒に、父やを助けてくれるの?」


「もちろんだ」


 フエンは、カヤから半分の握り飯を受け取り、がぶりと頬張った。

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