第4話 五百年の待ち人


 昼下がりのオクリ浜は、今日も穏やかで青かった。カヤは、フエンと並んで、浜辺に座っていた。二人は長いこと黙っていた。煌めく水面が、さえずるように瞬いている。


「フエン、これからどうするの?」


 カヤが最初に沈黙を破った。なるべく、口調が暗くならないように気をつけた。しかし、当のフエンは、虚ろな瞳で海を眺めている。


「まだ何も……、頭の整理もついてないんだ」


「そう、だよね」


 カヤは、軽はずみなことを聞いてしまったと思い、バツが悪くなった。フエンは、カヤの沈んだ口調に気づき、海から目を離した。カヤのつぶらな瞳が、悲しげに歪んでいる。

 そうなったのは自分のせいだ。フエンは、わざとらしく口調を変えて、話題を振った。


「わたしも、馬鹿な問いをしたものだ。タギ家を知らぬのか、なんて。カヤが知らなくて当然だ。五百年も昔の人間なのだからな」


「フエン……」


 カヤは、笑顔のフエンを見上げた。フエンが作り上げた笑顔の、なんと悲しいことか。

 沈黙が虚しさを余計に際立たせた。フエンも、儚げに目を伏せた。波の打ち寄せる音だけが、ザブンと轟いた。




 二人が真実を知ったのは、ヒラ婆の家について直ぐだった。

 カヤがボロの戸口を開けると、ヒラ婆はいつものように、のっそりと起き上がった。


「ヒラ婆、今日はヒラ婆に会わせたい人がいるの」


 カヤはそう前置きをしてから、ボロ小屋に戸惑っているフエンを、ヒラ婆の家の中に引き入れた。フエンは、汚い屋内へ、恐る恐る踏み入った。

 その瞬間、ヒラ婆の寝ぼけ眼が、火がついたように見開かれた。ヒラ婆は、雑然とした床を蹴鞠のように転げながら、フエンの前まですっ飛んできた。その勢いに、カヤも圧倒されたくらいだ。

 フエンは、ヒラ婆の老体から漏れるすえた臭いに、堪らず顔をしかめた。ヒラ婆は、折れた枯れ木のような体を、精一杯伸ばして、フエンの顔を見上げた。フエンも、警戒しながらヒラ婆を見つめ返した。

 するとヒラ婆は、歯がほぼ抜け落ちた口を大きく開け、カヤが聞いたことのないような声をあげた。


「このお顔は、お間違えようがない! ああっ、六代様! ヒイラは、この日を、ずっと夢に見ておりました!」


 変貌したヒラ婆に、カヤは驚いてのけぞった。対照的にフエンは、ヒラ婆の顔を穴が空くほど見つめていた。

 フエンは、ヒラ婆の苦悶に満ちた表情の中に、瞳が光るのを見て取ったのだ。


「まさか、ヒイ……ラ、なのか?」


「はい、そうでございますっ、タギ家にお支えし、六代様のお側にお使えした、ヒイラでございます!」


 フエンは、目の前で泣き崩れる老婆を、驚愕の表情で見た。ヒイラだと名乗る老婆は、髪の色が抜け落ちて、体は枯れ木のようである。フエンの知っている乳母の姿とは、似ても似つかない。


「ヒイラだとしたら……その姿は一体どうしたのだ。それに、そなたはソゴ殿の家臣に斬られたのでは? ソゴの家は、ノギ家は一体どうなった?」


 フエンは困惑しきっていて、今にも倒れそうだった。ヒラ婆は、そんな若者を哀れんで涙を流した。


「お可哀想な六代様、やはり、何も覚えておられないのですね」


 ヒラ婆は、フエンの手を取って、ゆっくりと告げた。


「よくお聞きください、六代様。今、この世は、タギ家が滅亡してから五百年が経っているのです。あなた様は石像に姿を変え、五百年の間、ずっと眠っておられたのですよ」


 カヤは驚きのあまり、思わず声を出してしまった。同時に、フエンが大きな音を立てて卒倒した。衝撃が大きすぎたのだ。


「フエン!」


「カヤ殿、六代様の名を気安くお呼びなされますな!」


 カヤはフエンを抱きとめたのに、ヒラ婆に怒鳴られてしまった。だが、ヒラ婆の言葉は古めかしくて、カヤは何を言われたのか全然分からなかった。



 しばらくしてから、ようやくフエンが目を覚ました。フエンは、まだ気が動転していたが、カヤが熱いお茶を手渡すと、いくらか落ち着きを取り戻したようだった。

 ヒラ婆は、いつもの老いぼれた動きが嘘のように、生き生きとフエンの世話を焼きたがった。だが、細い手足はブルブルと震え、茶碗を持てば水をこぼし、水を含んだ布を絞れば、指がポキポキと音を立てた。


「あたしがやるから、ヒラ婆は座ってて。代わりに、フエンのことを教えてよ」


「ヒイラ、頼む」


 カヤとフエンに請われ、ヒラ婆は、言葉を探るようにしながら、ポツポツと話し始めた。


「まずは、わたくしが人魚様の肉を探しに、海へ潜ったことから、お話ししましょうか……」



 カヤとフエンは、五百年前に、ヒラ婆が人魚の肉を手に入れた事。それを捌いたヒラ婆が、不死の呪いを受けて、生き続けてきたこと。フエンが、禁忌を犯して、肉を火にかけて食べたことを聞かされた。

 そこで、黙り込んでいたフエンが、ハッとして声を上げた。


「そうだった、思い出した。わたしは処刑の前の晩に、あの肉を、一度、火鉢の炭で焼いて食べたのだ」


「何も言わなかったわたくしが、いけないのです。六代様のお部屋で、火鉢の消し炭の中に、あの肉のかけらを見つけた時は……腹の底が凍りついたように感じました」


 ヒラ婆は嗚咽混じりに泣きながら、フエンの足元に跪いた。


「禁忌を犯した代償に、六代様は石像になられてしまったのです。全てはわたくしの身勝手な振る舞いが原因でした。どうか、どうか、お許しを!」


「頭をあげてくれ、ヒイラ」


 フエンは穏やかな口調で語りかけ、ヒラ婆の枝のような肩に手をおいた。


「そなたがいなければ、わたしは死んでいた。もう一度ヒイラに会えて、わたしは嬉しいぞ」


「六代様っ」


 ヒラ婆は、フエンの言葉に感極まって、その場に泣き崩れた。ところが、むせび泣いていたヒラ婆が、はたっと泣き止んだ。


「痛く、ございません」


 突然、ヒラ婆がキョトンとした顔で呟いたので、カヤとフエンは、まゆを釣り上げた。


「どうしたのだ、ヒイラ」


「ヒラ婆?」


 フエンとカヤが、ヒラ婆を案じた。だが、ヒラ婆は平然とした様子で坐り直すと、フエンに告げた。


「わたくしは、五百年前に人魚様の肉を捌き、それによって呪いを受けたのです。永遠に体が痛み続け、永遠に死が訪れない呪いです。ですが……」


 ヒラ婆は、自分の枯れ枝のような体を見渡した。


「今は、痛くないのです」


 その瞬間、カヤとフエンが見ている目の前で、ヒラ婆の体が、サラサラとした砂埃のように崩れだした。カヤは悲鳴をあげ、フエンは、慌ててヒラ婆を抱きとめようとした。


「ヒイラ!」


「ああ、六代様。ヒイラは、どうやら呪いが解けたようです。六代様に、人魚様の話を、お伝えできたからでしょうか」


 ヒラ婆は、体が消し炭のようにボロボロと崩れているのに、穏やかな顔で、愛おしそうにフエンを見上げた。


「五百年、お待ちいたしました……、これで、ようやく死ねまする」


「待て、ヒイラ! わたしはどうすれば良いのだ! お前がいなければ、わたしは何も分からんっ、この世に一人にしないでくれ!」


 フエンの叫びも虚しく、ヒラ婆は最後に主人の名を口にして、完全に崩れ去ってしまった。フエンの膝下には、今の今まで、ヒラ婆の形を成していた散りの山が出来ていた。カヤは腰が抜けて動けず、フエンは宙に腕を投げ出したまま、震えていた。

 その時、開きっぱなしの戸口から、急なつむじ風が家の中を横切った。フエンとカヤは目をつむってしまったが、そのわずかな一瞬の間に、ヒラ婆だった物は、完全に消え去ってしまっていた。



 

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