第3話 蘇った少年

 カヤは、今にも腰が抜けそうだった。人攫いに追いかけられたと思ったら、今は石像の少年に抱きしめられている。いや、石像“だった”少年に、だ。

 少年は今や、完全な生者だった。結った黒髪は艶があり、頬は仄かに赤く、鍛錬された四肢は伸びやかだ。白装束を着ているが、かえってそれが、彼の健康な体を際立たせていた。

 カヤの鼻に、なんとも良い香りがフワリと触った。少年の体から、香が匂っているのだ。

 少年は、滑らかに口を動かして言葉を放った。


「お前たちはノギ家の刺客か、タギ家を滅ぼしてもなお、わたしを斬りに来たのか」


 その口調は、身分の高い武士のようだった。人攫いたちは、聞きなれない言葉に顔をしかめた。


「こいつ、石像のフリをしてただけの、頭がおかしい奴じゃねえか?」


「構わねえ、こいつも売り飛ばしちまえ!」


 人攫いたちは、腰から刀を引き抜いた。それを目にしたカヤは、思わず息を飲む。すると、カヤの耳元で、少年が囁いた。


「案ずるな、わたしの後ろに控えていろ」


 カヤは、少年の横顔を見上げた。少年は、真っ直ぐな瞳で人攫いたちを見据えていた。

 すると、人攫いたちが声を張り上げた。


「やっちまえ!」


 刀を振り上げ、男たちが猛然と突進してくる。少年は、脇に差していた短刀を引き抜いた。二つの刃がぶつかり合い、火花を散らした。

 男の刀に比べ、少年の短刀は威力が弱いように見えた。だが、刀の押し合いになった途端、少年の体がばねのように動いた。


「ノギの落ち武者め、貴様のナマクラなんぞへし折ってやる!」


 少年の短刀が、男の刀を押し返した。男が思わずよろけると、少年はその隙をついて、男の顔を斬りつけた。

 悲鳴が上がり、男の鼻から血飛沫が上がった。男の顔に、額から下唇まで刀傷が走っていた。


「鼻がっ、息ができねえ!」


「馬鹿野郎っ、ガキ相手に何してる!」


 人攫いは、斬られた仲間を押し退けて、少年に襲いかかった。すると少年は、素早く片足を軸にして、砂を高く蹴り上げた。舞い上がった砂つぶは、人攫いの眼球に飛び込み、彼の目を潰した。

 同時に、少年が短刀を構えて踏み込む。切っ先を地面すれすれまで下げてから、勢いよく振り上げた。瞬く間に、斬られた男の着物が、スッパリと真っ二つになった。たるんだ腹に、一文字の血が滲み、男は悲鳴をあげて尻餅をついた。

 少年は、せいぜい12、13の若造なのに、剣の腕が恐ろしくたつ。後ろで見ていたカヤでさえ、少年の振るう剣の音や、着物の擦れる音に、野盗たちとの格の違いを感じていた。


 男たちは、まるで鬼に対峙するように少年を見た。少年は、さも当然と言わんばかりに、胸を張った。


「ノギ武士なんぞに負けるか! 次は貴様の命を取るぞっ!」


 少年が、短刀を構えて勇ましく言い放った。ところが、カヤは岬の足元に動く影を見つけ、咄嗟に声をあげた。


「危ないっ!」


 カヤの叫びが届くよりも先に、硬い刃物が矢のように飛び、少年の腕を斬りつけた。少年は痛みと驚きで声をあげ、たまらず後ろによろめてしまった。カヤが倒れかかった少年を抱きとめると、少年の白装束が、みるみる赤く染まっていく。ひどい怪我を負っていた。

 二人が岬の下を見ると、岩場でカヤに声をかけた男が、分銅のついた鎖を手にして立っていた。鎖の先には小ぶりな鎌がついており、これが少年を襲ったのだ。


「子ども相手に何してやがる、情けねえ!」


 その男は、鎖を得意げに振り回しながら、岬を登ってきた。だが、顔や腹を斬られた仲間を見て、愉快そうに少年とカヤを見た。


「ほう、その小僧は、なかなか腕前が良いらしい。だが、俺はソボ武士の子孫だ。剣と鎌じゃあ、昔からこっちが勝つってお決まりなのさ」


「ソボだと? 貴様、やはりノギの手の者かっ!」


 少年は、カヤに抱えられたまま、ちぐはぐな事を怒鳴った。先程から、彼はノギとかタギとか、よくわからない事を口走っている。その様子は、巨大な憎悪に突き動かされているようだと、カヤは感じた。



 人攫いの男たちは、形勢が逆転したことに勢いづいていた。カヤは、今にも命を取られるんじゃないかと、恐怖に震えが止まらなかった。

 人攫いたちは、幼い子どもに言い聞かせるように喋り出した。


「よおし、ようやく大人しくなったな。安心しな、殺しやしねえさ。お前たちはこれから、お船に乗って、遠い遠い国へ働きに行くんだ」


「そう、海を越えてな」


“海を越えて”……。

 人攫いの最後の一言に、カヤは思わず振り返った。岬の背後には、黄昏時のホトト湾が、両手を大きく広げている。波はなく、風もなく、夕闇の黒い水面が悠然と広がっている。

 カヤは、もう一度人攫いを見た。男たちは、もう獲物を捕らえている気でいるらしく、刀や鎌も、下に向けていた。


「さっさと船を出せよ。ハヤミの海まで連れてくの、めんどくせえんだからよ!」


 鎌を持った男が、他の仲間たちに指図を飛ばしていた。

 カヤは、抱きしめた少年の耳元で、声をできるだけ落として囁いた。


「海に、飛び込もう」


「何?」


 少年が、苦悶の表情を崩してカヤを見た。


「海に飛び込むの、それしかない」


「ばかな、海面に打ち付けて死ぬぞ」


 少年も声を潜めて答えてきた。カヤは、初めて少年の顔を正面から見た。少年は思っていたよりもずっと幼く、目の中には恐怖の色が滲んでいた。


「あたしを信じて、大丈夫だから」


 ところが、囁き合う二人の姿に、鎖鎌の男が目ざとく口を挟んだ。


「おい、何を相談してる!」


 カヤは何も答えなかった。少年を引っ張り起こして立ち上がると、一目散に岬の先端に駆け出したのだ。

 子供たちの予想外の行動に、人攫いたちは完全に虚を摘まれた。彼らが武器を構えて駆け出す頃には、カヤの足は岬の際を踏みつけていたのだ。

 一瞬、カヤは少年の顔を振り返った。彼は困惑しながらも、カヤの隣に並んで、同じように岬の際を蹴り出していた。


「待ちやがれ!」


 人攫いの罵声が飛んできた。しかし、それがカヤと少年に追いつくことはなかった。

 彼らの威勢も声さえも、遥か頭上に置き去りにして、カヤと少年は岬の先端から、遥か下の海に飛び込んだのだ。




 ドボン と、低い太鼓のような音が、カヤの全身を叩いた。冷たい海に抱擁されて、ギュッと身が引き締まる。

 カヤは、四肢の指の合間にも、海水の揺らぎを感じると、そっと目を開けた。海の中はすっかり夜の世界になっていた。魚も少なく、海藻も寝静まっているようだ。

 その中に、大きなクラゲみたいなものが浮遊している。

 石像だった少年が、無気力に海に沈みかけていたのだ。白装束が水になびいて、ハッとするほど幻想的だが、少年は海面に飛び込んだショックで、気を失っているようだ。

 カヤは素早く少年の元へ泳ぐと、彼を抱えて海水を蹴った。

 海面に顔を出したカヤは、ぐんぐん泳いで行く。タゴノ岬を離れ、ホトト浜も素通りし、やがて、人気のない浜辺に、ようやく両足をつけた。

 海の中では重さを感じなかった少年が、浜を登るごとに重くなっていく。カヤは仕方なく、半分海水に浸かったまま、少年を浜辺に横たえた。

 少年はぐったりとしていた。カヤは、自分の耳を少年の心臓の上に押し当て、すぐに少年の唇を開き、息を送り込んだ。

 しばらくすると、少年は大きく咳き込み、飲み込んでいた海水を吐き出した。それを見たカヤは、やっと胸を撫で下ろした。

 そして、まだ目を開かない少年を、まじまじと見つめた。

 少年の肌は白く、薄いまぶたで閉じられた瞳は、切れ長で雅さを湛えていた。

 彼の装束がはだけた胸は、ゆっくりと上下している。昼間までは石像だったのに、突然、生きた人間になったこの人は、一体、何者なんだろう。

 すると、カヤの視線に気がついたのか、少年が薄っすらと目を開いた。


「ここは……」


「オクリ浜。人攫いの連中は完全に撒いたから、安心して」


 カヤが答えた後ろから、波が追うように打ち寄せた。少年はゆっくりと頭を持ち上げ、海水に濡れたまま座りなおした。彼は、海の上に広がる星と月、寄せては返す穏やかな波を見つめ、ハッと息を飲んだ。

 カヤは、思わず身を硬くした。少年が、みるみる瞳に涙を浮かべ始めたのだ。カヤは少年の背に手を回した。


「どうしたの、傷が痛むの?」


「違う、違うんだ。また、この夜凪を見られるとは思わなくて、わたしは……」


 少年は俯き、ポタポタと涙を落とした。

 カヤは、少年の肩にそっと手を添えた。カヤの小さな手のひらでも、覆えるぐらいに彼の背は細く、か弱ささえ伝わってくるようだった。


「ねえ、とりあえずうちにおいでよ。誰もいないけど、傷の手当ては出来るから。あたしは、カヤっていうの」


 あなたは? と、カヤが促すと、少年は涙を拭いて、カヤを見た。


「わたしの名は、フエン」


「フエン、人攫いから助けてくれてありがとう」


「こちらこそ、カヤの機転に命を救われた」


 カヤはフエンに肩を貸しながら、浜を歩き出した。砂の道を歩ききったところに、真っ暗な小屋がある。

 これが、カヤの家だった。




 カヤは、客人をもてなすため、いつもより奮発した夕食を用意した。フエンは、麦飯を興味深く眺めた後、大きな一口で咥えた。


「美味い! 噛めば噛むほど、味が染み出してくるな! こっちのこれはなんだ?」


「サザエの壺焼きと海苔味噌」


「なんと、このように美味いものは食べたことがない」


 フエンは夕食をガツガツと食べていた。なのに、フエンはカヤが見た中で、1番お上品に食事をする少年だった。

 カヤもフエンに遅れて食事をとると、フエンがまた喋りかけてた。


「カヤ、その瓶には酒が入っているのか?」


 その瓶、とは、カヤが海岸で拾った、文入りの瓶のことだ。カヤは、瓶を部屋に飾ろうとしていたが、フエンの興味を引いてしまったらしい。


「もしよかったら、読んでくれない? あたしは文字が読めないから」


 と、カヤが頼んで瓶を渡すと、フエンは得意げに文を開いて、文面に目を走らせた。どうやら、ものすごく昔の文らしく、カヤには余計に難しく見えた。

 だが、フエンはたちまち顔を赤くすると、声を荒げて文を瓶の中に押し戻してしまった。


「こっ、こんな軟弱な文は声に出せん!」


「なんじゃくな文?」


「……誰かの、恋文だ」


 フエンは、それさえも恥ずかしそうに答えた。だが、少なくともフエンは、大昔の文字を読めたのだ。恋文と分かるほどに。

 カヤは、ますますフエンに対する謎が深まっていった。


 それは、家にフエンを運び入れた直後からも感じていた。カヤは、家に入ってすぐに、フエンの傷の手当てをした。フエンはおびただしい出血をしていたのに、傷は想像以上に小さく、少しの手当てで済んでしまった。

 さらに奇妙なことが続いた。カヤはフエンに、父の服を貸した。ところが、フエンは一人で服が着られず、カヤが彼の着替えを手伝うはめになったのだ。

 極め付けは、フエンがカヤの家を眺め回して放った一言である。


「趣のある納屋だなぁ、居間はどこにあるのだ?」


 その一言には、流石のカヤもフエンを柄杓で叩いてしまった。しかし、次第にムズムズとした騒めきが腹から登ってきて、カヤは大笑いしてしまった。

 フエンは釈然としない顔をしていたが、笑い転げるカヤを見ているうちに、自然と顔がほころんでいた。


 食事を終えると、カヤはフエンの生い立ちを聞いていた。彼の記憶は途切れ途切れで、フエンは、長く忘れていたことを思い出すように語った。


「じゃあ、フエンは西のタギって家の跡取りさんなんだ」


「嫡男だ。カヤは本当にタギ家を知らないのか? 信じられないぞ」


 フエンは怪訝そうにカヤに詰め寄ったが、カヤは首をひねるばかり。タギもノギも聞いた試しがない。市場に行く父なら、聞いたことがあるかもしれないが。


「それよりもフエン、あなた本当に、自分が石像だったこと覚えてないの?」


 カヤは、もう何度もフエンに同じことを聞いていた。なのに、当のフエンは鼻で笑うばかり。


「そんなのあるわけないだろう、阿呆らしい」


 フエンの素っ気ない返しに、カヤは口を尖らせた。やはり、石像の方が、何も言ってこない分、よかったと思ったのだ。


「それじゃ、明日の朝一番に、タギ家のこと知ってそうな人の家に案内するよ。それで何かわかると思うよ」


「助かる」


 カヤの申し出に、フエンはニコリと笑って言った。



 ところが、事態は二人が想像していたものより、ずっと複雑だった。

 翌日、カヤがフエンを連れて訪れたのは、村一番の長寿で、変人のヒラ婆の家だった。

 カヤは、ヒラ婆の家の仕事をする間に、フエンにヒラ婆の話し相手になってもらおうと考えていた。

 ところが、カヤがヒラ婆にフエンを紹介した途端、ヒラ婆は乾ききった体が、ポッキリと折れそうな勢いで叫んだのだ。


「ああっ、六代様! ヒイラはこの日を、ずっと夢見ておりました!」

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