第2話 漁師の娘

 家の外から、白い明かりが差してきた。夜明けの息づかいが聞こえ、少女のまぶたが、ゆっくりと開かれる。

 春とは言え、まだまだ火鉢が恋しい時期である。12歳のカヤは、布団を被ったままジッとしていた。微妙な年齢だと思った。カヤは、もう少し子どものフリをして寝ていたかったからだ。

 だが、カヤの儚い夢は、すぐに断ち切られてしまった。幼い従兄弟のクルギが、カヤの体をゆすり出したのだ。


「カヤ姉たん、やっちまったぁ」


 クルギは4歳。着物の前側がびっしょり濡れていた。カヤは、暖かい布団から、ゆっくりと這いずり出た。

 カヤは、子どもでいられないのだ。



 カヤは、漁師の娘である。父のヨロギは、春にはイカを、夏にはマグロを、冬になればオチダコを突きに海へ出る。家にはなかなか帰ってこない。なので、父親が海に出ている間、カヤは叔父のモロギの家に身を寄せることになっていた。

 ただ、モロギも漁師である。いつもカヤの父と一緒に漁に出ていた。だからカヤは、実質モロギの妻のエナに世話をされている、ということになってた。



 カヤがモロギ家の家事を片付けていると、末っ子のキナが泣き出した。キナはまだ2歳、負ぶってやらなければ癇癪は治らない。カヤは、すぐにおぶい紐でキナを背にくくりつけた。だが、今度はクルギがぐずりだす。カヤは素早く、かまどから炭クズを引っ張り出して、クルギに手渡した。


「ほら、おんもで絵を描いといで」


 すると、クルギは水を得た魚のように、外に駆け出して行った。これで、家の外は炭のラクガキだらけになるだろうが、カヤはその間に、朝の炊事にとりかかれる。


 朝日がすっかり顔を出した頃、残りの家族たちも、居間に揃い出した。モロギの妻のエナと、娘のモナとロナは、居間に用意されていた朝食に手を付けだした。カヤが、二人の幼子を連れて居間に入ると、3人のお膳はもう空になっていた。

 上の娘のモナが、悪びれもなくカヤに話しかけてきた。


「カヤ姉は、本当に子どもをあやすのが得意だなぁ。クルギもキナも、起きた途端に泣き出すのに、カヤ姉がいると全然だもんなぁ」


「ねえ、どうして小せえ子は朝が来る前に泣くの?」


 下の娘のロナも、姉に被せるように喋りかけてきた。それに答えたのは、母親のエナだった。


「7つまでは神の子って言われっから、小せえうちは、神様を思い出して泣くんじゃねえかな」


 エナは内陸の生まれだ。エナの独特の喋りは、娘たちにもしっかり受け継がれているようだ。

 カヤは、どこか除け者感を受けながら、家を出る準備を始めた。背負っていたキナを布団に下ろすと、途端に泣き始める。エナは顔をしかめながら、カヤに尋ねた。


「あんた、今日もうちに来るのかい?」


「いいえ、父やが帰って来る前に、家の掃除をしたいので」


「じゃあ、来ないんだね」


 エナの言い草には、安堵感が滲み出ていた。

 カヤは、それに気がつかないフリをして、立ち上がった。


「行ってきます」


「気をつけなよ、海の近くは、物騒な連中がうろついてるからね」



 カヤたちが暮らすノギノエ村は、村民の7割が漁師を営む漁村である。村の北部には、背骨のような山があり、棚田が作られている箇所もある。だが、何より村にとっての宝は、生命に溢れる、真っ青なホトト湾だった。

 よその村から来たエナには理解できないかもしれないが、漁師の娘であるカヤにとって、海は家とも呼べるほどの、大事な居場所だった。それに、海は村における広大な狩場のようなもの。村の生命線だ。なのにエナは、いつも海を悪く言う。カヤはそれが嫌いだった。



 カヤの仕事は、村に住んでいる独り身の年寄りや、体の不自由な人の世話を手伝うことだ。午前中の仕事を終える頃、ちょうどサザエ漁に出ていた海女や漁師たちが家に戻って来る。カヤは雇い主にお駄賃を貰って、次の仕事に向かうのだ。これが、カヤの毎日だった。


 カヤは、2件目の仕事に行く前にタゴノ岬に立ち寄った。タゴノ岬は、真っ青なホトト浜を見下ろす絶景の場所。カヤはここで、3つの握り飯を、海を肴に食すのだ。


 それに、タゴノ岬には、カヤが唯一心を許した友人がいる。

 彼は、今日も海を眺めていた。真っ白な石像の、端正な顔立ちの少年。もう何百年も、ここに座っているらしいが、年齢はきっとカヤと同じくらい。彼は一心不乱に海を見つめ、今にも飛び出しそうな勢いがある。

 カヤは、そんな少年の、真っ直ぐな瞳が好きだった。それに、石像の少年は言葉を紡がない。カヤに語りかけてこない寡黙さも、気に入った部分だった。


 カヤは、そんな思いを抱く自分が、ずいぶんな変わり者だと自覚していた。何しろ、親戚の家にいても浮いているし、父親以外の漁師といても居心地が悪いし。どうにもこうにも、カヤは人と打ち解けるのが下手らしいのだ。だから、カヤは人と話さなくても良い仕事につくほかなかった。本当は、網を編む仕事や海女の仕事がしたかったのに、人との雑談ができないせいで、その夢を諦めたのだ。


 カヤは寡黙な少年と一緒に、静かすぎる昼食を終えた。もう二、三日もすれば、父が漁から帰って来る。そうなれば、カヤだって、いくらか人間らしい会話が出来るだろう。

 カヤは、海をしばし眺めてから、石の友人に別れを告げて歩き出した。



 この日の最後の仕事は、タゴノ岬の近くに住む、ヒラ婆の家だった。ヒラ婆さんは、枯れ枝みたいに細く、干物みたいな体の老人だ。吹けば消し飛びそうな体のに、これがなかなか頑丈で、カヤの父によると、カヤの父たちが子どもの頃から、今と同じくらい老婆だったらしい。


「ヒラ婆、勝手に入るよ」


 カヤがヒラ婆の家に入ると、物が散乱した汚い土間の上で、猪のような影がゆらりと動いた。ボロ布をまとったヒラ婆だ。

 ヒラ婆は、何年も身体中が痛むらしく、顔にひどく深い皺が刻まれている。


「ヒラ婆、タカヤマのお寺からお薬をもらってきたよ。それから、干物とお麦も」


「なんとありがたい。いたみいります」


 とても意外なことに、ヒラ婆はこんな身なりでも、言葉遣いがとても美しく、立ち振る舞いには品があった。カヤは、いつも不思議に思いながら、この老婆の面倒を見ていた。

 カヤは、窓を開けて換気すると、そそくさと掃除を始めた。ヒラ婆は、テキパキと動くカヤを横目に、一目散に薬の瓶に飛びついた。


「カヤどの、栓を開けておくれ、あたしには、とても難しい」


 ヒラ婆は、瓶をカヤの方へ突き出した。ヒラ婆の体は、剣で真っ二つに裂かれたみたいに、いびつに歪んでいるのだ。


 カヤは栓を開けると、ヒラ婆が飲み干すまで手を添え続けた。ヒラ婆は、老婆とは思えぬ勢いで薬を飲み終えると、空になった瓶を、物惜しげに眺めた。


「和尚様は、きっとこの瓶をお返しするのを、望んでるんでしょうねえ」


「ヒラ婆がそう言うだろうと思って、ちゃんと聞いてきたよ。和尚様は、空瓶をヒラ婆にお預けしますって仰ってたよ」


「それはありがたい、では、この瓶をあそこに飾っておくれ」


 カヤはヒラ婆に言われるがまま、簡素な飾り棚の上に瓶を置いた。ヒラ婆は、薬や酒の瓶が異様に好きらしい。飾り棚の上には、こうして集まったであろう、色々な瓶が飾られているのだ。カヤも、どちらかと言えば嫌いではない。つい仕事の手を止めて、ヒラ婆の収集品を眺めていると、そのうちの一つに目を止めた。


「ねえヒラ婆、この瓶の中には紙が入ってるよ、どうして?」


「それは、西国から海を流れて届いた文なんですよ、試しに開けてごらんなさい」


 カヤは文を広げてみたが、書いてある文字はとても古く、うなぎのようだった。それに、どのみちカヤには、文字なんてものはわからない。


「ヒラ婆は文字が読めるの?」


 カヤは、瓶を元に戻しながらヒラ婆に尋ねた。しかし、返事はない。カヤが振り返ってみると、老婆は座ったままうたた寝をしていた。

 カヤはそのまましずかに仕事を済ませ、ヒラ婆を寝床に横たえてやった。次に来るときは、布団も洗ってやろう。カヤはそう思いながら、ヒラ婆の家を後にした。



 いつのまにか、日もすっかり傾いていた。カヤは、海岸沿いの道を、自分の家に向かって歩いていた。横に目をやると、夕日が海面に足をつけ、水面に煌めく筋を作っていた。

 カヤは道をそれて砂浜に駆け出すと、朱色の海水にジャブンと足首をつけた。波の感触が心地よい。濡れた砂つぶが、カヤの足にまとわりついて、くすぐるようだ。カヤは、このまま沖まで歩いて行きたくなった。泳いでいけたら、どんなに楽しいか。

 そのとき、カヤの足の小指に、何かがコツンと触れた。貝でも蟹でもない不思議な感触に、カヤは手を伸ばして砂を退けてみた。すると、カヤは驚いて思わず声を漏らしてしまった。なんと砂から顔を出したしたのは、ヒラ婆の家にあったような、紙が入ったガラスの瓶だったのだ。


「本当に海を流れてきたんだ」


 カヤは、拾い上げた瓶を夕日にかざしてみた。古ぼけて海苔までこさえた瓶は、青い海が輪郭を持ったように美しかった。

 これは、父やにいい土産ができた。カヤは、瓶を懐にしまい、再び家に戻ろうとした。

 だが、今度は人の声に呼び止められた。


「おおーい、そこの娘っ子! ちょっと手を貸してくれやい!」


 声が飛んできた浜の先をみると、一人の漁師が岩場のそばに座っていた。


「おっちゃん、どうしたの」


「どうもこうもねえよ、岩場の隙間に釣竿を落としちまったんだけど、俺の腕じゃあ太くて取れねえんだ!」


 カヤは漁師の隣に立って、岩場を覗き込んだ。だが、釣竿なんて見当たらない。


「どこにあるの?」


 と、カヤが漁師を振り返った直後、漁師の男が、両腕をカヤの体に回して、がっちり掴んできた。


「何するのっ?」


「うるせえ騒ぐな! おい、船を回せ!」


 漁師はカヤを怒鳴りつけると、岩場の影に向かって呼びかけた。その途端、二人の男が顔を出し、オンボロな堀ぶねを進めてきた。


「人攫いっ?」


「おうよ、怪我したくなかったら、じっとしな」


 カヤを掴んだ男は、カヤを押さえつけながら低い声を出し、カヤの体を無理やり引きずり出した。だが、カヤは懐から拾ったばかりのガラス瓶を引っ張り出すと、瓶の底で男の股間を思いっきり強打した。

 男は悲鳴をあげてカヤを放し、その隙にカヤは思いっきり駆け出した。


「何やってんだっ、追え!」


 船に乗っていた男達が、怒鳴りながら船から降りてカヤを追いかけ出した。カヤは必死に助けてくれる大人を探したが、この時間では、みんな家族が待つ家に帰ってるはずだ。まして、夕暮れの海なんて、カヤの他に誰が来るだろう。

 カヤは、声もあげずに走り続けるしかなかった。


 カヤはよろめきながら、知ってる道をひたすら走った。だが、たどり着いたその場所を見て、カヤは愕然とした。いつのまにか、タゴノ岬を登ってしまっていたのだ。

 そこには、昼間別れたばかりの石像の少年が、相変わらず微動だにせずに鎮座している。


「娘っ子っ、もう逃げられねえぞ!」


 追っ手の声が飛んできた。カヤにはどうする事もできず、石像の少年の前に駆け込み、身を隠すように石の体に抱きついた。

 だが、哀れなカヤの姿は、人攫いの男たちからもよく見えていた。


「はははっ、助っ人がそいつじゃあ、手も足も出ねえな!」


 人攫いたちは、石像の少年を見て笑い転げた。一方のカヤは、目に涙を滲ませながら、少年の石の体に手を回した。


「さあ娘っ子、こっちに来い!」


「嫌っ、やめて!」


 カヤの片腕が、人攫いたちに引っ張られた。

 カヤはありったけの力を込めて、石像の少年にしがみつく。だが、大人の男の力には、到底敵うはずもない。カヤは、今にも引きずられそうだった。

 お願いっ、誰か助けて。

 カヤが声にならない叫びをあげた、その瞬間だった。

 突然、カヤの背中に、誰かが手を添えてきたのだ。

 カヤが驚いて身を硬くすると、その誰かは、カヤの耳元で、そよ風のような熱を、ふわっと吹きかけた。


「一体、なんの騒ぎだ」


 石像の少年の口から、聞くはずのない言葉が漏れた。人攫いたちも、ようやく目の前にいるのが、1人の子どもではない事に気がつき、ギョッと飛び上がった。


「どっ、どど、どうなってんだっ?」


 人攫いの目の前で、少年の白い石の体が、みるみる色を持ち出していくではないか。カヤの体にも、冷たくて硬い石の感触から、柔らかく暖かな温もりが伝わってきた。

 石像の少年が生身の体になって、カヤを抱きかかえ、立ちがったのだ。





 

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