第103話 皇帝の覚悟と陰謀
デミウルゴス神歴八四六年――八月一日、夕暮れ時。
ここ数日、体調を崩し気味であったアイトルは、勇者たちとの
が、カズマサとアオイの帰還の報を受け、ユウゾウの姿が無いことを聞き、無理を押してそれに臨んだのだった。
ただ、そのせいで体調が悪化し、中途半端な状態でアイトルは引見を切り上げたのだった。
テニスコートほどの広さがある皇帝の自室の扉を隔てた一角にある寝所。
その部屋を魔導シャンデリアが優しく温かく照らすのと同様に、真っ白な治癒魔法の光がアイトルを優しく包み込む。
アイトルは、寝間着姿でベッドに腰掛け、宮廷魔法士による治癒魔法で治療を受けているのだった。
それは気休めでしかなかった。
それでも、消費した体力を回復してくれるため、ヴェールターが至急手配したのだった。
ヴェールターはその様子を見守りながら、先程アイトルが下した決定の真意を探ろうと皇帝に問う。
「宜しかったのでしょうか」
アイトルの眉間の皺がより深くなる。
「仕方がないだろう。この命もそう長くはないとわかっている」
「ですが! いえ……」
弱気なアイトルの発言を否定したかったが、帝国のお抱え宮廷魔法士ですら原因を特定できない病をどうにかするのは、無理な話であった。
それ故に、ヴェールターは何も言えなくなってしまった。
「だが、このまま諦めるつもりはないぞ。あのオフィーリアの正体を諸国の王たちに伝えねばならんからな」
「まさか!」
「そうだ。オフィーリアの召天の儀に赴くつもりだ」
デミウルゴス神皇国から敵対宣言をその召天の儀――いわゆる葬儀――の日に行うと
そして、潔く皇帝の首を自ら差し出せば、それを帳消しにするとも言われていた。
サーデン帝国は大陸随一の軍事大国であり、例え敵対宣言を受けたとしても簡単にやられる国家ではないのだが、少なくない犠牲がでる。
それならばとアイトルは、残り僅かな命を喜んで差し出す気であったのだった。
そのときは、聖女が魔族だと
それでも、いずれ、その事実が明かされ、サーデン帝国皇帝アイトルは己の命を
そんな、希望的観測がアイトルにはあったりする。
実際に賢帝と呼ばれていているアイトルにしてはいささか楽観的すぎるが、なるようになるさ、というのが本音だった。
「ヴェルよ。あとのことは頼んだぞ」
口元を手で押さえ、絶句していたヴェールターに向かって、アイトルは彼の愛称を呼んで微笑んだ。
そして、治癒魔法士の顔色を盗み見たりした。
一方、そんなアイトルの視線に気付くことがなかったヴェールターは、はっとなり、皇后や皇太子が納得しているのか気になった。
「そ、それは、アニータやレックス殿下もご存じなのですか!」
その問いにアイトルは、大きくゆっくりと一つ頷いた。
「アニータには勇者の協力を得られなければそうなる可能性を伝えておる」
「そ、それなら、なぜこうもあっさりと要望をお認めになったのですか!」
「なぜって……わかるだろ?」
アイトルは、苦笑いしながら顎をしゃくってみせた。
「民あっての帝国……でしょうか」
皇后アニータは、クニーゼル侯爵家から嫁いできた正妃であり、ヴェールターの娘でもある。
ともなれば、ヴェールターは彼女が言いそうな言葉を当てることができた。
箱入り娘で世間知らずなところがあるが、芯はしっかりしており、血統主義的な貴族色には染まることもなく、一般の民を思いやる心優しい性格をしている。
「そうだ。今のところ他国で戦争が起きているという情報がない……と、なるとだ。敵対宣言を契機に、こぞって大軍が攻め込んでくる」
「な、なるほど……いくら勇者の協力を得られたとしても被害が甚大となる訳ですな」
魔族領が近い北方三か国――マルーン王国、トラウィス王国、ウルエレン王国――は、魔獣被害で幾度となく救援をしているため密約を交わすことでどうにでもなる。
実際、マルーン王国のパルジャは陥落してしまったが、勇者救援により、それより先の進行を食い止めた。
更に、トラウィス王国の国土もブラックドラゴンの魔法で一部が焦土と化した。
アイトルの言葉を信じてもらえる可能性が高い。
が、昔から小競り合いが絶えないサーデン帝国の南に位置するバステウス連邦王国が厄介だった。
その連邦王国の東に位置しているアシュタ帝国もサーデン帝国と同様に軍事大国であり、その二国家に協力されると、ほとんど間違いなく帝国の領土が切り取られる。
かつては、その二国家も大きな戦争をするほど争い合っていた。
しかし、アシュタ帝国が代替わりした現在、その距離が急激に縮まっているという情報も得ていた。
単純な国家間の戦争と違い、前線の国家は、後方の憂いもなく、遠方の国家から無償に近い形で支援を得られ、サーデン帝国の領土を取り込める。
そうなれば、バステウス連邦王国は無理をしてでも全力で進行してくるだろう。
そのため、嫌でもどの国がどのように攻め込んでくるかが予想できてしまった。
「まあ、そういうことだな」
「では、レックス殿下も納得済みなのですか」
アイトルは、小さく左右に首を振った。
「いや、あいつにはまだ伝えていない。今度の休息日に戻るように魔術学園に使者を出してくれないか」
「そうでしたか。それでは話が終わり次第、早急に手配して参ります」
「いや、もう話すこともないだろう」
己の首を差し出すことは揺るがない決定事項だと言わんばかりに、アイトルの決意は固いようだった。
それを理解したヴェールターは、何も言えなかった。
「宜しく頼む」
「へ、陛下……」
アイトルの、「頼む」に、諸々全てのことを含んでいるような気がしたヴェールターは、膝を着き頭を垂れた。
「はっ、全てはこのクニーゼル侯爵ヴェールターにお任せくだされ」
そのころになると、丁度治癒魔法と薬剤による治療も終わり、その宮廷魔法士とヴェールターは、皇帝の寝所を後にした。
その姿を見送り、アイトルはベッドに潜り込み目を瞑った。
「考えすぎでなければよいのだが……」
――――――
廊下に出たヴェールターは、今更ながらに奇妙な感覚に襲われた。
「おい、そこの……」
先ほどアイトルの治療を施した女魔法士の名前を知らないヴェールターは、そうとしか言えなかった。
「何でございましょうか」
呼び止められたその女魔法士は、深紅のローブをたなびかせてヴェールターに向き直った。
「ターニャ魔法士長はどうしたのだ?」
アイトルの治療は、ふつうであれば、宮廷魔法士長が行うことになっていた。
ただそれも、時と場合によるが――
ヴェールターが名前も知らないような魔法士が対応するのはおかしかった。
つまり、それを知る必要のない程度の能力の魔法士だからだ。
それにも拘らず、その帝国カラーのローブを城内で纏っていることから、一等宮廷魔法士であることが明らかであり、その人物の名前を知らないことにヴェールターは変な胸騒ぎがしたのだった。
「はっ、ターニャ様であれば、本日は体調が優れないご様子で、既に退城されております。その……今回は早急にとのご命令でしたので、治癒魔法が得意なわたくしが
その青い瞳が一瞬淡く光った気がしたが、ヴェールターはそう言われ、納得してしまった。
「ふむ、そうであったか。ご苦労であった」
そう労いの言葉を掛けたヴェールターは、そのままその場を歩き去った。
一方で、その宮廷魔法士は、じっとりと背中に汗をかいていた。
その実、彼女がアイトルの治療を担当したのは、今回がはじめてではなかった。
その女魔法士は、ローブのフードをさっと目深に被り直し、人目を忍ぶようにコソコソと階下へと下りて、いつも利用している東の尖塔の小部屋へと身を滑らせるように忍び込む。
当然、周囲に人影がないことも確認済みである。
最後まで外へ視線を残しつつ、その小部屋の扉をパタリと閉めた。
それから、腰につった袋から、拳大ほどの魔法石を取り出して、埃を被った木箱の上に置いた。
その魔法石へと両手をかざし、魔力をその石へと流した。
すると、空中に窓のようなものが浮き上がり、荘厳な白い祭服に身を包み、綺麗に後ろで束ねられた髪と同じプラチナの長い顎髭をした老人が映し出された。
その人物は、ウィルバー・ショーウン・ハニガン三世――デミウルゴス神教の教皇にして、皇帝であった。
『ウルリーカよ。帝国の状況はどうだ』
「はっ――」
ウルリーカと呼ばれた女魔法士は、先ほどアイトルの寝所で知り得た情報を粛々と報告し始めた。
その報告を聞いた窓の中のウィルバーは、翡翠色の瞳を
『ほーう、てっきり抵抗する思ったが……そうかそうか、その気はないとな』
「はい、宰相も最後には説得を諦めて覚悟しておりました」
『ふむふむ、それはまさに神の御導きだ。我とて、無駄に神の民が血を流すことになることを気に病んでおった。これでその憂いも消えよう』
ひとしきり頷き、ウィルバーはご満悦のようだった。
「それから……」
『どうしたのだ? まだあるなら報告をせよ』
言い淀むウルリーカの様子にウィルバーは
「はっ、それが、宰相に幻術を解かれてしまいました――」
『なんだと!』
「あ、いえ、再度掛け直しを行いました。それに、廊下に出てからでしたので皇帝にばれることもなかったと思います」
その言葉を聞き、ウィルバーは前かがみになっていた姿勢を元に戻した。
『そうか、それならば良いが、これからは今までよりも慎重に行動せよ。アイトルが首を差し出すというのなら、余計にあの計画が重要になるのだからな……』
そのあと、ウィルバーから計画の微修正を受けたウルリーカは、マジックウィンドウを閉じた。
その小部屋で人知れずメイド服に着替えたウルリーカは、レックスではないもう一人の皇太子、エイドリアンの私室へと向かうのであった。
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