第102話 慢心は最大の敵

 階段を下りきって到着した一五階層は、一〇階層と同様にいきなりドーム状の広場のような広々とした空間だった。


 ただし、魔導カンテラとトーチボールの明かりが届き切らずその全容はわからない。


 そこは、完全なる闇に支配されていた。


「どうじゃ?」


 イルマの確認に僕は、エヴァの方を見た。


「いや、何の反応もないわね」


 僕の視線に気付いたエヴァは、かぶりを振ってからも注意深く周囲へと視線を巡らせていた。


「ふむ」

「なーんだ。やっぱり何もいないのか」


 僕は、安心よりも残念な気分になった。


 リトルドラゴンを倒せるのはミスリルランク冒険者くらいだと言われているらしく、それを討伐すれば僕たちの名声が上がると期待していたのだった。


 ただそれは、おまけだ。


 僕の本来の目的は、遅れてくるだろう先輩たちを驚かせたいという気持ちの方が大半を占めていた。つまり、「先輩たちが追放した僕は、こんなにも強くなったんですよ」と、そう言ってやりたかったのだ。


 当然、それには皮肉を含んでいる。


 本当は、「先輩たちは必要ないですよ」と言いたいけど、さすがに僕たちだけでは中級魔族を相手できるハズもない。何よりもエルサたちに危険が及ぶ。


 今度こそ先輩たちには、是非とも前線で頑張ってほしい。僕は、そう先輩たちに言えるだけの裏付けが欲しかったのだ。くだらないかもしれないけど、それが残念だと感じた本当の理由だった。


「じゃあ、少し辺りを調べたら戻ろう。念のため到達記念で写真でも撮りながらね」


 思考を今に切り替え、そう提案した僕が魔法の鞄からスマートフォンを取り出そうとした……そのときだった。


「コウヘイ!」


 唐突にエルサが叫んだ。


「どうしたの?」


 僕がエルサに視線を向けると、中央の大きな岩を指差して固まっていた。


「アレ……アレだよ……」

「アレ? 何のこと?」


 要領を得ないエルサの呟きに、再度僕が問い掛けた。


「アレは岩じゃない! アレがドラゴンだよ!」


 エルサが言うのと同時に岩が動き出す。


「何だって!」


 そうだった! エヴァのスキルに頼りすぎていた僕は完全に忘れていたのだ。エルサの魔法眼は魔力を見ることができるんだった。


 つまり、岩に見えたアレを生物かどうか判別できる。


「くっ、みんな、戦闘準備だ!」


 気付いたときには遅かった。


 一見すると岩にしか見えない硬そうな鱗と、翼こそ小さいものの、先端がゴツゴツとした鋭い鱗で覆われた尻尾を含めると二〇メートルはあろうかという巨大な体躯が動くたびに、こちらにまで地響きにも似た振動が伝わってくる。


「ど、どこがリトルドラゴンなんだよ!」


 想定していたよりも巨大なその姿を認め、僕は思いっきり悪態をついた。ラルフさんの話では、精々五メートル程度と聞いていたからだ。


 それに反応するようにイルマが僕に向けて叫び、僕の左手を引っ張ってきた。


「違うぞ、コウヘイ! アレはアースドラゴンじゃ! 一旦下がるのじゃ!」

「なんだって!」


 アースドラゴンは古龍ともいわれており、アダマンタイトランク冒険者でも相手できるかどうかというほど、リトルドラゴンと比較できない強力な魔獣である。そんなイルマが知らせた新事実に僕は驚愕きょうがくしながら後退る。


 途端、アースドラゴンは長々と雄叫びをあげた。


 それは腹に響くといった生易しい物ではなく、魔力が込められた咆哮だった。雄叫び一つでもの凄い体力を消費したような気だるさを覚え、膝を突きそうになる。


「み、みんな大丈夫か!」


 そう叫び、僕が辺りを見渡すと、エヴァは耐えきれずに膝を突いて呼吸を荒くしていた。


「むむ、相当怒っておるな」


 アースドラゴンの状態を見てイルマはそんな感想を漏らしていた。その姿に動じる様子はイルマにはない。


「わたしは大丈夫。で、でもミラちゃんが!」


 エルサの指摘で僕がミラを見た。ミラはエヴァと同じで辛そうに顔を歪めていた。


 魔力量の差だろうか……と、立っていられる僕たち三人とその二人の違いからそれを導き出すや否や。


「エンチャントプロテクション!」

「あ、ありがとう、コウヘイ……」


 耐久向上の身体強化魔法を僕がエヴァに付与してから手を差し出すと、その手を取ったエヴァが少しよろめきながらも立ち上がった。それを見たエルサもすかさずミラに同じく付与を行い、その身を引き起こしていた。


「コウヘイ、これは絶対ヤバいわよ。ここは素直に引きましょう」


 そう提案するエヴァ。逃げる算段の掛け声が後ろからも同様に聞こえてくる。それでも、僕は何故か首を縦に振らなかった。


「ちょっと、コウヘイ! 聞いてるの! 逃げるわよ!」


 僕の右手を握ったまま、エヴァは懇願するようにその右手に力を込める。その顔は恐怖に歪められ、いつも勝気な印象のエヴァのグレーの双眸にも影を落としていた。


 確かに、雄叫びだけであのプレッシャーは未だかつて感じたことがない。にもかかわらず、その力の波動を心地良いと僕は感じていた。


 その理由は全く分からない。


 説明しろと言われても適当な言葉が見つからないのだ。無理やり表現するなら、強敵を前に挑戦せずにはいられない柔道家のさがだろうか。


 いくら内気な僕でも、柔道に関して言うと一度も引いたことがなかった。


 どんなに厳しい練習であっても、僕に酷い仕打ちをしてきた内村主将や高宮副主将が相手であっても、それが柔道であれば逃げたことはなかったのである。目の前のアースドラゴンが柔道家な訳はないけど、敢えていうなればそんな心境に似ていた。


 ここで引いてはダメだ! という、内から込み上げてくるような衝動を僕は抑えきれなかった。それでも、中級魔族のドーファンと比べたら大したことない。そんなことを思ったら、なぜか先ほどまで続いていた足の震えが止まっていた。


 僕ならやれる!


 そう確信した僕は、僕の右手を握って離さなかったエヴァの手にそっと左手を重ね、ゆっくりとそれを解いていく。


「え、コウヘイ……な、なんなの?」


 無言で見下ろされ、僕の意図をはかり切れないのか、エヴァの表情はパニック寸前だった。


 それを見た僕は、「大丈夫」と一言だけ言ってエヴァの頭を撫でる。


 まさかの僕の行動に益々訳がわからないというようにエヴァは、「え……」と間の抜けた声を漏らした。


「エンチャントサンダー!」


 アースドラゴンへ向き直った僕は膝を軽く屈めた。属性を付与した僕は、必殺技である『シールドバッシュバレット』をお見舞いすることにしたのだ。


 無詠唱で身体強化も全開にして突撃の構えをとる。電撃属性のスパークと身体強化の青白い光や暖色の光が混ざり合い、僕は激しい発光体となった。


 いざ……突撃! というとき。


「コウヘイ、待ってぇ!」


 僕のことを心配してか、引き止めるエルサの叫びに、


「大丈夫、任せて!」


 と僕は力強く答えた。


 エヴァのスキルに反応が無かったことを理由に、アースドラゴンのことを甘く見ているということは決してない。ただ、さっきの咆哮のお返しだ、と言わんばかりに僕らしくもない叫び声をあげながらアースドラゴンへと突進した。


 弾丸のような速度でアースドラゴンに迫ったその瞬間、アースドラゴンの深紅の瞳と目が合った気がした。


 もらった!


 身体強化で限界を超えて加速した僕はその勢いのままアースドラゴンに突撃した。


 雷撃属性をエンチャントしたラウンドシールドから目も眩むほどの閃光が迸る。自身の腕も痺れるほどの会心の手応え。激突の衝撃で舞い上がる土煙が晴れた瞬間、アースドラゴンの深紅の瞳は変わらず僕を無表情に眺めていた。


 僕の目の前の鱗には傷一つ無く、自分では会心の一撃だと思ったそれはアースドラゴンにとって痛痒つうようすらもたらしていなかった。


 自分でも信じられない光景に呆気に取られた僕が、「えっ…?」っと声を発した瞬間、視界が真っ白に染まり、僕は全ての感覚を失った。


 無音――


 そして、次第に耳鳴りのような甲高い音が頭の中に鳴り響いた。


 じわりじわり、燃えるような熱が全身を蝕む。


 僕は、自分の身に何が起きたのか理解できなかったのだ。


 さっきまでアースドラゴンの目の前にいた、ハズ。


 それにもかかわらず、そのアースドラゴンはかなり遠い場所にいた。その巨大な体躯は魔力のオーラに包まれたようにぼおっと鈍く発光している。ゆらゆらと揺れる尻尾は、振り抜かれた後のようにやや身体を傾けたアースドラゴンの前方にあった。


 それを見て僕は、ようやくアースドラゴンに反撃されたと気付いたのだ。


 すると、僕の元へ駆け寄ってくるエルサとイルマの姿が目に入った。


 ああ、僕はなんて大馬鹿野郎なんだ……そんなことを僕は思う。


 アースドラゴンを発見するまで、エヴァのスキルだけではなく、僕たちも存在をから、いくら強いと言っても大した相手ではないと勝手に判断していたのだ。


 しかし、そもそもが間違いであることをいまさらながらに理解した。


 感じられなかったのではない――感じさせないように気配を消していたのだろう。むしろ、このダンジョン特有の下層に行けば行くほど濃くなるはずの魔力を――その魔力を感じなかったことに疑問を持つべきだったのだ。


 ただ、いくら気配を消してもエルサの魔法眼を誤魔化すことができず、僕たちが気付いてしまった。


 だから、咆哮で威嚇をしてきたのだろう。それは「この場を去れ」という警告だったのかもしれない。感じたプレッシャーの強さだけでなんとかなると、そこでも僕は間違いを犯した。


 それは、アースドラゴンの全力ではなかったというのに、何が心地よい感覚だよ! と先程感じた僕の感覚のおかしさに反吐が出る。


 意識が朦朧もうろうとするなか、早くこの場を離れなければという焦燥感に駆られる。それでも、力がまったく入らず身体がいうことをきかない。これはあちこちの骨が折れてしまっているからだろう。自分の身体を見下ろすと、やはり完全に左腕が本来曲がらない方向に曲がって出血していた。


 ああ、やばい……


 エルサとイルマが何やら叫び治癒魔法を掛けてくれているけど、何も聞こえない。唯一動かすことができた右腕で大粒の涙を流しているエルサの涙を拭いてあげようと思い、腕を伸ばしたときだった。


 視界が霞んでいくなか、アースドラゴンが首をもたげるのが見えた。その口元は青白く発光している。


 やめろ……やめてくれ……!


 気付いたときには、全てが遅かった。


 アースドラゴンが吐き出したブレスの青白い光が視界を塗り潰す。


 エルサ! イルマ!


 縋り付いている二人と共にブレスに呑まれ、そこで僕の意識は途絶えた。


 ――――コウヘイたちは決して気を抜いていた訳ではないし、彼はいつだって仲間を守るために気を張っていた。むしろ、内気でまったく自信がなかったコウヘイを知っているエルサとイルマは、いまのコウヘイのことを信じ、彼の強さに引き込まれていた。


 ただそれも、コウヘイの感覚が少し麻痺していたのかもしれない。慢心と言い換えてもいいほどに――


 内気なコウヘイにとって自信を持つことは良い傾向であるが、それは良くなかった。


 魔獣を相手にする冒険者という職業は、些細な気の緩みで簡単に命を散らす。油断していなくても、覆せない場面に遭遇するのが冒険者稼業でもある。


 それを覆してきたコウヘイたち。それに惹かれたエヴァ。


 が、


 アースドラゴにまったく歯が立たなかった結果が全てだった。


 皮肉にもエヴァが信じたコウヘイはその忠告を聞かず、同じ過ちを犯したのだった。

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