第056話 偽りの神託

 帝国城の謁見の間。


 オフィーリアの要望により、アイトルが必要最低限選出した者たち以外は、全員退出を余儀なくされた。


「よし、人払いは済んだ。堅苦しい謁見時の作法は忘れて良いぞ。立ち上がって面を上げるがよい」


 そう言われてオフィーリアは立ち上がった。


「ありがとうございます、陛下。早速ですが報告というのは……」

「うむ、申してみよ」


 言い淀むオフィーリアに対し、アイトルが先を促す。


「ラルフローランのダンジョンに中級魔族が現れるとの神託がございました」

「何だと!」

「……それは、テレサに新しく発見されたダンジョンのことか?」


 その内容を聞いたダリルが思わず叫び、そのダンジョンの場所を思い出して確認するようにアイトルが問うた。


「はい、そのダンジョンでございます」


 オフィーリアは、ダリルの反応を無視してアイトルにだけ答えた。

 その返答に、ダリルは天井を見上げて目を瞑り黙り込む。


「そうか……中級魔族が……」


 やっとの思いで、死の砂漠谷の中級魔族を先月打倒したばかりだというのに、新たな中級魔族出現の報を聞き、アイトルはそのあとの言葉が続かなかった。


「ですので、明日にでも勇者パーティーの派遣をお願いします」

「何! そんなに急ぐほどなのか? 神託で具体的な時期まではわからないと言うではないか」


 今までこれほどまで具体的な指示をオフィーリアから聞かされたことが無かったため、アイトルはハッとなって確認した。


「実は、死の砂漠谷で魔獣の乱あるとき、それは陽動で真の目的は中級魔族がテレサ周辺を荒らす、というのが神託の内容にございます」

「それは誠か!」

「左様でございます」


 それならば疑いようがない。

 既にマルーン王国を襲う魔獣騒動が起こっていた。

 しかも、それが陽動だということにアイトルは歯噛みした。


「聖女殿、それなんだがな……」

「如何なされましたか、陛下」

「実は、勇者パーティーは、その死の砂漠谷の乱は既に起こっている。故に、マルーン王国から救援要請があってな。そちらへ向かってしまったのだ」

「それは……」


 驚かれると思ったアイトルであったが、オフィーリアは既にそれを知っているかのような反応だった。

 それに違和感を抱いていると、予期せね言葉が彼女から発せられた。


「それでしたら、わたくしがそちらへ参りましょう」


 予想だにしていなかったため、アイトルは沈黙してしまう。

 それは、周りに控えていた宰相のヴェールターもまた然り、各騎士団長たちは息を呑んだ。


「こう見えてもわたくしは光魔法を極めています。かの電撃魔法も使用可能です。襲撃によって傷ついたマルーン王国の民の傷も治癒魔法によって癒すことが可能です。どうか、数名の騎士をお貸いただけないでしょうか。さすれば、勇者パーティーの代わりとまではなり得ませんが、救援依頼を達成でき、帝国の面子も保てることでしょう」


 アイトルが何も言わないことを良いことに、その反応を待たずにオフィーリアは自分の考えを一気に伝える。

 まるで、はじめから用意された台本のセリフのように淀みなく。


 否――実際、これまでのところ、彼女が書き上げた台本の通りに事が進んでいる。


「その提案、どう思う?」


 アイトルは、すぐ傍に控えていた、ヴェールターに耳打ちする。


「良きお考えに思えます」

「で、あるか……」


 アイトル自身もその提案を悪いとは思わなかった。


 しかし、何かが引っかって素直にその提案に乗れなかった。


 しばしの間、謁見の間を静寂が包む。


 オフィーリアの提案をアイトルが頭の中で何度も反芻したために生まれた静寂。


 マルーン王国への面子を保てたとしても、万が一聖女に何かあれば、デミウルゴス神皇国への言い訳が立たぬ。


 いや、勇者パーティーが既にマルーン王国の王都に到着したという報告を二日前に受けている。

 それであれば、魔獣と今頃戦闘しているやもしれない。


 魔族の姿は無いと聞いているから、数日もすれば魔獣くらい殲滅可能だろう。

 明日帝都をワイバーンで出立したとすれば、二日も掛かるまい。

 それであれば聖女が何かやるにしても……戦後処理程度で済むだろうな。


 などと、アイトルは、オフィーリアを死の砂漠谷へ向かわせた場合のリスク計算をしていた。


 それにしても、聖女から帝国の面子などといった言葉が出るとはな……何を考えているのだ、と猜疑心が生まれ始めたとき、そのオフィーリアと目が合った。


 不自然なほどに人を魅了するその一際大きなコバルトブルーの瞳には、一切の陰りも無かった。


 それでハッとなったアイトルは、「いかんいかん」とかぶりを振った。


 今は速度が重要だな、と決断する。


 静寂を生んだのがアイトルであれば、それを壊すのもアイトルであった。


 決断してからは、矢継ぎ早に命令を下す。


「エミリアン団長」

「はっ」


 名前を呼ばれたのは、翼竜騎士団のエミリアン・デュナン団長。


 栗色の短髪に茶色の瞳で一般的な帝国人の容姿。

 ただ、鍛え上げられた身体にフルプレート姿で四角い大きな顔のため、白銀のゴーレムが膝を着き命令が下るのを待っているようにも見える。


「お主の翼竜騎士団は、二個小隊で聖女殿を護衛しながら死の砂漠谷へと向かえ。そして、勇者パーティーを一個分隊で連れ帰り、残りは現地部隊と合流してお主が魔獣殲滅の指揮を引き継ぐように」

「はっ」

「ダリルは、残りの二四〇名をお主の部隊に編入させ、明朝テレサへ向かえ」

「……承知しました」


 ダリルは地方領主にしてはかなり珍しく、一個分隊と少ないのだが、ワイバーン部隊を有していた。


 圧倒的な実力と移動手段を自前で持っていたこともあり、マルーン王国の救援依頼の先発隊である勇者パーティーに続く後詰めの総大将として、ダリルはこの度招集されていた。


 しかし、エミリアンの翼竜騎士団に、「付いて行けばいいや」と考えていたため、自分の領地防衛のためとはいえ、その翼竜騎士団の騎士たちを連れて行く羽目になり、観念したように返答した。


 思い出したようにアイトルがエミリアンへ命令を付け加える。


「ああ、当然ダリルと共に行く方にモーラ嬢の部隊をつけるように」

「はっ、承知しております」


 当たり前のように返答したエミリアンは、ダリルに向けてウィンクした。


 エミリアンは、ダリルと同じ三〇代後半と若いのだが、四角い大きな顔にLマトンチョップの髭面で岩肌のようにゴツゴツとしており、そのウィンクはぎこちなかった。


 ダリルは、そのウィンクを見て苦笑いし頷き、心の内では、「ありがとな」とエミリアンに感謝を述べた。


 モーラ嬢とは、弱冠一九歳にして翼竜騎士団のエース的存在のダリルの娘のことである。

 彼女が得意とする広範囲魔法は、魔獣殲滅向きなのだが、中級魔族が出現したとなると下級魔族も多数いると思われる。


 アイトルはそうした理由の他に、やはり親子は一緒の方が良いだろうとも気を使ったのである。


 普段は厳格な皇帝らしく厳しい命令をすることもあるが、このような心優しい一面も兼ね備えている。


 それに故郷が魔族の危機にさらされているときに、正反対の、しかも他国の援軍へ向かっても、モーラの気持ち的に本領を発揮できない恐れもあるため、アイトルは総合的に判断したのであった。


 そして、エミリアンが出立の準備のために謁見の間を退出しようとしたとき。


「恐れながらも陛下、事は急を要します。できれば今すぐにでも向かいたいのですが」


 帝都サダラーンから死の砂漠谷に近いマルーン王国の城塞都市――パルジャの町までは、馬をダメにする覚悟で無茶をすれば馬車で一〇日間、ふつうなら約二週間の距離である。


 そのため、急ぐ必要があると判断したアイトルは、ワイバーンであれば二日で到着できるため、翼竜騎士団を派遣することにしたのだが、明日の出発では遅いとオフィーリアは言うのだった。


 やはり聖女というのは勇者パーティーしか信じておらぬのだろうか。

 急ぐと言っても、今出ても明日出ても半日も変わらないと思うが……仕方ない。


 思うところがありつつもアイトルは、今は大人しくオフィーリアの要望を叶えるために命令を変更することにした。


「そうか……エミリアン団長、先の命令を一部取り消す。特に操縦の上手い者で一個分隊を編成し、準備ができ次第聖女殿を連れてパルジャまで向かわせろ。お主は、テレサへ向かう部隊を引き続き指揮しろ」

「はっ」


 今度こそエミリアンは、編成準備のために謁見の間を退出し、それを追うようにオフィーリアも謁見の間を足早に退出した。


 その行動は、誰もが呼び止めることができなかったほどに素早かった。


「……陛下?」


 エミリアンとオフィーリアが出て行った扉を見つめたまま、アイトルが茫然としているのを怪訝に思い、ダリルが声を掛ける。


「ん、ああ……それほど急ぎなのか?」

「出て行ってしまわれたのですからそうなのでしょうね。ただ、表情からは何ともわかりませんでしたが……」


 オフィーリアの行動に疑問を抱いた者はアイトル以外いなかった。

 ただ、みな同様に呆気に取られていた。


 そもそも神と意思疎通できる聖女をふつうの物差しで比較しても意味がないため、変わっていると感じても疑うことはない。


 そのあとは、謁見の間に残った者たちでテレサ防衛の部隊編成を打ち合わせた。


 その結果、ジェフロワ・フォン・ジェローム団長率いる蒼穹騎士団三〇〇名と、ヘネシー・フォン・ラティマー団長率いる蒼天魔法騎士団三〇〇名を準備ができ次第、テレサの町へ配備することにした。


 更に、ガイスト辺境伯へ要請し、一個旅団を派遣してもらうことも決まった。


 勇者パーティーが到着するまでの間、総勢五千名の五個連隊規模で、中級魔族を迎え撃つことになった。


◆◆◆◆


「神々は我らを試しているのだろうか……」

「神が、ですか?」


 アイトルが謁見の間での出来事を思い返し、誰にいう訳でもなくそう呟くと、傍に控えていたダリルがそれを拾った。


 アイトルは、その声にチラッとダリルの方を振り返ってから、再び帝都を見下ろすように視線を戻し、バルコニーの手摺に両手をつく。


「うむ。五年前の勇者パーティー全滅、新たに我が国で召喚された勇者たちがその仇である中級魔族を倒した矢先の魔獣の襲撃……しかも、それが陽動だと言うではないか」


 今まで積極的に魔族が積極的に攻めてきたことは無かった。

 前回の勇者パーティー全滅は、いわば返り討ちにあっただけである。


 それが、魔獣を操り戦力を分散させ、魔族領から遠く離れた地に襲撃してくるという事態が発生した。


 テレサ周辺が魔族の襲撃で壊滅でもすれば、敵対国であるバステウス連邦王国にすきを突かれかねない。


 かの国がこの期間中も着実に軍備を増強していることを諜報部隊の報告でアイトルは知っている。


 いくら不可侵条約を締結していても侮れない。


 周辺国家の不興を買うことになったとしても、得られる利が大きければバステウス連邦王国は、間違いなく行動を起こす。


「いったい、いったい何が起きているというのだ……」

「陛下、それは私が直接確かめてみますよ。折角陛下より賜ったテレサを易々と魔族どもの好きにはさせません」

「うむ、そうであったな。我が友、ダリルよ」

「はい、任せて下さい」


 心強いダリルのセリフにアイトルは、ひとしきり頷いて満足そうに笑った。


 しかし、内心では中級魔族を相手して無事でいられるはずがないと心配していた。


 勇者パーティーが到着するまで、決して無茶だけはしてくれるなよ、とアイトルは言おうとしたが、力強い眼差しを向けてくるダリルの双眸を見て、その言葉を飲み込むのだった。

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