第055話 賢帝の憂い

 デミウルゴス神歴八四六年――七月一五日。


 西日が帝都の町並みを夕焼け色に染める時間帯。


 サーデン帝国――帝都のサダラーン城のある一室。

 本や書類の山で埋もれそうな机に両肘を着き、組んだ両手に顎を乗せ、何やら悩んでいる様子の男がいた。


 その男は、帝国城だけではなくサーデン帝国の主、アイトル・フォン・サダラーン・サーデン皇帝その人であった。


 アイトルは、四〇を少し超えたくらいの年齢にも拘わらず、その金髪には白髪が目立ち始めている。

 大国を導くための政務に追われ、疲労からか顔には深い皺と目の下にクマができていたが、その青色に輝く瞳には活力が漲っていた。


 アイトルは、組んでいた手を崩し、右手をグラスへとのばす。

 その酒で満たされたグラスをゆっくりと傾けつつ、正面に座る男へ細めた目を向けて聞いた。


「ダリルよ……どう思う?」


 ダリルと呼ばれた男は、手に持ったグラスの酒を一気に飲み干してから答える。


「どう思うも何も、陛下。彼女がそう言うのだからそうなのでしょう」


 彼は、コウヘイたちが新たに拠点としたテレサの領主、ダリル・フォン・フォックスマン・テレサ男爵。


 短く刈り込んだ栗色の髪に、茶色の瞳と一般的な帝国人の見た目だが、帝国中に広まっている武勇伝と精悍な顔立ちから女性ファンが多い。


「ふん、おまえらしい答えだな。人を疑わぬ真っ直ぐな性格は清々しいが、その性格では良いように操られて終いだぞ」


 アイトルは、ダリルの返答を鼻で笑って褒めつつも、最後は非難して冷たい視線を向ける。


「そもそも私は帝国騎士です。戦うのが本分であって、まつりごとは陛下にお任せしますよ」


 ダリルは、そんな非難をものともせず、本来の自分の役割を伝える。


 今では男爵の位を拝してはいるが、元々は生粋の武人であり、戦場で戦うことを本分にする騎士家系の出なのである。


 今は、バステウス連邦王国との戦争が停戦となり、その能力を発揮する機会がないだけで、歴代最年少で近衛騎士団長の要職にも就いたほどの凄腕剣士だ。


「テレサを見ればお判りでしょう、陛下。私にはそういった才は無いのですよ」


 遠い目をしながら言う様は、どこか悲しげだった。


「陛下から賜った領地も、一五年経ちようやく町と言えるようになったんです。しかも、ダンジョン発見が無かったらそれも疑わしいのです」


 先のバステウス連邦王国との戦争での功績から領地を下賜されたものの、ダンジョンが発見されるまでのテレサは、貧村も良いところだった。


「ふむ……」

「それに、ダンジョン発見だって正直ラルフと娘の功績です。私は何もしておりません。ただ、娘の……ローラの望み通り騎士団結成を許し、森での訓練を許可したまでです」

「そうか……」


 アイトルは、ダリルを一瞥してから彼の空になったグラスへワインボトルを傾ける。

 赤が鮮やかな中身がトクントクンと注がれ、そのグラスを赤で満たした。


 そのグラスを掴みダリルは、口元へ持っていき、


「でも、これからは私の領域です。何物にも邪魔はさせませんよ」


 と言い切るなり、一気にグラスを傾けあっさりとその中身が空になった。


「それも、そうだな……」


 アイトルは立ち上がり、バルコニーへと向かう。


 扉を開け放つと、初夏の生温い風が彼の頬を撫で、左肩だけに止め付けられた真紅の肩マントがたなびく。


 その風は部屋の中までやってきて、いたずらに机の上の書類を数枚散らし、ダリルがそれを拾い集める。


 アイトルは、それを気に掛けることもしない。

 彼の意識は、別の場所へ行っていたのだ。


「何事も無ければよいのだが……」


 アイトルは、一抹の不安を胸に抱きながら、眼下に広がる帝都を眺め、先程の謁見の間でのやり取りを思い起こすのであった。


◆◆◆◆


 死の砂漠谷を間に挟み、魔族領と国境を接しているマルーン王国から援軍要請を受けて一一日が過ぎた今朝。


 デミウルゴス神皇国から聖女訪問を知らせるマジックウインドウ通信があった。


 聖女訪問の知らせを朝食中に受けたアイトルは、死の砂漠谷のことだろうかと考えたが、それにしても遅すぎるとも思った。


 さて、此度の訪問は何が目的だろうか、とアイトルは、謁見の間の玉座に座りながら聖女が姿を現すのを待った。


「デミウルゴス神皇国、聖女オフィーリア様のご入場」


 オフィーリアの入場を知らせる儀仗兵の声が謁見の間に響くと、脇に控えた家臣団が身を正し始める。

 それからすぐ扉が開き、真っ白な祭服に身を包んだオフィーリアが、俯きながら静々と入場してきた。


 玉座から五メートルほど距離まで来たところで立ち止まり、そのまま跪いた。


「遠路遥々よくぞ参った。息災か?」


 アイトルの問いに、オフィーリアは答えない。


「よい。発言を許可する」

「はい、おかげさまで無事息災です」


 お決まりの遣り取りをしたあと、アイトルは本題へ進む。


「して、此度の訪問。マジックウインドウでは直接報告したいことがあると聞いておるが、間違いないか?」

「左様でございます」

「ふうむ。その内容とは何か?」


 聖女オフィーリアは、俯いたまま顔を左右へ少し動かし、辺りの様子を窺う素振りを見せた。


 それを怪訝に思ったアイトルがオフィーリアに問う。


「如何した」

「陛下、恐れながらも人払いをお願いします」


 問われたオフィーリアは、躊躇することすらせずに、サラッとそんな要望を言ってのけた。


 お願いできるか、ではなく、お願いすると言ったオフィーリアを見やり、アイトルは逡巡しゅんじゅんする。


 この場に居るのは、帝国の主要人物だぞ。そんなに秘密にしたい内容なのか? とアイトルは脳をフル回転させ、その真意を探る。


「ヴェールター宰相と各騎士団の団長だけは残して構わないか? ああ、あとテレサ男爵もだな」

「テレサ男爵? はい、構いません」

「ふむ、わかった。みなの者聞いたな。該当者以外は退出するように」

「「「「「「ははあっ!」」」」」」


 何故だ? 死の砂漠谷の魔獣襲撃関連ではないのか?

 増援予定のダリルと各騎士団長にも同席させようと思っただけなのだが……と、オフィーリアの反応にアイトルは少し困惑した。


 一方、人払いで退出を余儀なくされた貴族たちの中には、テレサ男爵を態々一瞥してから退出する者もいた。


 アイトルとしては意味があって残留組にしたのだが、そんな皇帝の考えを知らない貴族からしたら面白くなかった。


 帝国最強と囁かれるダリルの実力どころか、実績を知らない者はいないが、所詮彼は男爵である。


 それにも拘らず、皇帝に近いポジションにいる彼を見れば、当然誰しもが羨む。


 要は、やっかみからである。


 そうした貴族たちからの悪意ある視線に気付いたダリルは、頬をかきながら気付いていないふりを通した。


 どうもきな臭いことになりそうだな、とダリルは、オフィーリアの様子を窺うが、ダリルが立っている位置からは、俯いた彼女の表情が見えず、判断のしようがなかった。


 これから告げられる事実に、その場に居る全員が驚愕することとなる。

 とりわけダリルにとって他人ごとではなかった。


 辺境の町――テレサの領主であるダリルは、再び英雄になる必要があったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る