第035話 強敵を前にして
五階層に到着するなりコウヘイとエルサの二人は、空気の異変に気付き、その足を止めた。
イルマは、それに気付かず、そのままコウヘイの脇を通りすぎた。
そこは、今までの階層とならん変わりないゴツゴツした岩肌の通路で、微かだが光苔が
僕を追い越したイルマが立ち止まり、振り返った。
「どうしたんじゃ?」
その表情は、不審そうに曇っていたけど、明らかな空気の変化に気を取られた僕は、その相手をする余裕がなかった。
「こ、これは……」
五階層に着いた途端、その変化を実感した。
それは、空気が変わったと瞬時に気付くほどの濃密な魔力だった。
「コウヘイも感じる?」
「う、うん……」
そういう聞き方するということは、エルサも感じているのだろう。
いや、エルサの場合は、魔法眼のスキル効果で、それが視覚的に見えているのかもしれない。
何故、僕が魔力を感じられるようになったのかは定かではない。
それでも、魔力吸収スキルの影響であることだけは、嫌でも予想がついた。
今まで、魔力がどのようなものか体感したことがなかった。
奴隷商で空気中を漂うエネルギーのようなものを感じ、それを魔力だと認識した。
それ以来、意識さえすれば大気中の魔力を辿れるようになったのだ。
だから、意識をしていないのに感じるこの感覚から、空気中に占める魔力が多いのだろうと思った。
早速それを取り込むように意識すると、身体の中へ魔力が流れ込むのを感じ、身体がぽかぽかとしてきた。
「やっぱり、そうだよ……これ」
実際に魔力を吸収して確証を得た僕は、エルサとイルマを順繰りに見た。
それに同意するようにエルサが頷いたけど、イルマはポカンとしており、
「おいっ、わしだけをおいていくなっ。わしにもわかるように説明せんか!」
と、大声で迫ってきた。
「イルマは感じないの?」
「だから何をじゃっ!」
その反応から、やっぱり、イルマにはこの魔力を感じ取れないようだった。
自分だけが取り残されていることに、かなりご立腹のようで地団駄を踏んだ。
「大気中に魔力が溢れているんだ」
そうとしか表現できなかった。
「魔力じゃと? うーむ、悔しいがわしには感じ取れないのじゃ」
イルマは、その魔力を感じようと目を瞑ったりしていたけど、結局、イルマがそれを感じ取ることはできなかった。
「もしかしたらじゃが、マナスポットが発生しているのかもしれんのう」
「マナスポット?」
「うむ、わかり易く言い換えると、魔力溜まりじゃな。正に濃密な魔力が発生している場所のことで、魔力を持つ者なら一般人でも違和感を感じられるほどなんじゃよ。じゃが、そういう場所には、魔獣が沢山いるから注意が必要なんじゃ」
イルマが知識を披露してそう説明してくれ、今まで以上に注意して進むことにした。
そのまま進み続けて一〇分ほど歩いたけど、変わったことはなかった。
むしろ、沢山の魔獣どころかゴブリン一匹すら姿を見せない。
その点では今までと変わっていたけど、相変わらず洞窟らしい換気されていない生温い空気が肌に纏わり付き、カビ臭い不快な臭いが鼻を突いてくる。
地図を確認しながら先に進むこと、更に五分。
「む、もしや魔力の濃度が濃くなっておらんか?」
「ん? ああ、確かにそう言われれば、そんな気がしなくもないけど――」
「いや、確かじゃ。わしにも感じられるようになってきたぞ」
僕はいまいち感じられなかったけど、イルマも大気中の魔力を感じたらしい。
「うん、確かに濃くなってるかも。さっきまで漂っていたのが、奥の方から流れるようにこっちに来てるのが見えるよ」
エルサは、魔法眼で魔力の動きが見えるため、その魔力が流れてくる元であろう洞窟の先の暗闇を指さし、教えてくれた。
「この先は、ちょっとした広間になっているみたい」
地図で確認したところ、円形の広い空間になっているようだった。
低層の五階層までは、ほぼ完全にマッピングされているため間違いようがない。
ダンジョンは、一本道ではなく、幾重にも延びたアリの巣のようになっている。
今までゴブリン一匹すら出てきていないのは、恐らく横道のどこかに潜んでいただけかもしれない。
途中、横道も確認するかどうか話し合ったけど、五階層の終着点まで行くことにしていたため、それらを無視して進んでいる。
そして、広間の入口までやって来た。
「ああ、これはヤバいかもしれないね……」
今までは、広くても精々横幅五メートル、天井高さ三メートルくらいで、広めの通路と言っても差し支えない程度だった。
しかし、目の前の広間は、歪な円形状になっており、その直径は五〇メートルはありそうで、高さも一〇メートルはあった。
壁には松明が設置され、かがり火が辺りを明るく照らしており、トーチの魔法を必要としないほどに明るかった。
その中央に目を向けると、ゴブリンのくせに鉄製の鎧といった重厚な装備に身を包んだゴブリンたちが一〇匹。
更に、そのゴブリンたちに囲まれるように、オークほどの身の丈三メートルはあろうかという、一際大柄なゴブリンが一頭いた。
「ゴブリンジェネラルだ……」
僕がそう言うと、どちらかわからなかったけど、喉が鳴るのが後ろから聞こえてきた。
「ど、どうする?」
「どうするも何も、討伐するしかないじゃろう。あやつがダンジョンから出てきたら入口の兵士だけじゃ抑えられんぞ」
「そ、そうだよね……」
そう答えつつも僕は、少し躊躇していた。
その理由は、ゴブリンジェネラルの討伐ランクが高いからだ。
一般的に、ゴブリンは下級魔獣として扱われており、ロックランクどころか大人であれば、ゴブリン一匹なら大した脅威じゃない。
ただ、ゴブリンの場合は、群れるため脅威度が数によって変動する。
一般的に、一〇匹を超えた集団に遭遇した場合は、カッパーランクの冒険者一人では逃げる他ない。
シールバーランクの冒険者でさえ、バランスよくパーティーロールが揃っていないと、二、三〇匹と群れられてしまうと、数に押されて壊滅してしまう。
数を考慮するときりがないので、単体でいうと、
ゴブリンは、ロックランク。
武器を持ったゴブリンソルジャーは、アイアンランク。
魔法を扱うゴブリンシャーマンは、カッパーからシルバーランク。
問題のゴブリンジェネラルは、飛びぬけてミスリルランク魔獣といわれている。
勇者パーティーにいたときでさえ戦ったことのない魔獣である。
僕たちで倒せるのだろうか……いや、無理だ。
僕は、心配になり心の中で自問自答する。
「イルマ、倒すって言っても、ふつうはどれくらいの戦力で挑むものなのかな?」
自信がなくなった僕は、僕らだけで倒す気満々のイルマに念のため確認した。
「そうじゃな……できればミスリルランク冒険者は最低でも四人、ゴールドランク冒険者なら二〇人といったところじゃのう」
「にっ、じゅううにん……」
危うく大声を出しそうになった僕は、慌てて口を両手で押さえた。
ゴブリンジェネラルたちに気付かれていないかそちらに目をやったけど、何かを議論しているのか、輪になって聞くにも堪えないようなうめき声を出しながら、話し込んでいる様子のままだった。
イルマは、相変わらず倒す気満々の様子である。
エルサに至っては、何か気になるのか辺りをキョロキョロと落ち着かない様子。
これは、一旦テレサに戻って、ラルフさんに相談するしかないかもしれない。
ゴブリンたちの不快な鳴き声を耳にしながら、早くこの場を去りたいという焦りの気持ちばかりが募る。
僕は、パーティーのリーダーとして決断を口にする。
「よし、一旦戻ろう」
そう宣言し、来た道を戻ろうとする。
「な、いきなりどうしたのじゃ」
イルマが慌てた様子で追いかけ隣に来て、僕の顔を覗き込んできた。
「だ、だってゴールドランク二〇人分の戦力を集めるには、ラルフさんに相談しないと……ファビオさん以外にもゴールドランクがいるかもしれないし、シルバーランクでもこの広さがあれば大人数で囲めるでしょ」
ゴブリンジェネラル討伐に必要な戦力を聞いた僕は、とてもじゃないけど平常心ではいられなかった。
テレサにいる冒険者がどれくらいいるかはわからない。
でも、ダンジョンで有名になった町だから、それなりにはいるはずだ。
そうやって、僕が自分の考えを言いながら、来た道へとずんずん戻って行く。
が、イルマが僕の腕を取ってその進行を妨げる。
「ま、待つのじゃ。あれは、一般的な集落での話じゃよ」
「集落?」
僕は、立ち止まり、そうイルマに聞き返す。
「そうじゃよ。ゴブリンジェネラルは集落からの突然変異じゃ。進化といっても良いじゃろう」
「何の話?」
話が見えない僕は、また聞き返す。
「ゴブリンの住処は洞窟等薄暗い場所がほとんどじゃ。そこには様々な役割の部屋があっての。寝床以外にも食糧庫とかあるのじゃ。そこをヒューマンたちと同じように担当のゴブリンが管理し、外に獲物を取りに行く兵士の役割もある」
そのことは、僕だって知っていたけど、辛抱強くイルマの説明に耳を傾けた。
「ゴブリンたちからすると外敵である冒険者たちが少ない場所では、その数が急激に増える。すると、稀に強力な個体が生まれるのじゃ。それがもっぱら――」
「だから何が言いたいのさ」
僕もあまり人のことを言えないけど、イルマは説明が下手だった。
我慢して長々とイルマの説明を聞いた僕は、その内容を整理する。
「つまり、数百匹のゴブリンたちの中から、戦闘で強くなったリーダー的存在が現れて。更に戦闘で生き残り続けたそいつが、進化してあんなに大きくて強いゴブリンジェネラルになったってことだよね?」
「うむ、そう同じことを言ったではないか」
いや、あの長々とした説明と今の数秒の話を同じと言ってほしくない。
「それで、ゴブリンジェネラルは、その数百のゴブリンたちに守られているから、さっきイルマが言っていた冒険者のランクと数が必要なんだね」
「そうじゃな」
イルマは、僕が理解したことで、満足げにしきりに頷いている。
これで納得がいった。
「それで、今の状況だとどれくらいなの」
広間にいるのは、ゴブリンジェネラル一頭とゴブリンソルジャー一〇匹だ。
「そうじゃな、ゴールドランクなら一五人程度じゃな」
「それって、あんまり変わってなくない?」
二〇人から五人減っただけだった。
何故、それで引き留めたんだよ。
僕は、わざとらしくジト目でイルマを見たけど、イルマは何処吹く風である。
「えー、帰ろうよ。僕は勝てる気がしないんだけど」
そう弱腰の僕の言葉を聞いて、イルマがクツクツ喉を鳴らして笑い始めた。
「ど、どうしたんだよ」
そんな不穏な様子に、僕は身構えた。
「アダマンタイトだったらどうじゃ?」
「え?」
「だからアダマンタイトの冒険者だったら、何人必要だと思うのじゃ?」
イルマが悪戯な笑みを浮かべ、意味深な質問をしてきた。
今のこの状況で、何故アダマンタイト冒険者が関係があるのだろうか。
「最高位のランクだからそりゃ一人か二人じゃないの? それがどうしたのさ」
「そうじゃな、
何故か、「最高位のランク」の部分を強調してきた。
「ん? 最高位のランク……あっ」
「うむ、うむ、どうじゃ。心配なかろうて」
僕は、何か引っかかりを覚えて、そして気が付いた。
その反応を見たイルマが満足そうに頷いている。
どうしてこんな風に勿体ぶった言い方しかできないんだろうか。
ラルフさんに早く脅威を伝えなければ、と焦っていた僕の気持ちを
「そうかそうか、ラルフさんに伝えてアダマンタイト冒険者を依頼しないと」
と、真剣な面持ちで言ってやった。
「え、あ、いや、そうじゃなくてじゃな……って、コウヘイ!」
僕の言葉に慌てた様子のイルマだったけど、ニヤリと笑っている僕を見て、
「気付いておるの?」
と、苦虫を潰したような顔をした。
僕は、その様子がおかしくて、思わず軽く噴き出してしまった。
「いやあ、ごめん、ごめん。でも、ランク的にどうだったのさ。アリエッタさんから何か言われたの?」
「うむ、ミスリルランクへのランクアップ試験を受けられるそうじゃ」
イルマは、当時ゴールドランクが最高ランクの時代でゴールドランク冒険者だった。
アリエッタさんの説明では、厳密に言うと違うらしいけど、今でいうアダマンタイトの冒険者と同位であると教えてくれた。
それに、イルマがさっきゴブリンジェネラル討伐に必要な戦力を言ったことから、過去に討伐経験でもあったのだろう。
「まあ、今はコウヘイたちを待つつもりじゃがな。それに、ゴブリンジェネラルなら昔に討伐したこともあるし、心配ないじゃろう。わしに任せておれ」
やはり、僕の睨んだ通りで、それを聞いて安心した。
――――先ほどまで弱気になっていたコウヘイだが、イルマのおかげでいつも通りのコウヘイに戻れたようであった。
むしろ、イルマをからかう余裕すらあったコウヘイは、自分でも気付かないうちに成長していた。
ただ、ゴブリンジェネラルを倒せるかどうかは、別問題である。
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