第032話 紡がれた運命の糸
コウヘイたちが、自室で懐かしい味に舌鼓をうち、パーティー名をどうするかなどの話で盛り上がっているころ。
デミウルゴス神皇国、大神殿の一角にある礼拝堂に、神々に祈りを捧げる白い祭服に身を包んだ例の少女の姿があった。
静寂に包まれたその少女の名は、オフィーリア。
正に、コウヘイたちが、この大陸に召喚される原因となった勇者召喚の神託を受けた聖女、その人であった。
しかし、名前、神々への祈り、そして神託の内容は、全て――
偽りだった。
オフェリア・パオレッティ――それが聖女オフィーリアの本名だった。
当然、オフェリアは、聖女どころかヒューマンですらない。
魔族領の中で、アドヴァンスド四家と呼ばれるパオレッティ家の当主で、ヒューマンたちの認識でいうところの上級魔族である。
更に、祈りを捧げる行為は、魔王ドランマルヌスへの連絡回線を繋ぎ、魔王から命令を受け取ったり、報告をするための
ただ、魔王も忙しいらしく、いくら回線を繋げて呼びかけても出ないことが多い。
何か月も連絡がつかないときは、オフェリア自らがでっち上げた内容を、神託として教皇に伝えているのだった。
どちらが考えた内容にしろ、ヒューマンたちは、魔人の言葉を神託として信じ疑わない。
「オフェリア様」
白に支配された礼拝堂に、場違いなほど真っ黒な衣装に身を包んだファーガルが、
「あら、どうしたのかしら?」
ファーガルから名前を呼ばれたオフェリアは、立ち上がり、彼を見下ろした。
今回も魔王ドランマルヌスとは、連絡がつかなかったようである。
ファーガルは、一見恐怖心に身を震わせているようにも見えるが、それは忠誠心が同居した畏怖の感情からだった。
「報告したき儀がございます」
「コウヘイを始末できたということかしら?」
ファーガルは、一度コウヘイの暗殺に失敗しており、色々と事情があるにはあるが、今彼の命があるのは、オフェリアの完全なる気まぐれからであった。
そのため、定期報告以外で、態々報告に来たファーガルを見やり、コウヘイ絡みだろうとオフェリアは、笑みを浮かべてみせたのだった。
が、
「それが、勇者パーティーが死の砂漠谷へ進軍しているとの情報を得まして……」
「なんですって!」
その報告の内容を聞いたオフェリアは、思わず大声を出してしまった。
しまった! と、オフェリアは後悔したが、遅かった。
ファーガルが、その怒気を含んだ力の波動に気が遠のくのをなんとか堪えていると。
「オフィーリア様、如何されましたか?」
礼拝堂の扉越しから、彼女の無事を確認するくぐもった声がした。
聖女オフィーリアが祈りを捧げている間、護衛の聖騎士が扉の向こう側で待機するのが通例となっている。
「だ、大丈夫ですわ。お喜びになって。神託が下ったの」
オフェリアは、苦し紛れにそう言って誤魔化すしかなかった。
「なんと! 私は、教皇様への使いを出して参りますので、暫しそのままお待ちを」
そう言って聖騎士たちがカチャカチャと音をさせて駆けていくのが聞こえ、次第にその音は聞こえなくなり無音となる。
聖騎士の仕事は聖女の警護のはずなのに、足音の数からして、二人とも駆けて行ってしまったようだ。
どうやら、久し振りの神託に、聖騎士たちも浮かれてしまったのだ。
ただ、今回はそれが幸いした。
足音が遠ざかるのを確認し、オフェリアは視線を扉からファーガルへと戻した。
「はあ、それで……目的まで掴めているのかしら」
オフェリアは、ため息交じりでファーガルに問うた。
「はっ、内乱に因り魔獣の統制が乱れ、マルーン王国を魔獣たちが襲い始めたようでして、サーデン帝国に救援依頼が入ったとのこです」
それを聞いたオフェリアは、考え事をするように瞼を閉じて腕組みをした。
魔獣災害扱いで派遣されたってところかしら。
魔族領への進軍ではないのがせめてもの救いだけど……
聖女を演じていたオフェリアは、勇者が派遣されるときの基準やらをよく把握していた。
だから、ファーガルの報告の内容から、目的地があくまで死の砂漠谷であり、魔族領への進軍でないことに安堵した。
それでも厄介なのには変わりがない。
「クソッタレめっ」
教会の人間がそれを聞いたら、みな揃って卒倒するに違いない。
聖女オフィーリアの可憐さが完全に消え去り、顔を歪め目が苛立ちで吊り上っており、完全に魔人オフェリアの顔になっている。
白目の部分まで真っ黒に染まっており、その黒は、闇をも飲み込むほどである。
ファーガルは、何も言わずに、主人から命令が下るのをひたすら待った。
「ファーガルっ」
「はっ」
「死の砂漠谷へは私が直接行くわ。あなたは――」
それを聞いたファーガルは、オフェリアが言い終わらないうちに、思わず言葉を挟んだ。
「恐れながらもオフェリア様自ら行かずとも、このファーガルめに命じていただければ、勇者パーティーを撃退してみせましょう」
先の失敗の汚名返上とばかりに、その瞳に力を込めて進言した。
オフェリアは、一瞬沈黙し、ファーガルを見つめてから
「それも考えたわ。でも、ドーファンのこともあるし、今ここであなたを失うわけにはいかないのよ」
「な、なんと勿体なきお言葉……ぐっ」
オフェリア様からこのような言葉を賜るとは思わなかった、とファーガルは、思わず嬉しさのあまり涙を流した。
「あらあら、泣くことないじゃないの。インターミディエイトたるあなたらしくない」
オフェリアは、内心では、別のことを考えていた。
この程度の気遣いを見せたくらいで何で泣くのよ!
そんなに私って怖いのかしら?
オフェリアは、自分が放つ力の波動が、如何に下位の者にとって恐怖を感じさせているのかを、全くわかっていなかった。
「それよりもあなたには、別のことをお願いするわ。サーデン帝国の南の僻地に、ちょうど良い具合にダンジョン化した洞窟があるの」
オフェリアは、ニヤリと笑い、前々から考えていたことを実行することにした。
「そこの魔獣の手綱を握り、その周辺のヒューマンたちを殲滅しなさい。そうすれば、帝国も他国に構っている余裕がなくなるはずよ。今は、一刻も早く勇者パーティーを魔族領から遠ざけなければ」
「はっ、必ずやご期待にそえる活躍をしてみせます」
「よろしい。任せたわよ」
「はっ」
ファーガルは、任務を遂行すべく素早くその場から姿を消した。
コウヘイがあのスキルに気付いてしまった今、ファーガルでは荷が重い――
そうオフェリアは、考えた訳だ。
現時点では、コウヘイがファーガルに勝てる可能性は、微塵もなかった。
ただ、勇者が行った先月の死の砂漠谷遠征の戦闘の様子を聞いていたオフェリアは、計算を誤った。
スキルを自覚していなかったコウヘイが、ドーファンの攻撃を耐え続けていたことを聞いたオフェリアは、当然、そのことに驚愕した。
本来、身体強化が使えない生身の人間とインターミディエイトを比較したら、虫と人間ほどの隔絶した差がある。
だから、執拗なまでにコウヘイを恐れた。
オフェリアは、コウヘイがここまで成熟する前に抹殺するつもりだった。
が、
そのことを魔王ドランマルヌスに報告したら、却下された。
理由を問い詰めても、「そのときが来ればわかる」の一点張りだった。
しかし、ここ最近、内乱の影響なのか、全く魔王ドランマルヌスと連絡が付かない。
だから、オフェリアの独断専行で、コウヘイの抹殺計画を実行へ移した。
むやみにヒューマンを襲うのは、魔王ドランマルヌスの意に反するが、そんな悠長なことは言っていられないオフェリアだった。
オフェリアは、魔人であることに誇りを持っており、下等種族であるヒューマンや亜人たちに攻められる事態を看過できないのである。
「謀反者のハデス家を討伐したあとに、私がいくらでもお叱りを受けましょう」
オフェリアは、聖女オフィーリアの姿に戻りながらも、勇者パーティーごとコウヘイを八つ裂きにする場面を想像し、氷の微笑を浮かべるのだった。
「先ずは、神託を理由にサーデン帝国へ行かねば」
オフェリアは、自分の計画が魔王ドランマルヌスを助けることになると、疑いもしていなかった。
コウヘイが勇者パーティーを追放されていた情報を掴んでいれば、結果が変わっただろう。
頼れる部下がファーガルしかいないオフェリアは、ヒューマンに身を潜めているツケがこんなところで表面化してしまうとは、露ほども想像していなかった。
更に、このオフェリアの暴走は、大陸を揺るがす事態へと発展していくのだった。
――――――
時を同じくして、とある屋敷の一室。
木製の扉がノックされ、爽やかな紅茶と甘ったるい甘味の匂いが充満する部屋に、乾いた音が響いた。
「どうぞ」
耳に心地よいソプラノの声が訪問者を歓迎した。
「失礼します」
膝の裏まで伸ばした蒼色の髪を揺らしながら入室したリディアは、銀色の瞳を光らせ一礼した。
「リディア、ご苦労様。一緒に紅茶はいかが?」
リディアを迎え入れた青みがかった黒髪のフィネンシアは、音もたてずにティーカップをソーサーへ戻し、リディアの方を見てポニーテールの髪を揺らした。
「……では、ご一緒させていただきます」
リディアは、その誘いに
「で、ほうだったんだい?」
フィネンシアとはまた別の青みがかった黒髪で、ショートのカジュアルストレートのミュラーは、クッキーを頬張りながらリディアに尋ねた。
まるで男の子のような見掛けだが、れっきとした女の子だ。
「こら、ミュラー。口に物を入れながら喋らないようにと、何度言えばわかるのかしら?」
「へーい」
リディアに注意されそう答えるも、ミュラーの顔には反省の色は窺えなかった。
「ミュラーにそれを言っても無駄……学習しないのは、昔から同じ……」
「とは言ってもだな、マニー」
「そうそう、マニーは流石だね。私のことわかってるぅ」
マニーは、他の落ち着いた髪色の三人とは違い、一人だけ明るい桃色の癖毛で、エレガンスな縦ロールにしている割には、とてもおっとりした話し方だった。
「それよりも、ミュラーが聞いた通り、どうだったの? もうそろそろかと思っているけど」
三人の遣り取りに耳を傾けながらも優雅に紅茶を楽しんでいたフィネンシアは、本題に入るようにリディアを促した。
「ああ、はい。お姉様の仰る通り……ガブリエルが魔王城を包囲したようです」
「そう……ついにこの時がきたのね」
リディアから報告を受けたフィネンシアは、覚悟をしていたものの動揺からか、ソーサーへカップを戻すときに、カチャリと音をさせ、俯いてしまった。
「いよいよですね、お姉様」
「うん」
「いよいよだね、お姉様」
「うん」
嬉々としたリディアとミュラーに答えたフィネンシアの声は、暗かった。
「後戻りは……もう」
それに気付いたマニーは、気遣うように再確認した。
「うん、わかってる」
フィネンシアは、覚悟を決め前を向いた。
「リディア、ミュラー、マニー。お父様の雄姿を見学しにでも行こうかしら」
「「「はい、お姉様」」」
その四人の少女は、魔王ドランマルヌスに反旗を翻したアドヴァンスド四家の一角を担うハデス家に生まれた、四つ子だった。
ただ、何やら企てている様子で、そのことには、父であるガブリエル・ハデスですら、全く気付いていない。
こうして、それぞれの思惑が気付かないうちに、絡み合い、こんがらがっていたそれが、この時を境に、急激に一本の運命の糸を紡いでいくのだった。
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