<3>
買い出しに行ったハンナが、慌てた様子で戻ってきた。勢いよく扉を開けて、強張った顔を巡らせる。
ダンジョン街で一番の高級宿泊所の一番高級な部屋に、フレアは滞在していた。ここにシモンとクラインも詰めて、ダンジョン管理組合の吸収計画を練っている。
「フレア様、お客さんがいらっしゃいました――」
そう言ったハンナの目は、どういうわけか主人ではなく、ソファに並んで座るシモンとクラインをつかまえていた。
何事かと身構えて、思わずシモンは腰を上げる。クラインは足組した姿勢のまま、鋭い視線を向けた。
「お客って、誰?」
「ミスミ先生です。それと、ダンジョン管理組合のタツカワ会長もごいっしょです」
その場にいる全員の目が、クラインに集まった。シモンは息を飲み、ゴクリとノドを鳴らす。
クラインとタツカワ会長の関係は、かつてパーティを組んでいた仲間としか聞いていない。だが、これまでの振る舞いから、ただならぬ因縁があることは肌で感じていた。
「大将が向こうから乗り込んできたか。どうするクラインさん、会いたくないなら奥の部屋で隠れててもいいよ」
「……いや、いい。遅かれ早かれ、いつかは対面しなきゃならないと思っていた。ここで会おう」
「よし、わかった」フレアは笑顔でうなずき、侍女に目配せする。「ハンナ、二人を案内して」
タツカワ会長と面談するのは、これがはじめてだ。シモンのみならず、さすがにフレアも少し緊張しているのか、懸命によれたエリを直していた。安穏とかまえることの多いフレアとしては、珍しく落ち着きがない。
ほどなくして、ハンナに連れられた二人が部屋にやって来る。
白衣こそまとっていないが、ミスミはボサボサ頭に無精ひげという変わらない姿。その後ろに、角ばった顔の大柄な男性がいる。年かさ以上の貫禄があり、底知れぬ威圧感もあったが、同時に不思議と気安い空気感も帯びている――ダンジョン管理組合の会長タツカワ・ショウジだ。
ピリリとした緊張を、クラインから感じる。
「すみません、急に押しかけちゃって」
「気にすることはないよ、ミスミ先生とはまた話したいと思ってた。それに――」
フレアは笑顔を崩すことなくタツカワ会長と相対する。タツカワ会長もほがらかな笑顔で、フレンドリーにフレアを迎えた。
「どうも、お嬢さん。いろいろと話は耳にしている。ダンジョン管理組合のタツカワだ」
「フレア・シフォールです。お見知りおきください」
大きな武骨な手が差し出され、フレアは悠々と応えた。内心の感情はわからないが、握手を交わす場面だけを切り取れば、お互い友好的に見える。
タツカワ会長は手短な挨拶を済ますと、くるりと首を曲げて視線を移す。そこにはフレアに向けたものとはまるで違う――ハッキリ言ってしまうと、底意地の悪い笑顔が浮かんでいた。
「よお、クライン、ひさしぶりだな。元気にしてたか?」
「お前は変わらないな、タツカワ……」
声をかけられた途端、クラインから敵意が湧き立つ。
「クラインのほうこそ変わらないじゃないか。少しは大人になっていると期待したが、ツンケンした態度は昔のままだな。ムダに老けたの顔だけか?」」
「うるせぇ、よけいなお世話だ!」
激高したクラインは、ツバを飛ばして文句を吐く。
いつもは冷静沈着なクラインが、タツカワ会長と対すると、こらえ性のない子供のような態度を取った。この空間だけ、まるで彼らが冒険者だった当時に戻ったようだ。
これにはシモンだけでなく、フレアもハンナも目を丸くして驚いた。
若かりし頃を共有した関係は、何年何十年たとうと、頭のなかを思い出に巻き戻す作用があるのだろうか。まだまだ若造のシモンには、よくわからない。
「すぐにカッカするな。そういう短気なところを直せって、昔から言ってただろ。なあ、副会長よ――」
唐突に発せられた役職に、ギョッとしてクラインを注視する。
クラインの強張った頬は、糸で吊られているかのようにヒクヒクと痙攣していた。
「ふ、副会長ってなんです?」と、おそるおそるシモンがたずねた。
「こいつはダンジョン管理組合の創設メンバーで、一応副会長ってことになってる。ろくな仕事はしてねぇけどな」
初耳だった。過去を多く語りたがらないクラインなので、知りようもないことだが、今回の件と関係しているだけに教えておいてほしかった。
シモンは動揺して、主人の様子を確認する。フレアは眉を上げた怒ったような表情で、唇を尖らせていた。
「それならそうと、先に言ってよ!」
「……昔の話だ。とっくに決別して、管理組合とは関係を断っている」
気まずそうに顔を伏せて、クラインがぼそりと言った。
しかし、その言い訳に対してタツカワ会長は容赦ない。昔なじみの仲だからか、返す言葉は辛らつだ。
「何をカッコつけて言ってんだ。てめぇが勝手に飛び出していっただけだろ。やめるの一言もなかったから、名簿上はまだクラインが副会長ってことになってんだぞ」
「そんなもん。そっちで処理すりゃいいだろうが! めんどくさがってんじゃねえ!!」
「いつかカラッケツになって戻ってくんじゃないかって心配して、てめぇのために残してやったんだ。感謝こそすれ、文句言われるような筋合いはねえよ!」
おじさん二人の口論は、次第にヒートアップしていく。どうすべきかシモンがオロオロとうろたえていると、ミスミが果敢に割って入ってくれた。
「会長よしましょうよ。今日はそんな話をしにきたわけじゃない」
タツカワ会長は不服そうであったが、ひとまず矛をおさめてくれた。クラインのほうは、ぎこちない苦笑を浮かべたハンナが落ち着かせている。
仕切りなおしに小さく咳払いをして、ミスミが改めて切り出す。
「今回お邪魔したのは、管理組合と冒険者ギルドの対立とは関係ありません。いまダンジョン街で流行している風邪の対策を相談しにきました」
「風邪の?」拍子抜けしたのか、フレアの声がうわずる。
ミスミはやわらかく微笑んで、軽くうなずいた。ただ目の奥は笑っていない。
「このままでは、ダンジョン街の都市機能が崩壊しかねない。そうなっては、冒険者ギルドとしても困りますよね。それに、ダンジョン街の外まで風邪が伝播するのは時間の問題でしょう。ここで食い止めないと、ダンジョン街だけじゃない、世界規模で感染爆発が起きてしまう」
「……そこまで大変なことになるかな。風邪でしょ」
その声には、どこかすがるような響きが含まれていた。
ミスミは無情にも首を横に振る。大げさな要素はなかったというのに、なぜか強く印象に残った。
「これは、ただの風邪じゃない。インフルエンザです」
フレアに動揺が走り、あきらかに表情が変わる。
それは、耳馴染みのない病名であった。風邪に種類があるということさえ、シモンの常識では信じられない。
「かつてヨーロッパで猛威を振るったスペイン風邪は、当時の世界人口の三分の一近くが犠牲になったと聞きます。インフルエンザの耐性がない、この世界でも同じことが起きかねない」
つづけざまにミスミは、よくわからない例えを口にする。
クラインもハンナも、その顔に困惑を浮かべていた。フレア一人だけが、緊張を宿して青くなっている。
「ど、どうして、わたしにそんな話を?」
「フレアさんなら、わかってくれると思っていた。キミがくれたヒント――“言葉”のおかげだな。俺達みたいな人間が、必ず行き当たる疑問だ。まったく未知の言語にも関わらず、なぜか読み書きできる。この奇妙な感覚は、同類でないと通じない」
フレアの強張って萎縮した肩から、フッと力が抜ける。連動するように表情からも、フニャリと力が抜けた。
身内の間でしか見せない完全に気の抜けた顔だ。彼女は素の表情で、ミスミと向き合う。
「もう隠したってしょうがないか。わたしも、ミスミ先生やタツカワ会長と同類。いろいろあって、シフォール家に拾われたんだ」
「おい、いいのかよ、言っちゃって!」
これまでミスミが口にしていた話の内容が理解できず、どうしてフレアが秘密の告白にいたったのか経緯がわからなかった。シモンはうろたえ、動揺で目を泳がせる。
「ミスミ先生はお見通しなんだもん、隠せば話がややこしくなるだけ」
「理解が早くて助かる」
理解が遅いシモンは腑に落ちなかったが、当人が納得しているのなら認めないわけにはいかない。
彼女が若くして亡くなった本物のフレア・シフォールの替え玉となったのは、もう四年前のことだ。この世界に訪れたばかりで右も左もわからなかった彼女を、政治的にいなくなっては困る立場であったフレアに化けさせたのは、他の誰でもなくシモン自身である。当時は執事見習いでさえなく、代々シフォール家に仕える執事であった父の随伴で偶然その場に居合わせたシモンが、ことのなりゆきで彼女をフレアに仕立て上げたのだ。
二人の顔立ちや髪色は似ていたが、性格はまるで違った。その立ち振る舞いから、いずれ気づかれるとビクビクしていたが、彼女の持ち前の機転で難を逃れる。以降彼女は、名実ともにフレア・シフォールとなった。
彼女の正体を知っているのは、シモンと侍女ハンナ、執事であるシモンの父、それとシフォール家の親族のみだ。当主であり父であったエドワルド・シフォールは、娘の死を悼みながらも彼女の優れた資質にほれ込み、実娘と同等に扱ってくれる。現状において、彼女をフレア・シフォールのニセモノあると見抜いた者はいない――ミスミを除いては。
「インフルエンザの怖さは、わたしも充分知ってる。ダンジョン管理組合とは一時休戦ってことで、冒険者ギルド……ううん、シフォール家としてミスミ先生に協力します」
「ありがとう、助かるよ」
「それで、具体的には何をすればいいの。ここでできるインフルの対策なんてかぎられてるよね」
ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、無精ひげを撫でるようにアゴをさすった。考えあぐねているわけではなく、言葉を選んでるといった様子だ。
「やるべきことは、二つある。一つは、インフルエンザウイルスを持ち込んだ人物を見つけ出すこと――」
「あっ!?」と、フレアは目をむいて驚きの声を上げる。「それって、ひょっとしてもう一人いるってこと?」
「本当に頭の回転が早いな。まあ、そういうことになるね」
ミスミは半ば呆れた様子で、事情を先読みしたフレアに感心する。当然ながら、先読みできないシモンにはチンプンカンプンだ。
得意顔のフレアは話のつづきを待ちながら、ちらりとシモンに目を向けた。褒められたことを自慢したかったのだと思う。貴族のお嬢様として、さんざんもてはやされているフレアだが、知性寄りの自尊心をくすぐられるのが一番うれしいらしい。
「医術者に聞いたんだが、ここまで大規模な風邪の流行は歴史にないそうだ。この世界にインフルは存在しなかった――そう推論すると、ウイルスを持って流れ着いたヤツがいると考えるのが妥当だろう。それについては、こっちで手を回してある。フレアさんに協力してほしいのは、もう一つのほうだ」
「それは?」と、フレアが身を乗り出す。当初の目的はどこへやら、すっかりやる気になっている。
仕事を任されていたシモンとしては、これで本当にいいのか複雑な思いはあるが、こうなってしまってはもうテコでも動かない。彼女とすごした四年間で、自分の興味を最優先する人間であると思い知らされていた。
「とにかく感染拡大を防ぐには、感染者を隔離してしまうのが一番手っ取り早い。フレアさんには、冒険者ギルド側についた冒険者をコントロールしてもらいたいんだ。タツカワ会長経由の指示には、反発するかもしれないからな」
「インフルにかかった住人全員を隔離する気なの? さすがに無理はないかな、数百人……もしかすると、数千人単位でいるかもしれない患者を、いっぺんに切り離すなんて不可能だよ」
ミスミはボサボサ頭をかいて、ニヤリと笑った。
「ここがどこか忘れてないかい。この町には、他にない特別な場所が存在する」
シモンはフレアと顔を見合わせ、ハッとして足下に視線を移した。
ここはダンジョン街――地下に広大な空間が広がっている。
※※※
両脇を建物ではさまれた住宅街の細い路地に、シフルーシュは足を踏み入れた。
冒険者仲間に聞き込みした結果、この奥に不審者が居着いているというウワサを耳にしたのだ。
日の当たらないジメジメとした立地の影響で、壁面には黒カビが目立ち、むき出しの土道はうっすらと湿っていた。そこに埃が積もり、さらにゴミも散見する。
人が居着くには、いい環境とは言えないだろう。裏を返せば、人が潜むには絶好の環境とも言える。
ほんの少しダンジョンを思い起こさせる路地の終点は、二軒分歩いた先にあった。背の高い塀で塞がれており、路地に入った早い段階で視界にとらえていた。
「本当にいた」
思わず声がもれる。塀の下に、その男はうずくまっていた。
うす汚れた紺地の上着とズボンを身につけ、元は白だったと思われる黒ずんだシャツを着ている。首元には奇妙な細長い布きれを垂らし、身じろぎするたびにプラプラと揺らす。見たこともない、おかしな服装だ。
こちらに気づいた男が、怯えた目を向ける。その視線は、シフルーシュの長い耳を凝視していた。エルフがよほど珍しいのか、顔に驚きが満ちていく。
年齢は、ミスミと同年代といったところ。全体的にやつれており、生え放題のヒゲで顔の下半分は真っ黒だった。
シフルーシュは注意深く声をかける。
「あんたがメアリー?」
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