メアリーを探せ
<1>
「ダックシュ!!」と、独特な声を発して、セントがくしゃみをした。
不意打ちの一発をさけられるはずもなく、正面にいたミスミは飛沫をまともに浴びる。顔中ツバまみれとなり、ぬるりとした不快な感触で背筋が粟立った。
ミスミは手近にあった紙をつかみ、大急ぎで顔を拭う。
「す、すません、ミスミ先生……」
「ばっちいな、どうした風邪か? 気をつけろよ」
セントは鼻水をすすり、申し訳なさそうに頭を下げた。よく見ると、頬がうっすら赤くなっており、軽口では済まない風邪の兆候が見て取れた。
わざわざ出向いてもらったのは、回復魔法による治療が適していると判断して医術者ギルドに送った患者の経過報告を聞くためだ。別段急ぎの要件ではなかったので、体調が悪いなかムリをさせてしまったことを心苦しく思う。
「最近風邪が流行ってるんで、診察中にうつったのかもしれません」
「へえ、そうだったのか」
「センセェ、知らなかったのぉ?」と、ノンがちゃかした声をかぶせてくる。「街を歩いてると、そこら中でコンコン咳してるの見かけるよ」
出不精のミスミは、町の情報にうといところがある。そういうときは決まって、ノンがいろいろと教えてくれた。小憎らしい顔で。
「じゃあ、なんでうちに誰も診察に来ないんだ?」
「なんでって、そりゃあ……うちでは治療できないと思ってるからじゃないかな。ティオ姉ちゃん、いまダンジョンだし」
風邪の治療は活性化魔法をかけてもらい、温かくして寝る――というのが、ここらの一般的な考えだった。回復魔法を使えないヤブ医者は、風邪治療の選択肢に入っていないのだろう。
頼りのティオがダンジョン潜りでおらず、しばらく居着いていた医術者ヨーゼスは報告があると言って魔法学院に現在戻っている。魔法の使い手のいないミスミ診療所に、出る幕はなかった。
「とにかく、うがいと手洗いをしっかりしろよ。風邪の予防にはこれが一番だ。それと、くしゃみなんかの飛沫から風邪はうつる。なるべく浴びないように工夫したほうがいいぞ」
「わかりました。ギルドに戻ったら、みんなに伝えます」
用件を済ませて帰路につくセントの足取りは、ふわふわと浮ついて少し危なっかしい。
ミスミは鼻のつけ根にしわを寄せて、ちらりと隣に目を向けた。
「ノン、念のために送っていってやれ。あと風邪がどれくらい流行しているのか、医術者ギルドでくわしい情報を仕入れてきてくれないか」
「うん、わかった」
二人を見送り、ミスミは待合室の長椅子に腰を下ろす。少し引っかかるものがあって、ハッキリとした形になる前のもやもやした思考をかき集める。
その考えがまとまりきる前に――思わぬ邪魔が入った。
「たのもー!」
診療所の扉を勢いよく開けて、一人の少女が飛び込んできたのだ。すっとんきょうな第一声からは想像できない、栗色の髪の美しい少女だった。“いいところのお嬢さん”といった装いで、普段診療所に訪れる客層とはあきらかに違う。
あんぐりと口を開けて驚くミスミを発見した少女は、うれしそうに笑って弾むように近づいてきた。
「あなたがミスミ先生?」
「あ、ああ、そうだけど……」
妙に距離感の近い少女だった。その詰め寄り方に困惑して、ミスミは顔を強張らせた。
彼女の後ろから、二人の男女が診療所に足を拭入れる。落ち着いた雰囲気の女性と、焦りを浮かべた落ち着きのない青年だ。
「ど、どうも、ご無沙汰してます」
彼とは面識があった。以前粉瘤の治療に訪れたシモンという名の若者だ。どことなく気まずそうな様子で、ちらちらと少女に意識を向けている。
もう一人の女性は、おそらく少女の侍女ではないかと思う。すっと気配を消して、少女の背後に控えていた。
「えっと、何か用事でも?」
「いえ、そういうわけでは……」と、きまりが悪そうに口ごもるシモンを横目に、少女が人懐っこい笑顔のまま口を開いた。
「用事とか、そういうんじゃないんだ。シモンくんを治療した、すごいお医者さんがいるって聞いて、わたしが先生に会ってみたかったの」
屈託のない声で、少女が言った。そこにウソはないのだろうが、病気でもないのに医者と会いたがる心理がわからない。
ミスミは内心警戒しながらも、表向きは平然と構えてみせる。
「自己紹介がまだだったね。わたしは、フレア・シフォール。よろしくね、ミスミ先生」
少女フレアは、丁寧にぺこりと頭を下げた。ミスミは曖昧に会釈を返す。
彼女に会ったのは、これがはじめてだ。それは間違いない。しかし、その名前に聞きおぼえがあった。どこで聞いたかは思い出せないが、頭の隅のほうで音の響きが引っかかっている。
必死に記憶をたぐっていると無意識に鼻のつけ根にしわが寄っていたようで、不躾な態度と感じたらしい侍女風の女性がにらみを利かせてすごんでいた。
ミスミは思わず目をそらし――そこで、はたと気づく。
「シフォールって、あのシフォール?」
「たぶん、そうだね。お父様は、エドワルド・シフォール・リマ・セントローブっていうの。ちょっとした有名人なんでしょ」
タツカワ会長が言っていた、冒険者ギルドの特別顧問となる貴族の名だ。そうなると、フレアは貴族のお嬢様ということになる。
「そんな大物の娘さんが、しがない町医者に興味を持つなんて信じられないな」
「そう? すごい技術のお医者さんがいたら、普通に興味をもつよ。違う意味でもね」
何やら意味深なことを言って、フレアはうすく笑う。無邪気な顔の奥から、えもいわれぬ威容が覗いたような気がした。
これが貴族の血筋というものだろうか。一回り以上年下の少女に、ミスミは気圧される。
「ミスミ先生に興味があるのはホント。わたしとしては、先生といい関係を結びたいんだ。いまさら隠してもしょうがないからハッキリ言うけど、冒険者ギルドの管理組合吸収工作に協力してほしい。先生の悪いようにはしないと約束する」
以前シモンが診療所に訪れたのは、粉瘤の治療だけではなくミスミという人間の下見もかねていたのかもしれない。
「俺なんかが、役に立つとは思えんがな」
「上級冒険者のパーティが、ミスミ先生になついているって聞いたよ。彼らをこちらに引き込む手伝いをしてほしいんだ。うまくすれば、冒険者ギルドの支持を増やすことができる」
マイト達と身近で接している分、それほどの影響力があるとは実感が持てなかった。ダンジョンの外にいる彼らは、普通の――もしかすると、普通よりもちょっと劣る――若者にしか見えない。
ミスミは含み笑いを口元に残して、小さくかぶりを振った。
「申し訳ないが、あなたに協力はできない。マイト達の
「それなら、シフォール家が代わりに資金援助するよ。会長さんの二倍出してもいい」
ずいぶんと高く買ってくれていると、悪い気はしないが、金額の問題ではなかった。これまでミスミが無事生きてこれたのは、同郷のタツカワ会長と出会えたからだ。タツカワ会長の手引きなしでは、右も左もわからぬまま路頭に迷っていたことだろう。
普段口にはしないが、心から感謝している。唯一無二の結びつきを断ち切るのは、シフォール家の援助程度ではつり合わなかった。
「悪いけど、やっぱり協力することはできない。たとえ冒険者ギルドに管理組合が乗っ取られたとしても、俺はタツカワ会長の味方だ」
「そっか、わかった」と、いやにあっさりフレアは引き下がった。微笑を浮かべた顔から、ゆとりのようなものを感じさえする。
年下の少女相手だというのに、つねに上手を取られている気がして、ミスミは少なからず動揺していた。計り知れないものを、彼女が秘めていることは間違いない。
対応に苦慮して、言葉に詰まる。その間を埋めるように、「ゲホッ!」と、いきなりシモンが咳き込んだ。
口を手で押さえ、苦しそうにシモンは咳き込みつづけた。侍女が心配そうに、その背中を優しくさする。
「先生、シモンくん風邪みたいなんだ。治せない?」
「風邪は治せと言われて治せるもんじゃないんだ。おとなしく医術者ギルドで活性化魔法をかけてもらったほうがいい」
「そりゃそうか、しょうがない」
フレアがちらりと目線で合図を送ると、すぐに侍女がシモンを連れて診療所を出ていく。
その様子を見送り、二人の姿が消えたあと、フレアは顔を近づけてこそっと言った。
「この先の結果がどうなろうと、ミスミ先生とは仲良くしたいと思ってる。いろいろ話したいことがあるんだ、言葉のことなんかを――」
ギクリとしてミスミは顔を強張らせる。思いもかけなかった問題に、思考が激しく揺さぶられた。
フレアはにこやかに手を振り、軽い足取りで診療所を後にした。残されたミスミは、呆然自失となって立ち尽くす。
これだけは間違いないだろう。彼女は、ミスミの出自に気づいている。
※※※
フレア嬢がはるばるダンジョン街まで足を運んできたのは、ダンジョン管理組合の切り崩しに手間取るシモンの支援が目的だった。
到着早々、彼女がまず行ったのは、タツカワとも上級冒険者とも懇意なミスミ医師の懐柔交渉だ。シモンと侍女ハンナをしたがえて、まったく迷いなく診療所に向かう。
その交渉に、クラインは参加しなかった。表向きはタツカワとはちあわせになる事態を回避するためと理由づけたが、実際は決裂すると目に見えていたからだ。本人と直接会ったことはないが、伝え聞く人物像を考慮すると、タツカワから離反する男とは思えない。
フレア嬢ならば、きっとクラインと同じ結論に行き当たったはずだ。それでも会いに行ったのは、別の目的があってのことかもしれない。
そんなことをぼんやり考えながら、シフォール家所有の豪華な馬車で待機していたクラインの元に、結果をたずさえてフレア嬢が戻ってきた。予想通り交渉がうまくいかなかったことは、深刻な表情のシモンを見れば一目瞭然だ。
「医術者ギルドまでお願いします」
ハンナが声をかけると、御者は軽く手綱を引いた。ヒヅメが路面を蹴る音と共に、かすかな振動が座席に伝わる。
「今度は医術者ギルドで交渉か?」
「あ、いま医術者ギルドのギルド長不在みたいですよ」
冗談のつもりだったが、シモンには通じなかったようだ。それを見て、フレア嬢は声を上げて笑う。
何を笑われているのか気づかないシモンは置いて、ハンナが簡潔に事情を説明してくれた。
「シモンさんの風邪の治療です」
「ワズロさんからうつされたんだと思う。あの人、いま風邪で寝込んでるんだ」
大事なときに風邪をひいた後ろめたさがあるのか、シモンは鼻をすすり言い訳を口にした。結果としてワズロに責任を押しつけてしまったことに、ここでも後ろめたさを感じたらしく、二重に顔をしかめて咳をする。
どれだけ気取った態度で取り繕っても、根っこのお人好しさを隠せない。精神的に弱い部分はあるが――そこも含めて、クラインはシモンを気に入っていた。
「それで、交渉はうまくいったのか?」
「全然ダメ、まったく相手にされなかった。あそこに割り込むのは、ちょっと無理っぽいね」
フレア嬢はあっけらかんと言ってのける。まったく気にする素振りはない。
状況が変わらないことに、シモン一人が焦っていた。
「……これから、どうすればいいんだろう」
「上級冒険者を取り込むことができないなら、別の方法を考えるしかないね。最終的に冒険者の支持を多くもぎ取ればいいんだし、上級冒険者にこだわる必要はないよ」
そこに疑問はないが、問題はどうやって冒険者の支持をえるかだ。フレア嬢は簡単に言ってのけるが、現状において簡単にいく要素は見当たらなかった。
シモンとしては八方塞がりの状況だ。手助けしてやりたいところだが、クラインも打開策が浮かばない。
「お嬢様……何か、いい手はないかな?」
ここで彼女に頼るのは、男としてみじめであったことだろう。それでも、恥を忍んでシモンは頼った。この事業に賭ける情熱は人一倍大きい。
フレア嬢はじっと風邪で赤らんだシモンの顔を見て、うすく微笑んでみせた。何か奇策をひらめいたようだ。
「こんな手は、あんまり使いたくないんだけど――」と、言い訳のように前置きしてからつづける。「ダンジョン管理組合は、良くも悪くもタツカワ会長という強烈なカリスマがいて成り立つワンマン組織。タツカワ会長の評判を落とすことができれば、冒険者ギルドに人が流れてくると思うんだよね」
「あいつはちゃらんぽらんに見えて、案外したたかな男だぞ。狙って落とせるようなバカじゃない」
そのことは冒険者時代に嫌というほど思い知らされた。本心を隠す癖があるのか、深い思索をたわむれで覆ってしまう。
タツカワのそんなところが、クラインは大嫌いだった。
「本人に落ち度はなくても、不安をあおることはできる。たとえば健康問題とか」
「えっ、健康?」思いがけない切り口に、シモンは首をかしげた。「タツカワ会長が体調に不安があるって話は聞いたことないぞ」
「別に本当である必要はないよ。人を使って健康に問題があるとウワサを流して、誤った認識を浸透させんの。そこに冒険者ギルドがおいしいエサを吊るしてやれば、飛びついてくる冒険者は多いと思う」
まだシモンは納得できないようで、難しい顔をして考え込んでいた。
「……そう、うまくいくかな?」
「いまダンジョン街では都合よく風邪が流行っている。風邪っぴきを会長さんに接触させて、多少強引にでも風邪をひいてもらおう。ちょっとでも体調不良な様子があれば、根も葉もないウソでも人は結構簡単に信じるもんだよ」
フレア嬢はさらりとたちの悪いことを言う。話を聞いたクラインの感想は、感心半分呆れ半分といったところ。
「可愛い顔して、えぐいこと考えるなぁ」
「わたしとしては、できることなら会長さんとも仲良くなりたいよ。友好的な関係を結びたいと本気で思ってる。でも、今回だけは負けてもらうしかないかな。何か決定的に事態が変わる局面でもこないかぎりね――」
屈託のない笑顔で発せられた言葉は、どこまで本心かわからない曖昧な意向だ。
フレア嬢とタツカワは、やはり似ていると思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます