<3>

「ちゃんと薬を飲んでるようですね。安心しました」

「小うるさいのが二人に増えちまったからな。しかたなくだ。そうでなけりゃ、あんなもん好きで飲むかよ」


 トロイの脈を測っていたティオは、苦笑しながらノートに記録を書き記す。疲労がたまっているようで、目の周りに茶色がかったクマが張りついていた。頬の吹き出物は、昨日よりも少し大きくなった気がする。

 先ほどちらりと顔を覗かせたミスミも、隠しきれない疲労をにじませていた。肉体的な疲労もあるだろうが、大半は心労ではないかと思う。


「体調はどうでしょう」

「どこも悪かねえよ――」と、言った瞬間、狙いすましたようにゴロゴロと腹が鳴った。「時々、腹が鳴るくらいだ」

「薬の影響でしょうか。痛みなどはありますか?」


 トロイは下っ腹を押さえながら、照れくさくて顔をしかめる。ただ鳴るだけで、痛みはおろか便意にもつながらない。


「平気だ。それよりも、ワシはいつまで入院してないといけないんだ。だいぶよくなってきた、そろそろいいんじゃねえか」

「まだダメです」ティオはきっぱりと言いきった。「一人になると好き勝手するから、改善するまで面倒見るようにタツカワ会長に言われています」

「あの野郎、よけいなこと言いやがって……」


 トロイはフンと鼻を鳴らし、投げ出すように頭を枕に沈めた。

 会話が途切れたことで部屋を静けさが満たしていった。静寂の奥から、小さな声が沁みてくる。壁越しにミスミの声が聞こえたのだ。時おりノンの声も聞こえる。

 話の内容まではわからないが、隣の部屋も診察中らしい。耳を澄ませても、イオリの声は聞こえなかった。


「よう、小娘の調子はどうなんだ?」

「小娘って、イオリちゃんのことですか。あの子は大丈夫ですよ。少し風邪気味なので安静にしていますが、じきによくなると思います」


 ティオはためらいなく即答した。案外しっかりした医術者だと、トロイは苛立ちに似た感情を腹の底に埋める。

 誰も口にしなかったが、イオリの容態がかんばしくないことは、感覚で察していた。周囲の人間は一様に「大丈夫」と繰り返すが、うすっぺらい安穏とした表情の下に苦悩が詰まっていることは感じ取れる。まるで全員で口裏を合わせて、世界を騙そうとしているかのようだ。


 もっとも深刻なのは、イオリ自身だろう。まだ年若い少女であるのに、彼女が弱音を吐いている姿をトロイは見たことがない。苦しくてもつらくても、笑顔の仮面をかぶって隠してしまう。いじらしいと思うと同時に、バカだとも思った。感情を吐き出すことで、心が軽くなることをまだ知らないのかもしれない。


 ティオの診察が終わり、しばらく一人となったトロイは、頃合いを見てこっそりと部屋を抜け出す。少しイオリの様子を見ておこうと思ったのだ。

 しかし、廊下に出たところで邪魔者と出くわしてしまう。小柄な少女の背中が、目の前にあった。廊下設置された窓に寄りかかって、外の景色を眺めていたらしい。


 扉の開閉音に反応して振り返ったノンの目には、うっすらと光るものがあった。慌てて白いワンピースの袖口で目元を拭い、そのまま鼻の下も拭う。ズルッと鼻をすする音がして、袖に鼻水が付着する。


「おい、チビガキ――」


 声をかけるが、むくれ顔を浮かべて無言で去っていく。一瞬迷ったが、追いすがることはしなかった。

 患者には見られたくなかった姿に違いない。無神経な人間だと自分でわかってはいるが、最低限の分別はあるつもりだ。

 トロイはモヤモヤした感情をため息といっしょに吐き出す。心臓が少し痛くなった。


「あれ、ノンのやつ、先に戻ったのか」隣の部屋から、ミスミが出てくる。「トロイさん、どうしたんですか?」


 壁越しの声が聞こえなくなっていたので、もう診察は終わったものだと思っていたが、まだつづいていたようだ。

 トロイはバツの悪さを感じながら、ちらりと隣の部屋の扉を見る。


「小娘の調子はどうなんだ?」

「……あまり、よくないですね」


 まったく同じ質問に対して、ミスミはティオと正反対の答えを口にした。こうも簡単に認めるとは思わなかったので、トロイは戸惑いをにじませる。

 鼻のつけ根にしわを寄せたミスミは、先ほどのノンをまねるように窓の外に目をやった。


「ずいぶんとあっさり白状するんだな」

「トロイさんに隠し事をしても、すぐに見抜かれそうな気がしたので……。普段はタツカワ会長がグチを聞いてくれるんですが、最近は忙しいみたいでなかなか会えないんですよ。ストレスを発散する機会がなくて、いろいろと参ってるのかもしれない」

「ああ、冒険者ギルドの連中がちょっかいをかけてきているようだな。あいつも大変な時期なんだろう」


 その相談を受けている途中に、心臓発作を起こして倒れたことを思いだす。

 ミスミは眉を下げた困り顔で、ボサボサ頭をかいた。


「実は、イオリのための治療法を思いついたんですが、ティオに却下されました。いまになって思うと、ティオの判断は正しい。思いついたことに満足して、その危険性にまで頭が回らなかった。魔法学院に調査依頼をしたら、最低でも一年は期間が必要だと言われましたよ。まず動物実験で安全性を確認してからでないと、臨床試験に望めない。そもそも採取した血液を、体内に戻す仕組みがないことには話にならなかった。そんな当たり前のことさえ、頭から抜け落ちていた――」


 専門的な話は、トロイには理解できない。理解してもらおうとも思っていないだろう。

 これは、ようするにグチだ。自分自身に言い聞かせるためのグチにすぎない。声にして発することで、ミスミは葛藤と折り合いをつけようとしている。


 自分と向き合う方法は人それぞれで、ミスミの方法は言葉にすることなのだろう。そこに文句をつける気はないが、時と場所、それに人は選ぶべきだと思う。患者相手にやることではない。

 トロイからすれば、ミスミもまだまだ尻の青い若造だった。


「そんな顔で、小娘の診察をしてたんじゃないだろうな」

「えっ?」と、指摘に驚きミスミは顔をなでる。無精ひげが、チリチリと細かな音を立てた。

「そんな落ち込んだ顔を、小娘に見せるんじゃないぞ。ワシはどうだっていい、グチだろうと悪態だろうと好きに吐けばいい。だけどな、あの子の前ではウソでも平然としていろよ。それができなきゃ医者なんてやめろ」


 ミスミは真顔となって、深くうなずいた。

 言われるまでもなく、きっと医者の顔で接していたとは思う。それくらいはできる男だと、タツカワから聞いている。これは、ようするにグチだ。何もできない嫉妬の混じったグチだった。


「失っていく一方の人生で、お前はつなぎとめる力を持っている。患者はそれを信じているんだ、騙しとおせよ」


 ガラにもないことを言ってしまい、トロイは苦笑する。倒れて入院して以来、調子が狂うことばかりだ。

 そんな自分自身をあざ笑うように、ゴロゴロとまた腹が鳴った。キョトンと下っ腹に目を向けたミスミが、なぜかハッとして顔を強張らせる。

 トロイは気恥ずかしさから話題を変えた。


「小娘と会っても大丈夫か?」

「え、ええ、さっき眠ったところですから、様子を見る程度なら……」


 逃げ出すように部屋に入り、ベッド脇のイスに腰を下ろした。小さな軋みに反応して、眠るイオリのまぶたがわずかに震える。

 生気のうすい青白い顔が、ゆっくりとトロイに向いた。開かれたうつろな目は、意識の火が灯るのにしばらく時間を要す。


「悪いな、起こしちまったか」

「お爺ちゃん――」


 ここにきて、話す内容を何も準備していなかったことに気づく。トロイは頭に浮かんだ言葉を、深く吟味することなく口にした。


「背中がかゆいんだ。早く元気になって、またかいてくれよ。チビガキはガサツすぎて、小娘の指でないと満足できない」

 イオリは少しくすぐったそうに微笑して、「うん」とかすれた声で答えてくれた。


※※※


 イオリの額に赤いアザが浮いていた。出血斑だ。

 白血病は出血しやすくなるとミスミから聞いている。軽くぶつけた程度でも、皮下出血が起こり出血斑となってあらわれるようだ。


 そんな痛々しい赤いアザには一切ふれず、イオリの母は明るい口調で話をしていた。家庭でのちょっとした出来事や仕事場での失敗談、近所の住人のウワサ話などなど――他愛ない話題を、次から次に語りつづけていた。

 ベッドで話を聞きながら、イオリは静かに微笑している。その様子を、父親が穏やかに見守っていた。


 やさしい世界だ。でも、そこに悪意はなく、親子は慈しみあっているというのに、全員が全員を騙しているようなかすかな緊張感が隠れていた。

 部屋の隅で待機していたノンは、胸が苦しくなって目を伏せる。気を抜くと涙がこぼれそうだった。


「それじゃあ、またね」


 見舞いを終えたイオリの両親を、宿の入口まで送る。この時間が、ノンは一番つらかった。

 見舞いのときは無理にでも笑顔を作るイオリの両親であったが、帰り際は見ていられぬほど沈痛な面持ちとなる。日に日に弱っていく娘を目にして、平気でいられる親はいない。わかりきっていることだが、心が痛かった。


 なぐさめの言葉など口にできるはずもなく、ただ黙って二人の後につづく。

 宿の玄関口に到着すると、ノンは深く頭を下げた。その姿勢のまま別れの挨拶を告げようとしたとき――勢いよく宿の扉が開かれる音がした。

 驚いて顔を上げた先には、駆けてきたらしいミスミがいる。診療所はすぐ隣だというのに、よほど慌てていたのか軽く息を切らせていた。


「ああ、よかった。間に合った」

「どうかなさったんですか、ミスミ先生」


 イオリの父の問いかけに、ミスミは半端な笑顔を浮かべた。良いとも悪いとも言えない、微妙な表情だ。


「診療所に来てくれませんか、新しい治療法の提案があります」


 その言葉に夫婦は顔を見合わせた。宿った表情は半信半疑といったところ――期待して医術者ギルドから転院した後も、容態が快方する気配はなかったので、懐疑的になるのはしかたないことだろう。ノンでさえ盲信する気にはなれない。

 不信感に惑わされながら診療所に入ると、横顔を困惑で染めたティオが待っていた。おそらく先に話を聞いたであろうティオも、納得したとは言い難い顔をしていた。


「センセェ、新しい治療って前に言ってたトウセキってやつ?」

「いいや、違う。まったく別の手法を使う。それと、もう一つ試してみたいことがあるんだ」


 ミスミは改めて夫婦に目を向けると、安心させるように穏やかな表情を浮かべた。患者を説得するときに、ミスミがよく浮かべる表情だ。


「あの新しい治療法というのは、なんでしょう?」と、控えめにイオリの母がたずねた。

「以前にも説明したとおり、白血病は血液の癌と言われています。リンパ系幹細胞が癌化して、血液中に――と、説明がややこしいですね。ようするに血液に癌が混じり、血液本来の機能が損なわれてしまうんです。これまでの治療は、白血病細胞を消すことばかりに意識が向いていた。そのこと自体は間違っていないのですが、思うように効果がえられなかったのも事実です。そこで、違うアプローチを試してみようと思いました」


 ミスミはそっと下っ腹に手を当てた。一同の視線が、自然とそこに注がれる。


「えっ、おなか?」


 反射的に声を上げたノンに、ミスミはうすく笑ってうなずいた。


「そう、腹――正確に言えば、だ」


 何を言わんとしているのか理解できず、ノンも夫婦も戸惑う。困惑するティオの反応も納得できた。

 こうなることを予想していたように、ミスミは淡々と説明をつづける。


「腸には人の免疫細胞の六割近くが生きている。腸に活性化魔法をかけることで、癌と戦う免疫細胞を増殖できないかと考えたんだ。もちろん通常の治療も継続して、相乗的な効果を狙う」


 理屈としては単純なもので、ノンの頭でも想像がつく。ただ単純すぎて、どうしても不安が拭えなかった。

 ミスミがやろうとしているのは、これまでの活性化魔法よる治療とそう変化はない。魔法の対象を増やしただけだ。それだけで病状が改善するとは、とてもじゃないが信じられなかった。


「それで、イオリは本当に治るの?」

「どうだろう、やってみないことにはわからない。正直なところ、それほどの効果は望めないかもしれないな」

「それじゃあ困る!!」


 治療法を提案してからの弱気な発言に、ノンは押さえきれず激情をたぎらせた。意地悪く感情をもてあそばれたような気分になる。


「だから、もう一つ策を重ねようと思っています」ミスミは不安を散りばめた全員の顔を見回した。「免疫細胞が機能をはたすためには、イオリ自身が治ることを信じなくてはならない。病は気からと言いますが、ポジティブな思考が免疫力を高める作用があるのは実証されています。彼女が病気に勝てると信じることで、治療の効果を増加させるんです」


 言っていることが、よくわからなかった。それはイオリの両親も同じようで、二人は困惑をにじませている。

 代表してイオリの父がおずおずとたずねた。


「あの、具体的には何をするんですかね」

「具体的には、彼女を――彼女を構成する細胞セカイすべてを、新しい治療法によって治るものと騙します。この治療は効果があるんだぞって、周囲から信じるように仕向けるんですよ。これは俺だけでは騙すのに説得力が足りない、みなさんにも協力してもらいます」


 治療の効果を信じ込ませるだけで、実際に効果が上がるという理屈についていけず、ノンは戸惑う。ミスミが言うのだからウソではないと思いたいが、信じて飲み込むには抵抗が多い。

 だが、もう後のない両親は、一縷の望みにすがってミスミの提案に応じる。


「これは賭けです。まったく通用しないということもありえます。でも、生きる意志がなければ病には勝てない。騙すというと言葉は悪いが、彼女が自分自身の力を信じる助けにはなります!」


 ミスミは勢い込んで告げた後、、ちらりとノンに目を向けた。

 まだ信用できていないことを見抜かれたような気がして、ノンはドキリと肩を震わせる。


「イオリの一番近くにいるノンの責任は大きいぞ。それと、もう一人――」

「えっ、もう一人?」

「ああ、今回の治療法にいたるヒントをくれた、あの人にも協力してもらう」


 そう言って、ミスミは苦笑を浮かべるのだった。

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