セカイを騙す

<1>

 目が覚めると、見知らぬ部屋に寝かされていた。少しにおう、ゴワゴワとした固いベッドの上だ。

 混濁した意識は疑問をおぼえながらも、考えるより先に起き上がることを選択する。重い体を苦労して動かし、ゆっくりと時間をかけて上体を持ち上げた。


 そうして視界が開けると同時に――突如左胸に疼痛が走る。

 息が詰まるほどの痛みに襲われ、世界が反転したように目に映る景色が回り出す。

 ドスンと、鈍い音が響く。その音が、自分自身が起こしたものだと気づくのに、どれくらいかかったことだろうか。

 体勢を維持できず、ベッドから転がり落ちていたのだ。埃の積もった汚い床に頬を張りつけ、ひどく苦い味のする唾液をこぼした。


「ちょっと何やってんの、爺ちゃん!」


 音を聞きつたのだろう。白いワンピースをなびかせて、見知らぬ少女が部屋に飛び込んできた。

 少し遅れて、妙齢の女もやってくる。

 二人は力を合わせて、虚脱した体をベッドに戻してくれた。寝所としては最低な固いベッドだが、うす汚れた床よりはいくらかマシだ。


「センセェ呼んでくる」


 そう言って部屋を出る少女の姿を、半ば無意識に目で追う。開けっ放しの扉から、こちらを覗き見ている第三の目があったことに気づいたのは、そのときだ。

 年頃は、白いワンピースの少女と同年代。やせた青白い顔の女の子だった。体を病んでいることは、一目でわかった。相当に重い病であろうことも。

 彼女は目が合うと、気まずそうにハの字に眉を下げて、青い顔をうつむかせた。額に赤い斑点が張りついていたことが、やけに強く印象に残った。


「トロイさん、大丈夫ですか?」


 女が気遣しげに声をかけてくる。その顔には見覚えがあったが、どうしても誰であったか思い出せない。


「ここは、どこだ?」


 荒い呼吸を吐きながら、絞り出したかすれた声でたずねる。一言口にするたびに、ズキズキと胸が痛む。


「診療所近くの宿の部屋です。急だったもので、部屋の掃除が間に合いませんでした。すみません」

「診療所だって?」

「はい、ミスミ診療所です」


 うっすらとだが、記憶がよみがえってくる。それにともない、彼女が何者であるかも記憶の底から掘り起こすことができた。

 上級冒険者のティオ・エステリア――現在活動中の冒険者のなかで、最上位にいるパーティの一員であった。ティオは医術者で、おかしな医者に師事していると聞いている。


「ということは、わしは……」


 ドタバタと粗雑な床板を踏み鳴らす足音で、声がかき消される。

 白いワンピースの少女に先導されて、二人の男が部屋に入ってきた。片方は知らないが、もう一方はよく知っている。もう数十年にもなる古い付き合いだ。


「よかった、死んじまうかと思ったぞ。トロイさん、あんまり驚かせないでくれよ」

「タツカワか――」


 ようやく、トロイ・カルバインはすべてを思い出す。まるでえぐられたように、心臓がズキンと痛んだ。


※※※


 それは、昨日のことだ。

 ダンジョン管理組合の事務所で、タツカワ会長と談笑中にトロイは心臓発作を起こして倒れる。一時は心肺停止に陥り、危篤状態となったが、所用で偶然事務所に訪れていたティオの応急処置で蘇生し、そのままミスミ診療所に運ばれてきた。


 トロイの容態は予断を許さず、ミスミとティオが手術室で一晩中付きっ切りで介抱にあたり、ようやく小康状態となった今朝方に病室代わりとなる隣の宿の部屋に身柄を移した。


 今年で七十歳になる高齢のトロイは、長年関節リウマチを患っており、それが元で心臓弁膜症を起こしたのでないかというのがミスミの見立てだ。リウマチは免疫系の異常によって関節炎を引き起こし、症状が進行すると関節痛、さらには関節が変形するまで悪化する。他の臓器にも病変が広がることがあり、心臓に及ぶと心臓弁膜症――心臓にある四つの弁が正常に働かず、血液の流れが異常をきたすようになる病気にかかるらしい。

 正直言って、説明を聞いてもノンはほとんど理解できなかった。漠然とリウマチで心臓が弱っているとしか認識していない。


「どう、わかった?」


 トロイの容態を聞いた二人の医術者に、ノンは記憶をひっくり返してミスミの言葉をそっくり伝えたのだが、その反応は鈍かった。

 医術者のセントもエレノアも、黙々と治療に専念している――という素振りをしているが、実際のところ彼らも理解できなかったのではないだろうか。


 そんな二人を尻目に、治療を受けている少女が口を開く。うつぶせの姿勢からわずかに顔を上げて、ベッド脇に立つノンを見る。


「あのお爺ちゃん、治るの?」

「うーん、ちょっと難しいみたい。もう発作が起きないように、リウマチをやわらげる方向で治療するって言ってた」

「そっか、わたしと同じだ――」


 ノンは気合いで動揺を押さえ込み、強張った顔を無理に崩して笑ってみせる。自分でも、あまりうまくいっているとは思えなかった。まだまだベテラン看護師のカンナバリの領域にはほど遠い。


「何言ってんの、イオリとは違うよ。イオリは治るって、センセェ言ってたでしょ」

「うん……」


 納得したとは思えない、憂い帯びた声だった。体内に潜む病魔の正体を、彼女自身わかっていないはずだ。わからなくていいと、ミスミはあえて告知していない。

 この少女――イオリが、ミスミ診療所で治療を受けることになった事情は、六日前にさかのぼる。元々医術者ギルドで治療を受けていたイオリであったが、一向に症状が改善しないことから、セントの提案でミスミ診療所に転院する運びとなった。


 ミスミは時間をかけて丹念に彼女の診察をし、その結果しばらく病室代わりの宿の部屋で集中治療を行うことを決定する。カンナバリが不在であるため、ノンは付きっ切りで看護にあたることになった。

 泊まり込みでの介護に当初は不安でいっぱいだったが、同年代のイオリとはすぐに打ち解けて、人間関係の心配は取り越し苦労に終わる。ノンにとってイオリは、ダンジョン街にきてはじめての同性の友人となった。


 病床のイオリには申し訳ないが、二人でとりとめのないおしゃべりをしているだけで、たまらなく楽しい。その反面、看護師としては力量不足を嫌というほど痛感させられた。患者の口にはできない要求を、くみ取る能力が決定的に足りなかったのだ。経験の乏しさが原因である。


 さらにミスミが立てた治療方針も、看護師ノンを苦悩させる一因となった。診察によって導き出されたミスミの治療法は、活性化魔法による地道な免疫機能の向上という医術者ギルドでも行われていた対処療法だ。医術者ギルドと違う点は、ミスミが細かく魔法をかける箇所を指示していることだろうか。


 回復魔法による治療では、看護師が介在できる場面はなかった。ただ見ていることしかできない。ティオだけでは魔法治療が間に合わず、毎日応援にくるセントとエレノアのほうが、ノンよりもよほど役に立っている。

 イオリの力になれない歯がゆさが、無力感となってをひそやかに胸の奥にたまっていくのを感じた。


「ノン、ちょっといい」


 いつの間に来たのか、部屋の入口からひょっこり顔を出したティオが手招きしていた。

 現状やることのない看護師は、すぐさま廊下に出る。


「どうしたの、ティオ姉ちゃん」

「少しの間、トロイさんを見ててくれないかな。ミスミ先生に頼まれて、薬屋に行かなきゃならないの」

「それなら、アタシが薬屋に行ってこようか?」


 ティオは力なく首を振り、弱々しい微笑を浮かべる。疲労によってか、左の頬に吹き出物ができていた。

 ミスミ診療所の規模で入院患者を二人抱えるのは、完全に業務過多キャパオーバーだ。特に治療にあたるティオの負担は、かなりのものだろう。


「いいの、わたしが行ってくる。ちょっと外の空気が吸いたいんだ」

「そういうことなら、わかった――」


 フワフワした心もとない足取りのティオを見送り、隣のトロイの病室に入る。

 ベッドに寝かされた老人が、憮然とした目を向けた。土気色の顔に刻まれたしわのたるみまで、現状の不満をあらわしているかのようだ。


「なんだ、チビ。今度はお前が監視役か」

「チビって……」身長が伸びないことが悩みの種のノンは、内心ムッとしたがカンナバリの教えにしたがい笑顔を作る。「アタシは、看護師のノン。よろしくね」


 病人はいつだって不安で、やり場のないフラストレーションを身近な人間にぶつけることがある。看護師の役目は、それを受け止めてやることだ――と、カンナバリが言っていた。いまいち納得できないところもあるが、かつて親知らずで苦しんだ経験を思い起こすとわからないでもない。

 看護師として、穏やかに接しようと心がける。未熟なノンは、どうしても表情に感情がにじみ出すこともあるが。


「おい、いつまでワシはここにいなきゃならん。早く家に帰らせてくれ」

「何言ってんの、爺ちゃん。一度は心臓が止まったんだ、しばらくおとなしくしてなきゃ本当に死ぬよ」

「心臓なんてもんは、いつか必ず止まるようにできてんだ。珍しいことじゃないだろ」


 ノンは呆れて言葉が出ない。まるで死を恐れていないような発言であったが、その不遜な口調から察するに、自分が死ぬとは考えもしていないというのが本心だろう。老齢で心臓が止まった後だというのに、危機感がまるでなかった。


「あのねぇ、センセェから病気のこと聞いたでしょ。爺ちゃんは安静にしてないとダメなんだ!」

「ヤブ医者の話なんて信じられっか。ワシが信じているのは、自分の直感だけだ。そうやって生きてきた、これからもそうやって生きていく」


 トロイは自分勝手な宣言をして、痛む体を苦しそうにひねり起き上がろうとする。

 止めようとしたが、不要だった。わずかに上体が浮いたところで力尽き、再びベッドに沈み込む。起き上がる体力も失っているのだ。

 ちょっぴり動いただけだというのに、ゼェゼェとこもった息を吐き、顔が汗で濡れていた。ノンは汗を拭ってやり、額に張りついた灰色の髪を払う。

 トロイは不服そうではあったが、文句を口にすることはなかった。


「ほら、おとなしく寝てるのが身のためだよ」

「チビガキが生意気言ってんじゃねえぞ……」


 そう悪態をつくのが精一杯で、トロイはしばらくおとなしくなった。体力の衰えを突きつけられたことが、よほどこたえたのだろう。

 トロイの呼吸が整ったところで、またよけいな考えにいたらないように、ノンはたわいのない会話を差し込む。


「そう言えば、爺ちゃんってタツカワ会長とどういう知り合いなの。タツカワ会長、すごい心配してた」

「……あいつに、冒険者の基礎を教えてやったのはワシだ。駆け出しだった頃世話してやったのを、律儀に恩にきてくれてんだろ」

「へえ、爺ちゃんも冒険者だったんだ」


 苛立ちで歪んでいた唇が、わずかにゆるんだ。年寄りは、昔話が大好物だ。


「いまのお上品な冒険者と違って、ゴロツキまがいのクズが大手を振っていた時代の話だ」

「じゃあ、爺ちゃんもクズだったんだ」


 調子に乗って軽口を叩いた後、失礼なことを言ってしまったと気づく。だが、当のトロイの反応は、あっさりしたものだった。


「違う――とは言いきれねぇな。どうしようもない男だったのは間違いない。いまも根っこはあの頃のまんまだ」


 病気で不安定になっているが、元は気さくな老人なのかもしれない。現状や病気から離れた話になると、口調から刺々しさがうすれる。

 ノンは質問を繰り返し、話し相手となることで本来のトロイを呼び起こす。


 そうしているうちに、ミスミが薬屋を連れて病室にやって来た。連れていたのはエアロではなく、ジュアンの薬屋の番頭イザームだ。

 脳卒中を起こして以来食生活を見直したイザームは、少しやせてもうとは言えない体型となっていた。太っちょ改め、といったところか。


「トロイさんに合うリウマチの薬を調合するから、イザームの診察に付き合ってもらうよ」


 病気の話になると、途端に表情が固くなる。下準備をはじめたイザームを横目で見て、トロイは舌打ちを鳴らした。

 そして、ふいに思いがけないことを口にする。


「目が覚めたとき、青白い顔をしたガキを見かけたんだが、あいつもヤブ医者の患者なのか?」

「イオリかい。そうだけど」

「なら、ワシなんかにかまってないで、あっちを優先してやれ。ワシは大丈夫だ」

「もちろんイオリも全力で治療する。トロイさんは自分の体のことだけを心配していればいい」


 治療から逃れるダシに、イオリを利用しようとしたらしい。ミスミには、当然通じはしなかったが。

 トロイはもう一度舌打ちを鳴らし、なんの気なしにたずねた。


「あのガキは、なんの病気なんだ?」


 ミスミの顔に陰りが差し、重い嘆息がもれた。ミスミが患者の前で、感情の一端をさらけるのは珍しい。

 どこかに油断があったのか、それとも心労がたたり口をすべらせたのか――本来他言すべきではない言葉が、ポロリと口からこぼれた。


「あの子はALL――急性リンパ性白血病だ」

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