まだ道の途中

<1>

 月日は流れ――生ける屍リビング・デッド騒動から四カ月がたとうとしていた。

 季節は冬から春に移り変わり、ダンジョン街を心地いい陽気が包んでいる。重苦しい冬服を脱ぎ捨てた住民に、どこか浮き立つような気配を感じるのは気のせいではないだろう。


 それは、ダンジョン街を根城とする冒険者にしても同じだ。まるで長い冬眠から覚めた獣のように、目に見えて活性化している。

 ここミスミ診療所にも、そんな活性化した冒険者の群れが集まっていた。


「少し失礼します」


 診療虫の中年夫婦に一言かけて、ミスミはボサボサ頭をかきながら席を立った。

 苛立ちから診察室の扉を荒っぽく開けて、待合室で騒がしい声を上げる一団をにらみつける。


「おい、いい加減にしろよ、お前ら。いまは診療中なんだ、おとなしくしていろ!」

「そんなに騒がしかった?」

「騒がしいよ! 特にマイト、お前の声が一番うるさい。これ以上騒ぐってんなら叩き出すぞ!!」

「あー、ごめんごめん。ちょっとボリューム下げる」


 反省の色が見えない適当な謝罪に、カチンときた。

 ノド元まで這いあがった怒りを吐き出す直前に、マイトを押しのけてティオが進み出る。対照的に心底申し訳なさそうな顔をしており、あまりの落差に思わず怒りを飲み込んでいた。


「すみません、ミスミ先生。あの診察、手伝いましょうか?」

「準備で大変なんだろ。こっちのことは気にすんな」

「でも、出発はまだ先ですし……」


 ミスミはため息をついて、不安げに見上げるティオに苦笑を返す。


「しっかり準備をするんだ、これは業務命令だから。生半可なことじゃあ中級の壁は越えられないと、タツカワ会長が言っていた。生きて戻ってくるために、ティオは万全を期してくれ」


 生ける屍リビング・デッド騒動から一カ月ほど、魂が抜けたように活動休止状態であったマイト達であったが、季節の移ろいに合わせて再始動し、三カ月間コツコツとダンジョン潜りに精を出していた。

 診療所の状況によってティオは参加を見送ることもあったが、それでもヒマを見つけては頻繁にダンジョンへ通っていたようだ。


 これまでダンジョン潜りに積極的ではなかったティオに起きた心境の変化は、エルザの影響によるものだろう。友人を亡くしたことで、彼女の夢を継ごうという気持ちが芽生えていたのだと思う。

 他のことならば、ミスミはさして気にしなかった。だが、ことダンジョン潜りに関しては、命がかかっている分不安がつきまとう。


 ミスミは一度、冒険者活動から退いてもいいのではないかと、やんわり口にしたことがあった。ミスミ自身も認識不足で自覚していなかったが、ダンジョンは危険な場所だとエルザの件で嫌というほど思い知らされた。


「わたしも不安はありますが、やれるだけやってみたいんです。エルザが見ていた景色を、わたしも見てみたい」


 以前はダンジョンに忌避感を抱いていたティオが、すっかり能動的に目指すようになっている。

 その熱意にミスミは何も言えず、賛同はできないが認めざるをえなかった。


 そうして、ティオを含めたパーティは、ついに中級の壁――地下四十階に手が届く位置にまでこぎついたのだ。診療所に集まって騒いでいるのは、中級最後の挑戦を一週間後と決めて、綿密に計画を立てているからだった。

 話し合う声の調子は子供じみているが、すでにミスミどころか元中級冒険者の看護師カンナバリも口をはさめないほど高度な専門性が占めている。普段の姿を見ていると信じられないことだが、この会話に加わる知識があるのはダンジョン街でもごくわずかであろう。


「とにかく、静かにしてろよ――」


 本心を言えば、ミスミは気になってしかたがない。だが、患者の手前、関心が向いていることを悟られるわけにはいかなかった。

 診察室に戻ると、旦那のマーグが愛想笑いを浮かべる。


「彼らは中級の壁に挑戦するんだな。たいしたもんだ」


 話が聞こえていたらしく、表面上は感心している素振りをみせた。ダンジョン街で暮らしていれば、中級の壁に挑戦するのがどれほどすごいことかは理解しているはずだ。しかし、夫婦に降りかかった病の問題のほうが、当人達にとって重大なのは当然のことだろう。

 妻のフォルテはもっと露骨に、苛立ちを顔にあらわしている。充血したギョロリとむいた目は落ち着きなく揺れ動き、結んだ唇の端から小さな舌打ちが聞こえた。腹の前で組み合わせた手の指が、かすかに震えているのを確認する。


 夫婦は医術者ギルドでは病気の診断がつかず、ミスミ診療所を紹介されて訪れていた。持参していた紹介状には、担当したセントの名が記入されている。

 セントの書きつけによると、夫婦は人生の半分を共にすごした四十代前半で、ダンジョン街における平均的な中流層の暮らしをしているとのこと。病状を訴えているのは妻のフォルテで、原因不明の倦怠感がつづいているというのがおもな症状だという。


「奥さん、いつ頃から症状を自覚した?」

「ハッキリとはわからない。かなり前から妙に疲れやすくなっているとは思っていたけど、これが病気だと思わなかったから」

「だったら、どうして診察を受けようと思ったんですか」

「それは、俺が――」答えたのは旦那だ。「カミさんの様子がおかしいから、医術者ギルドで診てもらおうって言ったんだ」


 当人よりも、周囲の人間が先に異常を察知することは別段珍しくない。倦怠感のような日常的に起こりうる体の不調の場合は、意識しながらもたいしたことはないと思い込むのはよくある事態だ。

 この時点で、ミスミは大まかな目星をつけていた。


「ねえ、疲れやすいのは病気と言えるの?」

「体調不良にも原因があるからね。未病――つまり病気になる前の弱った状態という考えもあるけど、今回がそうとはかぎらない。いくつか質問させてもらうよ」


 ミスミは記憶を掘り返して、頭のなかに質問項目を浮かべていく。

 カンナバリに目配せして、ノートに標記するように頼むことも忘れない。


「じゃあ、まず、疲れやすいということだけど動悸や息切れはどうだろう」

「ええ、まあ、ちょっとしたことで息が切れることが多くなった気がする」

「熱はどうだい。平熱より高くなってないか」

「たぶん、高いとは思う。ハッキリとはわからないけど。そのせいか、汗もよくかく」


「なるほど。イライラすることが増えたりはしてないかな」

「……増えてる。前は気にならなかった小さなことで、すぐに苛立つようになった」

「ちゃんと寝れてる?」

「あまり寝れてない。疲れてるのに寝れなくて、しかも、すぐに目が覚めてしまう」


 わざわざチェックしてもらうまでもなかった。フォルテはすべての項目に適合していたのだから。

 思わず笑いそうになるのを、ミスミは必死にこらえた。ここまで当てはまるなら、考えるまでもなく一つの病名にたどり着く。


「奥さんは、典型的な更年期障害の症状が出てるね」

「えっ、それは?」


 聞き馴染みのない病気だったようで、旦那のマーグが困惑を浮かべる。

 フォルテのほうはどちらかと言えば、安堵に近い感情を抱いたようだ。現在の自身の状況が、理由のないあやふやなものから名前のついた病気であるとわかったことで、気持ちが楽になったのだろう。


「更年期障害というのは、女性ホルモンが低下することで心と体にさまざまな症状があらわれる病気だ」これではまだ説明が難しいと感じ、ミスミはわかりやすい説明に言いかえる。「女性に多く見られる病気で、命に関わるようなものじゃない」


 この説明でひとまず納得してくれたようで、マーグはホッと胸を撫でおろす――が、一度は落ち着けた腰をすぐに上げて、前のめりに迫ってきた。


「それって治療できるのか?」

「え、ええ、できないことはない」マーグをやんわりと押し戻しながら、ミスミはちらりとノンを見た。「ただ薬物療法となるので、魔法の治療のように即日効果があらわれるわけじゃない。薬屋を紹介するから、そちらでくわしい話は聞いたほうが早いかな」


 薬に関しては専門家に任せるほかない。ミスミは診断書を手早く書いてノンに渡した。


「それを持って、ジュアンの薬屋に案内してやってくれ」

「うん、わかった」


 医術者ギルドからミスミ診療所、さらにジュアンの薬屋とたらい回しにされているような印象を受けたのか、マーグはいい顔をしなかったが、不満は飲み込んでおとなしく従ってくれた。ノンに先導されて、夫婦は診察室を出ていく。

 これにて診察は終了。ミスミはボサボサ頭をかきながら、待合室を覗く。


 まだ話し合いはつづいており、熱く意見を交わしていた。ティオもその輪のなかで、しっかりと自己主張している。どうしてもゆずれないものがあるらしく、早口でまくし立てて、シフルーシュになだめられていた。


「ティオ先生も、すっかり冒険者ですね」


 同じく覗き込んだカンナバリが、微笑ましいものを見るような表情を浮かべる。

 元冒険者のカンナバリが後輩に抱く心情を、ミスミは理解できない。どうしても冒険者に傾倒するさまを、好ましく受け取れないのだ。こればかりはミスミとカンナバリの見解が、永遠に交わることはないだろう。


「元はといえば俺がダンジョン行きを押しつけたのが悪いんだけど、ここまで本気になるとは思わなかったよ。正直心配だ」

「大丈夫ですよ、きっと」


 カンナバリはどこまでも楽天的だ。

 不審を顔に宿したミスミを見て、カラカラと笑う。


「ティオ先生も、マイトくん達も、まだまだ未熟な冒険者です。でも、それはパーティでおぎなえばいい。――知っていますか、ミスミ先生。ダンジョン管理組合の規定に、パーティを組まなきゃいけない決まりはないんですよ。だけど、誰もが迷うことなくパーティを組む。ダンジョンは一人で渡れるほど甘い場所じゃないとわかっているからです。足りないところ、危なっかしいところは分担すればいい。ティオ先生だけじゃなく、みんなのことも信じてあげてください」


 カンナバリの言いたいことはわかる。だが、言葉にするのは簡単だが、“信じる”ことを実践するのは難しかった。

 そんな不安を拭えないミスミに、笑顔のカンナバリが快活な声で告げる。


「大丈夫、わたしが保証します。彼らはいいパーティですよ」


 何を根拠としているのかわからないが、とにかくカンナバリは自信満々だ。

 その顔を見ていると、ほんの少し肩の力が抜ける。“信じる”ことはできそうにないが、せめて彼女達の無事を“祈ってやろう”と思った。

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