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扉をノックすると、前回と同じようにほとんど待つことなく中年女性が顔を覗かせた。ソイルの屋敷の使用人はおやつでも食べていたのか、口の端にクッキーの粉が張りついていた。
「また、いらっしゃったんですか。つい先日来たばかりだというのに、今回はずいぶんと早いですね」
ミスミの姿を確認して、使用人は不可解そうに眉をしかめた。
いつ来ても不機嫌なこの使用人は、テス夫人が結婚の際に実家から連れてきたと聞いたことがある。成り上がりのソイルが気にくわないらしく、現状に不満を抱いているのは態度でわかった。介護にも協力的ではないようで、彼女がソイルの寝室に入ったところを見たことがない。
「奥さんはいらっしゃるかい?」
「お待ちください」
ぶっきらぼうに答えて、使用人は奥に引き返していく。
今日はノンがいないので、落ち着いて待つことができた。玄関口に備えられたイスに、おとなしく腰かける。
「どうなさったのですか、ミスミ先生」
ほどなくして姿をあらわしたテス夫人は、戸惑いを表情に塗り込めていた。突然の来訪に不安がっているようだ。
「少しお時間よろしいでしょうか。お話があります」
「それは、構いませんが……。今日は診察ではないのですよね」
「そうですが、無関係というわけではありません。ソイルさんの新しい治療法について相談にまいりました」
テス夫人は疲労が濃く浮かんだ目を細めて、わずかに困惑をにじませる。少し迷ったふうに顔を巡らせ、逡巡した末に応接間に案内してくれた。
ミスミは応接間に足を踏み入れ、内心驚く。以前は確かソイルが好みそうな派手な造形をしていたはずが、すっかり落ち着いた雰囲気に様変わりしている。ソイルが寝たきりになったことで、テス夫人の色に染めなおしたのだろうか。
「新しい治療法とは、どういうことでしょうか?」
使用人が淹れた茶を一口すすり、ミスミはノドを湿らす。
「まだ確立されたわけではないので時期尚早だと思うのですが、魔力を用いた血液の循環方法が見つかりそうなんです。これを使えば、ソイルさんの介助が格段に向上します。奥さんの負担も減るはずです」
「あの、すみません。よくわからないのですが」
「ああ、そうですよね。どう言えばいいだろう――」
ミスミはボサボサ頭をかいて、どう説明すれば医療知識の乏しい人に伝えられるか考えた。
結局はできうるかぎり懇切丁寧に解説していくしかないと思い立ち、身体の仕組みから順序だてて言って聞かせる。
だが、話を聞くテス夫人は無表情で、ミスミの熱意とは裏腹に響いているようには見えなかった。
「わかったようなわからないような……」
「すみません、教えるのがヘタで。昔から指導は苦手なんですよね」
テス夫人は苦笑を浮かべて、ゆるりと目を伏せた。
「その魔力による血液循環は、夫の病を治療するものではないのですね」
「はい、あくまで延命治療です。残念ながらご主人の病気を治療するものではありません」
「それでは……必要ありません。申し出はありがたいのですが、主人は延命を望んでいません」
思いもしなかった言葉だった。介護に熱心なテス夫人なら、喜んでくれると思っていた。
ミスミはショックで声が出ない。先走りだとわかりながらも話を持ってきたのは、テス夫人の心労を少しでも癒やせると考えたからだ。これでは、むしろ苦しめている。結果として旦那の延命を拒否する辛い選択を、彼女自身にさせてしまった。
「主人は自ら死を選ぶような弱い人ではありません。ですが、回復の見込みがない苦しみがつづくことを望んでもいません」
ぐうの音も出なかった。それからミスミはまともにテス夫人の顔を見れず、おためごかしの会話でつなぎ、早々に退散する。
屋敷を出たところで、深いため息がもれた。あさはか自分が情けない。
その丸まった背中に、不機嫌そうな声が投げかけられる。
「ちょっと待ってください」使用人が駆け寄ってきた。「これ、奥様からです」
差し出されたのは、金――おそらくは今回分の治療費ということだろう。
「これはもらえない。今日は話をしただけだ」
「いいからもらっときなよ。あって困るもんじゃないんだ」
唐突にくだけた口調となって、使用人は強引に手渡してきた。
面食らいながら、手のひらにおさまった金に目を落とす。正直言うと、すごくありがたい。
「あんたさ、わたしのこと嫌いだろ」
「は?」
いきなり突きつけられた言葉に気が動転して、とっさに返事ができなかった。なぜ急にこんなことを言いだしたのか、理解できず困惑が胸に広がる。
「わかるよ、それくらい。旦那様の介護を手伝わない嫌な女だと思ってんだろ」
思ってないと言えば、ウソになる。もちろん口にはしないが。
使用人は渇いた笑いをもらし、ちらりと屋敷に目を向けた。
「言い訳になるけど、旦那様がまだ起きていられた間はちゃんと仕事をしてたんだ。旦那様のことは正直好きじゃなかったけど、こっちもプロだからね。命じられたことは完璧にこなした。わたしが手を出さなくなったのは、旦那様が寝たきりになってからだ――」
言われてみると、使用人がソイルの介助をしていた記憶がある。寝たきりになった時期が分岐点であったのだ。
「どうして手伝わなくなったんだ?」
「わたしの意思じゃない。やらなくていいって、奥様に言われたんだ。たぶん旦那様のみじめな姿を見られたくなかったんだろうね。寝たきりになってからは、奥様が一人で介護に当たっていた。見舞客もほとんど断っていた。あんたくらいだよ、寝たきりの旦那様と面会できたのは」
「そうだったのか……」
病人に付き添う介護者は、心身の疲弊により病んでいくことがある。テス夫人も日々の介護がじょじょに心をむしばみ、かたくなな想いにとらわれていったのかもしれない。
他者を頼らない孤独な介護は、苦しみしか生まない。
「教えてくれて、ありがとう。でも、どうして急に話してくれる気になったんだ?」
「あんたと会うのは、これが最後になるかもしれないからね。悔いが残らないように、言いたいことは言っておかないと」
「最後って?」
「奥様にヒマをもらったんだ。父ちゃんが倒れて、田舎に戻ることになった。今度はわたしも介護の当事者になる」
そう言って、使用人はおかしくもないのに声を上げて笑う。普段の不機嫌そうな顔は、そこには存在しない。
でも、ほがらかな笑い声の根元に、不安が横たわっていることは隠しようがなかった。介護と向き合う心細さが透けて見える。
「……ムリはするんじゃないぞ。しんどいときは周りに助けてもらえ。一人で抱えるには重すぎる仕事だ」
「わたしは奥様みたいにマジメな女じゃない。心配しなくても、適当に手は抜くさ」
ミスミは少し口元をゆるめて、軽くうなずいた。
病人も人間なら、介護者も人間だ。人間には限度があって、どこかで線引きしなければいけないときもある。
使用人はフッと短く息をついて、もう一度屋敷に目を向けた。つられてミスミも屋敷を見上げる。
「結果論になるけど、あんたが本当に治療しなくちゃいけなかったのは、奥様のほうだったのかもしれないね」
ソイルはダンジョン街にきたミスミのはじめての患者で、もう何年も屋敷に通っている。だが、派手な外観に目を奪われて、つたない造りに気づいたのは、かなり後になってからのことだ。ミスミはたくさんのことを見逃していたのだろう。
これまでも、たぶん、これからも――
※※※
ひどく緩慢な動作で、食事を口に運ぶエルザを見ていた。
たとえ心臓が止まっていたとしても、血液が流れて身体を動かせる機能が残っている以上、栄養補給は必要になるというミスミの判断に従いティオは食事を用意している。
さらに食料を摂取できるなら、必ず排泄も行われるものだ。人間の体は、そのようにできている。ミスミは排泄物のチェックも欠かさないように指示していた。
当然ながらエルザは断固拒否したが、医療行為だと説得して、ティオは観測をつづけている。
ほとんどが液状の下痢便で、腸の活動が低下していることは分析できた。
「マズい……というか、味がしない」
エルザは表情を変えず、不満をこぼす。
感覚をつかさどる神経が鈍麻しているのは、予想がついていた。
最初にミスミが診察した際、胸元にナイフで小さな傷をつけても彼女は無反応だった。それは現状においても変化はなく、肌が青黒く変色するほど強めにつねってもエルザは何も感じないという。わずかに触感は残っているらしいが、それ以外の感覚はひどく曖昧な状態だ。
「何か気になる点があったら、どんなささいなことでもいいので報告してくださいね、エルザさん」
「気になることは、うん、一つある」
「本当ですか?! おしゃってください、エルザさん!」
ティオは慌ててペンを手に取る。慌てすぎてペンを取り落としそうになり、何度かお手玉した後、どうにかつかみ取って胸を撫でおろす。
その様子を見て、エルザはほんのわずか目尻を下げた。
「それ。そのエルザさんっていうのが気になる。呼び捨てでいいよ」
「えっ、呼び方?」
「年も近いし、同じ冒険者同士だし、何より医術者と患者の関係なわけだし、呼び捨てにしてもらったほうがスッキリする」
「そ、そうですか?」
「その口調も気になる。もっと普通でいいよ」
思いがけない要求に困惑したが、彼女が望むならばと心を決めた。
まだ遠慮がフタをするノドをこじ開けて、ティオは照れながら呼びかける。
「じゃあ、よろしくね、エルザ!」
「こちらこそ。頼りにしてるよ」
顔を見合わせて笑い、改めて握手を交わす。
エルザの手はひやりと冷たく、骨ばって固かった。医術者として何度か対面した、遺体とかぎりなく状態は近い。
でも、彼女は自らの意思で動くことができる。ふいに意識が途切れたり、記憶にまだあやふやなところはあるが、明確に人格をもって活動している。それは、ティオにとって“生きている”ことに他ならなかった。見捨てることはできない。
「それじゃあ、今日はここまでにしようか。また明日くるね」
往診を終えて元ダンジョン管理事務所の小屋を出ると、外で冒険準備を整えたマイト達が待っていた。
「終わったんだよね、早くダンジョン行こう!」
「マイト、焦りすぎ」
またも意気込みが暴走しかけているマイトを、冷めた調子でシフルーシュが咎める。
そんな二人を尻目に、ゴッツが神妙な顔で話しかけてきた。
「本当に行くのかい。ヤブ先生に止められてるんだろ」
「大丈夫だよ。ちゃんと説得してある」
エルザの一件が起きて以来、これまでダンジョン潜りに無関心だったミスミが冒険者活動に難色を示すようになったのは事実だ。
「嬢ちゃんは医術者なんだ。もうムリにダンジョンに行く必要はないぞ」
直接的に口にすることはないが、心配してくれているのだと思う。ダンジョンが危険な場所だと頭では理解していても、実際に被害と直面する機会がなければ心からの危機意識は芽生えないものだ。医者として冒険者と関わってきたミスミであっても、そうだったのだろう。
ティオも不安を拭えないでいた。ダンジョンの恐ろしさを改めて実感している。
だけど、行くと決めた。たとえミスミに制止されても、この決心は揺るがない。
「エルザさん治療の糸口は、ダンジョンにあります。行かせてください!」
「それは、嬢ちゃんでないとダメなのか? もっと他に、調査に適した冒険者がいるんじゃないか?」
「そうかもしれません。でも、わたしが担当医です。わたしが、彼女を助けたい。――安心してください、絶対にムチャはしない。これでもそれなりに経験を積んだ中級冒険者なんですよ。信じてください!」
根気よく話し合って、最後にはミスミも納得してくれた。
「ティオって、案外ガンコだよな」と、苦笑して言ったミスミの顔を鮮明におぼえている。
自分でも、こんな一面が隠れていたのだと驚いた。冒険者という一点で、エルザに自分を重ねていたのかもしれない。
「行こう、ティオ姉ちゃん」
「うん、行こう!」
急かすマイトに答えて、気合いを入れる。はじめてティオは、自らの意思でダンジョンに踏み出した。
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