<6>

 アレルギー疾患の根本治療は難しいとのことだった。原因物質を摂取しないように注意して、上手に付き合っていくしかないという話だ。


 任せっきりだったミスミの診断は終了し、ここから先はジュレイオ自身が用心して日々を送らなければならない。

 少し心細いが、しかたのないことだ。彼には帰る場所がある。ミスミは明日の朝、出発することになっていた――


「女王様、よろしいでしょうか」


 夜更けに突然来訪者はやって来た。里の者の声は、すべて記憶している。ジュレイオは温かく彼女を迎え入れた。

 悲痛な表情で足を踏み入れたシフルーシュが、顔を合わせた瞬間、出し抜けに深く頭を下げる。ヒザ小僧に額をぶつけるのではと、ちょっぴりハラハラした。


「このたびは申し訳ありませんでした。わたしのせいで、女王様を苦しめることになってしまった。なんとお詫びすればいいのか……」

「なぁんだ、そんなことか」ジュレイオは苦笑して、からかうように年の離れた仲間の頭を軽く叩いた。「シフルのおかげで呪いの正体が判明したのだから、お礼がしたいくらい。気にする必要なんて、まったくないのよ」


 おずおずと顔を上げたシフルーシュの目には、まだ自責の思いが残っている。「でも……」

「はいはい、反省はもうおしまい。これ以上、わたくしを困らせないで」


 里長が気持ちを押しつけると、下の者は受け入れるしかない。不安に色濃く染まったまま、しぶしぶシフルーシュは小さくうなずいた。

 パンと両手を打ちつけて小気味良く鳴らし、区切りの合図とする。ジュレイオは改めて眼前に立つ少女の姿を眺めて、穏やかに微笑みかけた。


「それで、まだ何かあるのでしょ。もったいぶっていると、朝になっちゃうわよ」

「えっ、どうして――」


 シフルーシュは息を飲んで身をすくめる。目の奥の自責をかき消すように、驚きが満ちていった。


「わかるわよ。わたくしは、あなたを生まれたときから知っているのよ。顔を見れば、何か伝えたいことがあるのは感覚的にわかる」


 あくまで感覚的なものなので、方法を理論立てて説明することはできないが、相手の顔色を見て考えを見抜くのは得意であった。里のエルフだけではなく、人間相手であっても大体は予想できて、そのほとんどが当たった。

 珍しく読み切れなかったのは、医者として診察にあたるときのミスミくらい。そういえば、ロックバースも考えを読めなかったことを思い出す。医療に従事する者は、患者の前では分厚い仮面をかぶる性質があるのかもしれない。


「実は、女王様にお願いがあります」よほど緊張しているのか、声が少々上ずっていた。

「何かしら?」

「わたしが、里の外に出ることをお許しください!」

「いいわよ、行ってきなさい」


 あまりにもあっさりと了承され、シフルーシュは拍子抜けして呆けた表情を浮かべる。ようやく、その目から自責が消えた。

 振り絞った勇気に、すんなりとした返事は釣り合わないと思ったのか、了解をえたというのに少し不満げである。それがなんだかおかしくて、ジュレイオはひそかに笑いを押し殺した。


「外に出ることを禁止になんてしていないのよ。わたくしに断る必要もない。あなた達は自由なのだから、好きに生きなさい」


 かつての抗争が尾を引き、エルフは自縛して閉鎖的な暮らしを送るようになっているが、それを拒むことも望むこともない。保守だろうと改革だろうと好きにすればいいのだ――何事も自由に、思うがままに生きたいように生きる。それが、里長に選ばれたジュレイオの唯一心に決めていた新しい掟だった。


 これまで外の世界に対する興味を大っぴらに語る者はなく、ジュレイオのスタンスが知れ渡ることがなかったので不安だったのだろうが、当然シフルーシュの決断を拒んだりはしない。


「本当によろしいのですか?」

「もちろんよ。それで、外の世界に行って、シフルが何がしたいの?」


「えっと、それは……」一瞬言いよどんだシフルーシュであるが、意を決するとまっすぐ目を合わせて言った。「冒険者になります。ミラー兄様のように、ダンジョンに潜ってこようと思います。マイトといっしょに!」


「それはいいわね、がんばってきなさい。でも、ムリはしすぎないようにね。生きて戻って、お土産話を聞かせてちょうだい」

「はい、必ず!」


 力強く答えたシフルーシュの笑顔が眩しい。

 里長として決して表に出すことはないが、内心ちょっぴり嫉妬していた。彼女のように外の世界へ飛び出して、思うがままに生きてみたかった。自由を保障する新しい掟を施行するためには、里長は不自由な立場にいなくてはならない。


「まるで呪いね」


 ぽそりと独り言をもらし、自嘲する。里長に祭り上げられたときから、望むモノを与えることはできても、えることはできなくなった。これも一種の呪いだろう。

 ミスミにもきっと治せない、“女王の呪い”だ。


※※※


 別離の朝がきた。


 出発の用意を終えたミスミとマイト、そして新たに旅立つことになるシフルーシュの三人を、ジュレイオは見送るために里の境界線へ足を運ぶ。

 一足先に待っていたミラーリングが、何やら彼らに声をかけていた。いつもと変わらなぬ高圧的な態度であったが、声の質にかすかな名残惜しさを感じた。


「本当に送らなくてもいいのか?」

「わたしが案内するから大丈夫。任せてよ、ミラー兄様」

「……そいつは不安だ」


 マイトのつぶやきを耳ざとく聞き逃さなかったシフルーシュは、手を上げて殴るフリで怒りをあらわす。冗談めかしたやり取りに、微笑ましい気持ちになった。エルフと人間の新しい関係は、ここから築かれていくのだろう。


 そんな二人を仏頂面で見下ろしていたミラーリングは、ふと思い立ったようにミスミへ視線を移した。しばらくボサボサ頭のつむじを探るように凝視して、面倒そうなそぶりを交えて手を差し出す。

 その意味に気づくと、ミスミは苦笑しながら手を取った。どことなく遠慮がちに、二人は握手する。


「女王様の呪いを解く方法を探してダンジョンに潜ったことを、時間の無駄だったと後悔したこともあったが、間違ってはいなかったようだ。遠回りであったが、お前と知り合うきっかけになったのだから、あの冒険の日々は必要だったのだな」ぽそぽそと聞き取りにくい声で、不器用に心情を口にした。「感謝している」


 伝えたかったのは、最後の一言。ミラーリングのすました顔に、ほんの少し赤みが差した。

 ミスミは小さくうなずいただけで、言葉を返すことはなかった。プライドの高いエルフに、無用の応対をさせぬための心遣いだろう。


 それから、ゆっくりと――だが、確実に、別れの儀式を一つ一つ片づけていく。

 シフルーシュの涙ながらの挨拶にはじまって、ミラーリングは冒険で愛用していた弓をかわいい妹分に贈り、ジュレイオは心ばかりの謝礼を渡した。そうして最後にミスミが、「では、ジュレさん、俺達はそろそろ行きます」


 頭を下げた三人が、思い思いのタイミングで森に踏み出していった。

 遠ざかる背中を見送りながら、ジュレイオは胸に熱いものが去来するのを感じた。


「あの、ミスミ先生!」


 思わず呼び止めてしまったが、何か言いたいことがあったわけではない。悩んだ末に口にしてしまった言葉を、自分でもバカげた質問だと思った。


「また診察に来てくれますか?」

「えっと、それは……」


 ミスミはぎこちない表情で声を詰まらせた。

 医者の仮面を外したミスミの考えを見抜くのは、たやすいことだった。無理強いはできないと、ジュレイオは頭を振って、質問を取り消そうとする。

 だが、そこに思わぬ声が重なり響く。


「こいつの体力では、また森を抜けて里まで来るのは難しいでしょう。女王様が会いに行くほうが現実的です」

「ミ、ミラー?」


 予想外の助言に、翡翠色の目を丸くする。

 これまで呪いを解くために奔走してくれたミラーリングであるが、あくまで“女王”に対する忠義立てであって、女王のありかたから外れるような振る舞いがあれば小言をもらすことも少なくなかった。個人的な問題に、口をはさむようなエルフではなかったはずだ。

 ジュレイオは戸惑い、「どうして?」と目で問いかける。


「わかりますよ。生まれたときから、ずっとあなたを見ているのですから」


 ミラーリングは穏やかな表情で、どこかで聞いたようなことを言う。

 そこで、ふと思い立った。これまで本当に個人的な願望を、表に出したことはあったろうか、と。ささいなワガママや思いつきは口にしても、ジュレイオ個人の感情は女王の冠で自ら押さえつけていたのではないだろうか、と。

 真に女王を呪っていたのは、ジュレイオ自身だったのかもしれない。


「ダンジョン街で待ってます!」


 森を抜けるゆるやかな風に乗って、ミスミの声が届いた。


「待っていてください。必ず会いに行きます!」


 ジュレイオは大きな声で答えた。女王の仮面を外した、一人のエルフの女として。


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