865.無礼者の鼻は、へし折るでしょ!

 楽しい晩餐会の雰囲気を一瞬で壊した怒声を張り上げたのは、きらびやかな装飾品を身に纏った老人だった。


 アンナ辺境伯を怒鳴りつけている。


 俺は『隠密』スキルで気配を消したまま、人々の間を縫ってそっと近づいた。


「コバルト侯爵、あなたにとやかく言われる筋合いはございません。国王陛下から許しを得た移民募集です。あなたの領の人々が、我が領に来るのは、領政に問題があるからじゃありませんか?」


 アンナ辺境伯は、全くひるむことなく、余裕の笑みを浮かべながら言い返している。


 この無礼な老人は、コバルト侯爵のようだ。


 前にユーフェミア公爵が情報を教えてくれたときには、確か五十五歳ということだったが、六十五歳くらいに見える。

 そして、上級貴族しかも領主とは思えない……下品な感じのオーラをまとっている。

 その品性が、苦虫をかみつぶしたような顔に思いっきり出ている感じだ。


「何を! 小娘ごときが、領政の何がわかると言うのだ! 領民を守れなかったくせに、どれだけの命を失わせたのだ!? 無力な領主の夫人が領主になったとて、より無力だろうに。哀れなものよ。また大勢死なせるのではないか?」


 コバルト侯爵は、激昂している。


 そして、絶対に許せない暴言を吐いた。

 アンナ辺境伯とともに、領民のために命をかけたご主人まで侮辱している。

 絶対に許せない!


「お母様への侮辱は許しません!」


「お父様への侮辱も許しません!」


「「下がりなさい、下郎!!」」


 おっと! 俺が割って入ろうと思ったら、いち早くピグシード家の姉妹ソフィアちゃんとタリアちゃんが、両手を広げてアンナ辺境伯を庇うように立ち塞がった。


「げ、下郎だと……。小娘が……。母親が母親ならば、娘も娘だ! 全く教育がなってないようだな! ワシへの侮辱は許さんぞ! 謝れ小娘ども!」


「謝りません! あなたのような貴族の風上にもおけぬ者に、頭を下げることなどできません!」


「私も同じです! これ以上近づかないでください!」


 すごい気概だ、この二人。

 ソフィアちゃんは十三歳、タリアちゃんは八歳だが、母親を守るという凄い気迫だ。

 実に、頼もしい。


 実力的にもこの二人になら任せても大丈夫だが、相手は上級貴族しかも領主だ。

 この子たちに、暴力沙汰を起こさせるわけにはいかない。


 ここは、ピグシード家家臣の俺の出番だろう!


 俺の怒りも爆発しそうなのだ。

 命は取らないけど……コテンパンにしてやりたい気分だ!

 さて……どう成敗してやるかなぁ……。


「お待ちください! 我が主人に対する失礼な物言い、見過ごすわけにはいきません。謝罪してください」


「なんだと! 若造が! お前がしゃしゃり出るところではないわ!」


「いや、私が出るべきところです! 私はアンナ様の家臣ですから。アンナ様への侮辱を見過ごすわけにはいきません!」


「貴様! ワシをコバルト侯爵と知っての狼藉か!?」


「いえ、存じませんでした。コバルト侯爵閣下でしたか。まさか侯爵位を持つ上級貴族で、領地を収められる方が、こんなにも下品で、汚く情けない言葉しか出せないとは夢にも思いませんでしたので! 大変失礼いたしました。まさかこんなに品性下劣な人間が、コバルト侯爵閣下とは本当に夢にも思いませんでした! 私はただ、見識がなく無礼で醜い者から主君を守ろうとしただけなのです。お許しください」


 俺は、丁重に頭を下げた。


「何だと! 貴様! ふざけおって! そこになおれ! 無礼討ちにしてくれるわ!」


「何か失礼な事でも言いましたでしょうか? 私は事実を述べて、侯爵閣下だと気づかなかったことをお詫びをしただけですが……」


「貴様……ワシが見識がなく、無礼で、下品だというのか!」


「はい。全く見識のない方とお見受けいたします。命をかけて『領都ピグシード』の人々を守った前辺境伯の何を知っているというのですか? 悲しみの中、領民のために辺境伯位を継いだアンナ様の何を知っているというのですか? ……そんな見識のなさでは、領政が乱れるのも当然ですね。領民が逃げ出すのも、無理はありません。閣下の領政は、領民から認められていないようですね。誰が住み慣れた土地を離れたいと思いますか? 先祖代々住んできた土地を離れてでも、新天地に望みを持つしかない領民の何を知っているのですか? 目がお悪いようですね。何も見えていらっしゃらないようだ。後で、目の薬を差し入れましょう」


 俺は、ムカつきを抑えることができず、毒付いてしまった。

 そして最後に、思いっきりニヤリと笑ってやった。


「むう……き、貴様!」


 俺の狙い通り、コバルト侯爵は激昂して、俺に襲いかかってきた。

 俺は、スルリと体を躱した。


 体を躱しただけなのだが、たまたま足先が彼の足にちょっと当たってしまったようだ。

 あくまで偶然である……。


 ——ドスッ


 コバルト侯爵は、転んで顔から床に落ちた。


 見事に鼻を打ったようで、鼻血が垂れている。

 鼻っ柱をへし折ったとはこのことか……。


「おのれ……無礼者め……」


 立ち上がって、また掴みかかろうとしてきたので、当然また躱した。


 コバルト侯爵は、また転んで、更に鼻を強打したようだ。

 もう鼻が折れてしまっている感じだ。


「お、おのれ……ただでは済まさぬからな……。貴様の命は、もうない。覚悟しておけ……」


「言いがかりは、やめていただきたい。私は晩餐会で殴りかかってくるという無礼な輩に対し、身を躱しただけです。無礼者が勝手に転んで、怪我をしたのでしょう。ここには多くの証人がいますから、私が一切手を出していないことは認められるでしょう」


 俺はそう言って、またニヤけ顔をしてやった。

 もう閣下とも言わずに、平然と無礼者と呼んでしまったけどね。

 我ながら、大人げない気もするが……。

 まぁこんなゲス領主に対してはいいだろう。

 正直、だいぶイラッとしているのだ。

 侯爵でなかったら、ほんとにボコリたい感じだよ。


 ソフィアちゃんとタリアちゃんは、笑顔でガッツポーズを取り、アンナ辺境伯はその奥で笑っている。

 そして周りで見ている貴族たちも、誰も止めない。


 みんなスカッとしたような顔をしている感じだ。

 きっと……スカッとしてくれてるんだよね。

 こんな奴、やっつけちゃわないとね。


「いやいや、これは楽しい余興だったね。まさか……天下のコバルト侯爵ともあろう方が、本気で感情をあらわにして、主君を守ろうとした他領の家臣に、殴りかかるなんて事はしてないよね? コバルト侯爵の演技は、素晴らしいね。血糊まで用意して、迫真の演技力だよ。ハハハハハハ」


 そう言って登場したのは、なんと国王陛下だった!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る