《第二十二章 夫婦戦線異常あり》⑤


 勇者一行がシンシアの誕生日祝いの準備を着々と進めている頃、ライラの瞬間移動呪文によって街に着いたシンシアはカフェでケーキを堪能し、紅茶を口に運ぶ。


 「美味しかったです」とシンシアがふぅとひと息つく。

 「喜んでもらえてうれしいわ」ライラがけらけら笑いながら自らも紅茶を啜る。

 「でも本当にいいのですか……? ご馳走になって……」

 「えーのえーの! ウチがしたいんやから。それに今日は」


 シンシアちゃんの誕生日やしね、と出かかった言葉を慌てて飲み込む。


 「今日は?」シンシアが首をかしげる。

 「なんでもあらへん! ほら前に言うとったやろ? いつかシンシアちゃんとご飯食べに行こって。ま、ご飯やなくてケーキやけどね」


 わたわたと誤魔化すライラにシンシアはますます首をかしげる。


 「そ、それより、なにか買い物行かへん? ウチ買いたいものあるんやけど」

 「でも……」


 シンシアが足下の食材が入った買い物籠を見る。この街で揃えてきたものだ。


 「たまにはええんやない? 息抜きにパーッと遊ぶのも大事やで?」


 なるべく時間稼ぎをしなければならない。ライラはなんとか引き延ばそうと提案する。


 「うーん……」


 それでも躊躇うシンシアの手をぐいっと取る。


 「難しいこと考えとらんで、ウチとデートしよ?」


 にかりと笑みを浮かべるライラに、シンシアはふぅと溜息をつくと「しかたないですね」と微笑む。


 「よっしゃ! ほな行こか!」



 その頃、勇者とシンシアの家ではセシルが最後の飾りを取り付けたところだ。壁に『お誕生日おめでとう!』の幕が垂れ下がっている。


 「飾り付け終わりました。なにか手伝うことはありますか?」

 「助かる。じゃあこの生地にタネを入れて包んでくれ」


 タオがセシルに手本を見せる。小麦粉と水で作られた生地を等分に切り分け、その上に豚肉と牛肉のひき肉、玉ねぎをよく混ぜたタネを大さじ一杯分乗せて皮を回転させながら包むと完成だ。


 「難しいですね……これは何ていう料理なのですか?」と指を懸命に動かしながらセシルが聞く。

 「パオという料理だ。俺の故郷の言葉で『包む』という意味で、祝い事のときに食べるんだ」


 セシルがタネを包むかたわら、タオはもう一品の料理に取りかかる。

 縦に切れ目を入れたナスを鍋に並べてオリーブオイルを回しかけて火を入れる。


 「それもタオさんの故郷の料理なのですか?」

 「いや、これはノルデン王国でヤンソンさんから教わった料理なんだ」


 坊さんの気絶――、変わった名前の料理だが、タオによればライラの好物なのだそうだ。


 「次に玉ねぎ、ニンニク、トマトをフライパンで炒めてと……」


 フライパンに火を通すとたちまちニンニクの香ばしい匂いが漂う。


 「良い匂い……」鼻腔をくすぐられたセシルが溜息をもらす。




 同時に裏庭にいるふたりもセシルと同じように鼻腔をくすぐられている。


 「やっぱりタオの料理の腕は一流だな」

 「同感だの。そこ押さえてくれるか?」


 言われたとおり勇者が押さえると、アントンが木づちを振るってコンコンと音を響かせる。


 「なぁアントン」

 「ん? どうしたぁ?」

 「いや、そのさアントンも夫婦生活で悩みってあるのかなって」

 「そらぁドワーフもエルフもおめぇら人間と同じように悩みはふつうにあるでな」

 「だよな……恥ずかしい話だけど俺、あいつがいないとなにも出来ない男なんだよな……」


 ドワーフはうん、うんと頷きながらも木づちを振るう。見ないで正確に叩けるのはドワーフならではだ。


 「ただ、これだけははっきりと言える。ひとりで暮らすより、あいつと一緒にいるほうが、何倍も楽しいって」

 「それも俺ぁと一緒だ」アントンが頷く。

 「俺ぁたちは人間と違って長生きする種族だからのぅ。時間の感覚は違うかもしれんが、一緒にいるほうが楽しい、その点は人間と一緒だ」


 コンコンと音が響く。


 「俺ぁは頭が悪いからのぅ。難しいことはよくわからねぇが、結婚しても互いのことを、いつまでも好きだと思えるのはとても幸運なことだ、と俺ぁは思うがの」

 「ん……」


 ぽりぽりと勇者が頬を掻く。


 「まさか、ドワーフに慰められるなんてな。しかも恋愛のことで」

 「ちげぇねぇ」とドワーフががははと笑う。

 「さ、ぱっぱっと仕上げねぇとシンシアちゃんが帰ってきちまうぞい」

 「おう」


 と、そこへライラの思念が勇者の頭に響く。


 『大変や! シンシアちゃんが帰るって言うてるんやけど!』


 聞き慣れない方言ががんがんと響く。


 「どうした! なにがあった!?」


 早すぎる……! 


 まだ時間が足りない。それにシンシアの実家ではまだレヴィがケーキ作りの最中だろう。


 『ウチが下着店で下着の試着してて、シンシアちゃんに見てもろうたんやけど、いきなり帰るって』


 なるほど、だいたい状況は掴めた。貧乳をコンプレックスに感じているシンシアにライラが巨乳を見せつけては帰りたくなるというものだ。


 「うん、それはお前が100%悪いな」

 『なんやて!?』

 「とにかく、なんとか時間を稼ぐんだ。こっちはまだ準備が終わってないんだ」

 『なんとかせぇって言うたかて、どうしろ言うのん!?』

 「とにかく、なんとかしてくれ!」

 『ああもう!!』


 思念による通話を終えた勇者はアントンに向き直る。


 「悪い、アントン。ひとりで大丈夫か? 俺はみんなの様子を見てくる!」

 「おお、もうひとりで出来るぞ」


 勇者が頷くと、まずはタオとセシルの様子を見に行く。


 「タオ、セシル! 準備はどうだ?」

 「あ、勇者様。飾り付けは終わりましたよ」


 セシルが皮を包みながら言う。


 「こっちはまだかかるな。あとひとり人手があればいいが……」


 タオが鍋の様子を見て言う。


 「そうか。実はシンシアが予想以上に早く帰ってくるんだ。なんとか間に合わせてくれ」

 「おい!? そりゃどういうことだ!?」


 だが、勇者はすでに家を飛び出していた。目指すはシンシアの実家である。


 「おばさん、レヴィさん! どうですか?」


 ドアを開けるなり勇者がそう言った。家の中には甘い香りがふわりと漂っていた。

 「あら勇者様」母がのんびりした声。

 「ちょうどいまケーキをオーブンに入れたところですの」レヴィが音色を思わせる声で答える。


 「あとどのくらいかかりそうですか?」

 「えぇと……」レヴィが細い指を顎にあてて「あと30分といったところですわね」と緊張感のかけらもない声で言う。


 30分。それでは到底間に合わない。


 「出来るだけ急いでください。シンシアがもうすぐここに帰ってきてしまうんです」

 「あら、それは大変ね」母も緊張感のない声。


 勇者がのほほんとするふたりを後にして家を出るとライラに思念で様子を聞く。


 『いま街道の半分近くまで来とるんやけど、シンシアちゃんさすがに怪しんできてるで』

 「わかった。ライラ、お前は適当に理由つけて帰るって誤魔化して、こっちに来てタオを手伝ってくれ。瞬間移動で気付かれないようにな」

 『了解や!』




 まったく……さっきから無理な注文押しつけといて……!


 勇者との念話を終えたライラが不満をぶつぶつと零す。

 ふたりは街から村へと通じる街道を並んで歩いていた。

 シンシアから「瞬間移動は使わないのですか?」と突っ込まれたが、魔力が足りないということでなんとか誤魔化したはいいものの、不審さは拭えない。

 なんとか会話で時間を稼ごうとはするものの、当のシンシアは上の空だ。

 おまけに勇者からタオを手伝ってくれと言われているのだ。

 いずれにしても時間はあまりない。


 「あー! そういえば用事があるの思い出したわ! シンシアちゃんごめんな。ウチはここで失礼するわ」


 強引ではあるが、この際手段は選べない。


 「え、ええ……今日はありがとうございました」


 困惑顔のシンシアを置いて、ライラが街のほうへ走る。しばらくしてシンシアが見てないことを確かめると、すぐさま瞬間移動呪文を唱えたライラは村へと飛翔した。



 「なんとかしたけど、ウチに出来るのはここまでやで」


 勇者のもとへ瞬間移動したライラが着くなりそう言った。


 「よくやった! タオを手伝ってやってくれ」


 ライラが家へ向かうのを確かめると、勇者は腕組みして考える。


 料理のほうはタオ、セシル、ライラの三人がいれば大丈夫だろうし、アントンはたぶん間に合うだろう。問題は……




 「あら、勇者様。ケーキはまだ焼けてませんよ」


 相変わらずレヴィが緊張感のない声で様子を見に来た勇者に言う。


 まずい。このままだとシンシアがレヴィと鉢合わせになるのは時間の問題だ。

 少しでもいい。なにか時間が稼げれば……。


 家を出た勇者はなんとか知恵を絞り出そうとする。と、そこへ勇者に声をかける者があった。




 「ふぅ」街道から村に着いたシンシアはひと息つく。ここまで来れば実家まではあとわずかだ。

 家へ向かおうとするシンシアを呼び止める者があった。


 「シンシアちゃん、おつかい?」


 シンシアの女友達、ニナだ。左右には同じく女友達のネルとアンもいる。


 「うん、いま帰ってきたところなの」


 シンシアが女友達とおしゃべりを始めたのを勇者は木の陰から様子をうかがう。

 アンから声をかけられて、事情を話すと快く足止めを引き受けてくれたのだ。


 これでよし。しばらくは時間が稼げるはず……!


 「ライラ、そっちはどうだ?」

 『まずいで。コンロがふたつしかあらへんから、思ったより時間かかるで!』

 「そこをなんとかしてくれ!」

 『なんとかしろって言われてもどうしたらええんよ!?』

 「お前は魔女だろ? 魔法でなんとかするんだ」

 『あ、そうか。そうやったね。ほななんとかしてくるわ!』


 勇者との念話を終えたライラは勇者の家の居間の床に魔法陣を素早く描くと呪文を唱える。

 するとその魔法陣の部分だけ熱を帯び始めるようになった。


 「出来たで! 即席コンロや!」

 「よし! じゃ鍋を置くぞ!」


 タオが鍋を魔法陣の中心に置く。これですべての料理の準備は整った。あとは火が通ったら皿に乗せるだけだ。


 「こっちは準備万端や!」


 ライラが勇者に念を送る。すぐに『でかした!』と返事。



 ライラから報告を受けた勇者は再び木陰から様子を見る。おしゃべりが終わったのか、シンシアが手を振って別れる。

 勇者はすぐに実家へと一足先に駆ける。ドアを開けると、ちょうどレヴィがオーブンからケーキを取り出すところだ。


 「出来上がったんですね!?」

 「いいえ、これから仕上げにかかりますの」


 レヴィがふるふると首を振る。


 なんてこった……! シンシアはすでにそこまで来ている……!


 「レヴィさん、とにかくそのまま来て下さい!」

 「はい。あ、でも胡桃や木の実をかけないと」

 「俺の家で続きを! おばさん、シンシアが来たら家に来るよう伝えてください」


 ばたばたと裏口から胡桃の入ったボウルとケーキを皿に乗せたレヴィが出る。

 シンシアが「ただいま」と帰宅を告げたのが数分後である。

 駆け足で家に戻った勇者はドアを開けると、開口一番に「どうだ?」と聞く。


 「準備完了です!」

 「ちょうど出来上がったところだ」

 「なんとか間に合わせたで!」


 三人同時の報告に勇者は頷くと裏庭に回る。


 「アントン、そっちはどうだ?」

 「いま完成したところだぁね」


 勇者がシンシアへの贈り物の出来栄えに満足する。


 「よし! 家に入って手伝ってくれ!」


 アントンが家に入ると仲間が全員揃った。


 「みんな、最後の仕上げだ。もうすぐシンシアがここへ来る。それまでにこのケーキを完成させるんだ」


 出来上がった生地に砕いた胡桃と木の実でコーティングさせるべく勇者一行はそれぞれ材料を手に蜂蜜が薄く塗られた生地を胡桃や木の実で覆っていく。



 「今ごろなんなのよ……」


 実家に帰ったら、母から夫の勇者が家に来るようにと告げられたシンシアは家への道をてくてくと歩く。

 実家から家まではそうかからない。すぐに見慣れた家が見えてきた。


 「出来た!」一行がエルフのケーキ完成に喝采をあげる。

 「ライラ、氷の魔法で固めてくれ」

 「よしきた!」


 ライラの呪文によって低温で固められたケーキの上に蝋燭をさし、勇者が火の魔法で着火させる。

 そこへコンコンとノックの音。


 「ただいま……用っていったい」とシンシアが扉から顔を覗かせるのと同時にパンッと破裂音。クラッカーの音だ。


 「お誕生日おめでとう!!」


 一行が一斉に祝いの声をかける。


 「…………は?」


 紙テープが頭にかかったシンシアが、まさに鳩が豆鉄砲を喰らった顔をする。そこへ夫である勇者が前に出る。


 「シンシア。お前の誕生日を忘れててごめん。みんなに手伝ってもらってパーティーを開いたんだ」


 シンシアの手を取って中へと入れる。居間のテーブルにはリーナさんからの差し入れの酒瓶とタオの手料理とエルフのケーキ、胡桃と木の実の蜂蜜ケーキが蝋燭に火を灯している。


 「レヴィさんのエルフのケーキだ。これもみんなで作ったんだ」


 だが、シンシアは無言だ。


 「どうした? シンシア、嬉しくないのか? そうだ、贈り物もあるんだ」


 見てくれ、と勇者が指さしたのはドワーフの手によるロッキングチェアだ。


 「アントンが作ってくれたんだ。俺も手伝ったけど」


 それでもシンシアは無言の体だ。さすがに一行も微妙な空気に緊張感が走る。


 「どうしたんだよ? シンシア。黙ってないで何か言えよ。みんなお前の誕生日を祝ってくれてるんだぞ」


 はぁ……とシンシアが溜息をつく。


 「あのさ」

 「なんだ?」

 「あたしの誕生日、まだ一ヶ月先なんだけど?」

 「え?」一斉に勇者や仲間達の目が点になる。

 「え、いやだって、昨日の朝食、あれ祝うために作ったんだろ?」

 「ホントに覚えてないのね」

 「誕生日じゃないんだったら、なんなんだよ?」


 シンシアが勇者の両頬をつねる。


 「あたしたちの結婚記念日に決まってるじゃない! バカ!」

 「あ……」


 仲間たちの視線が一斉に勇者に刺さる。

 「甲斐性無し」ライラがきっぱりと言う。

 「さすがに俺でも覚えてるぞ」とタオ。

 「俺ぁも毎年必ず祝ってるのぅ。な? レヴィ」アントンがレヴィに同意を求める。レヴィがすかさず「はい!」と答える。

 「結婚記念日を忘れるなんて、さすがにそれはちょっとどうかと……」とセシル。


 グサグサと勇者の背中に視線と非難が突き刺さる。


 「その、ごめん……お前と別れたくなくて……」


 夫の不甲斐なさにシンシアが溜息をつく。


 「ほんと、どうしようもない人ね」

 「う……」そう言われては身も蓋もない。

 「仲間のみんなと祝う結婚記念日なんて聞いたことないわよ」


 シンシアが一行に向き直ると頭を下げる。


 「みなさん、うちのバカがご迷惑おかけしてすみません」


 あんたも頭下げるのよ、とぐいっと勇者の頭を押さえる。一同が互いを見る。


 「まあ、そのアレだ。せっかく作った料理を無駄には出来ないしな。量も多いし」タオが鼻をこする。

 「せやね。せっかくの休日やのにあちこち動き回って疲れたし、パーッといこか?」


 ウチが一番働いたんやない? とライラ。


 「私はお二方を祝福したいと思ってます」セシルがにこりと微笑む。

 「それよか俺ぁは腹ペコだ」

 「もぅ、そんなこと言ってはダメですよ」


 レヴィが夫のアントンを優しくたしなめる。


 「ほ、ほら、みんなも一緒に祝ってくれるし、乾杯しようぜ」


 ほら、と勇者がシンシアの手を取る。


 「もう、しょうがない人ね!」



 「お誕生日」に二重線が引かれ、その下に「結婚記念日」と書かれた垂れ幕の下、シンシアも含めた勇者一行は「記念日おめでとう!」の乾杯の音頭を取る。


 だから、今年の結婚記念日は皆で盛大に祝った。

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