《第二十一章 令嬢姉妹の憂鬱》④
昼過ぎ、令嬢姉妹の住む豪邸の居間にて、勇者は四つんばいで背中に姉ショコラを乗せて馬のように歩いていた。
「勇者様、もっと早く歩いて!」
ぺしぺしっと乗馬用の鞭で尻を叩かれた勇者は肩で息をしながらも何とか歩く。
すでに1時間以上もこうしているのだ。体力が限界に近づいてきたのでまた止まってふぅふぅと息をつく。その度にショコラの鞭がまた入る。
「お姉様、もうそろそろここまでにしては……勇者様が可哀想ですわ」
ミカが優しくたしなめる。
「まだ遊び足りないわ。さ、勇者様。もっと歩いて!」
ぺちんと鞭の音が響く。
「お姉様、そろそろお茶にしては……」
「あら、もうそんな時間なの? ちょうどいいわ。喉も渇いたことだしね」
ミカが注いだ紅茶をショコラが受け取って口につける。そして、ふぅっとひと息。
「あら? なんだか眠くなってきたわ……」
額に手を当てるショコラをミカが椅子に座らせる。
「きっと疲れが出たのですよ。さぁ腰かけてお休みになってください」
ショコラが椅子に座ると、程なくして寝息を立て始める。
「ゆっくり、お休みなさいね。お姉様……」
くるりとミカが勇者に向き直る。
「ごめんなさい、勇者様。姉はいつもこうなんですの」
ミカが申し訳なさそうに勇者の頬に手を触れながら姉の非を詫びる。
「気にしなくていいさ」
「やはり貴方は優しいお方ですね。人々を救う勇者様ですもの」
ミカがふふと微笑む。
姉と違って良い娘だな……。
勇者はミカというこの清純な娘が好きになった。
「あの、」
ミカが気恥ずかしそうに手を口に当てる。
「もし、良ければ、私の部屋に来ませんか……?」
だめ、でしょうか……? の言葉が出る前に勇者が素早く首を縦に振る。
「嬉しい……」
ミカが勇者の手を取って部屋に案内するために居間から出る。ショコラは相変わらず椅子に腰かけたまま寝ている。
その姉を見てミカがわずかに口を歪める。隠し持っていた睡眠薬入りの瓶をスカートのポケットへとしまう。
一方、屋敷の鉄門の前では兵士たちがマルチェロと台車を転がす執事から応対を受けていた。
「マルチェロ様、どうなされましたか?」
「本日は来客の予定はありませんが……」
マルチェロが毅然とした態度で応える。
「実は親戚からお酒を頂いたのですが、量が多いのでガトー家の方々にお裾分けをしようと」
マルチェロが樽と何段も積み重ねられた木箱を指さす。
木箱の隣には大きな熊のぬいぐるみがあった。それこそ大人が入りそうなほどに。
「こちらのぬいぐるみは?」
「ガトー姉妹のおふたりにです。女性に対して、お酒だけでは失礼にあたるかと思いまして」
なるほど、と兵士のひとりが頷く。
「念の為、中身を検めさせていただきます」
兵士が樽の蓋を開ける。中身は確かに
「異常はないようですね。どうぞ、お通りください」
マルチェロが礼を言うと、執事に台車を押すよう命令する。
「お待ちを」と兵士が止める。
急に呼び止められたマルチェロがぎくりとする。隠れているシンシアも同様だ。それでもマルチェロは平静を装う。
「なんでしょうか?」
「そのぬいぐるみも検めさせていただきます。以前、ご令嬢に近づこうと荷物のなかに隠れた不届きな
兵士がぬいぐるみに近づき、中に人が入ってないかどうかを確かめる。
だが、ぬいぐるみは柔らかい、綿の感触しかなかった。
「大変失礼しました。どうぞお入りください」二名の兵士が非礼を詫びる。
屋敷に入ると、老執事が応対に出る。マルチェロが来訪の目的を告げると老執事は「承知しました」と頭を下げる。
「では、お酒は厨房へお願いいたします。あちらの廊下の突き当たりです。このぬいぐるみはご令嬢のところへ運んでおきましょう。おい、これを運んでくれ」と傍らに立つ兵士に命じる。
「よろしくお願いします」
マルチェロが頭を下げると、執事が台車を厨房へと運ぶ。料理長が「そこに置いといてくれ」と隅を指さしたので、そこに台車ごと置く。
そして小声で言う。
「着きました。御武運をお祈りしています」
執事が失礼しますと厨房を出る。しばらくして重ねられたワインの木箱の下段がゆっくりと扉のように開く。
そこから出たのはシンシアだ。料理長に気付かれないように這い出る。
人間は最初に大きな物を見ると必然的にそこに隠れていると思い込んでしまうものだ。
ましてや重ねられた小さな木箱の下段にシンシアが隠れられるよう細工を施してあるとは思いもよらないだろう。
……見てなさい。絶対にあのバカをいけ好かない姉妹から救い出してみせるんだから!
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