《聖伝の章③ ある武器屋の思い出》前編

 

 港町ポルトン、街から歩いて奥まったところにその武器屋はある。

 港町なので世界中から武器や武具が運ばれるため、品揃えは豊富だった。

 武器屋は今日も冒険者や騎士で溢れかえっている。それもそのはず、この武器屋は品揃えが良いだけでなく、あの魔王を討伐した勇者一行が立ち寄った店で有名なのだ。

 武器屋の店主はほくほく顔だ。数年前までは海に魔物が出た影響で客足が遠のいてしまった。

 だが、海上を荒らし回るクラーケンを勇者たちが倒してくれたおかげで客足が伸びていき、たちまち繁盛した。

 いまでも勇者一行がこの店に来たことはよく覚えている。

 なにしろ海賊船が港町に来た日にやってきたのだから……。

 武器屋の店主は遠い記憶に思いを馳せる。




 早朝、空をカモメがみゃあみゃあと鳴いているなか、船着場にいる船乗りや漁師、荷揚げ人たちはみなざわめいていた。

 船乗りのひとりが指さす先に、朝靄のなか、海上に浮かぶのは舳先に人魚メロウをあしらった船首像の帆船。

 だが、船はところどころに穴があき、ひしゃげ、船首斜檣メインマストやセイルはぽっきりと折れてしまっていた。ばたばたと風になぶられるドクロの海賊旗も擦り切れてしまっている。

 帆がないのに船着場へと向かうので人々は「幽霊船だ!」とざわめくのも至極当然。

 やがて船が波止場の前まで来るとゆっくりと減速していき、止まった。

 波止場の船乗りたちはごくりと固唾を飲んで見守る。果たして出てくるのは幽霊か魔物か。


 「ちょいと! 早いとこ渡し板を用意しないか! これじゃ船から下りられないじゃないかい!」


 そう声を張り上げるのは船縁にブーツを履いた片足を乗せた女海賊船長のマーレだ。

 褐色の肌に波打つ黒髪の上に赤いバンダナを巻いた女船長はにかりと白い歯を見せて笑う。

 彼女の右目は黒い眼帯で覆われている。

 船乗りたちが慌てて渡し板を船につけると、まず降りてきたのはドワーフのアントンだ。斧を担いでのしのしと歩く。


 「船もいいが、やっぱ大地がいいのぉ。海は揺れてていかん」と立派な顎髭をしごく。

 「そうか? 俺は良い修行になったけどな」ドワーフの後ろから武闘家のタオが声をかける。

 「あーもう、体中潮臭くてかなわんわ」聞き慣れない方言で文句を言うのは魔女のライラ。

 「大丈夫ですか?」

 「ああ……なんとか……」


 最後に神官のセシルに支えられながら船酔いで青い顔の勇者が渡し板から降りる。

 勇者一行が全員船から降りると周りには人だかりが出来ていた。


 「マーレ船長、乗せてくれてありがとうな!」


 勇者が吐き気をなんとかこらえて礼を言う。仲間達もそれぞれ礼を言う。


 「いいってことさ。久しぶりにこれぞ冒険ってのを感じたしね。あのクラーケンを倒しちまうなんて、やっぱりあんたらタダ者じゃないよ」


 マーレ船長の周りから青いバンダナを巻いた船乗りたちがひょこっと現れる。


 「楽しかったぜ!」

 「魔王の野郎をぶちのめしてやんな!」

 「また酒盛りしようぜ!」

 「がんばれよ!」


 船乗りたちが勇者一行に声援を送る。


 「っと、忘れるところだった。あいつらにも礼を言わないとね」


 そう言ってマーレ船長が船尾に向かう。そこには見目麗しい人魚たちが顔を海面から出していた。


 「ありがとな! あんたらのおかげで無事に着いたわ」


 クラーケンとの死闘でマストを折られ、動かなくなった船を人魚たちが船尾を押して港町まで運んでくれたのだ。


 「お礼言うの、こっちのほう。ありがと。クラーケンたおしてくれて」


 たどたどしくも人魚のひとりが礼を言う。そして手を振って別れを告げると、ぴょんと尾鰭を見せて海中へと潜る。


 「あ、あんたら、本当にあのクラーケンを倒したのかい?」


 人だかりの中からひとりの漁師がおずおずと前に出る。


 「ん? ああ! 俺たちとこの海賊たちで一緒にやっつけたんだぜ!」


 勇者の言葉に船乗りたちはみな、快哉を叫ぶ。船乗りは船に乗って漁をするのが生業。クラーケンによって漁が出来なくなってしまってからはその日暮らしを余儀なくされていたのだから、船乗りたちは活気を取り戻したように喜ぶ。


 「これでまた漁に出られるぞ!」

 「ありがとう! ありがとう! 勇者様! 海賊のあんたらにも感謝してるよ!」

 「誰か船大工を呼べ! 英雄さまの船を直してやんな!」


 勇者一行を船乗りたちが取り囲みながら喝采を浴びせる。

 マーレ船長は船上からその様子を見て頬を緩ませ、にかりと笑う。


 「おかしなもんだね。あたしら海賊が人様に感謝されるなんてね。ま、たまにはこういうのも悪かないね」


 船員一同うんうんと頷く。

 「マーレ船長!」下から勇者が呼ぶ。

 「なんだい?」

 「また会おうな! いつかまた会えるんだろ?」


 マーレ船長が船縁から体を乗り出す。


 「風の向くまま、潮の向くままあちこち海を渡ってるからね! どこかの海に行けばまた会えるさ!」

 「おう! またな!」


 勇者一行が手を振って別れを告げる。マーレ船長はじめ船乗りたちも手を振る。


 「さて! お前たち、やることはいっぱいあるよ! 人魚の涙セイレーン号の修理に取りかかるんだからね!」


 マーレ船長の号令に船員たちが「アイアイマム!」と応える。


 マーレ船長たちと別れを告げた勇者一行は港町の町長の案内で宿屋に着いた。その立派な佇まいの宿屋は街の中では星三つの宿屋で、しかも宿泊代や食事は無料だそうだ。


 「あの、本当によろしいのでしょうか……?」


 セシルが申し訳なさそうに聞く。


 「これでもまだ足りないくらいですよ! あなた方には本当に感謝してもしきれません! ささ、長旅で疲れましたでしょう? ゆっくりお休みください」


 町長に促され、通された部屋は眺めの良い最高級の部屋スイートルームだ。

 部屋が広く、ベッドもふかふかで人数分あるので、出港した港町の宿屋の時のようにくじ引きで決める必要がない。


 「良い景色や!」ライラが窓を開ける。

 「風呂も広いな!」タオが風呂場を見ながら言う。

 「こりゃ上物の酒だ! これもタダかの?」


 酒好きのアントンが棚の酒瓶を手に町長に確認する。


 「ローテン王国の王宮の部屋みたいですね……」セシルが錫杖を手にほぅ、と溜息を漏らす。

 「みんな! 浮かれるのはその辺にして、武器の点検だ!」


 勇者が仲間たちに指示する。武器武具の点検は冒険者として基本的なことだ。これを怠っては例え弱い魔物でも死に直面しないとも限らない。

 ましてやクラーケンとの戦闘で船があのようにボロボロになったのだから、当然武器武具もダメージを受けていよう。

 勇者の剣は折れてはいないものの、刃毀れがひどく、アントンの斧も刃が欠けてしまっている。


 「ウチの杖は無事やけど、そろそろ新しい衣装買うたほうがええかもしれんね……」ライラが黒装束の裾をつまむ。

 「俺は篭手こてが欲しいな。さすがに剥き出しの拳じゃ限界があるしな」徒手空拳を得意とするタオ。

 「あ、私は寺院に行って錫杖を譲ってくださるようお願いしてきます」セシルが錫杖を握りしめる。彼女の錫杖は見習い神官が使うそれであるため、これから待ち受ける様々な困難に立ち向かうには心許ない。

 「あの、武器屋でしたらこの街の奥にございます。品揃えは豊富なのできっとお気に入りが見つかりますよ! ただ、店主が偏屈者ですが……」


 町長が手を揉みながら言う。


 「決まりだな! んじゃ武器屋に行こうぜ」


 部屋から出ようとする勇者をライラが「ちょい待ち」と止める。


 「出かける前に風呂入りたいんやけど、構へんやろ? ちゅーか、あんたらも入ったほうがいいで。汗臭くてかなわんわ」


 汗臭いと言われた男三人は自分の臭いを嗅ぎ始める。


 「とにかく、ウチとセシルちゃんは風呂に入るさかい、先に行ってぇな。すぐに後から追いつくわ」


 後で合流することにして、男三人は武器屋へ向かう。

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