《外伝 BRAVE》前編
冬の季節としては珍しい、青く晴れ渡った空の下、周囲を山に囲まれたある村にて村人たちは日々の生活を営んでいた。
「おはよう、これから伐採かい?」クワを持った農夫が斧を手に木こりに呼びかける。
「ああ、これから山ン中でひと仕事だ」
「気ぃつけてな」の声に木こりが手を振って応える。
とある木造りの一軒家、その二階にある寝室で黒髪の少年は起床の時間を過ぎてもなお眠り続けていた。
眠りから少年を引き戻したのは母親の威勢の良い声だ。
「いつまで寝てるんだい! 朝ごはんだよ!」
少年は「ふぁい」と間の抜けた応答をしながら半身を起こしてベッドから下りる。
着替えて階段を下りると食卓から朝餉の香りがする。
「ご飯の前に顔洗っといで! まったくこの子は……」
母親に言われた通り、顔を洗ってから食卓についてパンをひとかじり。
「ねぇ、とうちゃんは?」
「もう山に仕事に行ったよ。あんたも食べ終わったら畑仕事手伝っとくれ」
父親の仕事は木こりだ。そして母親は父親がいない間は息子と畑仕事をする。
もっとも今の寒い時期では作物が育たないので畑を耕すだけなのだが。
朝食を食べ終えた親子はクワを持つと家の裏側にある畑へと向かい、土にクワを入れる。寒い冬の時期は土を掘り返して地面下の土を太陽に当たるようにする。
天地返しと呼ばれる方法で土の中に潜む害虫やその卵を殺すのだ。
「ふぅ、こんなもんかね」と母親が額の汗を拭う。
ついで息子に桶を渡して水を汲んでくるように言い付ける。
桶を受け取った黒髪の少年は井戸まで歩くとそこから水を汲む。
桶に水を注ぐ少年の頭に小石がこつんと当たる。辺りを見回すとひとりの少年が手を振る。
「よう、このあとヒマか? 遊ぼうぜ」
「うん!」
母親のもとへ走って桶を渡す。
「ちょっと友だちと遊んでくる!」
「暗くなる前に帰ってくるんだよ! 今夜はあんたの好きなごろごろ芋ときのこのシチューだからね!」
これがこの少年の村での日常であった。そしてその日常に異変が忍び寄っていることを少年はまだ知る由もなく、最初に異変に気付いたのは彼の父親だった。
大木に斧で何度目かの切れ目を入れると、めきめきと音を立てて倒れる。
ひと仕事終えた木こりはとんとんと腰を叩く。
と、ふと見上げた空に群れになって飛ぶものが見えた。
今日は鳥が多く飛んでるな……。
だが、鳥にしては大きいように見える。程なくして群れから一匹が離れると木こりめがけて飛来してくる。
木こりが鳥ではなく
「なぁ、今日はなにして遊ぶ?」
「勇者ごっこやろうぜ」
「いつもそればっかじゃんか。たまにはほかのやろうぜ」
数人の少年が森のなかでわいわいと騒ぐ。そこに黒髪の少年が遠慮がちに手を上げる。
「おれ、かくれんぼやりたい!」
「かくれんぼか」
「まぁたまにはいいんじゃねぇか?」
「んじゃお前が鬼な! 逃げろ!」
鬼に指定された少年を残して友人達は一目散に逃げ出す。
しかたなく少年はしゃがんで目を閉じる。
「もういーかーい?」
「まーだだよー」とあちこちから。
10秒くらい数えてもう一度呼びかける。
「もういーかーい?」
だが、返事は返ってこなかった。
「もういーかーい?」とさっきより大きい声で呼びかける。これも返事はない。
「ちぇっ」
少年は立ちあがると探索を開始する。大木の裏、木の上、草むらとあちこちを探してみるが、ひとりも見つからない。
帰っちゃったかな……?
少年が途方に暮れていると、がさりと音がしたので振り返ると、友達のひとりがふらふらと少年のもとへとやってくる。
「みつけた!」と言おうとしたが、様子がおかしい。
何か言おうとしているが、口をぱくぱく動かすだけだ。
少年のところまで来るとどさりと少年にもたれるように倒れる。
微かにだが声が聞き取れるようになった。
「に、にげ、ろ……」
その言葉を最後に動かなくなった。
ぬるりと生温かいものが手に触れたので見てみると血がべっとりとついていた。友人の背中は大きく裂け、まるで大型の獣に襲われたかのようだ。
ひゅっ……!
声が喉に詰まったような音を出すと少年は友人の骸と共に倒れる。
重くなった友人の体から逃れるように手足をばたばたと動かす。
その時だ。がちゃ、がちゃと金属が擦れるような音がしたのは。
「ここにいるはずだ。くまなく探せ!」
そう指示を飛ばすのは
金属音は甲冑が擦れる音だ。
骸骨兵士が散らばると兵長は槍を手に村へと通じる道を下る。
その一部始終を少年は大木の陰から見ていた。
――魔物。
おとぎ話や伝説でしか聞いたことがない魔物が目の前にいる。
あの魔物……村のほうに……?
村のみんなに知らせなきゃ、と少年がすくむ足をなんとか立たせると村へと向かう。
村への一本道を走る途中、つんとした、焦げくさい臭いが鼻をつく。
それもそのはず、村の方角からもうもうと黒煙が立ちのぼるのを見て少年は胸騒ぎを覚えた。
やがて村の入り口の門まで近づくと臭いはますますひどくなっていた。
肉の焦げるような臭いと干し草が燃える臭い。
目の前には魔物が家屋に火を放ち、村人たちは火炙りか串刺しにされ、家畜は魔物の糧食となるべく屠殺されていた。
阿鼻叫喚のなか魔物達はげたげたと下卑た笑い声をあげながら槍や剣を振り回す。
「子どもも殺せ! 勇者が現れないようにしろと魔王様の命令だ!」兵長が剣を振り回して命令を飛ばす。
へたりと少年は門の前で竦む。じわりとズボンが尿で濡れ、煙で目が涙で霞む。
堪らずに少年は泣き叫ぼうと口を開ける。魔物に見つかってしまうことは考えずに。
だが、開いた口が塞がれる。
「……! ッ!?」
「静かに。見つかるよ」
小声だが聞き覚えのある声だ。振り向かずとも分かる。振り向いてみると案の定、母親がしー、と指を口に当てている。
「こっちに来るんだよ」少年の腕を引っ張る。向かう先は我が家だ。
幸い家はまだ捜索の手は回っていないが、それももはや時間の問題であった。
「かあちゃん、にげないと……!」
だが、逃げるにしてもどこへ行けばいいというのか?
村の中は魔物が、村の外には骸骨兵士が待ち構えていることだろう。
家の裏側の畑まで来ると母親は有無を言わさずに少年を掘り返した土の中へと隠す。
「いいかい、なにも聞こえなくなるまで出ちゃだめだよ」
「う、うん……でもかあちゃんは……?」
「あたしのこの図体じゃ隠れられないからね。でも心配するんじゃないよ。うまいこと隠れて、ほとぼりが冷めたら掘り返すから、じっとしてるんだよ」
母親が安心させるようににこりと微笑む。そして少年の顔を隠すように土を被せる。窒息しないよう少しの隙間を開けて。
すっぽりと土の中に隠れたことを確かめると、母親は名残惜しそうにその場に留まっていたが、すぐにその場を離れた。
少年は言われた通り、土の中でじっとしていた。怒声や悲鳴や家屋が崩れゆく音がしても身動きひとつしないよう堪え、背中や顔をミミズやムカデが這い回ってもひたすら耐える。
ときおり口の中に土が入ってじゃりじゃりしても彼は耐えた。
何時間ずっとこうしていただろう? 音という音はもうしなくなった。土を掻き分けて外がどうなっているのか知りたいという衝動に駆られるが、それでも母親が来てくれると信じて待った。
むろん自分から土の中を這い出ることは出来るが、それは母親の死を認めてしまう事になってしまいそうで怖かった。
怖い。
今更ながら恐怖感がこみ上げてきた。仮に母親が助けに来て、村から出たとしてもそのあとはどうなるのだろう?
生まれてからずっと村の周りを出たことがない少年にとっては未知の体験であり、恐怖でもあった。じわりと汗ばみはじめる。
いっそのこと、ここから飛び出して助けを求めにいくか?
だめだ、ここにいろと言われたじゃないか。
そんな葛藤が際限のない時の中でぐるぐると堂々めぐりをする。
無理だ……! もう我慢できない!
ついに我慢の限界を迎えた少年は腕を伸ばして土から這い出た。
周囲に魔物の姿は見えなかった。代わりに焼け崩れた家屋と、見せしめや悪戯として串刺しのまま焼かれた黒焦げの死体がそこかしこに並んでいた。
その場にいるのは少年だけだ。
少年はたまらず嘔吐した。吐瀉物を地面に撒き散らす。
涙と鼻水がとめどなく溢れ出る。やはり母親は死んだのだと悟った。
少年はふらふらになりながらも立とうとする。とにかく立たなくては。
いつまた魔物が来るやもしれないと怯えながら村から、門から出る。
空はすでに暗くなり、しんしんと雪が降ってきた。ひとりぼっちの少年はあてどもなく道を歩きはじめる。
この時、世界の運命を賭けた冒険が待っていようとはまだ知る由もない……。
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