《第七章 特別な日》

 

 空は快晴。時刻は昼すぎ。勇者とその妻、シンシアが暮らす家から勇者がぽりぽりと頭を掻きながら出てくる。


 「それじゃ、お仕事がんばってね!」


 ふぁいと気の抜けた返事をする勇者の背中を見送ってから扉を閉める。

 そして、ひとりふうっとひと息つく。家計が厳しいからと言って仕事に(半ば強制的にだが)行かせたのはただの口実。

 今夜はどうしてもやらなければならないことがあるのだ。エプロンを身に付けると、台所へ向かう。

 トマト、エリンギ、ズッキーニ、黄パプリカ、玉ねぎ、にんにく、小麦粉、皮が固くなったパン。

 台所にある食材を確認すると、そばに置かれた包み紙を開く。村の肉屋のハンスさんから買ってきた山角牛の仔牛肉だ。

 ハンスさんから勇者さまにはお世話になっているからと特別に安くしてくれたのだ。

 勇者が魔物と戦うのが仕事なら、料理は妻の仕事だ。そして戦場はここ台所。

 最初に取り掛かったのは棚から鍋を出して五徳の上に置き、下のかまど に火を入れることであった。

 野菜を角切りにし、竃の火が程よい火力になったのを確かめると、鍋にオリーブオイルとニンニクをふたかけ投じる。

 しばらくして良い匂いが漂ってくると、エリンギを加え、オリーブオイルを少し追加で入れる。

 少し経ってしんなりしてからズッキーニとパプリカを加える。最後に角切りにしたトマトと自家製トマトソースを入れて平らにすると蓋をする。

 煮立つまで時間がかかるので、その間もう一品の料理の準備に取り掛かる。

 皮が固くなったパンをおろし金で摺りおろすと、下のトレーにぱらぱらと溜まっていく。これでパン粉の完成だ。

 包み紙から仔牛肉を取り出して半分に切ると、それぞれ筋を切る。

これは肉が加熱した際に縮こまらないようにするためである。

 と、鍋がしゅんしゅんと音を立てたので、蓋を取って確認するとまた蓋をする。

 塩コショウを振った肉を包み紙で包むと上からどんどんと引き出しから出しためん棒で叩く。

 叩かれた肉は次第にだんだんと薄くなっていき、やがて平らになった。

 ふぅっとひと息つくと、片手で肩をとんとんと叩く。


 かよわい女の子の仕事じゃないわね……。


 はたして「かよわい」という言葉がシンシアに当てはまるのかどうかは別にして、次に取り掛かったのはパン粉に牛乳を加えてから混ぜる作業だ。

 本来、この料理は牛乳ではなく卵を使うのだが、二人分では卵が余ってしまうのでもったいないということで、牛乳で代用するのはさすが主婦の智恵と言ったところか。

 鍋からまた蓋を取って確認する。出来具合を確かめると、「うん! 上出来!」と言って仕上げにオリーブオイルを回してかける。

 と、玄関の扉をノックする音が聞こえ、シンシアがびくっと身を強ばらせる。


 まさか、もう帰ってきた……!?


 だが、扉の向こうから女性の声がしたので、ほっとする。

 扉を開けると、そこには街の酒場の女主人のリーナがいた。


 「リーナさん? どうしたんですか?」


 リーナはうふふと笑うと手にしている籠から葡萄酒の瓶を取り出す。


 「勇者さまに献上品をお届けに上がりました。今日は特別な日、なんでしょう?」とにこりと笑う。


 「あ、ありがとうございます。わざわざ来ていただいて、なんだか申し訳ないです……」


 葡萄酒を受け取って、シンシアがぺこりと頭を下げる。それを見てまたリーナがうふふと笑う。


 「いいのよ。シンシアちゃんは私の妹みたいな存在だから……これくらいどうってことないわよ。

 ゆっくりお話ししたいけど、また今度ね。お店の準備しないといけないから……それじゃまたね」


 リーナが別れを告げて街のほうへ歩こうとした途端、リーナがくるりと踵を返す。


 「そうそう、言い忘れてたわ。旦那様にたまにはお店に遊びに来てと伝えてね♡」


 リーナさんってやっぱり素敵……。私もあんなレディーになりたいな……。


 リーナを見送ってから、再び台所へ戻る。

 隣の五徳にフライパンを置いて、これまた同じように竃に火を付ける。

 鍋のほうの竃は火が消えかかっているが、この火力で充分だ。

 フライパンを温めているあいだに肉を牛乳と小麦粉を混ぜたものに潜らせて、パン粉につける作業に取り掛かる。

 フライパンが温まったら揚げ油を加えて、次いでパン粉を纏まと った肉をそこに入れる。

 たちまちじゅぅうっと音を立てる。衣がキツネ色になるまで焼き、トングで裏返してまた焼く。

 かりかりになったら出来上がりだ。いずれも母から教わった料理だ。


•田舎風コトレット

•なまけ者の野菜のごたまぜ煮


 たしか、こんな名前だったように思う。

 出来上がった料理を皿に載せ、鍋から一人前分をそれぞれふたつのスープ皿によそう。

 食卓に料理を並べ、ワインとグラスを置き、暗くなってきたので蝋燭に火を灯した時に、扉から夫である勇者がただいまと帰ってきた。


 「あー、腹減った……って、今夜は贅沢だな! なにかあったのか?」


 驚く勇者にシンシアがにこりと微笑む。


 やっぱり今回も忘れてる。


 「おかえり。それから、誕生日おめでとう」

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