泰平の階~128~

 一方で南方を拠点とする和芳喜は、斎治より尊毅討伐の綸旨を得ると、すぐさま軍を進発させた。


 「主上の危機ぞ。これを救わないで武人を名乗れるか!」


 和芳喜は迷うことなかった。もはやこの時期の和芳喜は、かつてのように自己の利益を追及する商人のような考えを示さず、斎治に忠誠を尽くすという感傷的な精神に傾倒していた。


 以前の和芳喜であるならば、尊毅にも使者を出して、戦況を静観していただろう。和芳喜の長兄である和長九は、そうすべきであろうと考えていた。


 『尊毅と新莽。どちらが勝つか五分と五分……』


 それなら勝つ方を見極めるのが商人であろう。しかし、父である和芳喜は、商人としての思考を捨て、武人としての矜持を選択した。


 『それも人の生き方か』


 武装商人として生きてきた和芳喜からすれば、あるいは国主に仕える武人となれたことは夢の実現であったかもしれない。それならば武人として死ぬことに躊躇いはないだろう。


 『和氏がここで滅したとしても後世に名を遺せば、生きた甲斐があったというものか』


 それならば父に付き合うのが長子の仕事であろう。覚悟を決めた和長九は父に提言した。


 「新莽殿をお助けするのなら、我らは栄倉を攻めてこれを制圧しましょう。栄倉を失陥すれば、尊毅は自領以外に拠る場所を失い孤立します」


 和芳喜もその戦略に魅力を感じていた。しかし、少洪覇が想定よりも早く新莽と合流しそうだと知り、その考えを捨てた。


 「それでは駄目だ。少洪覇殿に後れを取ることになり、戦闘に間に合わない。ここは尊毅軍の後方を強襲する」


 急げ、と和芳喜は行軍を急いだ。和長九は何も言わず、父の示した戦略に従うことにした。


 和芳喜は五百名の手勢を率い、州口を出発した。兎も角も急がなければ、尊毅軍が佐導甫軍と合流してしまう。その前に尊毅軍の後尾に食らいつかなければならなかった。


 「我らが尊毅軍を背後から攻めれば、新莽将軍と理想的な挟み撃ちができる」


 和芳喜の狙いはそこにあった。ただ和芳喜が迂闊であったのは、その戦略を新莽に伝えていなかったことであった。もし和芳喜が伝令をもって南北からの挟み撃ちという戦略を伝えていれば、新莽は少洪覇を待つことなく前進していただろう。しかし、新莽は万全を期して少洪覇を待ったがためにこの戦略が実現することができなかった。 




 佐導甫との合流を急ぐ尊毅は、後方から和芳喜軍が接近してくるのに気がついていた。この時点で佐導甫軍の敗退も知っていた尊毅は素早く決断した。


 「佐導甫殿は陣を立て直しているうえに、新莽の動きは鈍い。夏燐の先遣は前進させ、本隊は反転させて和芳喜を一気に覆滅してしまおう」


 尊毅もまた数多戦場を経験し、その指揮に衰えもなかった。また従う将兵達も数々の激戦を生き抜いてきた剽悍の武人達である。尊毅の命令一下、機敏な動きで乱れることなく軍を反転させると、北上してくる和芳喜軍に刃を向けた。




 「尊毅軍が待ち構えているだと?」


 斥候の報告で尊毅軍の斑点を知った和芳喜は判断を迫られていた。このまま攻めかかるのか、それともこちらは重厚な陣を敷いて防御に徹するか。どちらにしても戦闘となれば、緒戦では不利となり、新莽が南下してくるまで待たねばならない。


 「どうすべきか?長九」


 「こちらは陣を敷きましょう。攻めずに防御に徹すれば、それだけ時間を稼げます」


 「うむ……やむを得んか」


 和芳喜は和長九の助言を受け入れ、防御陣を構築するように命じた。




 敵が防御に徹するであろうことは尊毅も承知していた。


 「攻めろ!騎兵を中心とした先遣隊を組織して、敵に陣を作る隙を与えるな!」


 尊毅は多少の無理を冒して、陣を構築しようとしている和芳喜軍を強襲した。


 「押し返せ!」


 和芳喜は防御陣の構築を一時的に諦め、抗戦した。緒戦は強行軍で攻めかかってきたわずかな数だけを相手にすればよかったが、やがて尊毅軍の全軍が揃うと、数で圧倒的に劣る和芳喜軍は一気に劣勢に立たされた。


 「尊毅軍は全軍でどれだけの数があるんだ!」


 和芳喜から見れば、尊毅軍は大海の波のように攻めかかってきた。この時、尊毅軍は二千名の将兵を有しており、これでも尊毅軍が動員できる兵力の三分の一程度であった。


 「父上、撤退しましょう。このままで完全に包囲させてしまいます」


 「う、うむ……」


 和芳喜は撤退を躊躇った。このまま撤退しては、新莽を助けることもできなければ、尊毅に一矢を報いることもできなかった。


 和芳喜軍はよく戦った。圧倒的に劣勢でありながらも必至に抵抗したが、所詮は多勢に無勢であった。尊毅はその数を活かして和芳喜軍を重厚な包囲陣で囲み、じっくりと包囲を狭めていった。


 和芳喜と和長九も弓を取り、剣を奮って戦ったが、ついに戦場の露と消えた。


 「無念!」


 先に命を落としたのは和芳喜であった。至る所に傷を負った和芳喜は複数の敵将兵の槍に串刺しにされ、崩れ落ちた。


 「父上!」


 近くにいた和長九は父を助けようとしたが、背後に矢を受けて倒れた。


 「こ、交政……。後は頼んだぞ」


 和長九の死をもって和芳喜軍は消滅した。それを見届けた尊毅軍は、すぐさま全軍の北上を命じた。この勢いをもって一気に新莽軍を覆滅するつもりであった。

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