泰平の階~36~

 千山近郊で劉六の奇計によって敗走を余儀なくされた尊夏燐軍は、江文至の追撃も加わり、約半数に減らされていた。二日がかりで逃げに逃げた尊夏燐は、三日目の朝になってようやく尊毅が率いる本隊と合流できた。


 「散々にやられたな。お前らしくない」


 尊毅の前に現れた尊夏燐は全身泥にまみれていた。逃走劇が余程凄まじいものであったのだろう。尊夏燐は悔しそうに地面に拳を叩きつけた。


 「あれは戦などではない!卑怯者のすることだ」


 千山で行われたことについては、尊毅も承知していた。あのような真似を戦でするのは野蛮人のすることだと尊毅も思う。しかし、それを平然と行ったことに尊毅は恐ろしさを感じていた。


 『千山で指揮を執った人物は根っからの武人ではない。だからこそ定石通りの戦をしないし、我らの想像を超えた戦い方を躊躇いなくしてくる』


 武人として一番相手をしたくない敵である。尊毅としては妹の敵討ちとして千山に進軍するつもりなかった。


 「兄上!五百の兵を貸してくれ!復讐戦だ!」


 「無用だ。夷西藩を制圧する方が先だ。それにはお前の戦力も必要だ」


 「しかし!」


 「それに千山については片が付いた。首謀者を捕まえた」


 「首謀者?」


 実は尊夏燐が戻ってくる前日、ある情報が尊毅の下にもたらされていた。千山での反乱を指揮し、領主を名乗った毛僭が近くに潜伏しているというのである。尊毅は半信半疑でその場所を捜索すると、確かに毛僭なる男が身を潜めていたのである。


 『これは……』 


 あまりにも出来過ぎている。そう思った尊毅は項史直に相談した。


 「確かに出来過ぎています。これは今の千山の指導者が仕組んだのではないでしょうか?」


 「ほう……」


 「毛僭は千山から逃げ出しています。今の千山の指導者からするとこれは裏切り行為です。ですから、毛僭を差し出したところで痛くもかゆくもないですし、これを贄にすることで暗に我らと取引をしようとしているのでしょう」


 「なるほどな。毛僭を捕らえたことで、ひとまず千山の反乱は決着する。これで夷西藩を制圧し、千山が動きを見せなければ、栄倉に帰還しても文句は言われないか……」


 深読みのしすぎかもしれない。しかし、毛僭と捕らえたというのは事実であり、これならば戦果があったと栄倉に帰っても主張できる。尊毅としては千山の指導者の意図を汲んでやることにした。


 『千山での戦い方といい、毛僭を差し出したことといい、今の指導者は相当できる。こういう相手と真正面から組み合うと、負けはしないだろうが苦労させられる』


 尊毅は、ますます相手にするだけ無駄だと判断し、千山に手を出すことを避ける道を選んだ。


 「夏燐としては悔しいだろうが、その悔しさは次の戦で発散させてくれ」


 行くぞ、と妹の言葉を聞かず、尊毅は馬を進めさせた。尊夏燐は渋々と兄に従った。




 一か月後、尊毅は夷西藩の藩都坂淵を陥落させた。藩主である少洪覇は取り逃がしたが、千山での反乱を首謀した毛僭を捕縛したこともあり、戦果としては充分であった。夷西藩の管理と千山への警戒を属僚に任せた尊毅は栄倉へと帰還した。


 一方で尊毅と功績を争うようにして出陣した新莽も、赤崔心の神出鬼没の戦に手を焼きながらも、保持していた拠点のほとんどを壊滅させていた。これで現在発生している大規模な反乱、騒擾などはほぼ鎮圧されることとなった。


 「今回の功一等はだれであろうな?」


 そうなると世間の関心事は、誰が功績第一として評されるか、ということであった。


 「やはり遠い西方で活躍された尊将軍であろう」


 「いやいや、やはり新将軍ではないか?探題や近隣の諸侯が手を焼いた赤崔心の勢力を壊滅させたのだから」


 「それを言うなら尊将軍であろう。千山の毛僭を捕らえ、夷西藩を滅ぼしたのだ。これほどの成果はそうそうないぞ」


 栄倉の人々は、両将軍が条高に報告するために栄倉に凱旋してくると、好奇心の赴くままに噂し合った。


 栄倉宮の閣僚達は、市井のうわさ話など気にはしなかったが、誰が第一等とするか膝を突き合わせていた。


 「尊毅と新莽。どちらも評価されるに相応しい活躍をした。どちらが一等か二等が決めるというのも明確に比較できず難しいものですな。丞相は如何お考えで?」


 膝を突き合わせているのは条家家宰の円洞と丞相の条守全。この二人が事実上、条国の最高意思決定機関となっていた。


 「一等、二等と決めるのは止めた方がいいかもしれません。それが争いの種になるとも思えませんが……」


 条守全は彼らしい意見を述べた。彼は尊毅の岳父でありながらも、娘婿に肩入れるをすることは表向きしていない。逆にそのようなことを避けている傾向があった。


 「そもそも、もはやこの国には恩賞として差し出す土地がない」


 円洞としてはそれが一番の頭痛の種であった。これまで翼国、静国と戦をしてきた条国は、ほぼ領土を得られることがなかった。それまであった無主の地や、余剰している直轄地を恩賞として分け与えてきたが、今となってはほぼないに等しい。


 「あるにはあります。先ほど制圧した夷西藩です。しかし、尊毅や新莽殿の本貫から離れすぎていて、与えられても納得しないでしょう」


 「主上のご裁可を仰ぐしかないかな。参ろう、丞相」


 条守全は無言で頷いた。円洞からすれば、このような煩わしい問題を二人だけで考えるのは馬鹿らしくなっていた。

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