寂寞の海~11~

 鑑京に来て一週間、樹弘は帰国することになった。当初は四日間の予定であったのだが、何かにつけて印公が章理、章季姉妹と対面させたので、出発の日が延びに延びていた。


 「ようやく帰れるか」


 正直なところ、樹弘は印公の執拗さに辟易としていた。


 「そんなこと言って、美人姉妹と会えなくなるのが残念じゃないの?」


 景黄鈴がにやにやしながら茶化してきた。樹弘の結婚話が持ち上がった当初は驚いていた景黄鈴であったが、今となっては樹弘を冷やかしからかっていた。


 「黄鈴、てめぇ」


 「怒んないでくださいよ。帰ったら美人三姉妹がいるんですから」


 「ああ、そうだな。美人な長女と次女は知っているけどな」


 どういう意味だよ、と景黄鈴が騒いでいると、景蒼葉が来客を告げた。


 「来客?印公からな断ってくれ」


 「いえ、そうではなく……」


 景蒼葉が告げた名は意外な人物であった。その名を聞いて会おうと樹弘は思った。


 「これは泉公。お会いしたいと思っておりました。こうしてお時間を取っていただき、光栄でございます」


 来客は章海であった。かつて翼公が傳役を務め、その才知を愛したという人物なので会ってみたいと思っていたのだが、相手から訪ねてくるとは意外であった。


 「これは章海殿。あなたのことは翼公から聞いております。一度お会いしたいと思っておりました」


 「おお、先生が……。なんと懐かしい。そういえば泉公は先生が後押しされて国主になられたとか。いやはや、なんとも奇縁でありましょう」


 章海は嬉しそうであった。章海は年齢的には四十は超えているだろうか。だが、見た目は非常に若々しく、自分と同い年といっても通用しそうであった。


 「それで御用とは?」


 「御用というほどのことはありません。ただ今を時めく泉公とご縁ができればと思っただけです。それに義理姉上と姪子がご迷惑をおかけしたようで」


 「ああ、お聞き及びですか。お恥ずかしい」


 「いえいえ、お恥ずかしいのはこちらです。まったく身内の恥を晒したようなものです」


 「恥ですか……」


 「恥ですとも。これもお聞き及びかと思いますが、太子の章友殿は人物として国主に相応しいとは思われていない。そこで義理姉上は章友殿の太子としての地位を安定させるために章理殿を追い出したいのです。このようなことを身内の恥と言わずして何と言います?」


 「章海殿。それは騒動自体を恥と思われているのですか?それとも章友殿が太子に相応しくない人物だからですか?」


 章海はぴくりと眉を動かした。


 「どちらかと言えば前者ですね。明らかに国主に相応しくない人物を国主に添えるために有能な人物を追い出そうとする。これほど救いようがないことはないでしょう。泉公はいかがお考えですか?」


 樹弘は章平と章海の関係を翼公からおおよそ聞いている。兄よりも優秀であったが故に鑑京を去る道を選んだ章海からすると、また歴史を繰り返すかと言いたいのだろう。


 「どちらにしろ他家のことです。私が口を出すことではありません」


 「ふむ。流石に先生が一目置いただけのことはある。聡明にして怜悧。泉国は良き国主を迎えたものだ」


 それに引き換え我が国は、と言って章海は口を噤んだ。それっきり樹弘と章海は言葉を交わすことなく別れた。




 章海と対面した後、樹弘は鑑京を去った。印公が見送りに来てくれたが最後の最後まで章理との婚儀の話をされて、樹弘は愛想笑いをするのも疲れた。


 「いやはや、よかれと思って進めた婚儀ですが、どうも向こうには我々以上に深い思惑があったようですな」


 印国の後嗣をめぐる複雑な情勢を甲元亀も存じていなかったようである。


 「これで婚儀の話はなしですね」


 「いえいえ、主上。婚儀の話は進めさせていただきますぞ」


 「元亀様まで……」


 印公も執拗であったが、甲元亀も執拗であった。


 「元亀様。どうしてそこまで執拗なのですか?それも姉さんにも相談せず……」


 樹弘の気持ちを景蒼葉が代弁してくれた。


 「ふむ。まぁ、世話焼き爺の本性が疼き始めたと申しておきましょう」


 甲元亀は言葉を濁し、泉国に帰りつくまでこのことについては何も話すことはなかった。


 「まぁ、嫁取りのことは真剣に考えないといけないんだよなぁ」


 樹弘がそうつぶやくと、意味ありげに視線を送ってきた景蒼葉と目が合った。


 「何だよ?」


 「別に。ただ帰ったら丞相、姉さんがどう騒ぐかな、と思って」


 景蒼葉に言われて樹弘は一瞬ぞくっとした。


 「朱麗さんに知らせたのか?」


 「ええ。知った早々に書状を出しました。流石に姉さんが知らないわけにはいかないでしょう。まったく、元亀様は何を考えているのか?」


 「……元亀様。朱麗さんをなだめてくださいね」


 樹弘がそう言っても、甲元亀は少し口角をあげるだけであった。

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