漂泊の翼~9~
黄桓が楽宣施の部隊に襲い掛かろうとしていた同じ頃、楽乗は尾城を攻略しようとしていた。まずは郭文が偵察を申し出てきた。
「確認してくるとはどうするのだ?」
そう聴いた龐克はすっかりと郭文の才知を認めていた。
「ちょっと商隊にばけるだけす。そうですな、あまり兵士らしくない者達を十名ほど連れてまいりましょう」
郭文は事も無げに言った。確かに郭文は鎧もきておらず、まるで武人らしくない。むしろまさに商家の番頭といった感じであった。
「郭文、私も連れて行った欲しい」
楽乗は切り出した。このままじっとして郭文だけに任せておくことに我慢ができなかった。
「乗様、何を仰います。それは危険です」
当然ながら胡旦が制止した。だが、楽乗はここは自分も行かねばという強い思いがあった。
「胡旦。私は今まで何もしていない。郭文の知恵に頼ってきただけだ。それでは何をもってして部下達に勇気を示すのだ?」
「ですが……」
胡旦が困った顔で郭文を見た。ふむぅと唸った郭文はじろじろと楽乗をじろじろと眺めた。
「よろしいでしょう。乗様も鎧を脱げば武人とは思えませぬからな」
「郭文殿……」
「胡旦よ。一介の庶人であるならば危険を避け、安穏としていてもよろしかろう。しかし、乗様は楽公の公子である。今後、一軍の将として羽氏と戦うことになるだろう。時として危険を冒さねばならない。その時に部下にのみ危険を強いるような将にお前は付いていくことができるか?」
胡旦は言葉を返せなかった。郭文はにこりと笑って、胡旦の肩を叩いた。
「お前は龐克殿と待機して来るべき戦闘に備えておいてくれ」
では参りましょうか、と郭文は楽乗に声をかけた。
郭文は連れて行く兵士達にも平服に着替えさせ、荷台のついた馬車を用意させた。そこに兵士達に振舞うために持ってきていた酒樽と食料を載せて尾城に向かった。
空はすでに暗くなっている。尾城にも篝火が点っており、砦の外観が闇夜に浮かんでいた。
「これが尾城……」
おそらくは尾城を間近で見た最初の楽氏の人間になったであろう楽乗は、感動にも似た興奮を感じていた。しかし、郭文は至って冷静であり、物怖じすることなく先頭を進んでいった。
「お頼み申し上げます!」
郭文は尾城に近づくと大きな声を上げた。当然ながら尾城は少し騒がしくなり、十数名の兵士が尾城から出てきて楽乗達を囲んだ。
「何者か!」
「畏れ入ります。私ども、広鳳に向かう龍国の商隊なのですが、本隊とはぐれてしまいまして……」
平然と偽りの素性を述べる郭文は、まさに商人そのもののように見えた。
『もしくはとんでもない詐欺師だ』
楽乗は内心苦笑した。楽乗が思う以上に郭文という傅役はとんでもない男なのかもしれない。
「ふうん」
外に出てきた羽氏の兵士は、訝しそうに楽乗達を見渡したが、過度に警戒した様子はなかったが、積荷は調べさせた。積荷には食料と酒樽しかなかったので、彼はさらに警戒を解いたようであった。
「割符は?」
「それが割符は本隊の我が主が持っておりまして……。こちらはどちらなのでしょうか?」
「ここか?ここは尾城だ」
「ははぁ。ここが尾城でございますか。では、我らが下ってきたのは、かの有名な長蛇の坂だったのですね」
「何?お前らは長蛇の坂を下ってきたのか?」
兵士は驚きを交えて聞き返してきた。楽乗はおやっと思った。彼らは楽伝軍を迎撃に出た自軍と連絡が取れていないのではないか。同じことを郭文も察知したのだろう。郭文の目が鈍く光った。
「そうだと思います」
「我が軍とは遭遇しなかったか?」
「そういえば長蛇の坂を下る前に北へと向かう集団を見ました。私どもは楽氏の演習かと思いましたが……」
『なるほど上手いことを言う』
楽乗は感心した。郭文はあえてはっきりと言わずに内容を濁らしたことで、怪しまれることを避けたのである。
「我が軍は勝ったのでしょうか?」
兵士達が囁きだした。楽乗は郭文と目を合わせ、郭文は小さく頷いた。
「どうだ、商人。食料を置いていかんか?金なら払うぞ」
「よろしいのですか?いや、助かりました。これだけの人数で運ぶのは苦労するものなので。よろしければ酒樽も置いてまいります。ああ、酒樽は御代はいりません。助けていただいたお礼です」
「ほう。これは嬉しい。我が軍の戦勝祝いとしよう」
「ひと樽で足りますかな?」
「今は十分だが、いずれ多くいるだろう」
「ならば本隊と合流しましたら、我が主に申し上げます」
こうして楽乗達はまんまと尾城の内情を探り出すことができたのだった。
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