孤龍の碑~10~

 運河を作る作業は過酷を極めた。疲労で倒れる者、病気になる者、挙句には死者も出るほどであった。呉延が働く区画では、幸いにして病人も死者も出ていない。だが、働く者誰しもに疲労の色が見えているのは明らかであった。


 「いつまで続くんだ、こんなことが」


 夜、宿舎に引き上げた呉延は疲れきってそのまま倒れこんだ。藁敷きの寝台であったが、心地よかった。


 「聞いたか?隣の区画では鞭打ちを受けた奴がそのまま死んだらしい。それに抗議した複数名がやはり殺されたらしい」


 「聞いた。これは単なる賦役のはずだ。どうしてここまで過酷な労働を課す?国主にとって我らは使い捨ての道具か?」


 「言葉を慎め、呉延。そんなこと聞かれたら不敬罪で殺されるぞ」


 魏靖朗が声を潜めた。周りには極沃から連れてきた者ばかりだから余計な告げ口をする者はいないだろう。呉延がそう言うと、


 「そのとおりだ!皆で脱走しちまおうぜ」


 石宇徳は声を潜めるということを知らなかった。


 「それはいかん。脱走なんてすると、極沃の人々にも災いが及ぶ。俺達が我慢するしかないんだ」


 我慢するしかない。呉延は自分に言い聞かせるように繰り返した。




 工事開始から三ヶ月。悲劇が起きた。大雨が三日続き、工事は中止となっていたのだが、水路に水がたまり堤防の一部が決壊したのであった。溢れた水は奔流となって工事関係者の宿舎を飲み込み、多数の死者を出した。


 「第五区画では百人単位で死んだらしい。全滅だ」


 魏靖朗が仕入れてきた情報を披露した。まだ雨は続いていて、呉延達は宿舎にいた。そこには極沃の出身者だけではなく、宿舎を流された区画の者達も集められていて鮨詰め状態であった。


 「これで工事が遅れれば、我らの割り当て区画がまだ広がる」


 烏慶が苦しそうに顔を伏せた。体力自慢の烏慶であったが、もはや披露の色を隠せなかった。


 「我らだけではあるまい。これでまた賦役の徴発となれば邑での働き手がなくなるぞ」


 呉延は単に工事現場だけを見ていなかった。これ以上工事に人手を取られると、それぞれの邑での働き手がいなくなる。そうなれば貧しい邑はますます荒廃していく。


 「呉兄!やはり脱走しよう!」


 石宇徳は声を張り上げた。雨音が激しいので外に漏れることはないだろう。


 「そうだそうだ!」


 「俺達は奴隷じゃない!」


 他の者達も口々に叫ぶ。人々の視線が呉延に集まる。呉延は何も言わず目を閉じて俯いていた。


 「単に脱走するだけでは駄目だ。逃げてどうする?皆で野盗でもするのか?」


 魏靖朗が立ち上がって睥睨した。集まった人々は現実を突きつけられて急に黙った。


 「逃げても捕らえられれば死罪。それだけではなく、邑の人々にも連座する。行くの地獄、残るも地獄だぞ」


 魏靖朗が呉延を見た。


 「それは反旗を翻すということか?」


 呉延の答えに魏靖朗は頷いた。呉延もこの状況を打破するには一か八かの賭けとして武力蜂起を考えないでもなかったが、危険すぎる賭けであるように思えた。


 「我らだけでは無理だ。武器もいるし、統率する者もいるぞ」


 「それなら考えがある」


 魏靖朗はそう言って一旦宿舎から出ると、すぐに帰ってきた。譜天を連れていたので一瞬場がざわついた。


 「安心されよ、譜天殿はすでに我らと同調している」


 この時、呉延はすべてを悟った。魏靖朗はかなり前からこのような事態を想定していたのだろう。魏靖朗が自分に相談せずに、譜天と事前から打ち合わせをしていたのに多少の蟠りがあったが、呉延は黙したまま譜天が部屋の隅に座るのを見守った。


 「譜天殿がいれば武器庫の鍵は手に入る。問題は統率者だが……」


 魏靖朗が言うと自然と譜天に視線が集まった。この中で身分として一番高いのは譜天である。しかし、譜天は首を振った。


 「私は龍国国軍の兵士だ。兵士というだけで嫌われているから人望がない。それよりも年長で人望がある御仁の方がよいのではないか?」


 譜天が呉延を見た。それに合わせて衆人の視線も呉延に向けられた。おそらくはここまでが魏靖朗の筋書きなのだろう。呉延は嘆息した。


 「それしか方法がないのなら私が首領となろう。だが、軍事については我らは素人だ。その面は譜天殿に任せたい」


 呉延は譜天という男を始めて間近で見た。およそ用兵に長けているとは思えぬ風貌であるが、その手の教育を受けていない呉延達よりは幾分かましであろう。


 「了解したが、所詮は獄卒に毛が生えた程度の身分だ。あまり過度な期待はしないで欲しい」


 譜天自身、この時点では己の才能に気がついていなかった。呉延も魏靖朗も同様であり、まさかここから極国という国家ができるとは誰も思っていなかった。

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