孤龍の碑~9~
ここで極国について語りたい。どうして極国という仮国が龍国と敵対することになったかはこの国の歴史を知らねば理解できず、これからの物語を語る上でも重要であるため、しばらくは青籍から離れたい。
極国が建国されたのは義王朝五一七年、青籍が霊鳴から龍頭へと戻った時より二十八年前で中原において最も若い国家であった。
当時の龍公は青籍が活躍していた頃の龍公―龍玄の父に当たる龍岱であった。およそ名君というにはほど遠く、彼が一代で龍国の国運を傾け極国を生んだと言っても過言ではなかった。
龍岱が行ったことに政治的な善行はひとつもなく、愚行しかなかった。その最大のものが部類の建築好きということであった。龍岱が生きている間、龍頭には二つの巨大な宮殿と郊外には三つの離宮が建てられた。その度に多くの資材と人員が集められ、龍国の経済はそれがために旋回していた。
そして龍岱が行った―正確には行おうとした―建築事業で最大のものが運河の建築であった。但し、この運河が人民の交通や物の流通に使われるのであればまだよかったのかもしれないが、龍岱ただ一人のために作られようとしていた。
当時、龍岱は龍頭における第二宮殿というべき亀龍宮を拠点としていた。亀龍宮には二十の大広間があり、それぞれに贅を凝らした装飾が施されていて、毎晩巡回するように部屋を変えて宴会が行われていた。ある晩、龍岱は不意に
『ここに水路を作れば面白いのではないか?』
と建築好きの血が騒いだのである。それぞれの部屋につながる水路を作り、船を浮かべて部屋をめぐる。そうすれば一晩で各部屋の贅を楽しめる。龍岱は自分の天才的な発想に酔いしれた。
『それも単なる水路では面白くない。臥龍湖の水を引っ張ってきてはどうか?』
臥龍湖は龍国にとって聖地ともいうべき場所であった。龍国の伝承では初代の龍公が神器である飛龍の槍を使った時、天から龍が現れて敵を倒したという。その現れた龍が眠っているのが臥龍湖であった。そのため臥龍湖は今でも禁足地とされており、龍公ですら禊をし、三日三晩天地に祈って身を清めなければ立ち入ることはできなかった。心ある臣下は流石に反対した。
「臥龍湖は初代龍公を助けた飛龍様が眠る場所です。そこを徒に乱すのは祖霊の墓標を暴くようなものです。決してなさってはなりません」
だが、当代一の建築家を自認する龍岱は耳を貸さなかった。すぐさま工事に取り掛かるように命じた。
こうして龍国開闢以来の大事業が始まった。臥龍湖は龍国の南方にあり、国都龍頭は北によっている。即ち、龍岱が作ろうとしている運河は、龍国国土の半分以上の長さにある。龍国だけではなく、中原にもこれほどの規模の人工運河は存在しなかった。
この大事業のために各地から賦役の民衆が集められ、工事に従事させられた。その中に呉延という青年がいた。彼こそが極国の開祖となる男であった。
呉延は南方の極沃という邑の出身であった。極沃は後に極国の国都となり、頭文字の一字は国号となるのだが、この当時はそれほど規模の大きくない貧しい邑であった。そんな極沃にも賦役が課され、二十名の男児を派遣されることとなった。その長を任されたのが呉延であった。
呉延は極沃で田畑を耕して暮らす普通の青年であった。面倒見がよい兄貴肌の男で、邑の青年達から非常に慕われていた。だから呉延が長となって賦役にかり出されると知れると、進んで賦役に従事しようとする若者が多数いたほどであった。
「課された賦役の人数は二十だ。それ以上いては食料も足りなくなる」
呉延は友人である魏靖朗に相談した。魏靖朗は邑の役人であり、彼も呉延について行くことになっていた。
「籤引きで決めるしかないな。細かく人選していては時間もないし、うらみも出てくる」
魏靖朗は淡々と事を運んだ。後に呉延の傍にいて政治上、軍事上の助言を数々行い、極国の功臣となるこの男は、万事において冷静で淡々としていた。
「他の邑では人手が足りぬと苦しんでいるのにありがたいことだが、中には老いた母や将来を約束した女性がいる者もいるだろう。心苦しい話だ」
「だから籤にするのだ。そうすればお前も苦しまなく済むだろう」
魏靖朗は呉延の肩を叩いた。こうして二十名が籤で選ばれたのだが、その中には後に猛将と名を馳せる石宇徳や烏慶などがいたのは歴史的な光景であった。
呉延達は指定された工事区画へと向かった。臥龍湖に比較的近い場所であり、臥龍湖から国都龍頭へ水を送る水路をひたすら掘らされることになった。この時、呉延達の区画を監督する兵士の中に譜天がいた。後に龍国軍を散々に悩ませる異才は、皮肉なことに龍国軍の最下層で埋もれていた。
譜天は他の兵士と違い、一言で言えばやる気がなかった。例えば他の兵士はさぼった者を見つけた場合、鞭打ち百回の刑を処するのだが、譜天の場合は『鞭打ち百回済み』と書いた紙を背中に貼って終わらした。そのため譜天は他の兵士のように恨まれることがなかった。
「妙な男もいるみたいだな」
呉延は譜天をそのように評価していた。他の兵士達は隙あらば手を抜いている、あるいはさぼっている者を見つけては、何事かの憂さを晴らすように刑罰を加えていた。彼らからすると、どれだけ罰則を課したかが職務への評価となっているのかもしれない。しかし譜天は欠伸をしたかと思うと、槍を杖にして時々舟を漕いでいて、他の兵士に注意されるほどであった。
「あれでは出世はしないだろうな。めでたい話だ」
魏靖朗は妙な評価をした。その真意を呉延が問うと、
「今の龍国軍で出世してもろくなこともない。末端の兵士で欠伸でもしている方が気楽でよかろう」
この時はまだ呉延も魏靖朗も、そして譜天もお互いの才能に気がつかずにいた。
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