蜉蝣の国~15~
『真主と同じ名前を持つ男か……』
紅蘭は、先を歩く樹弘の姿を目で追いかけた。雲華の宿に泊まっている男が真主と同じ名前であると知った瞬間、紅蘭は樹弘に対して俄然興味を持った。
『真主樹弘も彼と同じ年ぐらいと言うが……』
真主についての情報は、あまり下々に流れてきていない。年齢も若いらしいという程度にしか分からず、もっと年だという話も多数あった。
『真主の政治は意外に老練だ。年若いはずがない』
と紅蘭は思っていた。今でもその考えは捨てていないが、目の前を行く樹弘が真主であると思うのも面白くはあった。
だが、一方でそんなことなどあり得ないという冷静な観察も紅蘭にはあった。国主たる者がこんな所を一人でうろついているとも思えないし、彼が言うとおり、樹弘という姓名の組み合わせは決して珍しくはなかった。
『楽しい旅になりそうだ』
紅蘭は歩みを進めて樹弘に近づいた。
「樹弘はどうして旅をしているんだ?普段は何をしているんだ?」
紅蘭は質問攻めにした。樹弘は困り顔をしながらも、愛想笑いするだけで答えようとしなかった。
「俺も聞かせて欲しい。樹弘はあれから何をしていたんだ?」
雲札も気になっているようだった。樹弘は逡巡した様子を見せながらも口を開いた。
「大したことしてないよ。泉春に行ったり、貴輝にも行ったし」
「どうして雲札の質問には答えるんだよ!」
紅蘭は顔を真っ赤にして怒った。どうやら樹弘は紅蘭のことを歓迎していないらしい。
「でも今回はひとまず桃厘に行くことにした。お世話になった人がいるからね」
「仕事はしているのか?」
この紅蘭に質問には樹弘は首を縦に振った。しかし、何の仕事であるかは言わなかった。
『怪しすぎる男だ。ひょっとして政府の密偵か?』
市井の不満分子とか探る仕事をしているのではないか。それならば素性を語らず、泉国各地を旅して回っているのも当然であった。仮にそうだとすれば、真主樹弘の政治に対する批判を並べれば捕まってしまうかもしれない。
『ふ、ふん!権力を恐れてご政道の批判できるか!』
紅蘭は居直るつもりでいたが、桃厘までの道中、ご政道の批判をする言葉を吐くこともなく、紅蘭が捕まるようなこともなかった。何事もなく桃厘にたどり着いた。
「桃厘か……」
桃厘は紅蘭の故郷であった。しかし、もうここには紅蘭の実家はない。四年前に真主樹弘が桃厘を解放した時に逃げ出し、そのまま行方が分からなくなっているらしいということを風聞で知った。時間があれば生家の跡を訊ねてみようと思った。
夜も遅かったので紅蘭達は先に宿を取り、そのまま街の酒場に繰り出した。酒が入ると口を滑らかにさせる。紅蘭は道中で抑制してきた政治的な話題を口にした。
「真主の政治が成功しているかどうかはまだ分からない」
紅蘭は酒で顔を紅潮させていた。絡むような視線を樹弘と雲札に向けた。
「でもよ。生活はよくなっているぜ。俺達も全うな仕事ができるようになったし、盗賊なんかも少なくなった」
雲札は反論した。確かに彼などは真主の政治の恩恵を最も受けているだろう。
「確かにそうだ。しかし、それは内乱が終結したのと政治的なてこ入れがあったからだ。問題なのはこれから十年、いや五年後だ。今のような経済状況、さらに言えば発展的な経済状況にあるかだ」
難しい話だな、と雲札は頭をかいた。
「要するに政治のてこ入れによって成り立っている経済はよくないということ?」
樹弘は鋭かった。雲札よりもよほど学があるようだった。
「そうだ。経済というのはいつまでも政治に頼っていては駄目だ。自立した経済活動というものが必要になってくる」
「そのためにはどうすべきなんだろうか?」
樹弘が問うた。それには紅蘭に腹案があった。そのことをずっと言いたくて言いたくて仕方がなく、ようやく披露することができて嬉しかった。
「それはだな……」
「紅蘭!紅蘭じゃないか!」
紅蘭の言葉が遮られた。酒場の人だかりの中から身の丈の高い男がこっちにやってきた。
「牛紀……」
紅蘭は顔をしかめた。発言を遮られただけではなく、あまり会いたくない男であった。
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