第11話 サイクルラックの有るカフェで

「そう、良かった。トシヤ君ってリアクト、エアロロード乗ってるでしょ、速く走る事ばっかり求めてる人だったらどうしようって思ってたのよ」


 ロードバイクと言えばかなりスピードが出る乗り物だ。だが、ロードバイクの楽しみ方はスピードだけでは無い。ルナはトシヤにそう伝えたかったのだ。


「いや、別にそんなつもりは無いっすけど」


 トシヤがあっさり答えると、ルナは不思議そうな顔になった。それはそうだ。エアロロードと言えばロードバイクの中でも特に速く走る為に空力を考えて設計されたモノで、スピードを求める者が好んで乗るモノなのだから。もっともトシヤの場合はそれほど深く考えた訳ではなく、単に店の人に予算を伝えたら在庫で持っていたリアクト400を勧められ、それが気に入ったから買っただけの話だ。


 もちろんスピードに対する憧れは有ったが、そこまでエアロロードに固執していた訳では無い。もしあの時、軽量オールラウンダーのスクルトゥーラがセール最後の一台だったらスクルトゥーラを買っていたかもしれない。

その事をトシヤはバカ正直に話すとルナが優しく笑ったのに対しハルカは呆れたといった口ぶりで言った。


「それって、あんまり深く考えて無かったってコトじゃないの?」


「う……」


 トシヤは返す言葉が無かった。自分なりに本やネットでロードバイクについて色々と調べてはいたのだが、結局は見た目に惹かれてエアロロードであるリアクトを買ったのだから。


「スピードを求めない人がエアロロードなんて、普通考えられないわよ」


 追い打ちをかける様にハルカが言うとルナがトシヤに救いの手を差し伸べた。


「そんな事言って良いのかしら? ハルカちゃんがエモンダを選んだ理由って何だったっけ?」


「う……」


 今度はハルカが言葉を失った。そう、ハルカがエモンダを選んだ理由はルナが乗っているからと言う実に単純で他力本願なものだったからだ。


「まあ良いじゃない。とりあえず冷たいモノ、買いましょうか」


 微笑みながら言うルナを先頭に三人はコンビニの店内へと足を進めた。


 三人はスポーツドリンクを買うと店から出てペットボトルの蓋を開け、口を付けた。四月の下旬でまだ気温はそんなに高く無いものの、一時間ほど走り続けて少し汗ばんだ身体に染み渡る。そのままの勢いで全部飲み干してしまいそうなトシヤをルナが止めた。


「全部飲んじゃったらダメよ。ボトルに入れる分も残しとかないと」

 言うとルナは自分のエモンダのボトルケージからボトルを抜き取り、もう温くなってしまっているであろうその中身を喉に流し込むとペットボトルの冷たいスポーツドリンクを注ぎ足した。


「こうすれば少しはボトルの中身も冷たくなるでしょ」


 なるほど。トシヤもルナに倣ってボトルケージに手を伸ばしたが、動きが止まった。


「中身、違うヤツだ……」


 トシヤは何も考えず、コンビニのプライベートブランドのスポーツドリンクを買っていた。ちなみにボトルの中身はスーパーで安売りしてた2リットルのアクエリだ。


「仕方無いじゃない。まあ、ミックスも悪く無いんじゃない?」


 ハルカが笑いながら言った。確かにスポーツドリンクの味は微妙には違うが、似た様なものだ。トシヤはボトルを手に取り、温くなったアクエリを半分ほど飲むとコンビニで買ったスポーツドリンクを注ぎ足してボトルケージに戻した。


「じゃあ、補給も終わった事だし行きましょうか」


 ルナの声で三人はスタートし、またサイクリングロードに戻った。


 暫く走ると風に潮の匂いが混ざってきた。更に走る事数分


「海だ!」


 トシヤの目の前に海が広がった。しかも海の向こうには大きな観覧車が見える。


「アレってもしかして……」


「ULJよ」


 トシヤが驚くのを予測していたかの様に前を走っていたハルカが振り向くと、スピードを落として横に並んだ。『ULJ』とは外国の映画会社を母体とするテーマパークで、トシヤも何度か来た事がある。その時の交通手段はもちろん電車だったのだが、確か家から一時間以上かかった覚えがある。


「こんなトコまで来てたんだ」


 初めてのロングライドの時もそうだったが、これまでは公共の交通手段を使ったり、父親に車で連れて行ってもらっていた所まで自分の力で走った喜びにトシヤは打ち震えた。もっともオートバイならもっと遠くに行けるのだが、それはあくまでオートバイの力。エンジンもモーターも付いていないロードバイクで、自分の力で来た事に意義があるのだ。


 三人がもう少し走ると港に到着した。どうやらココがサイクリングロードの終着点の様で、車止めのトラップを抜けるとちょっとした広場があり、潮風の中を子供達が走り回ったり、カップルが手を繋いで散歩したりしている。


「ココからは歩行者が多いから迷惑かけない様にね」


 ルナはスピードを落とし、歩行者を避けながらゆっくりと走る。それに続いてハルカとトシヤもゆっくり走っていると


「あっ、あの自転車格好良いー」


 ヘルメットにサイクルジャージ、レーシングパンツとフル装備のローディーが珍しいのだろう、子供がトシヤ達に手を振っている。ルナが笑顔で手を振り返すと、その子供はぴょんぴょん飛び跳ねながら更に大きく手を振った。いつもなら小さな子供の事など気にかけないトシヤだが、さすがにこの光景には笑いがこみ上げ、思わず手を振っていた。


 ルナは海に近い一軒のカフェの前にロードバイクを停めた。サイクリングロードの終着点という事もあってかその店にはバイクラックが設置してあり、既に数台のロードバイクがぶら下がっている。トシヤ達もバイクラックにサドルを引っ掛け、三台をワイヤーロックで繋ぐと例によってペンギンの様な歩き方で店へと入った。

 店内は女の子が喜びそうな小洒落たカフェで、落ち着いた雰囲気の中にオーナーの趣味であろうロードバイク関連のディスプレイがセンス良く並べられている。ショッピングモールのフードコートやファストフードにばかり行っているトシヤには落ち着いた雰囲気が逆に落ち着かない。しかも一緒に居るのは二人の美少女、初めて尽くしのシチュエーションにトシヤはそわそわするばかりだった。


「どう? トシヤ君、美味しい?」


 ルナがニコニコしながら尋ねるが、味など解る筈も無い。


「ココのスパゲティ、美味しいもんね」


 ハルカがフォークでくるくるとスパゲティを巻き、口に入れた。


「う~ん、美味しい! やっぱり走った後のスパゲティは格別ね!」


 心の底から幸せそうに言うハルカを見てトシヤの顔に笑みが溢れた。


「何よ、何笑ってるのよ?」


 それに気付いたハルカが口を尖らせて抗議すると、トシヤの口から信じられない言葉が溢れ出た。


「いや、可愛いなと思って」


「な、何言ってるのよ!?」


 いきなり妙な事を言われてハルカは動揺して思わず声を上げるが、トシヤはハルカ以上に動揺した。今の言葉は格好付けた訳でも無ければからかうつもりで言った訳でも無い、自然に口をついて出た言葉だったのだ。真っ赤になって黙り込んでしまった二人にルナが目を細めた。


「あら、可愛いって、良かったわねハルカちゃん」


 ルナとしては軽い気持ちで言ったのだが、既に妙な意識で動揺しているハルカにはクリティカルヒットした。それはトシヤも同じ事で二人して動きが完全に止まってしまった。


「あらあらどうしたの、二人共?」


『可愛い』とか言われたりするのは珍しくも無い事なのだろうか? それともただ単に天然なのだろうかルナは

キョトンとした顔で二人を見ている。


「だってルナ先輩、突然変な事言われたら……」


 ハルカが消え入りそうな声で言うがルナは腑に落ちないといった顔で言った。


「どうして? ハルカちゃん可愛いじゃない、トシヤ君の言った事は間違って無いと思うけど」


 やっぱルナは天然だった。ここに来てルナの口から『ハルカの事を可愛いと言った』という事実を復唱されたトシヤは頭を抱え、ハルカは耳まで真っ赤になって沈黙してしまった。


「変なハルカちゃん」


 言いながらルナはスパゲティを口にするが、トシヤとハルカはスパゲティどころでは無い。全く動かなくなってしまった二人にルナは笑顔で言った。


「早く食べないとせっかくのスパゲティが伸びちゃうわよ」


 それは二人にとって可愛い云々の呪縛から解き放たれる救いの言葉だった。ハルカがぎこちない手つきでフォークを動かすとトシヤもアイスコーヒーに口を付けた。

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