7 その姿

 花火大会に、花火を見ることもできず、気づけば神社に戻っていたのは、昨日の話。

 セイリュウは、縁側で外を見ながら、海雷のストレッチを受けている。昨日受けたダメージは、海吏が治癒の術で治してくれたが、傷が治っただけ。何の戦いもないうちに、しっかり体を動かせるようにしておくためだ。

 セイリュウの視線の先には達也がいて、樹李に見守られながら、海吏から稽古を受けている。

 いつもとは違う光景。

「海雷ー?」

「なんだよ」

「タツヤ、どうしたの?」

「どうしたって、何が?」

「だって、稽古つけてもらってるから。しかも、すげー真剣」

 どうしたんだと、もう一度、セイリュウは尋ねた。

 海雷は、不思議そうな彼女に、大きなため息をついた。

「お前さぁ、今の危機的状況わかってる?」

「わかってるよ」

 セイリュウが、むくれたような声を出した。

「オレを狙ってるヤツがいて、お前たちも、何でか知らないけど、手が出せなかったってことだろ?」

「お前を狙ってるヤツっていうか、夜叉だろ」

「あれは、夜叉じゃない。あ、いや、夜叉なんだけど、違う声聴いた」

 海雷のストレッチが終わり、二人は、縁側に並んで座った。

「違う声?」

 海雷が、眉間にシワを寄せて聞き返した。あの時、夜叉は、声を発していないはずだ。

「夜叉のじゃない声がした。もっと、高い声。男だけど、オレやタツヤに近い感じ」

 別人がいたとして、海吏がそれをわからないはずがない。わからなかったとしたら、余計に危機的な状況だ。

「何者なんだ?声が聴こえただけ?」

 尋ねると、セイリュウは、目を丸くして海雷を凝視した。

 その反応に、海雷が眉を曲げた。

「なんだよ?」

「いや……信じるんだぁ」

「なにが?」

「だって、オレの言うこと真面目に返したことないから」

 海雷は、表情を引きつらせた。

「失礼なやつだな」

「ハハハッ。なんか、新鮮ー」

「うっせー。で?声だけか?」

「あー、いや。一瞬だけど、姿も」

 セイリュウの言葉に、海雷は、驚きを隠せなかった。

「あの場にか?」

 祭の会場がそのままだったから隠れることはできただろうが、その気配、空気を、海吏が気づかないなどということは、あるはずがない。

「あそこに?んー、なんていうか、頭の中に、映像が浮かんだっていう感じ」

「映像……」

「少年、なのかな。そんな感じの男の子で、見た感じは、タツヤくらいかな。お前や海吏が、夜叉に攻撃する直前に、ニヤって笑った顔が見えた。海吏が悪戯考えてる時みたいな、ちょっと妖艶なニヤリだった」

「誰なんだ……?(セイリュウを、本当に狙ってるヤツがいる……。夜叉じゃなくて、他に……)」 

 5年前、杏須を狙ったのも夜叉の父ではなく、もしかしたら、同じ人物なのだとしたら。あの時、自分たちが手を出せなかったのも、同じ人物の仕業なら。

「(夜叉を味方につけられたら、今の状況、打開できるかも?)」

「今日、終わり?」

 考え込んでいると、セイリュウが、こちらを見て答えを待っていた。

「終わりたいのかよ?」

「終わりたい」

「わかったよ。どーせ、夜叉に会いに行く、とか言うんだろ?」

「……そう」

 肯定するセイリュウが、身構えている。

「いってらっしゃーい」

 ニヤリと笑って、そう言うと、セイリュウの顔は驚きで固まった。

「え?いいの?」

「そう言ってるだろ。あ、どうせ会うなら、その謎の少年のこと探ってこいよ?」

「さぐ……?」

 疑問に眉根を寄せるセイリュウを、海雷は、不安そうに、そして信じられないと言いたげに見つめた。

「同じ声が聴こえてたのか、とか、何か、いつもと変わったことはなかったのか、とか、祭の前に、誰かと会わなかったか、とか」

「努力する」

「……期待しないで待ってる」

「行ってきまーす」

 どこか嬉しそうにでかけていく背中を見送って、海雷は軽く笑った。呆れと、それでも止めない自分と、元気な彼女の姿に安心していることが、可笑しくて。




 セイリュウは、土手を歩いていた。

 ここに来れば夜叉はいると、確信をしていた。そして、思っていた通りに、夜叉はいた。

「夜叉ぁ!」

 呼びかけて駆け寄ると、彼は、驚いて振り返った。

「良かったぁ」

 笑顔で安堵のため息をつく。セイリュウは、当然のように隣に座った。

「ここに来たら、会えるって思ったんだ」

「何故……」

 夜叉は、苦しげにそう呟いた。

「話したかったから。夜叉と、ちゃんと」

「……セイリュウ、私は……紋章を持つものを、殺しに来た」

「うん……聞いた。でも、夜叉は、オレを知りたいって思ってくれただろ?……知った結果、やっぱり、邪魔だって思ったの?」

 セイリュウの瞳は、曇りなくまっすぐに、夜叉の言葉を待っていた。

「違う。お前を知って、もっと知りたいと思った。……殺したくない」

 苦しそうに告白する夜叉の言葉を聞いて、セイリュウは、嬉しそうに笑った。

「なら、オレはそれを信じる!」 

 夜叉は、目を丸くした。

「信じて、くれるのか……?」

「昨日の夜叉も、本当の姿なのかもしれないけど、オレの見てきた夜叉は、今の夜叉だから。だって、基本、夜叉っていい奴だし」

「……ありがとう」

「夜叉って、昨日のこと、覚えてるの?」

「祭に行って、セイリュウと会ったことは覚えている。ただ、そこから先は、ぼんやりとしか覚えてない」

「そっか……」

「体の自由が利かなかった……」

 夜叉の話を聞いて、セイリュウは、あの時に聴こえた声と、見えた姿を思い出していた。

「あの時さぁ、夜叉、男の子の声聴かなかった?」

「声?」

「男の子っていうか、少年っていうか……」

 夜叉は、思い当たることがないようで、少し考えたあと、首を横に振った。

「(オレだけが、聴こえてた?)」

 海雷も聴こえていないようだった。樹李や海吏に聴いたわけではないが、聴こえていたのなら、もう色々尋ねられているはずだ。

 海雷に、言われている――――謎の少年のことを、探ってこいと。

 あの時、起こったこと。

 声、姿、それから――――。

「(……あ)その、ネックレス、大切なもの?ずっと、つけてるよな」

 あの時、ネックレスが光った気がする、と思い出し、セイリュウは尋ねた。

 夜叉は、飾り部分を手の平に乗せて、柔らかに微笑んだ。

「覚えていない。でも、気づけば、ずっとつけている。父か母にいただいたものだろう」

「見ていい?」

 セイリュウが、首飾りに手を伸ばした。

 夜叉が、首から外して、セイリュウへ手渡してくれる。彼女の手のひらに、ネックレスが乗った、その一瞬――――。

「(あれ?)」

 手の上のネックレスからセイリュウの体に、何かが流れ込んだ感じがした。

「どうした?」

 夜叉が、不思議そうにこちらを見ていた。

「あー。なんか、変な感じがしたんだけど……気のせいかな……」

 何かが流れ込んだような感じは、もう消えていた。

 セイリュウは、首飾りを空にかざして、じっと眺める。

 光を受けて、キラキラと輝いている。

「キレイだな(変わった形してるけど、普通のネックレス……だよな)」

 礼を言って、ネックレスを返す。

「夜叉は王子様だろ?」

「あぁ」

「なら、王様は、オレのことがキライなのかな」

 悲しむでもなく、セイリュウが独り言のようの呟いた。

 夜叉は、優しく微笑む。

「父上は、国を護りたいだけだろう。セイリュウが、優しくおもしろい人物だとわかれば、この命令は取り下げられるはずだ」

「夜叉ぁ?優しいはともかく、おもしろいってなに?!」

「誉め言葉だ、セイリュウ」

 困り顔で、そう言い訳をした夜叉は、それでも反論しようとするセイリュウの様子を見て、思わず笑い出していた。

 目の前にいるのは、殺す相手。

 隣にいるのは、自分の命を狙う相手。

 それは、十分理解している。それでも、ここで、この人の隣で、こうして笑っていたいと、お互いに願っていた。

 その帰り道だった。

 夕暮れにはまだ早い、その時間。

 神社までの道を歩くセイリュウは、ふと脳裏を過った映像に足を止めた。

 見慣れた神社の縁側、大好きな父の膝の上――――何気ない、昔の思い出だ。

 しかし、そこには、もう一人いた。

「あれは……――――――――」

 突然、今までの記憶が、早送りされるように脳裏をぐるぐると回った。 

 

―― 少し前に、ここで見かけた ―― 


 夜叉との、記憶が違う訳。


―― 後輩が、セイリュウに会いたいって ――


 初めて会うはずのタツヤの後輩に、何故か好意を持たれていた理由。

「そうか……」

 自分が、何か大切なものを忘れているのように感じていた、その訳。

 脳裏を回っていたのは、「矢沢竜」の記憶で、父の声を聴いたあの日から、忘れていたものだ。大切な思い出。

 同時に思い出すのは、5年前のあの日の出来事、冬の日の、倒れた父の姿だった。

 樹李から聞いた話が蘇る。


―― ……アンスさんは、あの男の父親に殺されたんだ ――


 夜叉の話だと、彼は、父親からの命令でここに来ている。


―― 狙われたのは、アンスさんじゃなくお前なんだ ――


「――――……あれ?夜叉のお父さんは、生き……てる、よな?」

 となると、あの時、何故殺されなかったのか。セイリュウを護っていた父・杏須は、命を落としていたのに。

 セイリュウの頭に、一つの予想が生まれる。

 セイリュウは、神社までの道を急いだ。

「兄ィ!」

 達也の稽古は終わったらしく、縁側で休む姿が見え、セイリュウは樹李を呼んだ。

「おかえり……。どうした?」

 真剣な表情で戻ってきた彼女に、四人とも、驚きの眼差しを向けた。

「5年前、夜叉の父親って、どうなったの?!」

 セイリュウの問いに、海吏と海雷は顔を見合わせ、樹李は少し考えたあと、驚きに目を見開いた。

「セイリュウ、お前、記憶……」

 達也が、驚きと喜びの混じった顔で、それに続く。

「思い出したの?!」

「あぁ、思い出した。でも、あのときのこと、俺、よく覚えてないから。父さんが、殺されて、それからどうなったのか……」

 5年前を思い出し、樹李は、辛辣な顔をした。

「アンスさんは、あの時、魔界北の国の王と相討ちになったんだ。北の国の王の遺体は、残されなかった。大気に溶けるように、消えていった。……何かあったのか?」

 やはり、生きてはいない。その方が、自然だ。しかし、夜叉の口振りは、父親は生きていると語っている。

 セイリュウは、記憶が戻ったことで判明している、この状況を彼らに説明した。

 昨日聴こえた声や、見えた姿のことも、改めて語った。

 最初に、反応を示したのは、海吏だった。

「え?待って。じゃあ、5年前から、俺たちそいつにおちょくられてるってこと?」

「な?ムカつくだろ?」

 一度、謎の少年の話を聞いていた海雷が、うんざりというような顔をして、海吏に応える。

「全部、もしもの話だけど……」

 セイリュウが、少し自信なさげに言った。

「だとしたら、」

 思案するような仕草をして、樹李が、言う。

「そいつは、何故、セイリュウを狙うんだ?直接ではなく、こんな回りくどいやり方をして。何をしたいんだ」

 少年のことも夜叉のことも、5年前のことも、何が起きているのか、理解ができない。

「あの……大丈夫なんですか?誰が狙っているのかも、わからないってことですよね?」

 達也が不安そうに、樹李に尋ねた。

 夜叉が狙っているのなら、彼を警戒していればよかった。セイリュウの語ったことが、真実であれば、敵は謎の少年だ。

 ただ、今までの思い出が溢れ出し、セイリュウの胸の中は、不思議と、希望に満ちていた。

「夜叉が悪いやつじゃないってわかったか?」

 勝ち誇ったような表情をして、セイリュウは海吏と海雷を見た。

 海雷は、呆れたようにため息をついた。

「本当に、めでたいヤツだな。お前が狙われてることに変わりない上に、姿が見えないわ、俺たちの力が通じないわ、状況は悪化してんだよ」

 海雷の言葉に海吏も賛同する。

「おまけに、いないはずの人がいるように思われてるんだから。相手は、けっこう器用みたいだね。何か、ないの?夜叉とお友だちなんだから」

「そうだ!探ってこいって言ったよな?何か収穫ないのかよ」

 海雷に言われて、セイリュウは、そういえば、と思い出す。

「夜叉、ネックレスしてるんだ。変わった形したネックレス。それが光ったような気がしたから、見せてもらったんだけど……何もなかった」

「収穫ないのかって聞いたんだよ、拾ってこいっての……」

「仕方ないよ、海雷。会いに行ったのがセイリュウで、話を聞いたのもセイリュウなんだから」

 海吏は笑顔を浮かべているが、それがそのまま優しさを表していないことは、海雷もセイリュウもよくわかっていた。

「えー、俺、ちゃんと聞いたって!でも、夜叉も、いつから着けてるかわからないくらい昔から着けてるって。外して、貸してくれたけど、光んなかったし……あ、」

 そこまで話して、セイリュウは、ひとつ思い出した。ネックレスを渡してもらった時に感じた、何かが流れ込むような感覚。

「そういえば、ネックレスから、何かが俺の中に流れ込んだような感じがした。すぐに消えたし、本当に一瞬だったから、気にもしなかったけど」

 海吏、海雷と、樹李が、顔を見合わせる。

 樹李が、セイリュウに尋ねる。

「セイリュウ、いつ、記憶が戻った?」

「え?ここに帰ってくる途中。俺の小さい時の記憶が、最初に頭に浮かんで、それで」

 夜叉のネックレスに触れてから、セイリュウは、そこから何か流れ込むような感じがあり、そして、記憶が戻った。

「もしかしたら、媒体か?その少年が、力を使うための」

 樹李の見解は、海吏も海雷も考えていたことだった。

「そのネックレスを壊すことができれば、相手は出てくるか?」

 海雷が言うと、海吏はため息をついた。

「できないように仕組んでるんだろうけど、ね。聞き覚えないの?セイリュウ」

 セイリュウは、首を横に振った。

 記憶が戻った今でも、あの声に、聞き覚えはない。

「例えば、媒体だとして、それを通して攻撃しているのなら、やっぱり、気をつけるべきは、夜叉ってことになるね」

 海吏が、話をまとめる。

 謎の少年がいて、不思議な首飾りがあり、操られているであろう夜叉がいる。

 しかし、その首飾りの影響なのか、セイリュウに「矢沢竜」の記憶が戻った。

 相手が、5年前の関係者なら、同じことを繰り返すつもりもあるのだろう。樹李は、あの時のように何もできない可能性を思うと、背筋が凍った。

「セイリュウ、」

 樹李は、セイリュウに真剣な眼差しを向けた。

「記憶は戻っただろうが、この状況が終わるまでは、ここにいてほしい。自分たちが傍にいない時に、その少年が力を使ったとしたら、俺たちは、お前を護れない可能性がある。それだけは、絶対に避けたい。俺は、お前を護りたい」

 まるで愛の告白のような言葉。海吏、海雷と達也には、予期せずこぼれ落ちた、この言葉の意味をわかっていたが、肝心のセイリュウには、届いてはいなかった。

 彼女は、明るく笑って言った。

「ありがとう、兄ィ。そうするよ」

 樹李は、セイリュウの頭をくしゃくしゃと撫でた。それから、海吏と海雷を振り返る。

「タツヤを送ってくる。セイリュウのことは、たのんだぞ」

 二人の返事を聞いた後で、樹李は、達也と神社を後にした。




 小さな家のリビングダイニング、2人用のテーブルで、少年が一人、銅の縁飾りを付けた水晶板を見て、目を細め微笑んでいた。

 ショートカットの黒髪は、キレイに整えられていて、小柄な体とその一見愛らしい顔立ちに、よく合っていた。

 ここは、セイリュウらのいる世界とは、別の世界。

 水晶板に映し出されているのは、セイリュウと海吏や海雷、そして神社の様子。

 扉が無遠慮に開いた。

「財布、どこだっけ?」

 背の高い男が、部屋の角にある五段の引き出しがあるチェストを探り始めた。少年の同居人だ。

 男の纏う雰囲気を表したかのような、明るい茶色の髪は伸びかけで、前髪が時に、髪と同色の瞳を隠している。

なかなか見つからないのか、がさごそと引き出しを開けて探す音がしている。少年が自分の問いかけに答えないことを、気にもしていない。

「あれー?なぁ、買い物用の財布って……」

 もう一度、少年に尋ねようと振り返り、男は、少年が水晶板に夢中になっていることに気がついた。

「こーくじゅ。何見てんの?ずいぶん楽しそうだな」

 笑みを浮かべて少年・黒樹こくじゅに歩み寄る。

 黒樹こくじゅは、水晶板に目をやったまま、冷たく答えた。

「セイリュウだよ。ホラ、さっさと買い物行ってきてよ、かえで。財布は、上から二段目の引き出し」

「えー、俺も見たい」

 楓は、黒樹の左から水晶板を覗いた。黒樹が、即座に楓の頭を後ろへと押しやる。

「さっさと買い物行ってきて」

「ちょぉ……」

「八百屋のキレイなオネーサンが待ってるよ?」

 冷たく促され、楓はむくれ顔で黒樹の後ろ姿を見下ろした。

「なーんだよぉ。俺だって見たい!」

「肉屋のおにーさんも待ってんじゃないの?」

 黒樹は、あくまでも冷たく返してくる。

「黒樹、会話のキャッチボールー!」

「してるでしょ?見てないで、買い物に行けって言ってんの」

「だって、お前がその水晶板をここに持ってきてまで見つめてるなんて、ものすごく珍しいし」

「僕は、自分の捜し物してるだけだよ。ほら、さっさと行く」

 黒樹の声が、やや苛立ちを含み始めた。それを聞いて、楓はニヤリと笑った。

「お前が関わるんなら、俺にも関係があるはずだからな。帰ったらちゃんと説明しろよ?」  

 チェストの二段目の引き出しから財布を取り出して、楓は、買い物に出かけていった。

「……ホント、うるさい……」

 呟く黒樹の表情は、言葉の意味よりも、ずっと楽しそうだった。

 水晶板に映されるのは、捜し物――――この家には、店舗スペースもあり、リビングダイニングと扉ひとつで行き来ができた。そこで、少年は、魔術を使った占いで、捜し物の情報提供をしていた。

 彼らのいる世界には、ひとつの伝説があった。


 この世界には「闇」がある。

 「闇」と呼ばれる不思議な力が。

 誰も見たことはなく、触れたこともない――――しかし、それは確かに存在する。


 探し求める人間は、たくさんいた。在り処を聞いてくる人間も、たくさんいる。

 店用の入り口には、札がひとつだけかけられている。「OPEN」と「CLOSE」が書かれた札。そこには、注意書きも添えられていた。


 「闇」の在り処については、お答え致しません。


 黒樹の仕事は、客の捜し物の情報提供だ。

 だが、今は、自分の捜し物をしている。

 水晶板を見つめて、黒樹は、また、楽しげに笑った。

「さぁ、始めようか。セイリュウ」




*  *  *  *  *



 幼い頃、父に連れられて、この神社に来ていた。セイリュウは、早朝の神社をゆっくりと歩いていた。今考えると、父は遊んでくれているようで、稽古をつけてくれていたのだろう。いつも、楽しく子どものように無邪気に。

「あの時の声……」

 呼ばれる声がした、あの時の声は、本当に父だったのか。それとも、あの少年の仕業なのか。

 本物だったらいいのに、と、そう考える。

 セイリュウは、空に向けてため息をついた。

 柔らかな風が吹いた、その時だった――――。

『セイリュウ』

 呼ばれた声に、セイリュウは目を見開き、足を止めた。ゆっくりと振り返ると、大きな木の前で、胡座をかいて座る杏須がいる。

 思いが溢れすぎて、言葉になって出てこない。

 少し前なら、素直に駆け寄っていただろう。

 だが、謎の少年が仕掛けたことだとしたら、と思うと、体はすぐには動かなかった。

『なんだ、父ちゃんの顔を忘れたか?』

 セイリュウは、ブンブンと首を横に振った。

 杏須は、黙って自分の左隣を叩いた。

 その時、理性はどうでも良くなった。杏須がそこにいることだけが、彼女にとって大切だった。

 杏須の隣に座ると、頭をガシガシと撫で回された。

『父ちゃんは、ちゃんと見てるからな』

 懐かしい声、懐かしい姿。セイリュウは、こみ上がるものを感じ、慌てて顔を両手で覆った。

『いいか、セイリュウ。紋章は、護るための印だ。邪魔者の証じゃない。ましてや、悪者なんかじゃない。顔あげてろ』

 それでも、顔を覆う両手はどけられない。

「でも、オレ……」

『護りたいか?この神社の奴ら、達也、それから、夜叉を』

「護りたい、けど、」

『それは、何でだ?』

「……一緒に、いたいから」

『あいつらも、お前を護ろうとしてる。俺も同じだ。お前を護りたい。きっと、同じ理由だと思うぞ?』

「父ちゃん、オレ……いてもいいのかな」

『いちゃいけない理由なんてない。父ちゃんの、大切な娘だ。俺は、お前を護れて嬉しい』

 もう一度、杏須は、セイリュウの頭を乱暴に撫で回した。

「うん……!」 

 不思議な感覚だった。

 この人は、もうこの世にはいない。いないとわかっているのに、聞こえる声も頭を撫でるあたたかい手も、すぐ隣にある。

『ユーレイじゃないからな?』

「違うの?」

 真面目に驚くと、杏須は、豪快に笑った。

『魔術の一種だ。後はろくにできねーけど、結界を張るのだけは得意なんだ』

 セイリュウは、目を輝かせて父の話を聞いていた。

『セイリュウ、今、お前を狙っているのは、夜叉じゃないことはわかるな?』

「うん」

『そして、その父親、魔界北の国の王でもない。そいつが使ってるのも、結界の一種だ。だから、今度はここに、夜叉を連れてこい。俺がなんとかしてやる』

 この提案に戸惑う。セイリュウは、夜叉をここに連れてきた時に、彼が受けるであろうショックを考えていた。彼は、父親は生きていると思っている。現実は、そうじゃない。

 そして、幼い頃に、夜叉の父親は、自分の命を狙っている。

「父ちゃんは、夜叉のことキライ?」

 自分にとって、夜叉は大切な友だちだ。

 杏須は、夜叉をどうするつもりだろう――――それが、心配になった。夜叉自身が、今の敵ではないことは、杏須もわかっている。

 狙っているのは、謎の少年。操っている、その手から離れたら、夜叉はどうなるのだろう。

 父の答えを、じっと待っていた。

『セイリュウ、キライだから戦うわけじゃない。確かに、夜叉の父親はお前の命を狙っていたし、あの出来事で、俺は命を落とした。だけど、俺があの時戦ったのは、お前が大切だったからだ。護りたかったからだ。これは、危険からお前を護った結果で、俺は誰のことも恨んじゃいない。夜叉のことも、キライじゃない』

 セイリュウは、ホッとしている自分がいて、更に戸惑った。大切で、尊敬しているこの人の命を奪ったのは、夜叉の父親だ。あの瞳は、きっと同じ瞳。

 それでも、夜叉が優しい人だと、セイリュウは知っている。彼は、大切な友だちだ。

 覚えている――――最初に図書館で彼を見たときの、自分の中に渦巻いた怖い感情。

 次に会ったとき、夜叉を憎んでしまったら――――。

 夜叉は、おそらくなにも知らない。

『竜、』

 名前を呼ばれて、振り仰ぐ。

 父は、見慣れた顔で笑っていた。強気に、子どものような笑顔。

『大丈夫だ』

 その一言に、不安も恐れも解けていった。

「うん!」

 セイリュウは、元気よく立ち上がった。

 何の根拠もないけれど、この人がそういうのなら、「大丈夫」なのだろう。

「あ!俺、土手まで行ってくる!夜叉いるかも」

 迷いなく駆け出したセイリュウを見送って、杏須は、安堵のため息とそれから小さな笑みをこぼした。

『面倒をかけるなぁ、樹李』

 セイリュウが駆けていった方へ視線をやったまま、杏須は、音も気配もなく現れた樹李へ声をかけた。

 樹李は、辛そうな顔をしていた。

「いいんですか?その力が使えるのは、一度きりですよね?」

『忘れたのか?俺は、5年前に死んでる』

「あなたが消えたら、きっと、あの子は苦しむ。また、5年前のように」

『今なら、お前たちもいる。それに、竜もセイリュウも、5年前より成長してる。今なら、大丈夫だろ』

「応えますよ、その期待に」

 樹李は、身の引き締めながらも、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。

 その時、空気が震えた。

 杏須も樹李も、セイリュウが駆けていった先、鳥居の方向を振り返り、凝視した。

 感じたのは、確かに殺気。

『樹李!』

「はいっ」

 答えると同時に、樹李は走り出した。

 杏須は、意識を集中し、神社全体に結界を張った。

 海吏と海雷が、縁側から飛び出して鳥居の方へと駆けていく。それを見届けて、杏須は、ホッと息をついた。

『あと少し……護らせろ』

 樹李が駆けつけたとき、鳥居と狛犬との間に、夜叉がいた。片手には剣を持ち、鋭い眼差しで、まっすぐに前を見据えている。その先にいるのはセイリュウだ。

 夜叉が、ゆっくりと口を開く。

「お前がいたから、父上は命を落としたのか……」

 その言葉に、セイリュウは、少しだけうつむいた。

「そうだよ……」

「噂を聞いてから、紋章を持つ者を父上は意識していた。いつか、この世界の平和を壊しに来ると、危惧していた……」

 紋章を持つ者――――それは、何にも支配されず、どこにも属さず、全てを統べる者。

「お前が、いたから……」

 夜叉が、苦しげに呟く。

「オレがいたから、父さんも、夜叉の父さんも命を落とした。だから、オレは生きなきゃいけない。護ってくれた、大切な命だから」

 セイリュウの左手の甲が、青白い輝きを放つ。

 樹李は、セイリュウの隣に並んだ。

「今度は、どんな手を使って来るか……」

 反対側には、海吏と海雷がいた。

「5年前のようには、いかないからね」

「今、ここに姿を現さなかったことを、後悔させてやる」

 ここにはいない少年へ、二人が言葉を投げる。

 夜叉が苦しげに額を押さえる。

「……夜叉?」

「セイ、リュウ……」

 様子がおかしい。

 不思議そうに見つめるセイリュウは、彼の胸元で、ネックレスが微かな光を放っていることに気がついた。

「ネックレスが……。なぁ、あれだけピンポイントで壊せないかな?」

 夜叉から目を離さず、セイリュウは、三人に尋ねた。

 海雷は、それを聞いて、呆れたように息をついた。花火の日のことは、忘れもしない。

「そもそも、あいつに攻撃があたんねーっての」

「別に、壊さなくてもいいんじゃない?」

 落ち着いた口調で、海吏が言った。

 セイリュウと海雷が振り向くと、海吏は、ニヤリと笑った。

「夜叉から、あのネックレスが離れればいいわけだよね」

 海吏の意図がわかった海雷も、口の端をあげて笑った。

「セイリュウ、夜叉の注意を引いとけよ?その間に、あのネックレス、奪ってやる」

「え?注意??」

 戸惑うセイリュウに、海吏は軽く笑った。

「心配しなくても、夜叉は、セイリュウしか見てないでしょ」

「へぇ、一途だな」

 ニヤリと海雷が笑う。

 夜叉が苦しげな色を残したまま、剣を構えた。すぐに振り下ろされる剣と、そこから放たれる無数の黒い光の矢が、まっすぐにセイリュウに向かってくる。

 樹李が、セイリュウの前に立ち、剣を薙ぐ。

 若草色の光が、向かい来る黒の矢を払った。

「喋ってないで、動け」

 海吏と海雷が、表情を引き締める。

 夜叉の攻撃は、続くが、それを、樹李が次々に払っていく。

「セイリュウ、」

 海吏が、手のひらに氷の力を集中させながら、声をかけた。

「攻撃しなくていいから、あいつの視界と動きを奪ってくれる?」

「わかった」

 セイリュウの決意の表情を確かめてから、海吏は手のひらに纏わせた氷の力を、夜叉に向けて放った。同時に、海雷が、炎の矢を放つ。二つの力は、夜叉の1メートル手前でぶつかり、水蒸気を発生させた。

 視界を奪われた夜叉が、自分を囲う水蒸気の壁を抜ける前に、セイリュウは水と氷の壁を、そこに作り上げた。

 そして、案の定、夜叉は水蒸気の壁を抜けたあと、そこで足を止めた。

 海吏と海雷は、すでに夜叉の後ろに移動していて、目当てのネックレスに手をかけようとしていた。

 しかし――――。

「させるわけ、ないでしょ」

 海吏、海雷と夜叉の間に、妖しい笑みを浮かべた黒髪の少年が、姿を現した。

 宙に浮くその姿に、誰もが目を丸くしていたその間に、海吏と海雷は、見えない力で後ろに弾き飛ばされた。

「ネックレスに目をつけたのは、誉めてあげるよ」

 参道の石畳の上で、悔しげに体を起こす二人を、少年・黒樹は、余裕の表情で見下ろした。夜叉の頭の高さにある、黒樹の姿は、向こう側が微かに透けて見えるほどに薄かった。

 その時、剣を構えたままの夜叉が、素早い動きで振り返り、そして、白い光を纏った剣を黒樹の体の中心に突き刺した。

「油断したな」

 ニッと笑う夜叉の声は、彼のものではない。

 黒樹の顔が、不快に歪む。

「杏須か……」

 剣を持たない方の手に、ネックレスが握られていた。

 夜叉の姿が、ブレるような形で二重になる。ひとつは、黒樹が言った通り、杏須の姿だ。

「お前ほどスマートにはいかないが、樹李に協力してもらって、お前が抜けた瞬間に、こっちをコントロールさせてもらった。5年前、俺が相打ちなったときに使ったのが、光の術。微弱な魔術しか使えない俺でも倒せたんだ。つまり、弱点だよなぁ?」

 黒樹は、瞳に鋭さを宿したまま、口元にだけ笑みを浮かべた。

「使えないくせに、ホント、センスだけはいいよね」

「そりゃ、どーも」

「ご褒美に、今回は、引いてあげるよ」

 黒樹の姿が、揺れる。

「あぁ、これは、プレゼント」

 黒樹が、指をパチンと鳴らした。そして、楽しげな微笑みを浮かべ、スーッと大気に溶けていった。

 変化が起きたのは、その後だった。

 杏須の姿、動きと繋がっていた夜叉が、一人、ふらりと動く。そして、剣を薙ぐ音が、辺りに響いた。オレンジ色の炎を纏った斬撃が走った。

 耳をつく爆音。夜叉の放った力が、樹李らの作る氷と水のシールドにぶつかり、神社は水蒸気に包まれた。

 何も見えず、何も聴こえない。

 その中で、何かが動く気配がして、樹李は、慌てて辺りの水蒸気を風の術で散らした。この状況で、動く気配が誰で、狙われるのが誰なのかは、明白だ。樹李は、血の気が引く思いを感じていた。

 晴れた視界。振り返ると、セイリュウと夜叉が剣を交えていた。

 樹李が、体を動かそうとすると、急に、全身に痛みを感じた。

 先程の夜叉の攻撃は、防いでいたはずだ。

「(あの中で、更に攻撃をしていたのか……)セイリュウ」

 力の押し合いが続いているが、このままでは押し負ける。

 海吏も海吏も、樹李と同じで、攻撃のダメージが大きく、動けない。

『大丈夫だ、樹李。任せろ』

 肩に軽く手を置かれた感覚――――樹李は、通り過ぎていく杏須の姿を見送って、胸が苦しくなった。彼の姿は、今にも消えそうなほど、薄くなっていた。

 セイリュウは、力強く、夜叉を見据えていた。

 対して、夜叉の瞳にあるのは、強い憎しみ。飲まれそうなほどに、強い恨み。

「お前のせいで、父上は死んだっ……!紋章を持つ者から国を護ると、父上は……!」

 夜叉の憎しみが、まっすぐにセイリュウに向けられる。

 セイリュウは、独り言のようにつぶやいた。

「オレは、憎まない。(父さんは、オレに憎んで生きてほしくて護ったんじゃない。幸せに生きてほしくて、護ったんだ。だから、憎まない……!)夜叉っ……!」

「私の……道標を、」

「夜叉っ!」

「……セイ、リュウじゃ……」

 夜叉の表情の中に生まれる、確かな揺らぎ。

 その時、セイリュウは、懐かしい暖かさに、背後から包まれるのを感じた。

『剣は、こう握るんだ』

 瞬間、頭に浮かんだそれは、懐かしい情景。幼い頃に、ここで父に剣を教わっていた風景。

『そう、上手いぞ』

 状況は変わらないが、セイリュウの心は、落ち着いていた。

 左手の甲が、ゆるゆると光り始める。

『いいか、忘れるな?父ちゃんは、ちゃんと、ここにいる』

「うん」

 セイリュウの持つ剣が、白い光を帯びると、それまでとは逆にセイリュウが、夜叉の剣を、押し返し始めた。そして、すぐに高い音を立てて、夜叉の剣を弾き飛ばした。その勢いで、夜叉は後ろへとよろける。

『切らなくていい。夜叉がしたように、剣が纏った力を飛ばすんだ。そのまま、剣を振り下ろせ』

 言われるまま、セイリュウは、白い光を纏った剣を振り下ろした。

 白い光が、体を立て直そうとする夜叉へと放たれる。

 夜叉が剣を拾うより早く、白い光は夜叉に命中し、後ろへと倒れる彼を包み込んでいった。

 やがて、光が淡く大気に溶けていくと、そこには、もう夜叉の姿はなくなっていた。

 セイリュウは、後ろにいるはずの杏須を振り返った。

「……父さん?」

 しかし、そこにあったのは、夜叉が着けていたネックレス、ただひとつ。

 もう一度、夜叉のいた方を見ても、自分が弾き飛ばした剣が、地面に突き刺さっているだけだった。

 体の力が、一気に抜けた。

 受けた攻撃のダメージで、体が痛い。

 セイリュウは、ペタリとその場に座り込み、傍にあったネックレスを手に取った。

 先程まで感じていたぬくもりが、聴こえていた声が、言葉が、セイリュウの中に溢れて、そして、涙となった。

 杏須が作っていた結界は、まだ効いていた。

 朝早い時間、神社には、まだ人は来ない。

 しかし、一人だけ、ここへ来る可能性のある者がいる。達也だ。

 樹李も、海吏も海雷も、セイリュウも、全員が傷を負っていた。海吏が、海雷に治癒の術を施し、樹李は、自らを治した。

「セイリュウ……」

 樹李が、声をかける。セイリュウは、泣き顔をあげもしない。

「兄ィ……苦しい……」

「そうだな……」

 もうすぐ、結界は消える。樹李は、セイリュウの手を取り、社へ移動した。

「手当してやる」

 社の縁側は、心地良い風が吹いていた。いつものように。

 樹李の治癒の術が効いていくのと同時に、セイリュウの心も、少しずつ落ち着いていた。

 海吏と海雷がお茶を淹れている。茶葉の良い香りがしていた。

 運ばれてきたのは、5人分のお茶。

 体から痛みが消え、セイリュウは、深くため息をついた後で、口を開く。

「夜叉、どうなったのかな……」

 こんな時にまで、やはり、元凶となった者の心配をしている彼女に、海吏と海雷は呆れた。

「セイリュウが使ったのは、光の術でしょ」

 海吏が、二人にお茶を渡しながら言った。

 それを、海雷が続ける。

「あの術じゃ、人にダメージなんて与えらんねーよ」

「せいぜい、あの少年の術を解く程度かな」

 二人の解説には、優しさが含まれていた。

 そして、二人は、声を揃える。

「まぁ、そもそもセイリュウのレベルじゃ、無理だな、ダメージなんて」

「まぁ、そもそもセイリュウのレベルじゃ、無理だね、ダメージは」

 バカにすることを忘れない二人に、セイリュウはのせられて、不機嫌に振り返った。

「動けなかったクセに、ムカつく」

「ハイハイ」

「海雷ーー!」

「俺にだけ文句言うな。海吏も同じだろ」

 社が賑やかになっていく。

 海吏も海雷も、日常に戻そうとしている。それがわかるから、樹李は、微笑むだけで、止めようとしなかった。

「だいたいさぁ、止めを刺そうと思えば、できたでしょ?光の術って、わりと高度な術なんだよ?なんでやんなかったの?また、来るかもよ?」

 海吏は、少し真面目な顔で言った。

 セイリュウは、自信ありげに笑った。

「それはない」

 夜叉と刃を合わせたから、セイリュウは理解した。

 確かに感じたのは、殺気だったし、表情にも憎しみも恨みも見てとれた。

 それでも――――。

「夜叉は、オレに対して憎しみを向けてきてないから。オレと同じ……自分に対する憎しみ、っていうか……きっと、あの時の、後悔なんだ」

 縁側に座って見える景色は、幼い頃から変わらない。父とのあたたかい記憶を運んでくる、優しい風景。

 少し、淋しく見えた。

 海雷が、呆れたようにため息をついた。

「それで、命狙われたら、世話ねーな。甘すぎない?」

「考えないわけじゃないよ。今だって、父さんに傍にいてほしいし、隣で笑っていてほしいよ。なんで、死ななきゃいけなかったんだって、正直思う」

 セイリュウは、淹れてもらったお茶を、喉に流した。

「でも、そういう悔しいとか、どうすればいいのかわかんない怒りとか、言葉にできない感情とか、そういうの、夜叉にぶつけるのは、違うって思うから」

 父の姿を思い出すときは、いつも誇らしい。今でも憧れる、その姿。父なら、どうするだろう――――いつも思っている。

「父さんなら……きっと、そうするだろうなって」

 夏の朝、爽やかな風が、セイリュウに答えるように、そこへ吹いた。

 海吏が鳥居の方向を振り返り、口の端を上げた。

 五つ目の湯呑の主がやってくる。

「タツヤが来るよ。一段落ついたわけだし、安心させてあげたら?」

「この状況で?」

 治しているとはいえ、全員が傷を負った。言い合うことはできても、いつものように挑発の後の手合わせは無理であるほどには、体力を削られている。

 達也は、安心するどころか、心配しそうだ。

 砂利道を走る音がする。

 今日も、空は晴れ渡り、暑くなりそうだ。絶好の稽古日和。

 気合いを入れてやってくるであろう幼馴染に、なんと言って諦めてもらったらいいのだろう。

「アニキ、おはよう!」

「おはよう」

 さて、何から話そうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る