南京錠

 散歩をしていると、おかしな物を見つけた。南京錠だ。U字型の銀色の掛け金が、四角い金色の本体にくっついている。本体の下部には鍵穴がある。試しに引っ張ったり揺らしたりしてみたが、いたって普通の南京錠だった。

 では、何がおかしいのか。それは南京錠がかかっている場所だ。公園のど真ん中の地面にかかっていたのだ。掛け金の部分が土にめり込むようにして引っかかっており、きっちりと鍵がかかっていた。近くに鍵が落ちていないかと探してみたが、鍵はなかった。誰かが地面に施錠し、鍵を持ち帰ったのかもしれない。

 一体、誰が、何のために。考えてみたが、わかるはずもない。それでも時間だけはある俺は、近くのベンチに座り、煙草に火をつけた。煙を吐きながら、南京錠を見つめる。

 


 それにしても、どうやって地面に施錠をしたのだろう。南京錠を引っ張ればすっぽりと抜けそうだと思ったのに、抜ける気配がなかった。正真正銘、地面に施錠をしているのだ。誰が、何のために、どうやって。考えても何もわからないまま、もう一本煙草に火をつけた。

 わからないことを考えても仕方がないので、わかることを考えることにする。二本目の煙草を消し、携帯灰皿に吸殻を入れる。それをズボンのポケットにしまい、代わりに求人誌を取り出す。薄いその冊子を丸めてポケットに入れていたため、下の方が少し潰れていた。最初のページから順にめくっていく。

「アットホームな会社」

「楽しく明るい職場」

「やる気のある方大歓迎」

 今日こそは、とわかっているのに目が滑る。俺は諦めて、目をきつく閉じたあと、ゆっくりと開いた。その先には、南京錠がきらりと光っていた。



 なぜ大学をやめたのか。あと半年で卒業できるというのに、なぜやめたのか。

 両親にも友人にも、そう訊かれた。手続きをしてくれた大学の事務員にも訊かれた。俺にもわからない。そう答えると、父親は怒り、母親は嘆き、友人は呆れた。しかし、仕方がない。本当に自分でもわからないのだ。

 それでも、大学を投げ出し、友人との連絡を絶ち、家を出た時、体が軽くなったような気がした。知らぬうちに、俺は何かを溜めていたのかもしれない。その何かの正体はわからないが。再びわからないことを考えている自分に気づいて、少し笑う。

 家を出たあと、格安のアパートを見つけ、節約しながら何もしない生活を送っていたが、いよいよ金が尽きかけ、求人誌を開いているのだ。だから、南京錠を見ている場合ではないのだが、目が離せない。俺はしばらく南京錠を見ながら求人誌をめくっていたが、無駄だということに気づき、求人誌を再び丸めてポケットにねじ込んだ。尻の下で求人誌が潰れる音がした。



 しばらく南京錠を見ていた。その間に煙草を三本吸った。もう一本吸おうかと煙草に手を伸ばした時、一人の老人が南京錠に近づいた。

「おお、おお、ここにもあったか」

 老人が愛しそうに南京錠を撫でた。俺は老人へと近づく。俺に気づいた老人が、南京錠を撫でながら俺を見上げた。

「この南京錠って、あなたの物ですか?」

 俺の問いに老人は頷く。

「これは、わしの大事な南京錠じゃ」

「なぜこんな所に鍵を? どうやって? 何のために?」

 初対面の人間にまくし立てる俺に、老人は笑顔のまま何度も頷いた。

「この鍵は、わしの鍵だがわしがかけた物ではない。知らぬうちにかかっている物なんじゃよ。わしはそれを回収している」

「なぜ?」

「あの世に行くのに必要だからじゃよ。どうしてこんな所に鍵があるのかはわからない。でも、こうすると……」

 老人はそう言って、握っていた右手を開いた。その手の中には銀色の小さな鍵が一つあった。それを南京錠の鍵穴に刺し、ゆっくりと回す。かちり、という小さな音とともに鍵が開かれた。その瞬間鍵がキラキラと光りながら、消えていった。驚きながら老人を見ると、老人の目から一粒の涙がこぼれた。

「そうじゃ、そうじゃ。子どもの頃、ここで友だちと毎日遊んでいたんじゃ。今ではみんな死んでしまったが、あの世で再会できるかもしれないな」

 老人は涙を拭き、腰に手を当てながらゆっくりと立ち上がった。

「さて、次に行くとしよう」

「どこに?」

「次の鍵がある所へ。どこにあるのかも、まだあるのかもわからんが、楽しい散歩になることは間違いない」

 老人が幸せそうに笑う。

「君の鍵も、いつかどこかでかかっていますように」

 そう一言だけ残して、老人は去って行った。小さくなっていく老人の背中を見つめながら、俺は南京錠のことを想っていた。

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