掌編集

梅野あつみ

林檎

 いつも決まった時間に、いつも決まった朝食。スクランブルエッグにトースト、少しのレタスとミニトマトがひとつ。あとは、コップ一杯の冷えた牛乳。運んでくるのは、黒いヒラヒラのワンピースを着た少女。

「時間なんてわかるの?」

 少女は朝食の乗ったトレイを机に置きながら、僕を見る。

「わからないなら、自分で決めればいいだけさ」

 納得したのか、それとも興味がないのか、少女はそれ以上訊くことはなかった。

「さあ、食べて」

 少女がスプーンに乗せたスクランブルエッグを、僕の口に運ぶ。僕はおとなしく口を開き、少女に食べさせてもらう。僕は後ろ手に縛られているので、自分で食べることができないのだ。

「スクランブルエッグって、作るのむずかしいのよ」

「火を通しすぎたら炒り卵になっちゃうからね」

「料理するの?」

「縛られていなければね」

 うふふ、と少女は笑い、トーストを一口分ちぎる。

「さあ、食べて」

 僕はトーストを食べる。少女がレタスに手を伸ばすので、僕は首を横に振る。

「牛乳」

 少女は頷き、牛乳を僕に飲ませる。これが少しむずかしい。僕の飲むペースと少女のコップを傾ける角度がぴたりと合わなければ、かなりの確率でこぼしてしまう。今日もこぼした。顎をつたい、垂れ落ちる牛乳。少女は僕の顎に舌を這わせて、きれいに牛乳を舐め取る。

 口を拭った少女はミニトマトを、摘む。

「さあ、食べて」

 僕は少女と見つめあったまま、口の中でミニトマトを一気に噛み潰した。



 僕は後ろ手に縛られているだけではなく、この部屋から出ることができない。鍵をかけられているのだ。部屋には風呂もトイレも本もあり、三度の食事も少女が運んでくれる。大きな窓もあり、その日の天気もわかる。もちろん、窓にも鍵がかけられていて、開けることはできないのだが。足は縛られてはいないので、運動不足にはならない。

 特に不自由を感じることはないけれど、ひとつ気になることは学校と家族のことだ。このまま学校に行けず、強制退学にでもなったらどうしようか。高校ぐらいは卒業しておきたい。家族だって心配しているはずだ。母親はあまり丈夫な方ではない。そのことを、少女に訴えた。

「あなたは何も心配することはない」

 少女はそれだけ言うと、僕を縛った。少女の力とは思えないぐらい強く、僕は今日に至るまで一度も縄をほどくことができなかった。けれど不思議なことに、僕は不安も不快もなく、こうしてここにいる。


 

 昼食後、少女は僕の部屋で二時間ほど一緒に過ごす。何をするのかは決まっていない。降る雨をただ見ているだけの日もあれば、少女が昔飼っていた犬の話を一方的に聞かされたり、僕のことを質問攻めにしたり。この日は、少女による詩の朗読だった。

「娘はオーブンから出したばかりのアップルパイを一切れ私にくれた。

 まだほんのり湯気が立っている。

 パイの皮には砂糖と香料、シナモンが焼きこまれている」

 少女は本を机に置いて、そうかシナモンか、と呟き部屋を出て行った。机の上には開かれたままの本がある。途中だったので、やけに気になってしかたない。僕は続きを目で追う。

「娘はあの男を愛していると言うのだ。それならいいではないか」

 最後の二行を声に出して読む。そんなはずはないだろう。自惚れてはいけない。そういえば、なぜ僕はここで監禁されているのだろう。


 

 今日の夕食はアップルパイだった。シナモンがよく効いている。

「僕が監禁されている理由は何?」

 うふふ、と少女は笑う。

「わたしが大人になるため」

 少女がアップルパイをもう一口差し出す。

「僕が君を大人にしてあげられるってこと?」

「わたしに何かしてあげられるなんて思わないで。あなたがするんじゃないわ。わたしが選んで、わたしが決めるの」

 僕は差し出されたアップルパイを食べる。

「美味しい? 林檎をたっぷり入れたのよ」

 返事のかわりに笑って見せると、少女も笑う。その笑顔の中に、少女とは別のものを見た気がしたけれど、林檎の甘さが僕の思考を奪っていく。



「さあ、食べて」

 少女が差し出すそれは、とてもやめられそうにない。




※作中に出てくる詩は、レイモンド・カーヴァー(黒田絵美子=訳)の「娘とアップルパイ」という詩です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます