第29話 休息を
それから、二週間、三週間と時間が過ぎ去る。
「ひでぇ顔だな」
アベルが久しぶりに顔を出す。
彼はぞろぞろと部下の炭鉱夫たちを連れて戻ってきた。同時に大量の鉄鉱石、石炭を抱えて。
それら鉱物資源の大半は親分であるゴドワンの下へ運ばれ、各地の工場に分配されるけどそのうちの二割はいすず鉄工が頂戴する手はずになっている。
そんな彼ら炭鉱夫組が合流した時、私たち工場組は目の下のクマを作って、死屍累々の状態だったという。
「……あ、おはよう、ご飯?」
「あのな、飯の前に寝たらどうだ。喉も通らねぇだろ……」
私は私でくらくらとしている。えぇと何日の徹夜だったかな。仮眠は何回かとってたから徹夜じゃないか。でもお風呂に入ってない気がする。
体力自慢のグレージェフたちもぼーっとした顔、ディバたち若者組もぐでーっと伸びている。
ついでにコスタは目を充血させながら、延々と数字を書いていた。
「なんでこいつがいるんだよ」
アベルはコスタを見ながら苦笑していた。
「計算、できる人だったから……結構助かったのよ。思えば、うち、経理担当とかいなかったし」
一応、私がそれを担ってたけど、計算はやっぱり苦手だ。
うん、コスタはうちで雇おう。今度ゴドワンにお願いして経理担当として席を置いてもらおう。商人としてのつても有効活用しないといけないわ。
そんな人事の事を考えていると意識が遠のいていく。
でも無理やり頬を叩いて、起きる。
「鋼、使えるもので約八トンは作れるようになったの……本当なら十五、二十トンは作れるはずなんだけど、コスタの計算で質を取るなら八トンなの……これじゃちょっと少ないわね。それを、三週間、延々と、頑張ったのよ?」
この数週間、私たちはとにかく質を求めた。量をこなそうと思ったけど、質の悪いものを大量に流出させるのは危険だ。
品質の低下を許すと思わぬ大事故を引き起こすのだ。
再び元の世界の話をすれば、鋼が主流になる前、蒸気機関などが発展した十八世紀頃の線路は全て鋳鉄製だった。それで、これがあんまりあてにならない。
鋳鉄は鉄の置物、鋳物と言えばわかりやすいか。それらに使う事は出来たけど、線路や橋などの交通機関に使うには全く適してなかったのだ。
なので、衝撃が加わったり、熱が加わるとすぐに変形して、壊れる事故が多発したのだという。
といってもこの世界で鉄の橋や鉄道を作るつもりは今はまだない。近い将来、そういう提案はするけど、その為にも鋼の質は決定的なものにしないといけないのだ。
なんと言ってもこれらは高価な代物だ。武器や防具にするにしてもただの鉄よりは強靭である。
「お前なぁ、言ってくれれば、俺たちだって手伝ったのによ……全員、死にかけてるじゃねか」
「……そうでもしなきゃ地位は築けないでしょ。とにかく、この鋼をゴドワンさんに……」
立ち上がろうとして、力が抜ける。
「言わんこっちゃねぇ……」
その瞬間、アベルが抱き留めてくれた。
同時に私の意識はぷつんと途切れる。
眠い。
***
「……ん、いったぁ、体!」
私が目を覚ましたのはその日の真夜中だった。筋肉痛で全身が痛い。
「痛みで目が覚めちゃった……」
場所は工場の社長室のソファーだった。半ばこれが私のベッドと化している。
工場は既に火が落ちていて、しんと静か。近くの社員寮にはぽうっと明かりが灯っている。まだ仮設住宅レベルのものだけど、どうやら仲間たちが引っ越し作業をまだ続けているみたい。
奥様たちが夜食のスープを作っている姿が見えた。
「気を失ったのかしら……そうだ、鋼は……」
今日中に選別した鋼を納品したかったのだけど、どうなったんだろう。
そう思っていると、社長室のドアが開いて、アベルが姿を見せる。その手にはスープの入った器があった。
「よぅ、目が覚めたか」
言いながら、アベルはスープを社長机に置いて、そばにあったろうそくに魔法で火を灯す。
「魔法、使えたんだっけ」
「当たり前だろ。俺だって元は貴族だぜ。たまに自分でも忘れるがな」
そういえばそうだった。
いや本当、自分もそうだけどこの世界には魔法があって、実はモンスターも生息している。殆どが工場に引きこもりすぎてて忘れるけど、ここファンタジーな世界。
「鋼の件は安心しろ。俺たちが親父の所に運んだ。さすがに驚いてたぜ。量はさておき、質は良いってさ」
「持って行ってくれたの? ありがとう……」
「なぁに、それぐらいはな。ほれ、まぁまずは飯だ」
「うん」
確かにお腹空いたかも。
私はスープを頂く。薄味だけど、体の塩分が抜けちゃってるせいかそれでも塩気を感じられた。
「前から思ってたが、お前、無茶しすぎじゃねぇか?」
「だから何度も言ってるじゃない。そうでもしないといけないって」
「だからって自分が倒れたら元も子もないだろ? 別に鉄の生産で食いつなぐのだって悪くはないんだろ?」
「でも、それじゃ意味がないのよ。現状で満足していたらこの国、つぶれるわ」
サルバトーレ王国を悩ませる製鉄の遅れはいまだに続いていたが、国家の土台が崩れるほどでもなかった。首の皮一枚でつながっているような綱渡りである事は明白であったけど、元が巨大国家ということもあってか備蓄などは私が思うよりはあるのだろう。
それが落とし穴だと気が付いている人が果たしてどれだけいるのか。
「石炭の活用や鋼の生産はスタートラインなの。それは前にも説明したでしょ?」
「あぁ、いずれは他の鉱物資源にも手を出すって話だな。今はその土台を固めるってはずだ」
「私は何も山を開発するだけで終わるつもりはないわ。金や銀が取れれば良質な硬貨が作れるし、岩塩なら食事もそうだけどインテリアへの加工もできる。ガラスの材料もとれるし、鋳物だって用意できる。うぅんそれだけじゃない。今は無理でも私、ちょっとした野心が芽生えてきてるの。自分でもびっくりだけど……」
「野心? なんだ、国でも乗っ取るか?」
「いやよ、そんな重たいだけの役割。私はこうやって山を掘って、鉱物を調べて、使ってだけの方が好き。それは置いといても、私、この国、ひいては大陸に鉄道網を敷いてみたいわ」
「鉄道?」
「鉄で作った道。鉄の長い線を伸ばしてその上を乗り物が走るの」
「トロッコでも走らせるのか?」
私は首を横に振る。
「そんなもんじゃないわ。私は別に詳しいというわけじゃないけど……ちょっと待って」
机の上に散乱してる羊皮紙とペンを取り出して、私は簡単な図を描いた。
それは蒸気機関車だ。
「石炭を燃やした時に出る熱ってすごいでしょ? その熱を利用して、鉄で作った乗り物を走らせるの。その為に蒸気……水を熱で沸かしてでる白い煙を使うんだけど……うーん、今の私だとうまく理論を説明できないわねぇ……」
まぁこれって工学の知識だし。
私、鉱業だ。そりゃ一応、蒸気機関の理屈はわかってるけど、内部構造まではっきりと把握できてるわけじゃないし。
「正直、お前の思いつきは俺にはさっぱり理解できない所あるが、そういうの含めて親父に相談してみるさ。だが、今は休め。効率の良い仕事ができなきゃ結局は全部だめになる。少しは落ち着けよ、いすず。俺たちも合流した。気を張るな」
アベルはそう言いながら肩を叩いてくれる。
それがなんというか、ものすごく安心するのだ。
「でも、あなたたち製鉄できないでしょ?」
「それはできる奴の仕事だ。それに、覚えるさ」
「私としては資源を取ってきて欲しいんだけど」
「親父にいえ。今頃、各地の禿山を買い取ってそこに炭鉱夫を送り込んでる。お前のアイディアだろ?」
「あなたのお父さんの経営手腕よ」
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