新しい1週間
エピローグ
*
おれが居間にはいると破裂音が響いた。クラッカーのテープと紙吹雪が舞いおりる。
「お兄さま、ご就職おめでとうございます!」
美冬と秋加がクラッカーを手に待機していた。
異世界転生するはずだった日、おれは美冬の膳立てしたバイトの面接を受けた。
「どうだった?」
夏未が不安そうに尋ねる。
「採用だ。店長は不安そうにしてたけどな」
秋加がガッツポーズをする。
「がんばってね、お兄ちゃん。年下のひとにいい歳してるくせに使えないと思われたり、女性の同僚に距離をおかれたりするかもしれないけど、挫けないでね!」
「この時点でもう挫けそうだよ」
おれは肩を落とした。
夕方、1人の女性が家を訪ねた。生地のいい黒のスーツを着ている。180センチ近い身長で、腰が高く、足が長い。胸部が目立ち、スーツとシャツの胸元が押しあげられている。肩にかかる程度の髪で、目尻の切れた美人だ。
「お帰り。春嵐」
あれほど強い劣等感をおぼえていた相手なのに、おれは心穏やかに迎えることができた。
春嵐は微笑した。
「ただいま。兄さん」
居間でひとしきり会話したあと、おれたちは食卓で《ダンジョンズ&ドラゴンズ》をプレイした。おれがダンジョン・マスターだ。
前夜から今朝にかけて掃除し、居間は元どおりに片づいている。
秋加が言う。
「まさかお姉ちゃんのお土産がボードゲームだとは思わなかったよ」
春嵐はうなずいた。
「母さんにつゆりがオタク文化に染まっているときいてな。それで土産物に選んだんだ」
つゆりは微妙そうな顔をした。
「いや、いまどきのオタクは《マジック・ザ・ギャザリング》じゃろ。《ダンジョンズ&ドラゴンズ》など、そうやらんじゃろ」
おれはシナリオを読みあげた。
美冬が言う。
「《判断力》で判定をお願いします。洞窟の探索を決めて、直後に内部を知っている人物とたまたま遭遇するなど、蓋然性としてありえません。はじめから仕組まれたものとみるべきでしょう。《判断力》で、その人物が嘘をついていることを見抜きます」
「待て。おまえのキャラクターは《知力》が4だ。そんな高度な思考ができるわけないだろ。ロールプレイに従え」
「…では、わたくしは素直に情報を信じます」
美冬は憮然として言った。
「役割とはいえ、このようなバカなふるまいをしなければならないのは釈然としません」
「あ」
夏未が美冬を指さす。
それで美冬も気づいたらしい。2人して笑う。
「夕べの体験のせいで、この程度のことは気にならなくなったようですね」
秋加が不思議そうにしたが、美冬は「なんでもありません」とごまかした。
「気になるなら《判断力》でサイコロをふってもいいぞ。直観で怪しい気がしたとでも理由をつければいいんだ」
「では、遠慮なく」
サイコロの出目に《判断力》の能力値を元にした修正値を加える。
「22。判定は20だから成功だ。嘘を見抜いた」
「よっしゃ!」
夏未が両手を叩く。
美冬が言う。
「わたくしたちの現実も、このボードゲームと同じかもしれませんね」
「どういう意味?」
秋加が首を傾げる。
「サイコロの出目は、それ自体ではただの数字です。そこにわたくしたちが意味を与えるわけです。思うに現実とは、あらかじめ存在するものではなく、わたくしたちが構成するものではないでしょうか。統計とデータ分析は事実を反映しますが、それ自体はただの数字です。わたくしたちの現実の認識を通してはじめて意味をもちます。ですので、わたくしたちは自分の現実の認識をときおり確認する必要があるのではないでしょうか」
「はあ」
秋加はわかったようなわからないような声を出した。
夏未が言う。
「お兄はこれからどうするつもりなの?」
「シナリオの展開を言えるわけないだろ」
「現実の話だよ」
おれはしばらく黙った。考えてから言う。
「そうだな。やっぱりおれはラノベを書くよ。売れなくてもいい。ラノベが好きなんだ。バイトをしながら書きつづけるよ」
「そ」
夏未はうなずいた。口元がニヤついている。
「《小説家になろう》に投稿を続けるの?」
「いや」
おれは首をふった。スマートフォンの画面をみせる。
「異世界ファンタジーはもう古い。これからは学園ラブコメの時代だ! みてくれ。《カクヨム》というサイトに会員登録したんだ。ここで学園ラブコメを書くぞ」
夏未はため息をついた。
「すこしは懲りろし」
視線を空中に遣る。「でも、中世に小説がなかったなんて不思議な気がするし」
美冬がうなずく。
「散文の文学というのは、きわめて新しいものです。大江健三郎は『小説の方法』という本で小説の効用を論じています。いわく、小説は想像力をもって読者にべつの世界を体験させ、いまいる世界を批判的にみる視点をもたらすそうです。お兄さまに比べれば木っ端同然の小説家ですが、当を得た意見だと思います。お兄さまの小説は想像力をもってわたくしたちをちがう世界にいざない、いまある世界とは異なる視座をもたらしてくれます」
つゆりが不機嫌そうに言う。
「現実の認識が変わったところで、現実が変わらなければどうにもならぬわ」
秋加が言う。
「でも現実を変えるためには、現実がどういうものか知らなきゃダメだよ」
夏未が便乗する。「自分を知るって言ってもいいかもね」
春嵐はため息をついた。
「どうやらわたしのいないあいだに、わが家に変化がおきたようだな」
おれたちは顔を見合わせて笑った。
春嵐がおれたちをみる。
「わたしからもひとつ、話がある」
秋加が首を傾げる。
春嵐はおれの手をとった。
「結婚してくれ。兄さん」
「は?」
何を言っているのかわからない。他の全員も唖然としていた。
「昇進のためには結婚しなければならないが、適当な結婚相手がいなくてな。兄さんなら最適だ。無職だから家事をしてくれるし、昔からの仲だ。それに結婚の約束をしてただろう?」
「幼稚園生のころにな」
秋加が表情を硬直させる。
「兄妹で結婚はできないんだよ。まさか知らないわけじゃないよね」
「ああ。だからパートナーシップ制度に届出をしよう。差別是正措置で人事で優遇されることはまちがいない」
「一生、差別されてろ!」
おれは絶叫した。
「明るく健康な家庭を築こうじゃないか。兄さん」
「これ以上なくインモラルで不健全だよ!」
美冬が両手をわななかせる。
「まさか、お姉さまに先をこされるとは思いませんでした。お兄さま。結婚するならわたくしとしましょう!」
「誰だろうと近親婚はしない!」
気づくと、夏未がいなくなっていた。バッグをもって、ふたたび居間にあらわれる。おれたちに低頭する。
「今日までお世話になりました。もうこの家にはいられません」
秋加が叫ぶ。
「やめて! 夏未お姉ちゃんがいなくなったら、この家に常識人はわたしだけになっちゃう!」
「わらわもあやつらと同じあつかいなのか!?」
つゆりが表情にショックを浮かべる。
妹たちが大騒ぎするなか、おれはひとり呆然としていた。
ああ。今日も妹たちがおれの異世界転生を全力で邪魔してくる。
(終)
世界と異世界 俺と妹の異世界創世記 海老名五十一 @ebina51
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