第37話 灰を抱えた僕と



 海で時間を費やしてしまったが為に街での散策が全くと言っていいほど出来なかった。九割はフェイのせいだ。


 今夜泊まるべき宿は白亜の街と足並みを揃えるように瀟洒で真っ白な外装だ。アプローチや装飾等も特に当たり障りなく、大きめな民家と言われても違和感はない。 

 唯一の相違点は宿の看板が備え付けられているところくらいだろう。


 宿屋は勇者によって貸切になっているがひとパーティに一部屋与えられるといった具合で男女別で分けられるほどの部屋数はないようだ。まぁ野宿して一緒に隣で寝てたりするからもうそのへんは問題点ではないのは皆同じだ。

 それとこれとは違うような気がしなくもないが、この際気にはしない。きちんと仕切りはあるし、ベッドもそれぞれにシングルベッドを置かれている。それでもパトリツィアやアイナ辺りはかなり揉めてそうだ。


 予想通り、フョードルたちはこの宿にはいなかった。ウルバンや他の竜車騎手に聞いてもその行方は分からないの一点張りだった。

 もしものことがあったらヤバいと思ってそのことは既にヴェロアに連絡してあり、きちんと対応すると言っていた。その場合はどちらかに死者が出るのは確実だろう。

 ヴェロアの言っていた魔皇軍も前回の戦いでは勇者を討ったとは聞いているので別段そこまで不安ではない。その辺はもう信じるしかないよな。


 ノウトは「どうすっかな……」とため息混じりにぼやく。何に対して言ったのかは自分自身よく分からない。特に意味は無いような気がする。


 今、ノウトは一人湯船に使っていた。

 なんとこの宿は部屋それぞれ風呂が取り付けられているのだ。人ひとりが足を伸ばして丁度反対側に届くくらいの狭さだがこれでも充分疲れは取れる。湯船からは塩の匂いがした。

 風呂に入る順番はノウトが最後になった。シャルロットに色々なものを〈神技スキル〉で造ってもらうためにノウト以外のパーティのみんなは先に街に出ていて、ノウトは留守番ならぬ部屋番を自ら申し出た。

 そこに深い意味は特になかったが強いていえば一人になりたかった、ということがあった。


「……リアと話すのは深夜でもいいかなって思ってさ」


 誰に言う訳でもなく独り言を呟く。

 誰もいないと気楽だ。独り言を言っても誰も気にしないし。誰にも気を遣わなくていいし。

 でも、ずっと一人はそれはそれで嫌だ。いや我儘かよ。ほんと。

 上を向きながら目を瞑ってあーでもないこーでもないと意味の無い考え事をしていると、ふと足に違和感を感じた。湯船から湯が浴槽の外へと流れ落ちる音もした。目に当てたタオルを右手で剥がしてその違和感の原因を辿ろうとその方向を見ると、ヴェロアがそこにはいた。湯から顔だけを出してちょこんと湯船の反対側に座っている。


『よっ』


「って、えぇぇ!?」


 ノウトは思わず立ち上がって驚く。湯がばしゃんと外に跳ねる。


『ははっ。過去最高に驚いてるじゃないか』


「いやそりゃ驚くだろ!」


『いやなんか常にノウトを見てるもんだからもう吹っ切れたんだ。もう一緒に風呂に浸かっても関係ないと』


「まぁ確かにそう言えなくもないけどさぁ」


『別にいいじゃないか。以前もこうやって風呂に入って共に背を流したりしたこともあったし』


「そんなことしてたのかよ……。ほんとどんな関係よ」


『とにかく座れ。大事なものが丸見えだぞ』


「ってああぁっ」


 ヴェロアは手を目に当てて頬を赤らめていた。

 ノウトは急いで湯船に肩まで浸かる。ヴェロアが声を出して笑う。


「……なんか珍しいな」


『なにがだ?』


「ヴェロアがそうやって声を出して笑うとこなんかあまり見ないからさ」


『そうか? 私はよく笑うぞ。ただ……そうだな、最近は少し思い詰めているかもしれん』


「……ごめん、いい言葉が上手く思い浮かばないけど、困ってることがあったら何でも俺に言って欲しい」


『それは……本来私が言うべきセリフだな。でもありがとう、ノウト』


「いえいえ」


 そうして8秒ほどお互い黙ってしまって、「そういえば」と思いついたことを適当に口走ろうとするとヴェロアが突然立ち上がって、ノウトの上に太股の上に座る。

 ノウトの胸板にヴェロアの真っ白な背中が触れる。ノウトと同じ向きに座っているので今ヴェロアがどんな表情をしているのかは分からなかった。ノウトは行き場の分からなくなった両手を上にあげて、なんとかヴェロアの珠肌に触れないように努力した。

 身体を預けたの彼女だから別に肩に手を置いたり手を回したりしてもいいんじゃないか? いやいやいやいや、駄目に決まってるだろ、俺。なんとか理性を保つことに成功した。


「ヴェ、ヴェロアさん?」


 彼女は震えていた。


『……私は、怖いんだ』


 ───それもそうだ。自分の心臓に向けられた刃が刻一刻と迫ってくるような感覚。今迄、気丈に振舞っていたことがおかしいくらいの異常な状況だ。

 勇者は魔皇を殺すべき、魔皇は勇者を殺すべきという狂った常識がヴェロアの首を締め付けている。

 ノウトはまたいつかと同じように、不確実性の権化の十八番『大丈夫』を彼女に言おうとした。しかしそれはヴェロアの声によって掻き消される。


『違う。そうじゃないんだ……。私が怖いのはお前が、死んでしまうことなんだ』


「俺……?」


 予想外の回答に間抜けな反応をしてしまった。


『そもそもこの計画には私は反対していたのに。お前が私の制止を振り切って、あそこに飛び込んだんだ』


「……そう、だったのか」


『───私はノウトに死んで欲しくない。嫌なんだ。もう、誰にもいなくなって欲しくないんだ。母上や父上、兄上のように、ノウトもメフィもラウラもいなくなってしまったらなんて思うと……心が酷く、痛くなる。お前に、ノウトにずっと生きていて欲しい。ずっと隣にいて欲しいんだ』


 ヴェロアは涙声だった。

 どうするのが正解なのか分からなかった。



 そもそもこの世界じゃ何が正義で何が悪かなんてなにも分からない。

 勇者を殺すことが本当に悪なのか、魔皇を殺すことが果たして正義なのか。



 それらを決めるのは俺だ。俺自身だ。



 自然とノウトはヴェロアの身体に手を回していた。体温をお互いに交換し合う。ヴェロアのその身体が本物ではないと分かってはいても温もりを感じた。


『…………ずっと、こうして欲しかったんだ』


 ヴェロアはノウトに聴こえるか聴こえないかの微かな、今にも消え入りそうな声でそう呟いた。

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