第145話 契約
「……なんのことだろうか?」
努めて無表情を装い、平坦な声でとぼけてみせる。だが──。
「へへ、ボクは目がいいんだ。お兄さんが壁の上から飛び降りて、サササっと人混みの中に逃げ込んでいくのが見えちゃったんだよねー」
警戒している兵士たちは誰一人気付いていないというのに、この少年にはバッチリと見られてしまったらしい。隠密の魔法にはかなり自信がある。つまりこれは目がいいというレベルの話ではない。
「見間違いじゃないか? さて、俺は先を急ぐ。ではな」
いかにも人畜無害で平凡そうな少年が、宮廷魔法師レベルの魔法を見抜く。その正体が一体何者なのかは気になる。しかし、アマネの言葉ではないが確実にトラブルになる予感がする。わざわざ自分から近寄ることもあるまい。俺は冷たくあしらい、少年から離れようとした。しかし少年は慌てて駆け出し、俺の目の前に回り込むと、右手を高々と掲げカードのようなものを見せてくる。
「ちょっとちょっとちょっと! 待ってってば! お兄さん、これ持ってる? この街の住人なら誰でも持ってるIDカードだよ。持ってなければよそ者。よそ者だったら滞在許可証を持ってるはずだよね」
見せてきたのはIDカードのようだ。そして滞在許可証は持っているのかと尋ねてくる。確かにベント伯から事前にこの街ではそういったものがあるとは聞いていた。しかし俺は正規の入場手続きを取っていないのだから持っているわけもない。
「……少年、憲兵の真似事はあまり感心できないな。そのうちトラブルになるぞ? 滞在許可書は宿に置いてある。ではな」
だが正直に少年に対応する義理もない。俺はやれやれと頭を振り、うんざりだという感情を隠すことなく言葉に乗せ、適当に話を合わせると、隣をすり抜けようと歩きはじめる。
「へー。
だが、少年を横切る瞬間そんな言葉が聞こえる。先程までのあどけない声とは違い、脅すかのように低い声だ。
「…………」
俺は立ち止まってしまった。これはつまりこの少年の言葉に耳を傾けてしまったということにほかならない。
「ヘヘ、お兄さん、そんな怖がらないでよ。別に通報したりなんかしないよ? ボクはこの街でギルダー見習いをしているネアって言うんだ。ギルダーって知ってる? ギルドっていう仕事斡旋所に登録している便利屋だよ。さて、お兄さんもう一度聞くよ? 困ってることはないかな?」
少年はとても良い笑顔でそう尋ねてくる。つくづくトラブルを招く体質に内心で嘆きながら俺は少年にこの街のことを教えてくれと頼むのであった。
「ってなわけ。だから今街はピリピリしてるんだよ。もう少し後だったら良かったのに。お兄さんもタイミングが悪いね」
「…………」
ネアからの話は衝撃的であり、暫く口を開くことができなかった。と言うのも俺たちの捜し人である原始の魔王の墓守という男は捕らえられ、処刑の日を待つという状況にあると言ったのだ。こちらの事情は話していないため、騙すためのウソとは考えにくい。
「どうしたの、お兄さん? 黙りこくっちゃって」
「あぁ、いや、自分の不運さに少しばかりな」
「……そ。で、お兄さんのこと聞かせてくれる?」
どうしたものか。なぜか俺の事情に首を突っ込もうとする少年。ここまで喋った印象ではネアは諜報員や憲兵のそれではないように思える。だが、扱いやすい子供ではないことも確かだ。しかし、現地の状況を知っており、協力してくれる者がいればそれに越したことはない。となれば──。
「……何が目的だ」
俺は目の前の少年を子供として扱うのをやめ、交渉を持ちかけた。ネアは俺の微妙な心境、対応の変化にも目聡く気付いたようでニコリと笑った。そして──。
「……お金、ということにしておこうか。お兄さんも分かりやすくていいでしょ?」
手をお金のマークに模しながら挑発してくる。つまり本来の目的は教えるつもりがない、と。
「……いいだろう。報酬は前払いで金貨一枚だ。こちらの目的が無事達成できたら後払いを言い値で払おう」
こんな厄介そうなよそ者に首を突っ込むくらいだ。それ相応の理由があるには決まっている。それが後ろめたければ後ろめたいほど信用ができる。共犯関係というやつだ。
「うわー、お兄さん太っ腹~♪ これで契約成立だね。じゃあまずはお兄さんの名前を教えてよ」
名前。このタイミングまで一切尋ねてこなかった個人を特定する情報。嘘をついても良かったが──。
「……ジェイドだ」
正直に名乗る。俺一人であればなんとでもなるが、こちらは団体だ。ボロが出てしまえば負い目を背負うこととなる。それにネアであればその情報の扱いは心得ているだろう。
「ジェイドさんね。カッコいい名前だね~。でも、呼ばれるとマズイでしょ? やっぱり今まで通りお兄さんでいいかな。じゃあ改めてお兄さん? 一体なんの目的でこの魔帝国に潜入してきたのか教えてもらえるかな?」
ほらな。
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