第89話 粘つく視線

「お客さん着きましたよ」


「あぁ、ありがとう。よし、みんなを起こすか。ほれ、レオ起きろ」


 エルムに入り、馬車乗り場に止まる。俺は大の字に寝ているレオを揺り起こした。レオの上半身がムクリと起き上がる。キョロキョロと首を振り──そのままの姿勢で動きを止めた。どうやら寝起きで覚醒しきっていないのだろう。隣では──。


「ミコちゃん? アマネちゃん? 起きて?」


 ミーナが二人を揺り起こしていた。だが、うにゅ、だの、むにゅ、だの言って起きる気配がない。ひとまずこのまま馬車にいたんでは、御者に迷惑が掛かる。


「すみません、今降りますんで、代金は──」


「あ、いえ、その、エメリア様からいただいていますので……」


「あ、そうなんですね。じゃあ、これはお気持ちです。ありがとうございました」


 エメリアが先払いで支払ってくれていたらしい。だが、ここまで無事に運んでくれたのだ。感謝の気持ちとして自分の財布からチップとして大銀貨一枚を渡す。


「よし、レオ歩けるか?」


「……うん」


 まずは比較的起きているレオをなんとかしようと馬車から降ろす。寝ぼけているせいか、素直に従ってくれた。少しだけ気持ち悪いと思ってしまう。すまない。


「じゃあ、ほれ、ミコ? アマネ? 担ぐぞ? ミーナはキューちゃんを頼む」


 ミコのリュックをそっと外し、ゆっくりとミーナに手渡す。それから俺は二人を両肩に担いだ。


(軽……)


 そして、そのまま慎重に馬車を降りる。


「うし、生徒たちを送っていくか。ここからだとレオ、ミコ、アマネの順番か。悪いけど……」


「うん。一緒に行くよ」


 送ってくれるのに付き合ってくれるらしい。ありがたい。正直、街の中とは言え辺りは暗い。ミーナを一人で帰すのも心配だったのだ。


「よし、じゃあレオ行くぞ──って、お前フラフラなに歩いてるんだよ……」


 充填が切れた魔道具人形のようにギギギギと手足を動かし、フラフラ先を歩き始めてるレオ。追いついて一緒にレオの家を目指す。幸いここからは近いため、すぐに着いた。


「それじゃ、レオおやすみ」


「うん、おやすみ……」


 いつもの威勢はどこに行ったのか。半分寝ているような状態で家に入っていった。ご家族の人が玄関を開けたため、担任だと挨拶をする。両肩に女子二人を担いで担任ですと名乗るのもどうかと思ったが、幸いレオの両親は二度見した後は普通に応対してくれた。


 そして、同じようにミコとアマネの家に向かう。結局ミコとアマネは引き渡すまで起きなかった。


 こうして生徒たちをなんとか送り届けてミーナと一緒に帰る。


(……子供の頃ってこんなに寝たっけな?)


 俺はふと、馬車の中で読んだ本を思い返し、自身の子供時代を振り返る。思い出せない。


「なぁ、ミーナ? 俺って子供の頃よく寝てた?」


「覚えてないの? アギーレのお爺ちゃんが色々勉強を教えてくれた時、毎回寝てたの」


「…………アギーレの爺さん。あぁ、いたな。いや、歯が半分以上抜けてるから何を言ってるか分からなかったろ? 確か」


 なんとか思い出す。歯が半分抜けて、フゴフゴ言ってた記憶が微かにあった。しかし今にして思えば教わった知識が合っているのかも怪しいと思えてくる。


「いたな……って。まだ生きてるよ?」


「え!? マジか!? だって、あの爺さん十六年前に八十越えてなかったか!?」


「……うん。今ちょうど百歳だよ」


「ほぇー。……歯は?」


 驚いた。百歳というのはかなり長命だ。ましてパージ村は医者がいるものの、医療設備は決して整っていると言えないだろうし。そして気になるのは歯の行方だ。ミーナは苦笑いで──。


「……なくなっちゃった」


 そう告げた。


「……そうか」


 歯が半分の状態で聞き取れなかったのだから、歯が全部抜けた今となってはもうアギーレの爺さんと会話をするのは難しいだろう。少しだけ俺の胸に寂寥せきりょうの風が吹いた。


 そんな思い出話をしながら歩いていればいつの間にか、俺たちが住む家に辿りつく。いや、この言い方だと語弊がある、か。


「さて、ジェイド。お腹空いてる? 簡単なもので良ければ作るけど?」


「あぁ、そう言えば腹減ったな。ありがとう、たの──む?」


 寂寥の風はすぐに吹き抜け、代わりに腹の虫が騒ぎ出す。だが、そんな時俺はふと違和感を感じ、ピタリと動きを止めた。一瞬だが背中に粘っこい視線を感じたのだ。意識を集中させ、視線の先を探る。だがそこに気配はなくなっていた。


(……勘違いか?)


「どうしたの?」


「いや、なんでもない。さーて、ミーナの夕飯楽しみだなーっと」


 俺の勘違いかも知れないことで不安にさせるのもイヤなため、わざとおどけるようにして誤魔化す。だがそんなものは幼馴染に通用するわけもなく──。


「もう、そうやって誤魔化す……。はい、ちゃんと言うまでご飯抜き」


 ミーナは目を閉じ、つんと明後日の方を向いてしまうのであった。それは本当に他愛のないやり取り。幸せだった日常。そう、俺がこの時その視線を見逃していなければ──。

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