第22話 カレーモード

「おい、ミーナ? おーい」


「……んにゅ?」


「おはよー?」


「…………ハッ」


 体育すわりで寝ていたミーナがようやく起きたみたいだ。すさまじい勢いで顔を上げると、コシコシと口元を拭っている。


「涎は垂らしてなかったから大丈夫だぞー?」


「良かった……って、今何時!?」


「三時くらいだなー。昼食出来上がっていたのに気付かなくてすまないな」


 俺は簡易結界に包まれたカレーとサラダをチラッと見たあと、ミーナに謝る。


「二時間も……寝てたの? そのあいだずっと寝顔見られてたってこと……?」


 ミーナは下をうつむき、ボソボソと独り言を呟き始めた。と、言っても近くにいるためその内容は聞こえてくる。


「いや、ずっとは見ていないぞ? ミーナが寝ているのに気付いて、寝かせてあげた方がいいか、起こした方がいいか考えている一分くらいの間だけだ」


「……最悪。私、その寝言とか……、い、いびきとか」


 ここで俺は寝言を言っていたと適当なことをでっちあげようともしたが、踏みとどまる。ミーナの表情がこの世の終わりを迎えてしまったかのようだったからだ。


「あ、安心しろ。別に何も言ってやいないし、いびきもかいていない。スヤスヤととても安らかに寝ていたぞ?」


「……せめてもの救いだね。でもこれじゃ私の方が隙だらけじゃない……」


「ん? まぁ確かに今、このときアサシンにでも突入されたら危なかったな。だが、俺は起きてたし流石に敵意や殺気を感じれば動けるから撃退できるぞ?」


「……はいはい、流石だね、ありがとう」


 何故だろう。呆れた表情で短く返された。


「……ふぅ。ちょっと部屋に行って顔洗ってくるね?」


「ん? あいよ」


 ミーナは二度三度頭を振ると、いつもの表情に戻り部屋に帰っていった。その時俺が思ったのは──。


(お腹空いたな、カレー食べたいな……)


 であった。結界アンテの効果もあり、部屋に漂うカレーの匂いは僅かだ。だがその僅かな匂いで分かる。


(これは美味いやつだ)


 ──と。一旦カレーモードに思考が切り替わった俺はローテーブルの上の資料や教科書をどかして、床の隅へと置く。こんな状態で頭など回るはずもない。


 そわそわして待つこと十分。ようやくドアがノックされミーナが帰ってくる。その手には浅く広い皿。白いご飯が湯気を立てて乗っている。


「うむ。流石ミーナだ」


 俺はそれを見て、なぜか貴族っぽく感動を伝える。


「ありがと。あっ。テーブルの上片付けてくれてたんだ。部屋を出る前に伝え忘れちゃったたから心配だったんだけど良かった」


「フハハハ、俺も少しは成長しているってことさ」


「そこで調子に乗らなきゃ成長と言えるかもね?」


「うぐ……」


 やはり幼馴染の方が一枚上手であった。


「はい、じゃあ食べようか。えいっ」


 ミーナが指でつついて結界を割る。


「フフ、ジェイド割りたかった?」


「アホ。流石に俺もそこまでガキじゃない」


 ほんの少し、ほんの少しだけ割りたい気持ちはあったが、それはもうほんの少しだ。決してミーナが割ったことに対して不満などない。むしろ──。


(やはり美味そうな匂いだ)


 結界が割れた瞬間に漏れてきたスパイスの香り。十六年前までは頻繁に食べていた母のカレーの匂いを思い出させた。


 そして、そこで俺の腹が音を立てる。


「ップ。はい、どうぞ」


 そんな俺を見てミーナはとても愉快そうに笑いながらカレーをよそってくれる。


「ありがとう」


 別に腹の音くらいで恥ずかしくなどない。生理現象なのだから。だが、流石に──。


 クゥー、クゥル、ククククゥ。


 二度、三度鳴ると少しばかり複雑だ。


「じゃあいただきます」


「ん、いただきます」


 腹の音に早くしろと催促されたみたいで、ミーナが急いで手を合わせる。礼をしてから俺はスプーンを持ち、カレーをすくう。パクリ。んぐんぐ。


「…………ング」


 飲み込む。すくう。噛む。飲み込む。つかえる。


「んんんっ」


「はい、お水。カレーは逃げないよ? あとサラダも食べた方が──って聞いてないね」


 結局、皿が空になるまで俺の手は止まらなかった。


「おかわりもあるけど?」


「くれ」


「はいはい。じゃあご飯よそってくるからサラダ食べておいてね? サラダ食べてなかったらおかわりはあげ──そ、そんなに食べたいんだね」


 そう言ってるそばから俺はサラダを食べはじめた。これも美味い。爽やかなドレッシングの味が舌をリセットし、これならあと何杯でもカレーを食べられそうだ。


「はい、ただいま。どうぞ」


 ミーナは早かった。すぐに戻ってくるとカレーをよそってくれる。俺はまたしても手を止めることなく食べ続けた。


 そして三杯目までお替りし、完食したところでようやく一息つく。

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