第05話 競歩戯画
三条通りを南に下って最初の信号、六角通に差し掛かる。
といっても信号があるのは西側だけで、東側のアーケードを歩いているため立ち止まることはない。
京都は遠くから見ると碁盤の目の街だが、近くから見るとちゃんと違いがわかる。もちろん一見さんには同じような景色が続くのだが、その違いがわかれば半人前、目隠しで連れてこられて周囲の建物で通りを判別できるようになって一人前なのだ。今考えた。
「そうだ、念のために檸檬を買っていこうか。もしかしたら『檸檬が無い』ことが今回のティンカーかもしれない」
信号を過ぎてすぐ、食料品店を見つけて店の中に入る。
「あ、ラムネがあるッス。お祭りといえばラムネッスね」
などと自然な流れでラムネも買わされた。
物語の中に入る際はその世界に合わせた金銭なども都合よく持っているのだが、なぜかお金を出すと驚かれた。問題なく買い物できたので良しとしよう。
「ビー玉、きれいッスねー」
栓を抜いたラムネを太陽に透かすように持ち上げてマナちゃんが呟く。
透明なビー玉に小さな炭酸の泡がまとわりつく。
小さな泡一つ一つに世界が閉じ込められ、中央の一番大きなビー玉なら太陽すら捕らえられるだろう。
口に含んだラムネの強烈な炭酸がはじけるたび、世界は解放されるのだ。カランと瓶が音を鳴らせば、世界はもう元通り。
そんな詩人みたいなことを思ってみたが、横を見るとすでにマナちゃんはラムネを飲み干していた。
あれ、炭酸結構強くなかった?
「シショーはお子ちゃま喉ッスか。絶対猫舌ッス」
なぜバレた!?
涙目になりながら残りを一気飲みした。
そんなやり取りを重ねながら、次の交差点まで歩みを進めた。
通り過ぎる人波の中に、一際異彩を放つ存在が通り過ぎ去る。
濃い藍色の着物の袖が風切るツバメのように低空飛行を続け、群衆の雲に隠れていく。
まだ若いが憔悴しきった顔に千鳥足のような、覚束ない足取りで吹けば飛ぶような存在に思えた。
「――あれ?」
振り返って見るが藍色は視界から消えていた。
「どーしたんスか?」
「今、着物を着たっぽい人とすれ違ったような。こう、足取りがフラフラというか、クネクネしたっていうか……」
「見たら精神がやられちゃう危険なやつッスか」
「それ田んぼとかに出る都市伝説的なやつだね。こんな町中で出たらパンデミック起こしちゃう」
「おかっぱグラサンだったらきっとカイコパス野郎ッス」
「残念ながらこれはそんな文豪同士が戦うバトルモノにはなる予定が無いんだ」
「良かった、幽閉されている可哀想なショタっ子は居ないんスね」
流石、ブレないなこの子供好きは。
「でも丸善ってこの先だったと思うから逆方向なんだけどな……」
立ち止まり、振り返ったわたし達はまるで大河に刺さった朽ち木のようで、人の流れはわたし達に向かって来てはうまく左右にすり抜け、その流れは止まらない。
人の流れに逆流するように来た道を引き返す。
河原町通を北上し、一つ前の信号の無い交差点を越えた先で、一際大きな白い建物が目に入る。
先程は何の印象もなかったが、その前で藍色のツバメが着物の振を揺らし、蝶のようにひらひらと舞っている。
吸い寄せられるように、その屋内へと姿を消した。
否応なしに飛び込んでくるその鮮烈さに、思わず目を見開いてしまう。
「あれだっ!」
「うーん、あんまり良い着物とは言えないッスね。模様もない無地であちこちほつれてボロボロ、部屋着のまま出かけてるみたいッス」
「それもまた『みすぼらしくて美しいもの』ってことかもね。追うよ!」
人をかき分け、白い建物を目指して歩く。
急ぎたい時に限って邪魔が入る。うまく進めないのだ。
様々な色が通り過ぎていったが、そのどれも印象に残ることはなく、透明な扉の前に立つまで相応の時間を要した。
その建物に入り案内図を見ると、どうやら丸善は地下にあるらしい。綺羅びやかな店内を通り抜け、地下へと降りていく。
荘厳とした雰囲気に遙か上の天井から降り注ぐ光はまばゆく、いわゆる普通の本屋とは全く異質の空間であった。
まるで英国の国立図書館を訪れたのかと思うほど豪華で立派な本棚が並び、世界中の蔵書が集められているのではないかと錯覚するほどだ。
床は木目状で、少し濃い暗めの茶色と肌色に近い薄めの茶色の二種類を基調としている。
本棚も外側は木製、内側はスチール製の立派な作りで、全体としての古めかしい雰囲気を残しつつ作りは頑丈ときている。
高くそびえ立つ本棚は迷路のようで、本の迷宮にでも迷い込んだアリスになった気分だ。
「シショーはどっちかっていうと茶色いウサギの方ッスね」
それはつまりSOSじゃなくって探偵局の方ってことだな。
「この本棚きれいだし、一つ持って帰ってウチの本棚にしたいくらいッス」
「本棚泥棒とは大胆を通り越してるよ。逆に業者だと思われてうまくいきそうな気がする……」
それでも何故だろう。
この本棚の本にはあまり興味が注がれない。手に取ろうと思えないのだ。
わたしが本を拒絶しているのか、本がわたしを拒むのか。
「世界中にはこれほど本が溢れているのに、人一人が一生のうちに読書する本の量なんて、この本棚ひとつ分にも満たないかもしれない。ああ、増え続ける物語に対して時間が足りなさすぎる!」
「全部が全部必要ってわけでもないッスから、自分の求める分だけ取捨選択すれば良いんじゃないッスか?」
「いやまあ、そうなんだけどね」
きれいに整頓されて背表紙が並ぶ本棚は美しすぎる。
一つ手に取れば芋づる式に次の本が待っていて、その本の先にはさらに次の本が続く……終わりは無く、知識欲の続く限り探求の旅は続いていく。そして、大半は発掘作業に疲れてしまい、嫌気が差してそのツルを切ってしまう。知識の連鎖は止まってしまい、再開するには相当の労力が必要となる。
なんとなく、この作者が丸善を遠ざけていた理由がわかるかもしれない。
病に苛まれるまでもなく、思い悩んでいる時には華やかなものを遠ざけたくなるものだ。
店内を闊歩していると小さなかごが置かれていた。
「あ、ちょうど良いッス。ラムネ瓶置き場ッスね」
「いや違うでしょ。……邪魔になるし、置いてっちゃおうか」
少しだけ迷ったが、心の中の天使がデビル化したので躊躇なく瓶置き場として利用させてもらった。
この店内も小さな京都なのだ。
同じような本棚が続き、自分が今いる場所を惑わす。
進めど進めど本棚が迫りくる。
押し寄せてくる情報の波は活字から絵、映像とありとあらゆるものが次から次へと飛び込んでくる。
本の表紙からもカラフルな情報が店内中に虹をかけるよう絶え間なく描いていくのだが、そのどれもが何故か色を感じさせない。
無機質な世界なのだ。
そのまま歩いて角を曲がると、ガランとした本棚が一つ、足元にはいくつもの本が無造作に散らかっていた。
そして視線の先、塔のように積み上げられた本の塊が異様な存在感を放つ。
塔のてっぺん、カチカチと音を立て鎮座するのは檸檬――ではなく、檸檬の形をした本物の爆弾であった。
「――え?」
小さくガラスのぶつかる音がして、ビー玉の中で世界が爆ぜた。
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