第39話 本物語

 目を開いたままわたしの独白を静かに聞いていたその男は、一度だけ深くまぶたを閉じ、少し顔を下ろして考えをまとめ、再び目を開き視線を上げる。

 その表情に感情はなく、肯定も否定もしないという意思表示のようにも受け取れた。

「お前の問いに対する答えになるかはわからぬが――」

 そう前置きして、彼は言葉を続ける。

「国であろうと何であろうと、その礎は民であり、人だ。人がいなければ何も始まらぬ。いかに巨大な帝国を支配したところで、そこに誰も居なければ帝国として機能しない。そこに生きる民がその場所を帝国として認め、我を王として認め、その子孫とともに繁栄する道を選ばなければ成立しない。我は国家ではない。民の存在こそが国家なり」

 これがギルガメッシュの基本原理なのだ。

 暴君の印象からしてみれば意外なものだが、ただの暴君であれば英雄王などという称号とともに現在まで語り継がれることもないはずだ。よくよく考えれば、極めて当たり前のことなのかもしれない。現在のギルガメッシュ像というものは、後世の歴史家による脚色も少なからずあるのだろう。

「我の名を永遠に。物語に名を刻む英雄として永遠に生き続けることになる。お前はそう言った。しかし、そのためには未来に語り継ぐための存在が必要だ。それこそが民である。違うか?」

「それはその通りだ」

 その問いかけには何の疑問もない。わたしはしっかりと頷く。

「ならば、我の所業を語り継ぐものの居ない世界など、我の存在しない世界と同じことよ。そうであろう」

「……そう、だな」

「お前が『リオルガー』として、間違ってしまった世界を、物語を阻害する『ティンカー』を葬り去りたい気持ちは理解できる」

 葬り去りたい。間違った世界。

 そんな風にも、確かに捉えられる。

「しかしティンカーを消し去ったとして。正しく物語をあるべき姿にしたとして。誰がそれを証明するのだ。誰がその所業を伝えるのだ。洪水によって救われた世界が消えてしまえば、誰がその世界の間違いを後世まで伝え聞かせるのだ」

「…………」

 わたしには、応えられなかった。

 その言葉に対する反論ではなく、リオルガーとしての、わたしの正しさを証明する答えが一つも見いだせなかったからである。

「お前の行動の正しさは我には答えられぬ。我はリオルガーなどてはないのだからな。ただ」

 一呼吸おいて、ギルガメッシュは再び口を開いた。

「物語はハッピーエンドでなければ。そうであろう」


 わたしは張り詰めていた糸がふっと切れたような感覚に襲われ、そして自然と口元が緩んで笑みがこぼれた。

「――マナちゃん、さっきの旧約聖書のノアの物語に名前を付けよう。あれは本来の『ノアの方舟』の物語じゃないから、別の名前を付けて一つの物語として独立させるんだ。そうすればあの物語はティンカーが消滅しても消えることなく、全く別の新たな物語として存在できる」

「はいッス! りょーかいッス! でも名前って、どんなんがいいんスかねー?」

「マナちゃんが好きに決めていいよ」

 物語の存続を望んだのは彼女なのだから。

「じゃあ『終末ロンダリング』とかどうッスか! 大洪水が起こるという終末を回避したというか、引き伸ばしたというか、そんな感じッス!」

「すごく中二病チック……」

「じゃあ、やっぱり『予言少年ノアちゃん』で」

「そこは君じゃないんだね、やっぱり」

「あんなに可愛い子が女の子のはずがないッス」

「おっと、方向性が変わってくるよ。男の娘になっちゃう」

 ボクっ娘ならぬ俺っ娘。設定としては割とメジャーだな。

「善は急げッス。早速申請してくるッス!」

 そう言ってマナちゃんは一足先に栞を抜き取り、この世界を後にする。

 申請といっても何かがあるわけではなく、わたし達リオルガーがその物語を『観測』することで新たな物語として書架に加えられるというだけのことだ。申請という言葉が表しているのは、作品にタイトルを付けて本棚に並べるという行為でしかない。

 リオルガーであるマナちゃんがそれを行えば、それで申請は完了する。すでに観測されている物語は作品の一つとして物語の海に漂うことになる。

 知っているのはリオルガーであるわたし達三人。いや、もしかしたら、もっと増えるのかもしれないが。

 ずっと黙ってわたし達のやり取りを聞いていたギルガメッシュが口を開く。

「ウトナピシュティムよ、不毛なる大地の先に生きる荒野の王よ。お前の言葉を胸に刻もう、その言葉を糧に、我の望む永遠の命を探す旅を再び始めよう。今日よりお前は我の友だ。友よ、お前の旅路にも幸あらんことを」

「え?」

「我にとっては最後までお前はウトナピシュティムだ。そうであろう?」

 ああ、そういうことか。

 まったくこの男は察しが良い。

 ティンカーを消滅させるために、わたしに最後までウトナピシュティムを演じさせてくれているのだ。

「ああ、有り難き幸せ。その望みが叶うこと、心より願っている」

「ははは、ハハハハハ! 我が願いが果たされたとき、再び会おう」

 そう言い残し、彼は去っていく。

 荒野に独り残されたわたしは、すでに聞こえないほど遠くへ居る男に向かってささやく。

「お前の名声は数多の石碑によって物語となり、後世まで俯仰天地に愧じぬものとして永垂不朽に語り継がれることになるだろう。すでにお前は永遠の生命を得たも同然だ――英雄王ギルガメシュよ」

 そしてウトナピシュティムは振り返り、荒野から去っていくのだ。

 わたしは栞を引き抜き、物語を後にする。

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